05. 俺は一ちゃんなら大地を幸せにできるって信じてるよ


「ってことで一ちゃん、俺と付き合ってるふりしてくれよ」
「どうしてそうなった……」

 確か昨日自分が目の前の彼に頼んだのは、澤村の自分に対する気持ちを聞くことだったはずだ。それがなぜ彼らの喧嘩に発展して、しかも自分と目の前の彼が恋人同士のふりをしなければならないのだろう。
 溜息をつきながら、岩泉は奥岳の顔を窺う。まっすぐにこちらを見る目は、一目で冗談を言っているわけではないのだとわかるほどに真剣だった。

「本当にそれであいつが俺と付き合う気になるのかよ?」
「正直自信ないなあ。でも何もしなければしないで、二人の関係は変わらないだろ」
「まあ、そうだけど……。つーか、なんでそこまであいつは頑ななんだ? 俺のこと好きだって言ったんだろ?」
「それは……」
「ああ、昨日言えないって言ってたやつか。でもここまで来たらそれ聞かねえと、俺は自分がどうするべきなのかわかんねえよ。だから教えてくれねえか?」

 う〜ん、と奥岳はしばらく悩ましげに唸っていた。やがて何かを諦めたように吐息すると、ぽつりと話し始める。

「大地の両親が事故で亡くなったのは一ちゃんも知ってるよね?」
「おう。確かそれからはお前んちで一緒に暮らしてたんだよな?」
「うん、そう。でも最初からうちで暮らしてたわけじゃないんだ。大地の家の隣に、昔から仲良くしてくれていた八つ年上の男の人がいて、両親が亡くなった直後はそっちで暮らしてたんだ。その人のこと、俺らは“繋兄”って呼んで慕ってた」

 奥岳の顔に少しだけ寂しそうな色が浮かぶ。

「二人が一緒に住み始めてしばらく経ったときに、大地が繋兄に惚れたって言い出して……あのときは突然だったからびっくりしたな。一ちゃんのときもかなりびっくりしたけど。まあそれはいいや。それでそのうち二人は付き合い始めたんだよね」
「その繋兄ってのもゲイだったのか?」
「そういうこと。二人ともとても幸せそうだったな。でも……三ヵ月くらい経った頃に繋兄が事故で死んじゃって……」

 そんな悲劇はドラマの中だけの話だと思っていた。きっと澤村は耐え難いほどの悲しみと辛さを味わっただろう。

「大地、しばらくは毎日のように泣いてた」
「当然だろ。相方が死んで平気なやつなんているわけねえ」
「そうだね。ただの知り合いだった俺でさえ悲しかったんだから。まあ、そういうことがあって大地は恋人をつくることを恐がってる。それに両親も事故で亡くなっちゃったから、大地は自分が大事に想う人は死んでしまうって思い込んでるんだ」
「それで俺とも付き合わねえって言ってんのか……」

 澤村が負った傷は、きっと岩泉が想像しているよりもずっと深いものなのだろう。確か澤村が奥岳の家に住み始めたのは高校一年生のときのことだと言っていた。それから四年近く経ったいまも、その傷は癒えないまま澤村を苦しめているのだ。

「そりゃ、大地の気持ちだってわかるよ。もしも同じことが起きたらって思うとやっぱり恐いのかもしれない。自分に何か憑いてるんじゃないかって疑いたくなるのかもしれない。でも現実にそんなことってありえないだろう? 両親のことも繋兄のことも、偶然であって何か得体の知れない力が働いたわけじゃない」
「そうだな……。でも実際問題、あいつの相方つくらねえって意志は固いんだろ? 本当に俺たちでどうにかできるのか? つーか、相手が俺なんかでいいのかよ?」
「俺は一ちゃんなら大地を幸せにできるって信じてるよ。それに一ちゃんにも幸せになってほしいし」

 さっきまでの寂しげな色が薄れて、奥岳はまたいつもの穏やかな笑みを浮かべる。

「……昨日も言ったけど、お前ホントいいやつだな。大事な幼馴染つっても、普通そこまでそいつのこと考えてやれねえと思うぜ? 本当は大地のこと好きなんじゃねえのか?」
「だから違うって言っただろ……。幼馴染や友達に幸せになってもらいたいって思うのは、普通のことなんじゃないのか?」
「まあ、そりゃ不幸になってほしいとは思わねえけどよ……」
「大地はそろそろ変わらないといけないよ。いまは俺がそばにいられるからいいけど、いずれは別々の道を進んでいくことになる。そうなったら、大地は一人だ。大地は一人にすると駄目になる。きっと繋兄のことを思い出して、一人で泣くんだと思う。それがわかっているから一ちゃんと恋人同士になってほしいんだ」

 もしも聖天使が実在するのだとしたら、きっと奥岳のような姿かたちをしていたことだろう。目の前の彼は心の底から澤村と、そして岩泉の幸せを願っているのだ。そこに見返りがないとわかっていながらも、人を幸せにするために何かをしようとしてくれる。そんな彼がいま自分の友達でいてくれることに、岩泉はひっそりと感謝した。

「わかったよ。とりあえず一か八か付き合ってるふりはしてみるか。つーか付き合ってるふりって具体的にどうすりゃいいんだよ?」
「俺に訊くなよ……。俺いままでそういった意味で人と付き合ったことはないんだけど」
「ひょっとして童貞?」
「う、うるさいなっ。俺のことはいまはどうでもいいだろ!」

 顔を赤くして怒る奥岳がおかしくて、岩泉はつい笑ってしまう。

「笑うなよ、もうっ。俺に訊く前に、一ちゃんなら付き合ったことあるからわかるんじゃないのか?」
「あるけど昔の話だからな〜。とりあえずイチャついてりゃいいだろ?」
「イチャつく……」
「おう。言葉で付き合ってるつったって、あいつは信じないだろうよ。誠治が大地のことを考えてそんなこと言い出したんだってバレバレだろうしな。だからちょっと身体のスキンシップを見せつけりゃ、一気に信憑性が高まるんじゃねえの?」
「か、身体のスキンシップってどんなことをすれば……」
「あ、お前いま変なこと考えてるだろ! 安心しろよ。別にやらしいことなんざしねえから。ちょっと肩触ったり、ハグしたりするだけだから。そんくらいならノンケのお前も大丈夫だろ?」
「たぶん……」

 奥岳の顔はどこか不安そうだった。

「なんならいまから予行練習でもしとくか? そのほうがボロ出さずに済むだろ?」
「確かに……」
「じゃあとりあえずここに座れ」

 ここと言って岩泉が手で示したのは、自分の足の間のスペースだった。

「ええっ。そこはちょっとハードル高いな。隣じゃ駄目なのか?」
「そんなんじゃ生ぬるいって。ノンケ同士でもできるじゃねえか」
「じゃ、じゃあどっち向きに座ればいいんだ?」
「俺のほう向きたきゃそれでもいいぜ」
「……後ろ向きでお願いします」

 奥岳は岩泉に背中を向けて、遠慮がちにそのスペースへと腰を下ろした。スッポリと収まった彼の身体を岩泉はそっと抱きしめてみる。緊張しているのか、奥岳の肩には力が入っているようだった。大丈夫だと言い聞かせるように短い髪を優しく撫で、肩口で吐息する。

「お前細いな」
「大地に比べたらそうだろうね。これでもそれなりに筋肉はつけたつもりなんだけどな〜……」
「あいつの身体はすげえよな〜。俺もそれなりに自信あったけど、完全に負けたわ。でもお前くらい細いほうが腕にしっくり来るぜ」

 奥岳の髪からは整髪料の匂いがする。初めて会ったときの彼は確か坊主が少し伸びたような髪型をしていた。顔立ちが地味なのも手伝って、田舎からポッと出てきたような雰囲気だったのを覚えている。
誰かに指摘されたのか、あるいは自分で変わろうと思ったのかは知らないが、ある日突然彼は髪型を変えた。サイドからバックを刈り上げ、短めのトップを逆立てた新しい髪型は周りにも好評だったし、岩泉も似合ってるなと思った。元々好青年然とした空気はまとっていたが、それがますます膨らんだように感じる。

「なあ、誠治」
「何?」
「知ってのとおり、俺は大地のことが好きだけどさ、前は誠治のことも気になってたんだぜ」
「ええっ!?」
「お前優しいしな。顔も結構好みのタイプだし」
「こんな顔のどこがいいんだよ……」
「こんな、とか言うなよ。男らしくていいじゃねえか。ちょっと可愛い感じも入ってるし。もっと自信持っていいと思うぜ」
「う〜ん……自分じゃよくわかんないや。でもありがとう。ちょっと嬉しかった」

 そう言って照れたようにはにかむ様子が可愛くて、岩泉は抱きしめる腕の力を強くした。

「というか一ちゃん、いつまで俺のこと抱きしめてんだよ? もういいだろ?」
「駄目だ。あと五分くらいはさせろよ。大地のこと協力してやってるんだから、俺にもなんか特典があっていいだろ?」
「いや、さっきの話って一ちゃんのためでもあると思うんだけど……」

 奥岳の体温を感じながら、岩泉はいまここにいない澤村のことを考えた。彼の気持ちを動かすことができるかどうかはわからない。けれど動かしたいとは思う。羽を付けて飛び立とうとする目の前の幸せを、決して逃がすつもりはない。
 そうして今度は澤村のことをこうして抱きしめてやりたい。辛い過去も自分への負い目も忘れてしまうくらいに、優しく抱きしめてやりたかった。




続く





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