08. もうあいつに俺の声は届かないよ


 変わったサークルに入ってみようかと入学前は考えていたが、中学から高校まで続けたバレーボールをやめてしまうのももったいないと思って、結局岩泉はバレーサークルへ入部することに決めた。
 今日はそのサークルの新人歓迎会である。サークルの人数はまちまちで、四年生が二人、三年生が二人、二年生が一人、そして岩泉たち一年生が四人と、決して多くはない。
 新入生は真ん中の席に固められ、岩泉の隣にはやたら背の高い牛島という男が座り、あとの二人はテーブルを挟んだ向かい側に座っていた。
 歓迎会が始まって間もなくして、岩泉は自分の正面に座った男の視線に気がついた。確か澤村という名前だったはずだ。顔立ちは男らしく端正で、真面目そうな雰囲気をまとっている。こちらを見つめる瞳に敵意のようなものは感じられないが、何にせよ見つめられるほうは落ち着かなかった。

「澤村、俺の顔になんか付いてんのか?」

 声をかけると、澤村は驚いたように肩を震わせた。

「あ、いや、知り合いに似ているなと思ってつい……。悪かったよ」
「別にいいけど。澤村はポジションどこだったんだ?」
「一応レストだったよ。岩泉は?」
「俺も同じ」

 そこから始まって、その日岩泉は澤村といろんな話をした。話しながらさっき澤村がそうしていたように、岩泉も彼の顔に見惚れる。正直に言えばかなり好みだった。話した感じも悪くないし、一緒にいるときっと自分は澤村のことを好きになってしまうだろう。そんな予感が岩泉の中に生まれた。望みのない恋だとわかっていても、生まれた感情が膨らんでいくのを止めることはできなかった。



 重い瞼をゆっくりと開き、辺りの景色を徐々に見出していく。
 最初に岩泉の目に映ったのは、漂白されたように白い、綺麗な天井だった。それと同じ色をした壁、カーテンと、次々と視線を移していくうちに窓の外をぼうっと眺めている青年に辿り着いた。

「誠治」

 見慣れた男らしい顔立ちが、岩泉の声に気づいてはっとなる。目が合った瞬間に、今度はいまにも泣き出しそうな顔になりながら、彼は岩泉のそばに駆け寄ってきた。

「一ちゃん……よかった」

 だらんとベッドの脇に出していた手を握られた。奥岳の手は程よく冷たくて気持ちよかった。

「ここ……病院か?」
「そうだよ。何があったか覚えてるか? 痛いところとか、気分が悪いとかない?」
「身体は別に大丈夫だ。確か……車に吹っ飛ばされた覚えがある」

 思い出したのは、夜道を照らす二つのヘッドライトだ。青信号になったと思って発進した途端に、横からあの車がぶつかってきた。幸いにもこうして生きてはいるようだが、一歩間違えば死んでいたかもしれない。そう思うとぞっとした。

「今日はいつだ? あれから何日経った?」
「一ちゃんが事故に遭った次の日だよ。もうすぐ夕方になる。医者曰く命に別状はないし、後遺症もないだろうって。擦り傷はあるみたいだけど骨は異常ない。気絶したのは軽い脳震盪だって言ってた」
「そうなのか……」
「事故に遭ったのは不運だったけど、その程度で済んでよかったよ。もしも一ちゃんが死んでしまってたらって思うと、すごく恐かった。生きててよかったよ」
「心配かけてすまねえな」
「謝ることないよ。一ちゃんが悪いわけじゃないんだし」
「いや、でも……大地は気にしてるんじゃないのか?」

 昨日、原付で向かっていたのは澤村との待ち合わせ場所だった。二人の未来に関わるような、大切な話をするはずだった。けれど結局岩泉はそこに辿り着くことができず、澤村とも会えないままでその話は止まったままになっている。
 澤村は過去に大事な恋人を事故で亡くしている。きっと今回の事故だって、岩泉がこうして無事でいても、彼に大きなショックを与えたことは間違いないだろう。そして澤村のことを訊ねられた奥岳のバツの悪そうな表情からも、その予想が当たっていることがわかる。

「大地、今朝からいないんだ」
「いない?」
「部屋にもいないし、大学にも、バイト先にもいなかった。一応俺の実家のほうにも確認してみたけど、やっぱりいない。電話にも出ないし、メールに返信もない」
「おい、それってやばいんじゃねえのかよ? ここで俺の寝顔なんか眺めてる場合じゃねえだろ」
「講義全部投げて、思い当たるところは全部捜したよ。でもどこにもいない。他に行きそうなところも、もう思いつかない……。もし今夜帰って来なかったら、捜索願を出そうと思う」
「そんな悠長に構えてる場合じゃねえだろ! あいつが馬鹿なこと考えてたらどうすんだよ! 俺が事故に遭ったせいで、また自分のこと責めて死のうとでもしてたら……」

 澤村は優しい。だからこそ辛い過去の記憶と、岩泉の事故との二つを重ね合わせて、それがすべて自分のせいだと思っているに違いない。そして自分さえいなければと、最も辿り着いてはならない結論に辿り着いてしまった可能性もあるだろう。

「もう一回捜しに行けよ! ほっといてたら、取り返しのつかねえことになっちまうぞ!」
「……もし大地を見つけられたとしても、もうあいつに俺の声は届かないよ」

 奥岳は怒ったような、それでいて悲しそうな、あらゆる感情の入り混じった表情でそう呟いた。

「もう俺の言葉は信じてくれない。俺は、一ちゃんは絶対に大丈夫だって自信満々にあいつに言ってしまった。でもこんなことになってしまって……もう何を言ってもあいつは聞いてくれないよ。何もかももう駄目なんだ……」
「じゃあこのままあいつを放っておくってのか? それであいつがマジで死んだりしたらどうすんだよ! 親友なら身体張ってでも止めろよ!」

 男らしい顔立ちは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言わずに俯いてしまう。岩泉もそれ以上彼を責めることはせず、まるで時間が止まったようにしばらくの間互いに黙りこくっていた。

「……ごめん。一ちゃんの言うとおりだ。このまま放っておいていいわけない。何もしないでいるなんて駄目だ」

 そう言った声はか細くいまにも消え入りそうだったが、それでも彼の澤村を助けたいという意志のようなものが滲んでいるような気がした。

「でも一ちゃんにも一緒に来てほしい。病み上がり? で申し訳ないけど、俺一人じゃ身体張ったって止められないかもしれないから」
「俺はいつでも動けるぜ。この点滴の針だって引っこ抜いちまえばこっちのもんだ」
「いや、それはどうかと思うぞ……」
「大丈夫だって。あとでみんなで謝ればなんとかなんだろ」
「俺も謝るのかよ……。まあいいけど。大地のためだから、仕方ない。でも問題はあいつの居場所だよ。さっきも言ったけど、思い当たる場所は全部捜した」
「ハッテン場とかにも行きそうにないしな……」
「ハッテン場?」
「なんでもねえ、こっちの話だ。俺ならこういうとき、自分の思い入れの深い場所とかに行って物思いに耽りそうだな。その死んじまった昔の彼氏との思い出の場所とか、なんか知らねえの?」
「あ……」

 奥岳は何か思い出したように顔を上げた。

「花火大会」
「花火大会?」
「昔大地が話してたんだ。繋兄と一緒に花火大会に行ったとき、林の奥にあるベンチで二人きりで花火を観たって。そのときに来年も再来年も、これからずっと一緒にここで花火を観ようって約束したけど、結局それが最初で最後になっちゃったんだ。一人になってからも何度かそこに行って、ぼうっとしてた。もしかしたらそこに行ったのかもしれない」
「それ、どこにあるんだ?」
「俺らの地元。いまならまだバスがあるから、それに乗って行こう。一ちゃん動ける?」
「俺はいつでも大丈夫だ。とりあえずこの点滴はずして……」
「本当にはずすんだな……」
「仕方ねえだろ。さすがにこれ持ったまま移動するわけにもいかねえし、どう考えても邪魔だろうが」

 言いながら岩泉は、点滴の針をおもむろに引き抜いた。手近にあったティッシュで針の刺さっていた部分を押さえ、出血が止まったのを確認してからベッドを下りた。

「ふらついたりしないか?」
「大丈夫だって。それよりちゃっちゃと行こうぜ。手遅れになっちまわないうちに」
「うん」

 そうして二人はこっそりと病院をあとにした。岩泉は自分の愛する人を、そして奥岳は自分の無二の親友を救うために、夜の帳が下り始めた街へと飛び出した。




続く





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