四章 入団 「まさか監督があんなお婆ちゃんだなんて思わなかったな〜」 改めて猛とパスをしながら、大地はこのチームの監督である辺南に対する素直な感想を口にした。 「まあ、確かに最初はびっくりするよな。監督は基本的に指示を出したり、練習メニューを決めたりするだけだよ。実動的な部分はコーチが指導してるんだ。でも監督ってすげえんだぜ。俺たちのこともそうだし、試合中は相手のこともかなり見てる。だからいつだって正確な指示を出してくれるんだ」 「そうなんだ」 監督が有能なのは選手としてはありがたいことだ。 パス練習が終わる頃になるとコーチの直井がやって来て、すぐにシート練習になった。 直井は二十六歳と若く、けれど顔は巌のようで少し恐い。そしてその顔のとおり指導も厳しくて、ボールが落ちるたびに彼の怒号が体育館に響き渡った。 レシーブはリベロを務めているだけあって、渡がチームの中で一番安定していた。猛も反応がよく、落としそうなボールでも素早く拾いに行っている。大地も負けじとボールに喰らいついた。 休憩を挟んで今度はスパイク練習。ただ打ち込むだけでなく、コースを打ち分ける練習も兼ねており、相手コートの、穴になりそうな場所に置かれた鉄アレイに、ボールを命中させなければならなかった。 セッター茂庭のトスは安定していて打ちやすかったが、大地はなかなか狙った鉄アレイにボールをぶつけることができなかった。大地以外のメンバーも確率的にはそれほど高いわけではなさそうだったが、そんな中で猛だけはぼぼ百パーセントに近い確率で鉄アレイに命中させている。 「猛はすごいな。ほとんど命中させてるじゃんか」 「タッパないからせめてテクニックだけでも磨いとかねえとって思ってさ。実はこっそり練習してるんだぜ」 大地も何十本か打っているうちに、狙った鉄アレイに命中するようになってきたが、やはり猛には及ばない。きっと相当な努力があって身に着けられた技術なのだろう。 その後はブロック、二段トス、サーブカットの練習などを終えて、昼休憩の時間になった。できるまで何度もやらせる辺南と直井の指導スタイルは、本格的にバレーをするのが久々な大地の身体には堪えるものがあり、午後の練習を残してすでにヘトヘトだった。 「大丈夫か大地?」 とりあえず気分転換をしよう。そう思って外に出た大地に話しかけてきたのは、怪我のせいで見学を余儀なくされている笹谷だった。 「すげえ汗だな。ほら、タオルと飲み物持って来たぞ」 「ありがとう。こんなに激しく動くの久しぶりだったから、結構疲れたよ」 「久しぶりって割には結構動けてるよな〜。ぶっちゃけ俺より上手いと思うぜ。特にレシーブ」 「レシーブだけは昔から得意だったんだ」 受け取ったタオルで顔を拭いたあと、ドリンクに口を付ける。 「大地っていつ頃ハルモニアに来たんだ?」 「確か二週間くらい前だったかな。魔物の森って知ってるか?」 「ああ、本土のほうにあるな。まさかあそこに落ちたのか!?」 「うん。でもたまたま親切な人に助けられて、森の外まで連れて行ってもらえたんだ」 それから猛に出逢うまでの経緯を大地は笹谷に話してやった。 「じゃあ大地はそのうち聖彼に行っちゃうのか。そりゃ残念だな。せっかく出逢えたわけだし、もっと一緒に色々したかったのにな〜」 「色々ってなんだよ?」 「ん? たとえばベッドの上でイチャラブするとか」 「ささやんってそういうとこ全開で来るよな……」 「半分は冗談だって。ほら、バレーだってしたかったしな。怪我してっから俺だけ大地と一緒にできねえし」 「その怪我いつ頃治るんだ?」 「あと二週間くらいはかかるらしいぞ」 「二週間後なら俺まだここにいそうだけどな。飛空艇代って二週間バイトして貯まる額じゃないんだろ?」 「まあ、寝ずに働きゃ二週間でもなんとかなるんじゃねえの? バイトは何するかもう決まってんのか?」 「まだ全然だよ。というか、猛が今日このチームのメンバーにバイトのこと訊いてみるって言ってたけど、どうも忘れてるみたいで……」 「お前とバレーすんのが楽しくて仕方ねえんだろうよ。あいつ今日はいつもより元気だしな。バイトなら監督とかコーチに訊いたほうがたぶん見つかると思うぞ。なんなら俺から訊いてやろうか?」 「いや、いいよ。自分のことだからちゃんと自分で訊くよ。ありがとな」 どういたしまして、と笹谷は笑う。猛とは反対に大人びた笑顔だった。精悍な顔立ちは一見して硬派な印象を受けるが、喋り出すと少し軽薄なのだということはもうなんとなくわかっている。 「人の顔じっと見てどうした?」 大地の視線に気づいて笹谷が首を傾げた。 「ああ、いや……ささやんって結構カッコイイんだなって思って」 「何、ひょっとして大地もゲイなの?」 「まあ……。元の世界じゃ身の回りに堂々としたゲイなんていなかったから、ささやんみたいな人って俺にとっては結構珍しいんだ」 「へえ。ちなみにこのチームの中で顔が一番タイプなのって誰なんだ?」 訊かれて大地は、チームメンバー一人一人の顔を思い浮かべてみる。 「みんな結構男らしい雰囲気だよな〜。でもなんだかんだ言ってささやんが一番タイプかも」 それは社交辞令などではなく、大地の正直な気持ちだった。 「マジで!? なんだよ、ならもっとイチャイチャしようぜ。俺だって大地のことはタイプだし」 「あ、こら! ケツ揉むんじゃないよ!」 「お互いタイプなら別にいいだろ? なんだったら俺のも揉むか? 後ろじゃなくて前のほうでも――」 「――何大地にセクハラしてんだよささやん!」 鋭い声が笹谷を制止させる。振り返ればドアの前に怒ったような顔をした猛が立っていた。 「セクハラじゃない。これはスキンシップだ」 「どこがだよ! 大地嫌がってんだろ」 「じゃあ代わりに猛がケツ揉ませてくれんのか?」 「揉ませねえよ!」 まったくこいつは、と溜息をつきながら猛は大地のそばにやって来る。 「監督がさ、大地の分の弁当も用意してくれてたんだって。ほら、これ大地の分。一緒に食べようぜ」 「ありがとう。監督にもあとでお礼に行かないとな」 「猛、俺の分は?」 「自分で取りに行けよ。ささやん練習してねえんだから」 「ウエイトとか球拾いとかやっただろ!」 そうだっけ、と言いながら猛は意地悪そうに笑った。 「冗談だよ。ちゃんとささやんの分も持って来たって。三人で食おうぜ」 「猛……お礼にあとでマッサージしてやるからな」 「ささやんのマッサージはなんか嫌だな……」 大地がコーチの直井に呼ばれたのは、昼休みが終わる直前のことだった。ロビーの奥にある部屋に通され、ソファーに座るよう促される。テーブルを挟んだ向かい側には監督の辺南が座っており、直井はその隣に腰を下ろした。 「休憩中に悪いねえ」 辺南が微笑みながら言った。 「あ、いえ……。あの、お弁当ありがとうございました。とっても美味しかったです」 「そりゃあよかった」 練習のときとは違い、辺南の口調や表情は穏やかだ。年相応の柔らかな雰囲気に大地はなんとなく安心する。 「ここに呼んだのはね、あんたにお願いがあるからなんさ」 「お願い?」 「ああ。猛から事の経緯は聞いたよ。あんた、聖彼に行くためにバイトを探してるんだってね?」 「はい、そうなんです」 ひょっとして辺南にバイトの当てがあるのだろうか? 大地は期待せずにはいられなかった。 「実はちょうどよさそうなバイトを知っておってのう。あんたにもきっと合ってると思う」 「本当ですか!? どんなバイトですか!?」 「このチームの選手じゃ」 「ええっ!?」 スーパーのレジ打ちか、あるいは清掃員辺りを想像していた大地は、驚いて目をぱちくりさせた。 「知ってのとおり、笹谷が怪我をしていてレフトに欠員が出ておる。代わりに入った渡もよくやってくれておるが、ミドルにリベロが付けられないせいで守備力がかなり落ちてのう……。入れ替え戦ももうすぐなのにどうしようかと悩んでいたところに、あんたがやって来た」 「でも、俺なんかがプロのチームに入っても足を引っ張るだけじゃ……」 「何を言っておるんじゃ。あんたはなかなかいい選手だよ。それこそエースの猛にも負けてない。足を引っ張るどころか大いに役に立つってもんだよ。入れ替え戦が終わるまでいいから、チームを助けると思ってうちに入ってはくれんか? もちろん聖彼への渡航費になる程度の給料は出す」 非常に魅力的な提案だし、断る理由もない。異世界の知らない人たちに囲まれながら慣れない仕事をするより、このチームで選手として稼いだほうがずっと気持ちが楽だ。 「わかりました。役に立てるように頑張ります」 「ありがとうねえ。役に立たないようなら、立つようになるまでビシビシ鍛えるから覚悟しなよ」 「は、はい……」 辺南の指導の厳しさはもう十分すぎるほどに身に染みている。今日一日だけの体験入団のつもりだった大地も、すでに容赦なく扱かれた。 「いまの若手中心のチームになってまだ二年。しかしあの子らはよく頑張っておるよ。去年の入れ替え戦だってかなり惜しいところまでいったんじゃ。今年こそは上のリーグに上がらせてやりたいのう……」 どこか遠くを見つめる辺南の目は、まるで孫を見守るお婆ちゃんそのものだ。きっとこの人の心には選手たちへの愛情がいっぱい詰まっているんだろうなと、大地はなんとなく思う。 バレー選手――小学生の頃はひどく憧れたものだ。けれど中学生になって自分の実力の限界を理解した大地は、その憧れをすぐに捨てた。高校では最初からバレー部に入ることを少しも考えなかったし、いまも入りたいとは思わない。 けれどバレーを嫌いになったわけではなかった。テレビで試合が放送されていれば必ずと言っていいほど観戦していたし、クラスマッチではいくつかある種目の中から必ずバレーを選択し、実際にプレイしてみてやはり楽しかった。だからこうしてバレー選手になることになって――たとえそれが別の世界のバレーチームで、臨時の起用なのだとしても、胸の中は嬉しさに満ち溢れた。 それにいまの大地ならきっと上手くやれる。この世界に来てから妙に身体が軽いし、午前中の練習でも想像以上に動けていた。だから大丈夫。自分を信じよう。 こうして大地のバレー選手としての日々が幕を開けた。 |