02. 俺はホモかもしれない


 探し当てた本の表紙を飾る男たちは、同じ男なら誰もが憧れるような筋肉質な身体をしていた。そんな男たちが隙間もないほど抱き合い、どこか蠱惑的な瞳が意味不深げに見つめ合っている。
 本を持つ手が震えた。いや、もしかしたらこれはただのメンズファッション雑誌かもしれない。そう思いながら大地は恐る恐る中を開いてみる。そして最初に浮かべた疑惑が正しかったことを一瞬にして悟った。なぜなら開いたページの中で、さっきの表紙の二人がキスを交わし合い、互いの股間をまさぐり合っていたからだ。
 大地は思わず本から手を離していた。両手で頬を押えながら意味もなく廊下に出て、再び繋心の部屋に戻る。そしてさっきの本をもう一度開いた。やはりそれはメンズファッション誌などではなく、どう見てもエロ本――しかも男同士の濃厚な絡みが収められたものだった。

(け、繋兄ってホモだったのか……)

 思い返せばいままで一度も繋心に彼女ができた試しはなかったし、それどころか恋愛話も聞いたことがない気がする。彼が本当にゲイであるならそれも納得だ。
 衝撃的ではあったが、別に嫌悪感はなかった。ただこんなごく身近にそういった類の人種がいるというのは驚きだった。ああいうのはテレビの中だけの話だと思っていたからだ。

(そうか、繋兄ってそうなのか……。じゃあこれ見ながらヌいてたりするのかな?)

 衝撃の尾を引きながら、大地はなんとはなしにページを捲っていく。最後の砦であった互いの競パンがついに脱がされ、全裸で絡み合う二人。少し身体の大きいほうの男がもう一人の乳首を舐め、へそを舐め、そしてその舌がついに股間に到達した。モザイクがかかってはいるが、あそこがそそり立っているのがはっきりとわかる。次のページでそれがパクリと口の中に含まれ、大地は思わず悲鳴を上げそうになった。

(そ、そっか、これがフェラってやつなのか……)

 下ネタ好きの友達が、あそこをしゃぶる行為をフェラと言うのだと口にしていたのを覚えている。しゃぶられている側の恍惚とした表情から、それはとても気持ちいいのだろうと察した。
 全身の血が股間に凝縮されていくような感覚がした。気づけば大地の股間にはテントが張っていて、自分でそのことに驚きながらもページを捲る手を止めることはできなかった。次のページでは互いが互いのそこをしゃぶり合い、そして更に次のページでは身体の小さいほうの男の尻穴に、大きいほうの男の性器が挿入されている写真がでかでかと載せられていた。男同士のセックスでそこを使うというのは、やはりさっきの下ネタ好きの友達からの情報で知ってはいたが、本当にそうなんだと写真を見ながら驚かされる。

(これ見ながら繋兄もシコったりしてんのかな。むしろこの本みたいなのやったことあるのかも……)

 大地はちらりと部屋の隅に置かれたベッドを見る。本を持ったままその上に横になると、わずかに繋心の匂いがした。昨日抱きしめてくれたときに鼻孔をくすぐった、少し汗っぽい匂い。だけど決して不快ではなく、あの優しさに包まれたような感覚になる。
 大地は短パンを下着ごとずり下げた。勢いよく飛び出したそれは痛いほどに張り詰め、先端から透明な雫を零していた。それを握ると、いつもしているみたいに上下に扱き始める。
 本をベッドまで持って来ていたのに、それは一切見なかった。頭の中で想像する。繋心が本を見ながら自慰をしている姿を。

「繋兄っ……」

 繋心もこの雑誌のモデルほどではないが、結構引き締まった身体をしていた。一緒に風呂に入ったことがあるから知っている。その身体をこのベッドの上で惜しげもなく晒し、自分の性器を必死に扱く。気持ちよさそうに顔を歪めながら、時々快感に耐えられず甘い声を零す。

「あっ……出るっ」

 達するのにそう時間はかからなかった。妄想の中の繋心が射精するのと同時に、大地も白濁を自らの腹に撒き散らした。
 やばい。いつものオナニーより気持ちいい。少年漫画の中のちょっとしたおまけ的なエロシーンでヌくのとは訳が違った。そんなふうに新たな快感に興奮と感動を覚える半面で、罪悪の意識が澤村の頭を侵食しつつあった。

(け、繋兄でヌいちゃった……)

 射精する瞬間まで、大地の頭の中には裸の繋心の姿がしっかりと映し出されていた。つまり繋心をオカズにしたのだ。いままでそういった意味でまったく意識したことなどなかったはずなのに――そもそも大地の性指向はノーマルのはずなのに、男である繋心で興奮した。ごく身近な人をオカズにしてしまったことと、しかもそれが男であることへの二つの罪悪感に苛まれる。大地は自分のしてしまったことを後悔しながら、けれどまた同じことをするような気がしてならなかった。



「俺はホモかもしれない」

 意を決して自分に対して自分で持った疑惑を口にすると、隣に座っていた奥岳誠治が飲みかけのフルーツ牛乳を盛大に噴出した。

「い、いきなり何言ってるんだよ、お前は……」

 そんな反応をするのも無理はないだろう。というか誰だって友達にホモかもしれないと言われれば驚くし、大地のようにまったくそっちの要素がなかったはずの男に言われれば尚更だ。

「やっぱり気持ち悪いか?」
「いや、別に気持ち悪くはないけど……。そういうのは個人の自由だしな」

 正直に言えば、奥岳ならそう言ってくれるような気はしていた。彼は昔から優しかったし、大地の性指向がどうであっても受け入れてくれる器の大きな男だと思っていた。
 奥岳とはもうずいぶんと付き合いが長い。小学校は別々だったが、小三の頃に始めたバレーボールのスポーツ少年団で知り合い、中学からは学校も一緒だった。控えめで穏やかな性格で、困った人は放っておけない優しさを持っている。大地もその優しさに何度も救われたし、彼が困ったときは積極的に助けになろうとした。

「でもどうして急に自分がホモかもしれないって思ったんだよ? 大地って好きな女の子いたことあっただろ?」
「あ〜、そんなこともあったっけな。でも中二のときの話じゃん。まあそれはいいよ。実はこの間繋兄の部屋でエロ本見つけたんだ。それが普通のエロ本じゃなくて、ホモ向けのやつだった」
「え、繋兄ってホモなの!?」

 奥岳も繋心のことは知っている。大地と一緒に三人で遊んだこともあったし、奥岳も一人っ子だったせいか繋心によく懐いていた。

「あんなの持ってるくらいだし、たぶんそうなんだと思う。さすがに本人に訊く勇気はないけどな」
「でもその話だとホモなのは繋兄であって、大地は関係なくないか?」
「あ〜……まだ続きがあるんだよ。俺そのエロ本見てなんか興奮しちゃってさ、その……一人でしちゃったんだよ。しかもやりながら繋兄のこと考えてた」

 言いながら羞恥心で顔が熱くなる。だけどこのことを自分一人で抱えるのも疲れてきていて、大地は自分のしたことや感情の動きを赤裸々に打ち明けた。

「それからいつもするときに繋兄のこと考えちゃって、罪悪感でどうにかなりそうだよ。でもやめられないし、顔合わせたらなんかドキドキして上手く話せないし……。これってやっぱホモだよな?」
「どうだろう? 大地は繋兄が好きなのか?」
「たぶんそうなんだと思う。けど、俺も自分でよくわかんないよ。男を好きになったことなんかないしな」
「じゃあ、繋兄とエロいことしたいって思う?」
「……お、思う」

 なるほど、と奥岳は神妙な顔つきで頷いた。

「大地はバイなのかもな」
「バイ?」
「男と女、両方が恋愛対象になる人のことをそう言うらしいよ。ネットで見たことある。で、大地は繋兄のことが好きで間違いないと思うよ。本人を前にドキドキするとか、エロいことしたいってことは、そういうことなんだろう」
「でも変だよな。いままでそういうふうに意識したことなんかなかったのに、突然繋兄のこと好きになるなんて」
「そういうこともあるんだと思うよ。それに繋兄はカッコいいから、別に変な話じゃないし。というかゲイ向けのエロ本持ってるくらいだからやっぱり繋兄もゲイなんじゃないのか? 大地にも脈があるじゃん」

 言われてみればそうだと、今更ながら気づかされた。同じゲイ同士なら恋人になれる可能性だってある。何度も妄想したいやらしいことだって現実のものにできるかもしれないのだ。

「で、でも俺は繋兄のタイプじゃないかもしれない。雑誌に載ってた男はみんなマッチョで顔もよかった」
「そりゃ雑誌のモデルはみんな顔も身体もいいもんだろ。選ばれる基準がそこなんだし。でも大地だって十分男前じゃないか」
「お、俺が?」
「うん。女子にカッコいいって噂されてるの何回か聞いたことあるよ。俺の目から見ても男らしくて精悍だと思う。羨ましいくらいだよ」
「それを言うなら誠治だって男前じゃないか」
「無理して俺のこと褒めなくていいよ」

 奥岳は苦笑する。

「無理じゃない。俺は本当に誠治のこと男前だと思うぞ。それにすげえ優しいしな。なんで彼女いないんだ?」
「だから男前なんかじゃないんだって、俺は。というか俺のことはいまはいいんだよ。それより大地はどうするんだ? 繋兄に告白するのか?」

 繋心に告白――考えたこともなかった。自分の胸に渦巻いていた感情の正体を知ったのだってたったいまの話だし、男同士でいやらしいことをするのは想像できるのに、恋人として付き合うというのはよくわからない。手を繋いで歩くとか、雨の日に相合傘をするとか、ごく一般的なカップル像は浮かんでくるけど、それを自分と繋心に置き換えて想像することができない。
 だけどこのまま自分の気持ちを放置しておくのもよくないことだとわかっている。大地はあの日から少しだけ繋心を避けていた。顔を合わせると動悸がするみたいな感覚に陥るし、以前のように自然に話せなくなっていた。それが二人の間に気まずい空気をつくっている。きっと繋心もなんとなくそれを察していることだろう。

「フラれたらどうしよう」
「そのときは俺が慰めてあげるよ」
「でも一緒に暮らしてるわけだし、余計気まずくなるよな」
「う〜ん……無責任に聞こえるかもしれないけど、俺は大丈夫だと思うけどな。繋兄って昔から大地のこと大事にしてたし」
「でもそれは弟感覚だろ、絶対」
「そうかもな。でも少なからずそこに情があるわけだから、それが愛情に変わったっておかしくはないと思うけどね」
「……なんか誠治って大人だよな〜。言ってることが全然高一らしくないよ」
「そんなことないと思うけど……ネットの受け売りもあるし」
「でも俺、ちょっと頑張ってみるよ。すぐには無理かもしれないけど、繋兄に告白してみる」
「そっか、頑張れよ。応援してるからな」

 そう言って奥岳は、屈託のない純粋で真っ直ぐな笑顔を浮かべる。彼のような優しい心の持ち主が友達でよかったと心の底から思う。彼がいなければきっと大地は一人で苦しんでいた。初めて同性に対して抱いた恋愛感情に悩み、そして最後には潰れていたかもしれない。
 心は決まった。いつになるかはわからないが、この想いはいつか必ず繋心本人に伝えよう。もしも玉砕に終わったとしても、それはそれで受け入れて前向きに生きて行こう。大地はそう固く決意するのだった。




続く





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