二章 船上での出会い


「――お兄さん」

 かけられた声に海が振り返ると、そこには心配そうな顔をした少年が立っていた。中学生くらいだろうか、あどけなさの残る顔は健康的な小麦色で、海を見上げる瞳はクリッとしていて明朗な性格を思わせる。サイドから後頭部にかけてを綺麗に刈りそろえた髪のトップ部分は、肌の色に合った茶色をしていた。

「大丈夫? なんか深刻そうな顔で海を眺めてたけど、ひょっとして自殺でもする気か?」
「えっ、いや……全然そんなことは考えてなかったよ。そんなに深刻そうだった?」
「うん。いまにも飛び込んじまいそうな顔してたから、思わず声かけた。違ったならごめん」
「ううん。こっちこそ心配かけてごめんね。ホント、大丈夫だから」

 こんな見ず知らずの少年にまで心配をかけてしまったことを恥じながら、海は彼を安心させるように笑う。

「知らない人っつっても、目の前で死なれちゃ目覚めが悪いからな。お兄さん、何歳?」
「十八歳だよ。君は?」
「十七歳。冬には十八歳になるけど」
「えっ!? 同い年だったの?」
「あー、その反応はおれをもっと年下だと思ってたな?」
「ご、ごめん。十五歳くらいだと思ってた」
「だいたいいつもみんなそれくらいの歳を言うんだよな。この顔だし、背も低いから仕方ねえけど。それにおれだってあんたのこと二十五歳くらいだと思ってたから、おあいこだな」
「俺ってそんなに老けて見えるのか……」

 実年齢より下に見られることはないが、上に見られてもさすがに二十五と言われたことはなかった。

「老けて見えるっつーか、大人びてるって感じかな。人生いろいろ経験してきた僧侶っぽい雰囲気だし」

 褒められてるのか、それとも馬鹿にされてるのかよくわからない台詞だが、海は前者の意味で捉えることにして自分をフォローする。

「おれ、小見春樹っつーんだ。下の名前で呼んでくれよ。あんたは?」
「海信行。呼びやすいほうで呼んでくれて構わないよ」
「じゃあ信って呼ばせてくれよ。なあ、信は一人でこの船に乗ってるのか?」
「一応知り合いと一緒だよ。その人カジノに入り浸るって言ってたから、実質一人だけど」
「そうなんだ。おれも一人なんだよ。よかったら一緒に飯食わねえ? 一人じゃなんか寂しくってさ」

 人懐っこい春樹に押されて、海は彼と一緒に船内のレストランの一つに入ることになった。
レストランもやはり高級感の漂うインテリアだったが、中の客の服装はその雰囲気にそぐわないようなカジュアルなものが目立った。メニュー表を見ても、どの料理も決して安くはないが高いということもなく、乗船したときに鎌先が言っていたとおり、外観や内装の華やかさほど敷居の高い船ではないようだ。
 海は海ブドウの海鮮丼、春樹はエビフライ定食を注文して、同時に運ばれてきたそれにありついた。大きなエビフライを幸せそうに頬張る春樹の姿は、やはり子どもっぽくてとても同い年には見えなかった。

「この船に乗ってるってことは、信も聖彼に行くんだろ? 旅行なのか?」

 春樹は見た目のとおり、明るくてよく喋る。人の話を聞くのが好きな海にとっては一緒にいて楽しい相手だった。

「人を捜しに行くんだ。逢える保証はないんだけど、聖彼に行ってる可能性が高いって聞いたから」
「ひょっとして恋人?」
「ち、違うよっ。同じ学校の同じクラスで……」
「信、顔赤いぞ〜? 本当は何か特別な事情があるんじゃねえの〜?」

 図星を突かれ、海は返事に窮す。赤くなったのを隠すように手で顔を覆い、しばらくそうしてその熱が落ち着くのを待った。

「か、片想いしてるんだ、その人に」
「へえ! なんかいまやっと海をタメだって認識できたよ。もっとこう、達観した僧侶みたいに思ってたから。つーか、そいつはなんで聖彼にいるんだ? 同じ学校の同じクラスなんだろ? あっちが旅行中?」
「えっと……次元の狭間って知ってるかい? それに一緒に巻き込まれて、どうも別々の場所に飛ばされたみたいで……」
「えっ!? 信ってイクシオンの人間なのか!?」
「そういうことになる」
「すげえ! おれイクシオン人なんて初めて見たよ!」

 春樹は新しいおもちゃを見つけた子どものように爛々と目を輝かせた。

「つーかイクシオン人ってこっちの言葉通じるんだな! それともこっちに来てから覚えたのか?」
「いや、最初から通じてたよ。言葉もそうだし、文字もあっちと一緒だ。顔立ちも変わらないな」
來府らいふとか、龍渡りゅうどのほうに行くとちょっとだけ顔が違ってくるんだけどな。言葉もだいたい同じだけど、地方の超田舎に行くと通じなかったりするらしいよ。いま喋ってる言語はハルモニア公用語って言うんだ」

 これがもし言葉の通じない世界だったら、と思うと海はぞっとする。英語くらいならジェスチャーを交えながらどうにかコミュニケーションをとれるかもしれないが、それ以外の言語となると意思の疎通は難しかった。

「確かにイクシオン人なら聖彼を目指すって聞くよ。闇雲に捜し回るより聖彼に行くのが正解だな。逢えるといいね」
「うん。そういう春樹くんは聖彼に何しに行くんだい?」
「おれ、来月から聖彼の機械技術学校ってとこに行くんだ。そのための引っ越し」
「出身は蘭華らんかなんだよね? 他国の学校に行くなんてすごいな」
「蘭華には機械系の学校ほとんどないからな。あってもしょぼいし。国自体が農業一色だから仕方ないけど。だから頑張って勉強して、試験受かったんだ。将来は飛空艇とか車のエンジンつくるようなエンジニアになりたいって思ってる」
「はっきりとした夢があるんだね」
「信はそういう夢とかねえの?」
「実は俺も機械系の仕事に就こうと思ってるんだ。いま通ってる学校は全然そういうところじゃないんだけど、趣味でロボット作ったりしててさ。たいしたものじゃないけどね」
「そういうの好きなら聖彼は打ってつけだよ。技術者はいくらいても足りないって言われてるくらいだから。開発戦争とかすげえんだって。でも無能なやつはすぐ見捨てられちゃうらしいから、まずは技術と知識を身に着けるところから始めないといけない。だから機械技術学校に入ったんだ」
「俺ももし元の世界に帰れなかったら、その学校に行ってみようかな……」
「それがいいよ。しかもイクシオン人だったら国が学費支援してくれるって聞いたことあるから、信にはちょうどいいんじゃないかな?」
「そうだな〜……」

 鎌先は、聖彼には次元の狭間を意図的に起こせる人間がいると言っていた。だから元の世界に帰ることは約束されていると言っても過言ではないのかもしれない。しかし、聖彼で澤村と再会できるまではこの世界に留まると海は決めている。彼を置いて一人で帰るなんてできないし、そもそも彼のいない世界になど帰りたいとも思わなかった。
 もしもすぐに澤村と再会できなければ、しばらく聖彼で暮らさないといけなくなる。そうなったときの人生の選択肢として学校のことも考えておこう。海はそう決めた。



 結局海は夜になるまで春樹と行動をともにしていた。春樹と一緒にいると退屈しなかったし、よく喋るが気遣いもちゃんとできる彼の性格は好感が持てた。
 船の中には映画館やプール、図書館や運動場など、娯楽施設がそれなりにそろっており、時間を持て余すことはなかった。今日はとりあえず映画を二本観て時間を潰した。一本はアニメ映画で、都会に住む男子高校生と田舎に住む少女、二人の主人公が織りなすSF要素も兼ね備えたラブストーリーだった。
 もう一本は元の世界でもありがちな、恐竜を題材にしたアドベンチャーだ。どちらもハラハラするようなストーリー展開で、ただの暇つぶしのつもりが、観始めると結構夢中になっていた。
 最後にレストランで食事をしてから春樹とは別れた。帰ってきた部屋に鎌先の姿はなく、どうやらまだカジノに行ったきりのようだった。眠るにはまだ早いなと思いながら、ソファーに座ってテレビの電源を入れる。

「たっだいま〜♪」

 元気よくドアを開け放ったのは鎌先だった。

「信〜。寂しい思いさせてごめんな〜」
「うわ、ちょっと、重いよ靖志くんっ」

 海を見るなり抱きついてくる鎌先を力いっぱい押し戻すが、硬い筋肉に覆われた身体はびくともしない。諦めてされるがままになった。

「聞いてくれよ! オレ、今日すんげえ儲けてきたんだぜ! ほら!」

 鎌先は嬉しそうに笑いながら手に持っていた封筒の口を開いた。中には数えるのも馬鹿らしくなるくらいの札束が収まっている。

「全部で七十万! 慎重にコツコツやってたらいつの間にかこんなになってたぜ!」
「七十万ってすごいじゃないか」

 ボロボロに負けて帰ってくるんじゃないかと心配していたが、鎌先は想像をいい意味で裏切ってくれたようだ。運がいいと言っていたのもあながち嘘じゃないのかもしれない。

「とりあえず五万ほどお前に渡しとくな。あとは金庫に入れとくから、船降りるときに忘れないようにしようぜ」
「うん、わかった。というか五万ももらっちゃっていいの? 靖志くんが稼いできたものなのに」
「いいんだって。船乗る前に渡してた分じゃ買い物もろくにできねえだろ? 足りなくなったら言えよ」
「ありがとう。じゃあ、遠慮なくもらっておくね」

 食事にはそれなりに金がかかるし、娯楽施設の中には料金を徴収するものもある。小遣いをもらえるのは非常にありがたかった。

「お礼に何かするよ。マッサージとかどう?」
「お、いいね。その前に風呂入ってくるから待っててくれ」
「いってらっしゃい」







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