九章 崩壊した村


 ドラゴンの背に乗って空を飛ぶ。元の世界ならゲームの中だけで体験できることだが、それは正確に言えば乗っているのはプレイヤー本人ではなく、あくまでプレイヤーが操作するキャラクターである。実際にドラゴンの背に乗ることなど叶わないし、そもそもドラゴンなど実在しない。
 しかし、いま大地の目の前には実際にドラゴンがいて、そしてその背に乗って大空を飛翔していた。この世界に来たからこそできる貴重な体験だろう。
 始めのうちこそ初めての体験に興奮し、過ぎゆく眼下の景色を楽しんでいたが、それは本当に始めのうちだけだった。ドラゴンの背の上ではどうしても同じ態勢でいることを余儀なくされるため、段々と身体が疲れてくるのである。それはドラゴンに乗り慣れているはずの岩泉も同じのようで、何度か地上に降りては休憩していた。
 牛島と別れて何時間が経っただろう。広大な自然の景色ばかりが広がっていた地上の中に、大地は薄らと煙が上がっているのを見つけた。八方を野山に囲まれているが、その場所だけ妙に拓けている。なんだろう、と疑問に思いながらそれをじっと眺めていると、黒竜の賢太郎が突然降下を始めた。

「少し寄り道させてくれねえか? 気になることがある」

 大地の後ろに座っていた岩泉が、煙のほうを指差して言った。

「あそこには小さな集落があったはずなんだが、どうも様子がおかしい。それにあの煙……なんだ?」

 集落ということは、大地はこの世界に来て初めて一般人と邂逅を果たすことになるかもしれない。岩泉を見る限り少なくとも見た目は自分となんら変わらないし、おそらく言葉も通じる相手なのだろうが、なぜだか少し緊張した。
 
 だが――
 その集落とやらが近づくにつれ、大地の抱いた緊張は少し形を変えることになった。
 確かにそこには集落がある。いや、あったと言うべきだろう。十軒ほどの家が綺麗に立ち並んでいるが、そのほとんどがいま炎に包まれている。いったい何があったというのだろう。ここに住んでいる人たちは無事なのだろうか?
「早く消さないと……」
「ああ、わかってる。俺に任せろ」

 そう言って岩泉は右手を眼下の炎に向かって突き出した。一瞬の間を置いてそこに光の筋が出現する。――魔法陣だ。ゲームの世界のキャラクターが魔法を使うときに出現するものによく似ていた。それが激しく発光し始めたかと思うと、今度は集落の上空に、辺りを包み込むほど大きな、同じ模様をした魔法陣が浮かび上がる。そして、その魔法陣から激しい雨のように水が流れ落ち始め、瞬く間に炎を消していった。

「魔法……すごい」
「そういや、大地の元いた世界には魔法がないらしいな。この世界でも魔法を使える人はそう多くはねえけど、珍しくもねえ。――よし、降りてみるぞ」

 地表に降り立つと、炎は消えていたが焦げた臭いが漂っていた。建物の焼けた臭いに混じっているこれは――
(肉が焼けたような臭い……まさか、人が)

 大地の予想は的中してしまった。焼けて崩れた建物の跡に、明らかに人の形をした塊が横たわっている。しかも一つ二つではない。少なくとも十数体――いや、下手すれば二十体を超えるほどの焼死体がそこらに転がっていた。
 あまりに凄惨な光景に、大地は吐き気を覚えた。なんとかぎりぎりのところで堪えながら、集落の奥へと進んでいく岩泉の後ろをついていく。

「これは……」

 無言で歩いていた岩泉が足を止めたのは、村の最奥に当たる場所だった。そこにも何か建物があったのだろうか、瓦礫が山のように積み重なっており、所々で火が燻っている。

「いったい何が起こっているんですか?」

 険しい顔をした岩泉に大地は訊ねる。

「ここに立派な祠があったんだ。中には膨大な魔力を秘めていると言われてる宝玉が祀られていて、村のやつらが大事に守ってくれていた」
「じゃあ誰かがそれを狙って……」
「たぶんそういうことなんだろう。まったく、ひでえ話だ。どれだけの村人が犠牲になったっつーんだ」
「俺、魔物の森で若利を捕まえて、商品として売ろうとしている人たちに出会いました。ここもそういう人たちの仕業でこんなことになったんでしょうか?」
「いや、これは一般人が成せるような所業じゃねえよ。強大な重火器を用いたか、それか魔法――もしくそれに匹敵する別の何かがなければこんな凄惨なことにはならねえだろう」

 盗まれたらしい宝玉にどんな価値があるのか見当もつかないが、それ一つのためにこの村の人たちが犠牲になってしまったのは、異世界人である大地にとっても心が痛む話だった。きっと幼い子どももいただろう。幸せな夫婦もいただろう。それが人の手によって消し去られたなんて、俄かに赦しがたい。
 後ろに控えていた黒竜がその大きな首を振り返らせたのは、大地がこの事態をもたらした名前も顔も知らない犯人にひしひしと怒りを感じていたときだった。

『人の気配が』

 初めて賢太郎の声を聞いた。凛とした男の低い声で、フェンリルの優しいそれとはまた違った雰囲気だった。

「どこから? 生きてる人間の気配か?」
『一番手前の民家っす。一人分の、生きている人間の気配があります』

 賢太郎の返事を聞いて、岩泉が早歩きで示された民家に向かう。大地もその後を追った。
 該当の民家は他の建物に比べると損傷が少なく、焼けた痕もほとんどない。村を襲撃した犯人が家々を一軒一軒回ったのでないのなら、中にいた人間が無事であってもおかしくない。あるいはその犯人がそこに潜んでいるのかもしれないが。
 しかし大地のそんな不安をよそに、岩泉は入り口の引き戸を何の躊躇いもなく開いた。

「誰かいるのか?」

 返事はない。戸の向こうには夜のような闇が広がっており、何の音も聞こえてこなかった。

「俺は召喚士の岩泉だ。この村の人間なら知ってくれているはずなんだが……。ここで何があったのか教えてくれないかい? 安心しろ、いまは外に脅威はねえ」
「――召喚士……さま?」

 闇の向こうから返ってきたのは、子どもの声だった。ついで小さな足音が聞こえてきて、十歳前後と思しき少女が姿を現す。泣いていたのだろうか、クリッとした大きな目は真っ赤に腫れ、頬は死人のように青白くなっている。

「召喚士さまっ!」

 少女は岩泉の顔を見るなり、彼に跳びつくような勢いで駆け寄ってきた。そして火が点いたように泣き始める。

「よしよし、もう大丈夫だ。いったい何があったんだ?」
「お母さんがっ……お兄ちゃんがっ……空に銀色の何か飛んでるって外に出て……あたしは怖いから中にいたけど……そしたら窓の外がパーって光って……みんな、燃えちゃったのっ」

 少女が嗚咽混じりに起こったことを伝えたとき、岩泉がひどく驚いたように目を見開いた。



 少女が泣き止み、ほとぼりが冷めてから、大地たちは亡くなった村人たちの遺体を埋葬することにした。遺体はどれも焼けたことによる損傷がひどく、もはや少女でも誰が誰なのか判別がつかないほどだった。
 遺体に土を被せ、その上に墓標に見立てた大きな石を賢太郎が乗せる。それが終わると少女はまた泣き出して、しばらく石に縋りついていた。

「岩泉さん、ここで何が起きたかわかりましたか?」

 さっき少女が涙ながらに目にしたものを伝えようとしたとき、大地はそれを聞いた岩泉がひどく驚いた顔をしたのを見逃さなかった。何か知っているから、あんな顔をしたに違いない。

「……たぶん召喚獣に襲われたんだ」
「召喚獣!? それって若利や賢太郎と同じ……」
「ああ。あの子が言っていただろ。銀色の何かが空を飛んでいたって。たぶんそれは銀竜だ。もちろん召喚獣が自分の意思でそんな馬鹿げたことをするわけねえから、召喚士が襲わせたんだろうよ」
「召喚士……岩泉さんも召喚士でしたよね? ひょっとして犯人を知ってるんですか?」
「実はこの世界に召喚士は、俺を含めて二人しかいねえんだ。つまり俺の仕業じゃないとしたら、もう一人の召喚士の仕業ってことになる。――及川徹、っつーのがそいつの名前だ」
「及川徹……」

 その名を聞いた瞬間、大地は言葉では言い表せない何かを感じた。怒りと恐怖をない交ぜにしたような、激しい情動。これはなんだろうと自分の中の感情に自分で戸惑いながら、次の質問を岩泉に投げかける。

「その及川って人、どうして宝玉を盗んだんですか? それに村人をたくさん殺して……」
「あいつに人の死を悼むような心なんてねえよ。自分の目的を達成するためならどんな犠牲も厭わねえだろう。宝玉を盗んだのは、きっと力が欲しいからだ。この世界を滅ぼせるような、強大な力が」
「この世界を滅ぼす!?」

 岩泉の口から飛び出した不吉な言葉に、大地は思わず大きな声を上げた。そんな大地に岩泉は苦笑して、話を続ける。

「及川と俺はいわゆる試験管ベビーなんだ。昔埋葬された召喚士の遺体から細胞を採取して、実験の結果生まれた。残念ながら世の中にはそう言った特殊な生まれを偏見するやつらがいて、俺も及川もひどい差別を受けたことがある。まあ俺はどっちかっつーと楽天家だったから、差別も生まれもさして気にしなかったけど、及川はそうじゃなかった。差別する人々を憎んで、いつか滅ぼしてやるといつも言ってた」

 それを聞くと及川にも同情の余地があるような気がしたが、だからと言って世界を滅ぼすというのは間違っている。だいたい、彼の破壊衝動の原因がひどい差別だというなら、この村の人たちはまったく関係なかったはずだ。いや、この世界のほとんどの人が関係ないと言ってもいいだろう。にも拘わらず自分の“仕返し”にすべてを滅ぼすというのは、横暴で卑劣極まりない。

「及川を止めないと……」
「俺も止めてえと思ってる。だから時々あいつを探しに旅をするけど、もう七年は会えてねえな。爪痕とは言え、こんなにあいつに近づいたのは今日が初めてだ。ひょっとするとあいつに接触するチャンスがあるかもしれねえ。そのときは……」

 精悍な顔立ちが辛そうに歪む。

「言って聞くような相手じゃねえから、そのときはこっちも本気出さねえといけねえかな」
「岩泉さん……」

 岩泉にとって及川が、決して憎むべき相手ではないということは感じ取れた。だからこそ自分が破壊衝動に狂った彼を止めようという決意も、細められた瞳の中に窺える。

「とりあえず今日はここに泊まらせてもらおうぜ。もう夜になっちまいそうだしな」



「お兄ちゃん、服ボロボロだね」

 村の少女が、大地の服装を見て無邪気に笑った。自分で忘れかけていたが、確かにひどい有様だ。

「あたしの家にお父さんの服があるから、貸してあげるよ」
「え、でも……いいの?」
「うん。きっともう、必要のないものだから」

 一瞬だけ少女の顔が泣きそうに歪んだが、すぐにさっきの笑顔を取り戻す。

「身体もちょっと汚れてるね。待ってて、いまお風呂準備するから」
「それなら俺も手伝うよ」
「いいの! お兄ちゃんはお客さんなんだから、ゆっくりしててね。あ、でも夜ご飯の支度は手伝ってほしいかも。あたし、料理はまだ修行中だから」
「そうなんだ。俺も料理は修行中だから、一緒に頑張ろうか」
「うん!」

 少しだけ、ほんの少しだけ少女の笑顔には無理がある気がした。それはそうだろう。彼女はさっき両親を亡くしたばかりなのだから。両親だけではない。きっと親しかった友達も、世話をしてくれた大人たちも、及川に殺されてしまった。
 もしも大地が彼女の立場だったらどうだろうか? きっと無理にでも笑顔をつくることはできなかっただろう。夜になっても、そして次の日を迎えても、きっと泣き続けていたに違いない。

(この子、強いんだな……)

 大地たちに心配をかけたくない。少女が笑顔をつくる理由は他にないだろう。十歳前後の少女がそんな強さを持っていることを大地は素直にすごいと思った。同時に、彼女に比べれば異世界に迷い込んだ自分なんて、まだ辛くないほうなんだと思い知らされる。

「そうだ、名前はなんていうの?」

 お互いに自己紹介をしていなかったことに今更ながら気づいて、大地は少女に訊ねた。

「日向夏だよ。お兄ちゃんのお名前は?」
「俺は澤村大地。よろしくな」







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