夕日を反射して、彼の金髪が眩しいくらいに輝いていた。真っ黒な喪服に不釣り合いの派手な色だが、それでも澤村大地は綺麗だと思って、彼の後ろを歩きながらずっと見惚れていた。

「ほら、ぼけっとしてないで上がれよ。いつもどおり散らかってるけど、家に一人でいるのは嫌だろ?」

 いつもはカチューシャでオールバック風に掻き上げている髪を、今日はずっと下ろしている。葬式の空気に合わないからと、朝一で顔を合わせたときに言っていた。
 髪を下ろしただけでもずいぶんと印象が違って見える。大人ながら少年のようなやんちゃさがある――それがいつもの彼の印象だったが、今日はずいぶんと大人っぽく大地の目に映った。
 彼――烏養繋心の問いかけに頷いて、大地は靴を脱いだ。踏み慣れた彼の家の廊下を歩き、さっきの言葉通り少し散らかったリビングに入る。ソファーの上だけは綺麗だったので、そこにちょこんと腰かけた。

「ほら、飲めよ」
「ありがとう」

 差し出されたコーラのペットボトルを受け取る。繋心は大地の隣に座って疲れたように吐息した。

「よく我慢したな、お前」

 何のことを言われたのかピンと来なくて繋心の顔を見返せば、彼は優しげに微笑んだ。

「式の間、泣かなかっただろ?」
「ああ……。あれは泣かなかったんじゃなくて、泣けなかったんだ。なんか夢を見てるみたいで、母さんたちが死んだって全然実感湧かなかった」

 両親の死は突然だった。たまには夫婦で買い物したいと言って出かけた先で、交通事故に巻き込まれた。
 家を訊ねてきた警察に事情を説明されたときも、そして確認のために両親の遺体を目にしたときも、大地はそれが現実に起こった出来事だとは思えなかった。ふわふわと夢の中にいるかのような、あるいは熱に浮かされているような感覚で通夜と葬儀に出て、そしていまに至る。

「よくわかんないよ。だって一昨日まで普通に話してたし、母さんの作ってくれた朝飯の味だってよく覚えてる。父さんが久々に遠くに買い物連れてってくれるって嬉しそうに笑っててさ。まだ出かけてるだけなんじゃないかって思えて……」

 だけどそれが現実に起こったことなのだということを、今頃になって実感しつつもあった。持って帰って来た御骨と、隣に座る繋心の悲しそうな顔。掃出し窓の向こうに見える、明かりの点いてない自分の家。優しかった母も父も、もうどこにもいない。白い骨になってこの小さな箱の中に納まっているのだ。
 鼻の奥が痺れるような感覚がした。目に映った繋心の顔がぼやける。そして一つ瞬きをした瞬間に涙が、泉が湧くかのごとく溢れ出した。

「母さん……父さん……」

 二人とも大地を息子として大切に育ててくれた。時には厳しく叱りつけられることもあったけれど、それが大地を思う故のことだとわかっていた。もっと大事にすればよかった。もっとたくさん話しておけばよかった。今更遅い後悔が大地の胸に迫り上げてきて、それが悲しみや寂しさとともに涙となって流れ落ちる。

「大地……」

 ふいに抱きしめられた。繋心の匂いに包まれ、安心するような温もりが布越しに伝わってくる。この優しさにいまは縋っていたかった。みっともなくても、情けなくても、干からびてしまうのではないかと思うくらい泣いていたかった。

「――なあ、大地」

 嗚咽がようやく落ち着き始めた頃に、繋心が優しい声音で名前を呼んだ。

「今日からここに一緒に住まねえか?」
「え……」
「お前、親戚んとこ行くの嫌なんだろ?」

 高校生の大地に一人で生活していく財力はない。両親を亡くしたら親戚に面倒を見てもらうのが筋だろうし、実際葬儀の場でもそういう話になっていた。けれど繋心の言ったとおり、大地はそれが嫌だった。親戚連中とはそんなに親しかったわけでもないし、互いに気を遣って疲れるのが目に見えている。それなら幼い頃から顔見知りの繋心と一緒に住むほうが余程気が楽だったが、自分からそんな図々しいことは言えなかった。

「迷惑じゃないのか?」
「俺は結婚してないし、する予定もねえからな。一人増えるくらいどうってことねえんだよ。むしろお前がいてくれたほうが寂しくないし、家事も一人でやらずに済むだろ?」
「……繋心がそう言うなら、ここに住む」

 もはや大地に迷う余地などなかった。

「手がかかりそうなやつは嫌だけどな。でもお前は昔から手がかからない、いい子だった。父ちゃんと母ちゃんの育て方がよかったんだな」
「たぶんそうなんだと思う。今頃になって二人のありがたみがわかったよ」
「そんなもんさ。俺も喧嘩ばっかしてたけど、やっぱ母ちゃんが死んだときは悲しかったな。お前見てると昔の自分思い出すよ。まあ、俺はお前みたいにいい子じゃなかったけどな」
「知ってる」
「なんだと、こら」

 頭をぐしゃぐしゃに撫でられ、仕返しに繋心の髪をぐしゃぐしゃにしてやると、今度は脇腹をくすぐられた。やめてくださいと何度も懇願したが、繋心の攻撃はなかなか止まなかった。本当に息が止まってしまうのではないかと思った頃に、ようやく悪魔の手から解放される。代わりに今度は強く抱きしめられた。

「俺は大地の父ちゃんと母ちゃんみたいに立派な大人じゃねえけどさ。寂しい思いをさせないよう努力はする。お前のこと大事にしてやるからな。甘えたくなったらいつでも甘えろ。こうやって抱きしめてやるくらいならいくらでもしてやるから」
「うん……ありがとう、繋兄」




 昨日にさようならを言うのはとても難しい――前編






01. 甘えたくなったらいつでも甘えろ


 烏養繋心のことは自分が幼い頃から知っている。隣の家のよしみで親しくなり、暇があればいつも大地を構ってくれた。一人っ子の大地にとって、八つ年上の彼は兄のような存在だった。
 身体の成長に悩んだときも、両親を差し置いて彼に相談していたし、進路のこともそうだった。振り返ると大地にとって一番身近だったのは彼かもしれない。
 繋心の母親が亡くなったのが三年前の話だ。父親は繋心が生まれてすぐに亡くなってしまったらしく、女手一つで育ててくれたという。大地も繋心の母親の顔は知っていたし、いろいろと世話になった思い出がある。だから病気で亡くなったときはとても悲しかった。
 自分の家から必要な物を運び終えた大地は、床に座ってこれから自分の居場所の一つになる部屋を見渡す。ここは繋心の母親が使っていた部屋だ。八畳の洋間で、南側の掃出し窓からベランダに出られるようになっている。いままで使っていた自分の部屋よりも広くて明るい。

「終わったか?」

 出入り口から繋心が顔を覗かせる。

「うん。大体片づいたよ」
「そっか。んじゃ、そろそろ休憩にしようぜ。下で茶淹れて待ってるから」
「あ、待って繋兄」

 ドアを離れかけた繋心を、大地は慌てて引き止めた。

「どうした?」
「あ、いや、その……これからよろしくお願いします」

 本当は昨日ここに住むと決めたときに言うべきだった言葉だが、あのときはそんなこと頭になくて言えずじまいだった。少し遅いタイミングになってしまったが、何も言わないのも居心地が悪くて、思い出してすぐにその台詞を口にした。

「何改まってんだよ。お前にもしっかり家事やってもらうから、覚悟しとけよ」
「了解」

 ニヤリと意地悪く笑った繋心について大地も一階に下りる。
 繋心の世話になることを止める親戚はいなかった。やはり子どもが一人増える分、苦労も増えるのは目に見えているし、誰かが進んで大地の面倒を見てくれるというならそれに頼るに越したことはなかったのだろう。大地としてもそうなってくれたほうがよかったし、繋心の家なら住む場所もいままでとほとんど変わらず、転校もしなくて済むから余計な苦労をしなくて済んだ。何より親戚連中よりも繋心のほうが余程身近だったから、一緒に生活するのに気疲れしない。むしろ彼のそばは居心地がよかった。
 繋心は強面なのも手伝って、一見して柄が悪く見えるが、実際は優しくて面倒見のいい人間だ。昨日も両親の死を悲しむ大地のそばに一晩中寄り添っていてくれた。こんなに優しくてカッコいいのにどうして彼女がいないのだろうかと今更ながら疑問に思うが、もしも本当に彼女がいたら自分はこうして家に住まわせてもらえなかったかもしれない。だからいなくてよかったし、これからも――せめて自分が社会人になるまではできないでいてほしいなと、彼の背中を見ながら大地は思った。



 テスト週間というのはいつも息苦しいものだ。一学期の期末テストを目前に、大地の通う高校では一週間ほど部活の時間が短縮される。早く帰って勉強しろということだが、結局大地は前日になるまでいつも身が入らない。教科書を広げてはみたものの、少し読んだだけで大地は眩暈がし始めた。
 気分転換に部屋の掃除でもしよう。暇なときは逆にやる気が起きないのに、こういうふうに何かやらなければならないときは不思議と掃除をする気が起きた。一階から掃除機を持って上がって、隅々までかける。けれど自分の部屋だけだとあっという間に終わってしまった。だから隣の繋心の部屋もついでにやってあげようと、大地は移動する。
 繋心の部屋は少し散らかっていた。まずは床に投げられた服や雑誌を綺麗に整理して、それから掃除機をかける。テレビ台や本棚の後ろの隙間、クローゼットの中まで徹底的に掃除した。そしてベッドの下に掃除機のヘッドを突っ込んだとき、何か硬い感触にぶつかってそれ以上進まなくなる。覗き込んでみると、口の開いた段ボール箱が見えた。

(も、もしかしてエロ本かな?)

 高校一年生と言えば、そういった類のものに限りなく興味があるものだ。大地ももちろん例に漏れることなく、機会があればぜひお目にかかりたいと思っていた。けれど自分で買うような勇気はなく、いまのいままで一度も手に取ったことがなかった。
 大地は思わず息を飲む。人の物を勝手に見るべきではない、と良心は主張していたけれど、見たいという欲求のほうがやはり勝る。ベッドの下に伸びる手を止めることはできなかった。
 段ボールの端を掴むと、一気に引きずり出す。中を覗くと、分厚い本が何冊か収められていた。表紙を下向きにしているから一見何の本かわからないが、こんなところに隠していた辺り大地の期待していたもので間違いないのだろう。心臓が壊れるんじゃないかと思うほどドキドキしながら一冊手に取り、裏返してまずは表紙を確認する。
 結論として、大雑把に言えばそれは大地が期待していたもので間違いなかった。だけど少し違う。いや、そこが違うと意味合いが結構違ってくる。

 本の表紙に写っていたのは、逞しい身体を惜しげもなく晒し、熱く抱擁し合う男たちだった。




続く





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