八章 最終セット 「さて、ここからが本番さね。相手のエースも少しばかり体力が回復しているだろうよ」 四セット目の後半になって、百沢はベンチに下げられた。おそらく五セット目に向けての体力温存だろう。一方の大地たちは替えの選手がいないため、最初からずっと同じメンバーで戦っている。けれど皆疲労の色はそこまで濃くなかったし、大地もそれほど疲れてはいなかった。 「あとは全力でぶつかるだけさね。自分の持ってるもの全部出しきってきな。出だしで絶対に躓くんじゃないよ」 「はい!」 そして最終セットがいよいよ始まる。まずはこちらからのサーブだ。大地のジャンプフローターは相手コートの奥深いところに伸び、軽く崩すことに成功した。セッターがすぐにカバーに行き、高いトスをレフトに上げる。 レフトにいるのは百沢だ。しっかりと助走距離を取っており、トスに合わせて高く跳躍する。辺南の言っていたとおり体力が回復したのか、打点は一セット目のときと同じくらい高さがあった。 (でもこういうとき、彼はきっとこっちを狙う) 百沢がスパイクを放つと同時に、大地はライト側に向かって動き出していた。百沢が選んだコースはやはりストレート。ライト側のブロックが比較的背の低い茂庭だから、おそらくそちらを狙うと思っていた。 放たれたボールに大地は難なく追いつき、セッターに綺麗なパスを送る。茂庭が選択したのは青根だった。速さのあるBクイックが上手く決まり、まずはモッツァリーナが一点目を獲った。 「大地さん、ナイスレシーブです!」 渡が声をかけてくれる。リベロにレシーブを褒められるのはなんだか嬉しかった。 「サーブの狙いもよかったぜ。次も頼んだ!」 「おう!」 猛に笑い返し、大地は再びサーブに下がる。二本目のサーブは百沢の前にちょこんと落とす。やや崩れたがトスを上げるのには問題がないカットだ。おそらくミドルのクイックを使うだろう。大地の正面にはちょうど青根がいるから、警戒すべきはワンタッチで大きく返ってきたボールだ。 大地の予想どおり、トスはミドルブロッカーに上がった。しかしミドルはそれを打ち込まず、フェイントでライト寄りに落としてくる。 「任せろ!」 いち早く反応したのは小原だった。スライディングでそのボールを上手く拾い、茂庭がアンダーでバックセンターに上げた。 いつもより高いトスだが、球の流れが速いせいで出遅れていた大地にはちょうどよかった。けれどトスが高いときはブロックに捕まりやすい。一瞬迷いながら、大地は手首を捻って相手コートの右奥を狙う。 百沢のブロックは遅れたが、それでも十分にネットから手が出ていた。その手にボールが弾かれる。幸いにも、ボールはコートの外に落ちてくれた。 「よし!」 「ナイスキー大地!」 得点できたことにホッと胸を撫で下ろし、三本目のサーブに下がった。 それからはモッツァリーナがリードを保ったまま試合が進んでいった。百沢のスパイクは相変わらず強烈だが、それでもなんとかレシーブで繋ぎ、早い攻撃で得点を重ねていく。 先にマッチポイントを握ったのもモッツァリーナだった。けれどそこからネクトも意地を見せ、最後の一点をなかなか獲らせてくれない。強烈なスパイクや高いブロックに翻弄されているうちに、いつの間にか点差は一点だけになっていた。その場面で辺南がタイムを取る。 「とりあえず落ち着きな。マッチポイントを握ったからって浮かれてるからこういうことになるんだよ」 辺南の声は厳しかった。 「ブロックは遅れてもちゃんと跳びなさい。ワンタッチを取ることが大事だよ。レシーバーは強打よりもこぼれ球に注意して、いつでも動けるようにしてな。せっかくここまで来たんだ。目の前の勝利に最後まで執着するんだよ」 「はい!」 タイムが終わり、大地たちは再びコートの中に立つ。 相手のサーブ。狙われたのは猛だった。五セット目に入ってから相手サーブはほとんど猛を狙っている。おそらく彼の速い攻撃を封じたいのだろう。 しかしそう簡単に封じられる猛ではない。機動力は相手チームも含めて、コートの中の誰よりも高いだろう。きっちりカットをしてから素早くセンターに切り込んでいく。 不意を突いた。そう思ったのも束の間のこと、ぎりぎりのところで百沢がブロックに跳び、惜しくもワンタッチを取られてしまう。 チャンスボールに変えられてしまった猛のスパイク。リベロが難なくAパスをセッターに回し、そしてセッターは一番得点率の高い百沢にトスを上げた。 (頼む……ブロックで止めてくれ!) 大地の懸命な願いも虚しく、百沢のスパイクはブロックを弾き飛ばした。そして大きく、こちらのコートのエンドラインよりも遥か後ろにボールは飛んでいく。あんなのカバーできるわけがない。これはデュースに持ち込まれるだろう。誰もがそう確信していた。――大地以外は。 (絶対に落として堪るかっ!) ここでデュースに持ち込まれたら、きっと高さとパワーで敵わないモッツァリーナが勝利することは難しくなる。だからこのボールを絶対に落としてはいけない。絶対に繋がなければならない。そんな執念を胸に、大地はボールを必死に追った。そして手からではなく足から思いっきりスライディングし、床に落ちかけたボールを思いっきり蹴り上げる。 「あとは頼む!」 叫びながら振り返ると、渡が大地の近くまでついて来てくれていた。大地が蹴り上げたボールを、アンダーでコートの中に戻す。 「猛さん!」 上手くレフトに運ぶことはできたが、猛の位置からでは真後ろから来るという、打ち切るのが難しいボールだ。けれど大丈夫。猛なら絶対どうにかしてくれる。大地は信じていた。このチームのエースを。そして、瀕死だった自分を拾って介抱してくれた、大事な友人の一人を。 「猛行けー!」 大地が叫んだ。 「打ち抜けー!」 ベンチから笹谷の声がした。 「決めろー!」 コートの味方たちも声を張り上げる。 『行けー!!』 サポーターたちが声をそろえて叫んだ。 「任せろー!!」 猛が高く跳躍する。相変わらずお手本になるような綺麗なフォームだ。身体を大きくしならせ、腕を振り下ろすと同時に、ボールに体重をかけるように上半身を前に曲げる。 ミートはよかったように見えた。打点も低くなってない。あの二段トスをよくも上手く打てたものだと大地は感心する。しかし、そのスパイクが相手コートに落ちることはなかった。三枚ブロックのレフト側、百沢の手に大きく弾き返される。 こちらのコートに戻ってくるボール。それはコートの中になんとか戻って来た大地の頭上を通り越した。更にエンドラインまで越えて――アウトとなる。 「よっしゃあああああああ!!!」 試合終了のホイッスルが鳴ると同時に、決勝点を獲った猛が歓喜の声を上げた。勝った。苦しかったけど勝ったんだ。その実感がじわじわとせり上げてきて、大地は堪え切れずに嬉し涙を流した。 コート内に味方たちが集まり、抱き合いながら喜びを分かち合った。ベンチにいた笹谷や辺南、コーチの直井もその輪に加わって乱舞する。 「猛すげえよ! よくあんなの打てたな!」 「すげえのは俺じゃなくて大地だよ! あんなん誰も拾えねえって思ったのに」 「そうそう! 大地くん本当にすごかったよ! 親治もよく猛のとこに上げたね!」 「マジで勝ったんすか!? これで昇格!? 夢じゃないっすよね!?」 「落ち着け金田一! 夢じゃないか確かめるために俺がケツ揉んでやろうか?」 「あ、こらささやん! それ俺のケツだよ!」 「待て、俺はまだ誰のケツも揉んでねえぞ」 「すまん猛、揉んでるの俺だ」 「大地かよ!? 大地なら赦す!」 喜びはいつまで経っても冷め止まない。サポーターたちもそれは同じなようで、体育館内にはしばらく拍手と指笛、そして祝いの言葉が響き渡っていた。 こうして運命の入れ替え戦は、モッツァリーナの勝利で幕を閉じるのだった。 |