03. 繋兄が気持ち悪いって言うなら、俺だって気持ち悪いよ


「ただいま」

 階段を下りると、ちょうど正面の玄関のドアが開いて繋心が帰って来た。一瞬だけ目が合い、胸が高鳴る。最近はいつもそうだ。繋心の顔を見るたびに身体の奥底から温かいものが込み上げてきて、堪らない気持ちにさせられる。奥岳にそのことを相談し、それが恋愛感情だとはっきりとわかってからは尚更だった。
 大地は自分の気持ちを悟られまいと、すぐに視線を逸らした。告白すると心に決めたが、結局それを実行するには至っていない。正直に言えば自信がなかった。自分は繋心の好みには当てはまっていないのではないか。そもそもこんな子ども相手に彼が本気で恋愛をしてくれるようには思えない。

「お帰り」

 繋心に対する好意を隠そうとするあまり、言い方が少し素っ気なくしてしまう。気を悪くしたのではないかと心配になったが、どんな顔をしていたか確認する勇気はなかった。
 夕食のときも以前のように会話が弾むことはなかった。繋心がポツポツと話しかけて来るのに大地は短く答えるだけで、相当感じが悪かっただろう。だけどどうしようもなかった。ドキドキするばかりで言葉が浮かんでこない。口を開いていると無意識の内に好きだと言ってしまいそうで恐いというのもあった。
 自分の部屋に戻った途端、深い溜息が零れる。この先も自分たちはこんな感じなのだろうか? 大地がちゃんと告白するまで、二人の間には気まずい空気が流れているのだろうか? いや、告白したとしても、フラれてしまえばきっといま以上に気まずくなるだろう。
 ベッドに倒れ込み、もう一度溜息をつきながらさっき目が合った瞬間の繋心の顔を思い浮かべる。少し吊り気味の目に、太めの眉毛。唇は薄く、鼻は高くも低くもない。全体的に男らしい顔立ちで、服の中に隠された身体も引き締まって雄の匂いをプンプン放っている。
 想像すると、人知れず股間が熱くなった。下着の中に手を突っ込み、半勃ちになったそれを握るとゆっくりと上下に扱き始める。
 繋心をオカズにし始めた当初は、彼の自慰をしている姿を頭の中で妄想していた。それが段々と大地を責める彼に変わり、いまや妄想の中では、大地は彼に挿入されるまでに至った。
 荒い息遣いをする繋心。獰猛な獣のような目をしているくせに、繋心は優しい言葉を大地にかけながら、決して乱暴に腰を振るような真似はしない。

「あっ……繋兄っ」

 逞しい腕に抱かれ、唇を重ね合わせる。しがみついた彼の背中は広くてゴツゴツしていて、その男らしさに大地の興奮は高まっていく。はしたなく甘い喘ぎを漏らしながら、絶頂が近づいてくるのを待った。

「――大地、ちょっと話があるんだけど」

 部屋のドアが開くと同時に繋心の声が聞こえたのは、大地が射精の気配を感じた瞬間だった。
 入ってきた繋心が大地のあられもない姿に気づいて、驚いたように目を見開いた。大地も驚きのあまり剥き出しの下半身を隠すことも忘れて固まってしまう。
 沈黙。まるで時が止まったかのようだった。ただ心の中には恥ずかしさや動揺が激流のように流れていて、胸はけたたましく早鐘を打っている。

「わ、悪い! ノックするべきだったよな」

 先に言葉を発したのは繋心のほうだった。けれど謝りながらもその視線は大地の股間から離れない。ようやく自分が下半身丸出しだったことを思い出して、大地は慌てて布団を被った。

「……大地もオナニーするんだな。ちょっと意外だった」
「そ、そりゃ、高一だし俺だってそれくらいするよ!」
「そうだよな。ははっ、なんか全然するイメージなくてよ。いまだってオナってるなんてちっとも思ってなかったわ」
「だからってノックなしはないだろ!」
「悪かったって。……お詫びに手伝ってやろうか?」

 繋心は悪戯な笑みを浮かべる。

「手伝うって、何を?」
「お前のオナニー」
「な、何言ってんだよっ」
「いいじゃねえかよ。友達と抜き合いくらい普通にするだろ?」
「しないけど!」
「なんだよ、つまんねー友達付き合いしてんな。俺が高校んときは、誰かの部屋に集まってAV観ながらみんなで抜き合いしてたけどな」

 大地が一人で動揺しているのを尻目に、繋心はズカズカとベッドに近づいてくる。制止する間もなくどっかと大地のそばに腰を下ろして、おもむろに布団を剥ぎ取った。

「さすがに萎えちまってんな。でもちゃんと皮は剥けてんな」
「け、繋心がそうしろって昔言ったんじゃないかっ」
「そうだった、そうだった。ちゃんと言いつけ守ってたのか。可愛いやつめ」

 大地がまだ中学に上がったばかりの頃、繋心に陰毛が生えてきたのを相談したことがある。両親や友達に相談するのは恥ずかしかった。そのとき包皮を剥いて亀頭を露出しておかなければ、そこは不衛生な上に不格好だと繋心に教えられた。だから大地はずっと皮を剥いて生活してきたし、おかげで包茎にならずに済んでいる。
 ふいに硬度を失ったそこに触れられた。いきなりで驚きはしたけれど、抵抗はしなかった。繋心に触れられることを不快だとは思わなかったし、むしろ触ってほしいとさえ思った。
 亀頭を少し撫でられただけで、そこはすぐに元気を取り戻した。あまりの復活の早さに自分で恥ずかしくなりながら、けれど繋心に――自分の好きな人に触れられて興奮しないはずがなかった。

「やっぱ高校生のチンポは元気だな。すげえ硬くなった」

 天井に向かってそそり立ったそれを繋心は優しく握り込む。何度か形を確かめるように握ったり開いたりしたあとに、ゆっくりと上下に動かし始めた。
 初めて他人にそこを扱かれ、自分でやるのとは違う感覚に大地は戸惑った。同時に自分の手では決して得られない快感に息を荒げる。まるでぬるま湯に身体を浸しているかのような感覚だ。そのまま溶けてなくなってしまうのではないかと不安になる半面で、その先の快感を知りたいと思ってしまう。

「どうだ? 気持ちいいか?」
「うん……」

 繋心の声が耳朶を撫でる。程よく低い声が身体の芯まで染み渡り、下半身に与えられる快感と相まって大地を飲み込んでいくようだった。
 繋心の手は器用に、したたかに大地自身を責める。鈴口を指で擦り、玉袋を優しく揉まれると先走りがじんわりと溢れ出た。それを指で押し広げ、亀頭が濡れるとまた扱く。ぬめりを伴ったそれはひときわ大きな快感を呼んで、大地は堪らず喘いでいた。

「あっ……」

 自分でも恥ずかしくなるような声が出たが、もう我慢できなかった。絶頂の気配がせり上げて来る。その先にあるのはとてつもない快感だと知っているから、大地はただ繋心にすべてを委ねた。

「繋心っ……イクっ、イっちゃうっ」
「ああ、イけよ。全部出してすっきりしろ」
「あっ……ああっ……!」

 身体の中で何かがパッと弾けるような感覚がした。直後に脳まで痺れが走り、張り詰めていた大地の性器から白濁が飛び散った。
 荒い呼吸を何度か繰り返しながら、大地はしばらく放心状態だった。手で扱くという行為自体はいつもしている自慰となんら変わりないはずなのに、繋心にされるのは桁違いの気持ちよさを感じた。大地の知らない、未知の感覚。手でされるのでもこれだけすごいのだったら、身体を繋げたときはいったいどうなってしまうのだろう? 興味をそそられると同時に少し恐いと思う。

「すげえな。やっぱ高校生なだけあってよく飛ぶわ」

 大地の肩まで飛んだ精液をティッシュで拭いながら、繋心が心底感心したようにそう言った。

「人の手でイかされるのはどうだったよ?」
「すげえ気持ちよかった……」
「そっか。そりゃあよかった」

 結局残滓の処理はすべて繋心にしてもらって、大地の身体は何事もなかったかのように綺麗になった。ただ与えられた快感と繋心の手の感触だけは大地の身体にしっかりと残っていた。
 大地が下着や服を身に着け終わっても、繋心は大地のベッドに腰かけたままだった。そういえば話があると言ってここに入ってきたのだと思い出し、大地も彼の隣に腰を下ろす。

「なあ、そろそろ話してくれねえか。最近お前が俺を避けてる理由を」

 ぎくりとした。たぶん繋心のほうも大地に避けられていることに気づいているだろうとは思っていたけど、このタイミングでその話を持ちかけられるとは思わなかった。

「避けてねえとは言わせねえぞ。最近お前まともに目合わせてくれねえし、話もしてくれねえだろ? 今日だって帰ってきたら素っ気なくされて、いくら俺でも傷つくぞ?」

 傷つくという言葉に、大地の心が大きく揺れる。自分の繋心に対する態度はちゃんと自覚しているし、どうにかしないといけないとは思っていた。だけどどうにかするには大地が勇気を振り絞るか、あるいは繋心に対する恋心を忘れる他なかった。恋心を忘れる――そんな日が訪れるとしても、きっとずいぶんと先の話になるのだと大地は自分でわかっていた。わかっていたからと言って安易に前者の選択肢を選ぶこともできなかったが、このままズルズルと引きずっていくのも互いのためによくない。現にさっきの言葉のとおり、繋心は少なからず傷ついている。
 自分の気持ちを隠すのはもう無理だ。これ以上気まずくなってしまう前に想いを打ち明けよう。そう決心したのに、言葉がなかなか出てこなかった。手が震える。鼓動はさっき繋心に自慰の現場を見られたとき以上に速まっていた。

「み、見ちゃったんだ……」

 つっかえそうになる声。だけどいま言わなければもう言う機会はない気がした。

「何を?」
「繋兄のベッドの下の本」

 大地がこの状況をつくるきっかけとなった物を口にすると、繋心は驚いたように目を見開いた。ついで苦しそうに表情を歪めたかと思うと、額に手を当てて一人唸っていた。

「マジか……」
「ごめん……。掃除しているときに偶然見つけちゃって、中見ちゃった」

 あのときの衝撃を大地はぼんやりと思い出す。あんな本一冊で自分の性指向まで変えられるなんて思いもしなかった。だけどいまの大地にとって、繋心のことが好きな自分が当たり前になっている。しかもその想いは結構強い。きっといままでの恋の中で、一番夢中になっている。

「そうか。そうだったのか……確かにあんなもん見せられたら、まともな態度とれなくなるわな……」
「……その、繋兄ってゲイなのか?」
「……まあ、そういうこったな。気持ち悪いだろう?」
「そんなことない!」

 大地は慌てて否定した。そしていま一番言わなければならない言葉を、心の中から引っ張り出す。

「繋兄が気持ち悪いって言うなら、俺だって気持ち悪いよ。だって俺、繋心のことが好きなんだもん」




続く





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