06. 俺はマジで大地と付き合いたかったよ


 ひょっとしたら奥岳と岩泉は本当に付き合っているのかもしれない。大地がそう思い始めたのは、奥岳と口論したあの夜から二週間が経った頃のことだった。
 最初は大地を焦らせるために付き合っているふりをしているのかと思っていたが、最近の二人はどうも雰囲気が怪しい。“ふり”では済まされないような甘さを孕んだ空気が漂っているような気がするし、ボディータッチも多くなったような気がする。この間なんか岩泉が奥岳の頭を撫でていて、撫でられた奥岳も照れたように顔を赤くしていた。これがただの友達同士と言えるだろうか?
「あの二人、最近なんか怪しいっすよね」

 二人一組になって準備運動をしていると、ペアになった後輩の照島がそう切り出した。まさか他人からその話題について投げかけられるとは思ってもみなくて、大地は内心でドキリとしてしまう。

「怪しい?」
「なんかやたらベタベタしてるし、傍から見たらホモカップルっぽいっすよ。実際そうだったりして」
「それはないと思うけどな〜……」

 否定した言葉は、自分に言い聞かせるためのものでもあった。あの二人の間には何もない。付き合っているふりをしているだけだと、自分を安堵させるために暗示をかける。

「俺はてっきり、岳さんは大地さんと付き合ってるもんだと思ってたっすよ。一緒に住んでるくらいだし」
「ああ……まあ、よく勘違いされるよ」

 確かに奥岳とは常に行動をともにしていたし、彼が世話を焼くからそういう勘違いをされることは多かった。

「大地さん、あの二人から何か聞いてないんすか?」
「何も。でもたぶん、何もないよ。少なくとも誠治は普通に女が好きだしな」

 と言いながらも、その台詞にはあまり自信がなかった。奥岳はゲイではないとは言っていたが、かと言って女を好きになったという話も聞いたことがない。実際のところ、彼の性指向がどうなのかはわからなかった。

「じゃあ、大地さんが岳さんと喧嘩したとか?」

 痛いところを突かれ、大地は思わず言葉に窮してしまう。それで事態を察したのか、照島は「なるほど」と頷いたあとに、意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「二人でも喧嘩するんっすね。岳さんなんて特に怒りそうにないのに」

 大地の中でも、奥岳が怒った記憶なんてまったく出てこない。喧嘩もそんなにした覚えがないし、思えば口論になりかけたら奥岳がいつもすぐに折れていた気がする。

「仲直りできるといいっすね」
「ああ」

 心配してくれている照島の言葉が胸に重い。
 一緒に住んでいる以上、奥岳とは毎日顔を合わせなければならない。喧嘩をした翌日だってそうだった。あの日の朝は一言も会話を交わさなかった。同じ講義に出ても離れた席に座ったし、昼食は別々に摂った。
 ただ、夜になるとお互いに気持ちが落ち着いてきたのか、少なくはあったものの会話はするようになり、翌日にはいつもどおりに挨拶を交わし合っていた。これですべてが元どおり……というわけにはいかなかったが。
 奥岳は宣言どおり、本当に岩泉と付き合っているふりを始めた。いや、いまの雰囲気から察するに、二人は本当に付き合い始めたのかもしれない。岩泉からの誘いのメールは来なくなったし、あの二人が大地抜きで会っているのも知っている。その事実を突き付けられた大地の中に生まれたのは、どす黒い嫉妬心だった。大地が恋心を寄せる岩泉に大事にされている奥岳に腹が立ったし、大地を好きだと言っておきながらすぐに奥岳に気持ちを切り替えた岩泉にも腹が立った。けれどこれは大地自身が生み出した結果だ。大地が弱いから、前に進もうとしないからあの二人が結ばれることになったのだ。
 それがわかっていても、大地にはどうしようもなかった。自分が前に進もうとすれば、きっともっと大きな不幸がやってくる。取り返しのつかないことになってしまう。それなら彼らが二人で幸せになってくれたほうが、よほどマシなことのように思えた。



 バイトを終えた大地は、帰宅する途中でコンビニに寄った。夜食用のおにぎりを一つ買い、店を出かけたところで人にぶつかりかける。

「すいません」
「いや、こっちこそ……って、大地じゃねえか」

 聞き覚えのある声に顔を上げると、目の前に立っていたのは岩泉だった。偶然出会えたことを内心で嬉しく思いながら、それが顔に出ないように力を入れてやり過ごす。

「こんなところで会うなんて珍しいな」
「ああ……今日は誠治送って行ったんだ」

 彼の口から奥岳の名前が出たことに少しだけ苛立ちを感じている自分がいる。けれど平静を装って「そうなんだ」と言葉を返した。

「なあ、ちょっと外で話さねえか? 最近お前とちゃんと話してねえ気がするし」
「うん、いいよ」

 ただ話すだけでも、誘われたことが嬉しくて胸が温かくなる。
 先に外に出て待っていると、岩泉は袋を下げてやって来た。その袋の中から缶コーラを取り出し、大地に差し出してくる。

「奢りだからな」
「サンキュー。でもいいのか?」
「一本くらい安いもんだって」

 遠慮なく蓋を開けて、さっそく一口いただいた。
 当たり障りのない世間話から始まって、それからしばらくバレーサークルのことで話し込んだ。次の試合はこうしたほうがきっといい、などという真面目な話から、後輩の青根と大地たちの同級生である牛島の二人が、似合わないスイーツの食べ歩きをしているというゴシップまで、まともに話すのが久しぶりだったせいか話題は尽きなかった。

「にしても、こうして二人で話すのなんて久しぶりだよな」
「そりゃ、一と誠治が付き合い始めたからだろ。俺が邪魔しちゃ駄目じゃないか」
「あ〜……いや、別にお前を邪魔だなんて思ったりしねえよ。変な遠慮なんかすんな」
「遠慮してるんじゃなくて、入り辛い空気ができてるんだよ。あ、それと照島が二人のこと感づいてるみたいだから、気をつけろよ」
「俺は別に周りにばれたって気にしねえんだけど。でも誠治はそういうの気にしそうだな……」

 岩泉はあまりこの話題に積極的ではないのか、さっきまで途切れなく喋っていたのが嘘のように静かになる。大地も正直、二人が付き合っていることに関してあまり触れたくなかった。やはり岩泉の口から奥岳のことを聞くのは心が苦しかったし、苛立ちが募るのを抑えられない。その半面で、二人がどこまで仲を深めたのか気になるという気持ちも少しあった。

「なあ、その……誠治とはどこまでいったんだ?」

 直球で投げかけると、岩泉はなぜかひどく驚いたような顔をした。

「い、いきなりなんだよ?」
「別に変なこと訊いたつもりはないんだけど……」
「十分変なことだろ。まあいいけど。誠治とはまだしてねえよ」

 意外な返事に今度は大地が驚く番だった。

「そうなのか? 確か付き合い始めて二週間くらい経つよな?」
「まあ、男同士なら普通はとっくにやってるよな。でも……あいつとはしてねえんだ」

 二人の間にまだ決定的なことがないことに、内心でホッとしている自分がいる。大地はそんな自分に嫌悪した。

「あいつは経験ないから恐がってるみてえだし、俺もしたくないわけじゃねえけど、しなくてもいっかって気がしてる。一緒にいて話してるだけで満足なんだよ」

 そんなものが本当に恋人同士だと言えるのだろうか? 大地だって、好きな人と一緒にいればやはりそういうことをしたいと思う。肌に触れたいと、身体を重ねたいと思ってしまう。特に付き合い始めの頃なんか、毎日したいと思うのが普通ではないだろうか?
 でも逆にそれは、一緒にいるだけで満足できるほどに特別な存在だということなのかもしれない。身体で繋がることよりもずっと深くて、強固なものなのかもしれない。
 悔しかった。どうして岩泉にとっての特別が自分ではなく奥岳なのだろう。どうして自分は特別になれなかったのだろう。今更ながらそんな思いが蓋をこじ開け溢れ出し、大地の胸を苦しめる。

「お前はさ、俺と誠治がこのまま付き合っていってもいいのかよ?」
「……どうしてそんなこと訊くんだ?」
「いや、別に深い意味はねえけど。ただ寂しくねえのかなって思っただけだ。つーか、結局お前は俺のことどう思ってたんだ? あんときの答え、結局聞けずじまいだったな」

 自分の気持ちは自分がよく知っている。未だに岩泉が好きで堪らないということも、彼に大事に想われている奥岳に嫉妬していることも、よくわかっている。

「俺は……一とは友達でいたい」

 けれどそのすべてを飲み込んで、大地は偽りの言葉を口にした。

「そうかよ」

 岩泉は拗ねたように顔を背ける。どうしてそういう反応をするのか大地にはわからなかった。

「そろそろ帰るわ。まだ飯食ってねえしな。いい加減腹減って死にそうだよ」

 空になったコーヒー缶をゴミ箱に押し込み、岩泉は身を翻す。

「じゃあ、また明日な。誠治にもよろしく」
「ああ……」

 逞しい背中が去っていく。けれど彼は三歩ほど進んだところで立ち止まり、こちらを振り返らずに言葉を放った。

「俺はマジで大地と付き合いたかったよ」

 寂しげな声が大地の鼓膜を震わせる。けれどその言葉にどんな意味があったのかわかるはずもなく、離れていく背中を大地はじっと見つめていた。大地が足を動かしたのは、彼の姿が完全に見えなくなってからだった。
 家路を帰りながら、さっきまでの岩泉との会話が頭の中に蘇る。彼と話すのはやはり楽しかった。相変わらず顔はカッコよくて、話しながら何度も見惚れた。この気持ちは自分の中から永遠になくならない気がする。けれど大地がどれだけ彼を想ったところで、彼の気持ちはもうこちらに舞い戻ってくることはないのだろう。
 好きになりたくなんかなかった。お互いにその気があっても、結局自分たちが結ばれることはないのだから。ただただ辛い気持ちだけが胸の中に蓄積されて、泣きたい衝動に駆られるばかりだ。
 この恋心が永遠になくならないということは、辛い気持ちも永遠になくならなのだろうか? この先の長い人生、大地はそれにずっと苦しめられ続けられるのだろう? そんなのは嫌だ。嫌だけれど、もうどうしようもない。ただ、その辛さを軽減させる方法がないわけではなかった。
 ふと、奥岳の顔が頭の中に浮かんだ。嫉妬心はあるけれど、彼のことを嫌いになることはできなかった。いつも大地のことを気にしてくれていて、歩み寄ろうとしてくれる、優しい奥岳。いま思いついた“辛さを軽減させる方法”は、間違いなく彼を傷つけることになるだろう。そしてきっと、岩泉をも傷つけることになってしまう。わかっているが、このままでは自分が壊れてしまいそうで恐かった。そしてこれ以上大事な親友である奥岳に嫉妬したくなかったし、岩泉を誰かに取られるのも嫌だった。
 アパートの玄関に辿り着くまでに、それを実行に移す決意は固まっていた。

 そしていま、ドアを開ける。




続く





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