05. 来年もこうやって二人で花火観ような 高校生になってから初めて迎えた夏休みは、記録的な猛暑が連日に渡って続いた。そんな気候の事情などお構いなしに、バレー部の練習はほぼ毎日あった。ただ、強豪校というわけではないため練習時間はそれほど長くないし、土日も休みになることがほとんどだった。 土日は繋心も仕事が休みだ。だから毎週二人でどこかに出かけては、くたくたになるまで遊んで帰ってくる。プールも行ったし、海も行ったし、水族館や遊園地にも行った。初めて二人が結ばれた日に心に決めていたとおり、“いま”を存分に楽しんでいた。 (あれ? でもそういえば花火大会は行ってなかったな) 夏の風物詩とも言える花火大会のことを、いまのいままで忘れていたことに自分で驚きながら、大地は慌てて地元の花火大会の日程を奥岳に電話で訊いた。幸いにもまだ終わってはおらず、この週末に行われる予定だという。天気予報は晴れだった。 「繋兄、日曜日仕事休みだろ?」 夕食を食べながら、大地は繋心に訊ねた。 「悪い。日曜はバイトがあるんだ」 「バイト?」 「ほら、ここの花火大会があるだろ? 屋台の手伝い頼まれてんだよ」 「そうなのか……」 二人で一緒に行けるものとばかり思っていただけに、がっかりするのを隠せなかった。 「そんな顔すんなよ。たぶん暇なときもあるだろうから、そんときは抜け出してお前と一緒にぶらつくよ」 「本当か!」 「おう」 「約束だからな! 絶対だぞ!」 「わかってるって。そうだ、お前浴衣着て来いよ。手伝いに行く前に俺が着つけてやるからさ」 「俺浴衣なんか持ってないよ」 「俺の貸してやるよ。身長そんな変わんねえし、大丈夫だろ」 「でも一人で浴衣はな〜……」 「周りもたぶん浴衣だらけだろうから、別に浮いたりしねえよ。とにかくお前は浴衣だ。拒否権はねえからな」 「う〜ん……そこまで言うなら、わかったよ」 繋心がどうしてそこまで浴衣に拘るのかはよくわからないが、拒否権はないと言った以上引く気もないのだろう。だから大地もそれ以上足掻くことはせず、彼の提案を受け入れることにした。 「ごめん、ちょっと遅れた」 花火大会当日、繋心の手が空くまでは奥岳と祭りを回ることにした。約束の時間に五分だけ遅れてきた奥岳は、黒い甚平に身を包んでいた。 「気にすんなよ。俺もさっき来たところだから。誠治の甚平姿なんて初めて見るな〜。結構似合ってるじゃん」 奥岳の顔立ちはまだ少しあどけなさが残るものの、どちらかというと男らしさを感じさせる。坊主に近い短髪の頭がそれをいっそう引き立てて、甚平を着せると昔ながらの純日本人といった雰囲気に仕上がっていた。 「そう? 大地だって浴衣すごく似合ってるよ。雑誌のモデルみたい」 「それはさすがにオーバーだろ……」 奥岳の言葉に照れつつ、それを隠すように「行こうか」と歩き出す。 「今日は繋兄と行けなくて残念だったね」 「ああ、うん。でもあとで付き合ってくれるって言ってたから」 「そうなんだ。じゃあ繋兄が来たら俺はどっか他所に行ってるよ」 「なんで? 三人で回ればいいじゃん」 「いや……だって俺邪魔者じゃないか。二人は付き合ってるわけだし」 繋心と結ばれたことは、奥岳には包み隠さず話している。初めて繋心のことを相談したときから大地の恋を応援してくれていた奥岳は、その報告を自分のことのように喜んでくれた。 「繋兄と付き合い始めて花火観るのは初めてなんだろ? だったら一緒に楽しんできなよ」 「う〜ん……じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ。俺から誘ったのになんかごめんな」 「いいって。それに歩いてりゃ他の友達とも遭遇するだろ。俺はそっちに合流するよ」 奥岳の気遣いが身に染みる。同性愛に対する理解は世間に広がりつつあるとはいえ、やはり毛嫌いする人間も少なくはない。そんな中で彼のように、自分たちの交際を応援してくれる者がこんなにも身近にいてくれることは、大地にとってとても心強かった。 花火が始まるまではほとんど食べ歩きだった。たこ焼きから始まり、焼きそば、イカ焼き、フライドポテト、からあげと、屋台の定番を目についた順に食べていく。締めのクレープを食べる頃には腹がきつくなっていたが、甘いものは別腹とよく言うように、ペロッと平らげてその日は打ち止めとなった。 「大地は相変わらずよく食うな。最近太ったって気にしてなかったっけ?」 「た、食べた分筋トレすれば大丈夫だよ」 「それ典型的な太る人の決まり文句だよ」 「うるさいな〜。誠治だって一緒に結構食ったじゃないか」 「俺は太らない体質だから大丈夫」 余裕な奥岳になおも何か言い返そうとしたが、そこで巾着袋の中の携帯電話が震えた。繋心からのメールだった。 「繋兄いま手が空いたみたいだ」 「そっか。ちょうどいいタイミングだね。あと十分くらいで花火始まるし。じゃあ俺は退散するよ」 「本当にごめんな」 「気にしないで。繋兄によろしく」 「ああ」 そこで奥岳と別れて、大地は繋心からのメールに記されていた待ち合わせ場所に向かった。指定されたのは屋台が立ち並ぶ道路から外れたところにある小さな公園で、大地が着くと繋心はすでに来ていた。ぼうっとどこかを眺めながら煙草を吸っている。 「繋兄」 「おう、来たか。思ったより早くに手が空いて助かったぜ。これなら一緒に花火観られるな」 「そうだな」 一緒に花火を観られたとしても途中からになると覚悟していたから、これは嬉しい誤算だ。 「いい場所があるんだ。急げば打ち上げに間に合うから、行こうぜ」 「おう」 早足に歩いていく繋心の後ろを大地は必死に追った。下駄はやはり歩きにくい。浴衣もあまり激しく動くと着崩れするし、気にしていると繋心との距離がどんどん開いていく。 「待ってよ繋兄。俺これじゃあんまり速く歩けないよ」 「おう、そうだったな。悪い悪い。じゃあお姫様を抱えていくとしますか」 「抱えるって……うわっ!?」 次の瞬間、大地は文字どおり繋心にひょいと抱きかかえられていた。いわゆるお姫様抱っこだ。一介の男子高校生としてはなかなかに恥ずかしい格好である。周りに人がいないからよかったものの、こんな姿知り合いにでも見られたりしたら、もう表を歩けないかもしれない。 「下ろせよ繋兄! 自分で歩くよ!」 「お前のペースじゃ打ち上げに間に合わねえんだよ。こうやって行ったほうが早い」 「人が来たらどうするんだよっ」 「こっからならたぶん誰にも出会わねえよ。出会ったとしてもたぶん知らないやつだ」 「無責任だな……」 ともあれ確かに繋心の言うとおり、さっきの大地の歩くスピードでは到底打ち上げには間に合いそうになかった。せっかく二人で観るならやはり最初の一発からじっくり観たい。だからそれ以上はもう何も言わなかった。 繋心は早足に歩く。小さな橋を渡って対岸に出ると、いったいどこに繋がっているのかわからない林の中に入っていく。一分ほどで少し拓けた場所に出て、広場の真ん中に木製のベンチがぽつんと置かれていた。 「はあ、さすがに大地も重くなったな。小せえ頃みてえに軽々ってわけにはいかなかったわ」 「当たり前だろ。もう高校生だぞ」 「そうだったな。もうオナニーもしてるし、それ以上のことも経験済みだったな」 「うるさいよ!」 自分の恥ずかしいプライベートゾーンを指摘されて、大地は思わず声を荒げる。その瞬間に空が明るく光った。――最初の花火が打ち上がったのだ。半瞬遅れてドン、という腹に響くような音が鳴る。 「ほら、こっからならよく見えるだろ?」 繋心の言うとおり、遮るものもなく花火の全貌がよく見えた。しかもかなり距離が近い。こんな穴場を誰も知らないなんて不思議だ。 「そこ座ろうぜ」 「うん」 ベンチに二人で腰かけた途端、繋心に肩を抱き寄せられた。馴染みのある彼の匂いに包まれる。誰もいないならと素直に彼の肩に頭を預け、二人寄り添って空を見上げた。 「やっぱお前浴衣似合ってんな。ナンパされたりしなかったか?」 「されないよ。それに誠治とずっと一緒だったしな」 「まさか誠治に手出されたりしてねえよな?」 「誠治がそんなことするわけないだろ。どんだけ心配性なんだよ」 「だってお前マジで可愛いからな。帰ったら速攻ぶち犯す。今日は浴衣プレイだ。なんならここで青姦でもいいぜ?」 「やだよ! 綺麗な花火観てるときにそんな下品なこと言うなよ!」 「うるせえ! ちょっとくらい触ったっていいだろ! むしろお前だってちょっと青姦に興味あるくせに!」 「ないよ! 誰もそんなこと一言も言ってないだろ! ……ってこら、胸触るな!」 繋心の手が浴衣の裾から中に入ってくる。いとも簡単に乳首を探り当て、指の腹で優しく擦ってきた。 「ちょっ……駄目だって! 嫌だっ、あっ……」 「ほら、感じてんじゃねえか。可愛い声出しやがって。外だからいつもより興奮してんのか?」 「違っ……マジでやめろよっ。俺いまはこんなことしたくないっ。せっかく二人で花火観に来たんだから、普通に花火観たいよっ。付き合い始めて初めて二人で観る花火なんだからさっ」 大地にとって今日の花火大会は特別だった。初めてできた恋人と二人で行く花火大会。ずっと憧れていたシチュエーションの一つでもあるし、大事な思い出の一つにしたかった。 繋心の手がそっと離れる。それは大地の頭に触れて、宥めるように優しく撫でた。 「わかったよ。何もしねえから、そんなぶすくれた顔すんなって。ほら、花火観ようぜ。その代わり帰ったら滅茶苦茶セックスするからな」 「この性欲魔人め……。でもまあ、俺も帰ってからだったらしたいよ」 「大地……お前ってマジでくそ可愛いな。やっぱりいますぐぶち犯しちゃ駄目か?」 「駄目だって言ってんだろ! 離れろ変態!」 抱きついてくる繋心を押し返しながら、大地は楽しくて笑顔になる。繋心も同じように笑っていた。 「お前といると楽しいよ。毎日がすげえ楽しくて、あっという間に一日が過ぎちまう」 大地を優しく抱きしめながら、繋心はぽつりと零した。 「俺も繋兄といると楽しいよ。こんなに楽しい夏休みは生まれて初めてだ」 「そりゃよかった。時々さ、心配になるんだよ。お前をちゃんと楽しませてやれてるのかって」 「楽しくなさそうに見えたか?」 「そうじゃねえよ。ほら、俺らって歳の差があるだろ? だから楽しいって感じることも違うんじゃねえかって思っちまう」 「そんなことないと思うけどな……」 「ならいいんだ。実はよ、年下の男と付き合うのは初めてなんだ」 「そうだったのか?」 「ああ。タメかちょっと上のやつと付き合うことが多かったな。だからお前をどう扱っていいか時々わかんなくなる」 「ひょっとして苦労かけてる?」 「苦労ってのとはちょっと違う。慣れないから迷うんだろうな。それでも、他のどんなやつよりもお前と一緒にいることのほうが楽しい。楽しくて、あー俺いますげえ幸せだなって感じさせられてるよ」 大地だって身に余るほどの幸せをいつも感じている。彼の優しさを全身で感じている。 「来年もこうやって二人で花火観ような」 打ち上がった花火の光に照らされた繋心の顔には、優しい表情が浮かんでいた。 「来年だけじゃねえ。再来年も、その次の年も、ずっとお前と一緒に観に来たい」 「うん、そうだな。俺も繋兄と一緒にまた来たいよ」 花火だけじゃない。秋には紅葉狩り、冬にはクリスマスや年越し、そして春には花見。たくさんのイベントがこれから待ち受けている。それらを繋心と一緒に迎えられるのかと思うと、いまから楽しみでならなかった。 「何笑ってんだよ?」 「別に、なんでもないよ。ただちょっとワクワクしてるだけ」 「ワクワク? なんで?」 「秘密だよ」 この幸せはこれからもずっと続いていく。大地はそう信じている。もちろん時には繋心と喧嘩をすることもあるだろうけれど、またすぐにいつもの二人に戻って、ずっと遠くまで続いている花道を並んで歩いていくのだ。 一際大きな花火が上がった。おお、と二人して感嘆の声を上げて、輝きがゆっくりと消えていくのを最後まで見つめていた。 |