三章 もう一つの出会い


 航海二日目。この日も空は気持ちいいくらいの快晴で、部屋で鎌先と食事を済ませた海は、一人甲板に出てその空を眺めていた。
 船が駆け抜ける海原は、相変わらず不気味なほど黒い。まるで巨大な穴の上に浮かんでいるようだと、辺りを一望しながら思った。

「信、おはよう」

 聞き覚えのある声がしたと思ったら、昨日船上で出会った小見春樹が眠そうな顔をしながら歩いてきていた。

「おはよう、春樹くん。なんだか眠そうだね」
「慣れないせいかあんまし寝れなかったんだよ。信はどう?」
「俺は結構どこでも寝れちゃう人間だから大丈夫だったよ」

 羨ましいな、と春樹は少し笑った。

「朝御飯は食べたかい?」
「おう。ルームサービスのサンドイッチ食ったよ」
「あ、同じだ」
「気が合うな〜。そういえば一緒に乗ってるって人は今日もカジノに行ってんの?」
「まだ部屋でゴロゴロしてるけど、そのうちまた行ってみるって言ってた。その人、昨日すごく儲けて帰ってきたんだよ。あんなにたくさんの札束見たの初めてだった」
「すげえじゃん! 信はカジノ興味ないの?」
「賭け事はちょっとな〜」
「おれもだよ。勝てりゃあいいけど、負けたら泣くだけだからな〜」

 鎌先は慎重にやっていると言っていたが、今日こそ負けてしまうんじゃないかと心配だ。

「そういえば、このあと妓奈須島ってとこに寄るらしいよ。一時間くらい泊まるみたいだから、一緒に島に降りてみない?」
「いいよ。なんだか陸が恋しくなってきてたところだから」



 船は正午を少し過ぎたところで妓奈須島に寄港した。
 弧を描くようにして設けられた港は、たくさんの人でごった返している。露店なども立ち並んでいて、独特の賑わいを見せていた。

「まあまあ大きな街なんだな」

 アカシア村のようなのどかな村を想像していただけに、この人の数や少し栄えた街の風景に海は驚かされる。

「妓奈須はいろんなとこの交易の中継地点だからな。結構栄えてるんだぜ」
「そうなんだ」

 立ち並ぶ露店のほとんどは食べ物屋だった。だから美味しそうな匂いがそこら中に漂っている。見たことのない料理から馴染みのある料理まで様々で、昼食時とあってどれも食欲をそそった。
 春樹が肉まんのようなものを買ったのに便乗して海もそれを買い、それからは基本的に食べ歩きとなった。

「おっ!」

 美味しいものをたくさん胃袋に詰め込んだ後、春樹が立ち止まったのはアクセサリなどを扱っている店だった。店頭には洒落たネックレスや指輪などが並べられている。高価そうに見えるが、値段は思ったほど高くなかった。鎌先がカジノで稼いできてくれたおかげで所持金には余裕があるし、せっかくだから買っておこうか。

(澤村くんはどういうのが好きかな……)

 どうせなら想い人とおそろいの物を身に着けたい。男らしい澤村にはやはりカッコいい感じのものが似合うだろうかと、並べられた品を一つ一つ検分していく。その中で海の目に留まったのは、片翼をモチーフにしたネックレスだった。
 一見シンプルだが、その造形は細やかで美しい。翼の先端部分は薄っすらと水色に染まっており、その色違いで緑色のものもあった。海はその二つを購入し、そして購入したあとにこう思う。

(こ、恋人同士でもないのにおそろいって変だったかな……。でも友情の証……いや、この世界に二人で来た記念って言って渡せば変に思われないはず!)

 澤村は喜んでくれるだろうか? 優しい澤村のことだから、気に入らなくてもきっと受け取って笑いかけてくれる気がする。これを渡すのは緊張するけど、逆に楽しみに思う気持ちも海の中にあった。

(早く逢いたいな……)

 そうして最後はいつも、その台詞に行き着くのだった。
 適当なタイミングで船に戻ると、心なしか乗客の数が増えたような気がした。春樹に訊くと、妓奈須島からも客を拾う予定になっていたそうだ。
 妓奈須から乗ったのは客だけではなく、今朝までは見かけなかった店がいくつか増えていた。その中にはゲーム屋もあり、海は興味をそそられて立ち寄ることにした。
 棚に陳列されていたのは、やはり海の知らないタイトルのゲームばかりである。決してゲーマーではないので、元の世界でもそれほどゲームに詳しいわけではなかったが、ゲーム機本体の区別はちゃんとつくし、制作会社も有名どころは知っている。
 所持金の残高からして本体とソフトをセットで買えそうだったが、春樹は興味がないようだし、一人でシコシコプレイするのもなんだかな、と思い直して買うのはやめておいた。

「あ、おれトイレ行こうと思ってたんだった。信も行くか?」
「俺は大丈夫。ここで待ってるから行っておいでよ」
「じゃあ速攻済ませてくる!」
「ゆっくりでいいって」


 ◆◆◆


 トイレから出た春樹は、視線の端で蹲っている人影を捉えた。肩よりも少し短い髪は暗めの黄色だ。頭の天辺の辺りは茶色になっているから、まるでプリンみたいだなと無遠慮に眺めてしまう。
 蹲っているせいで正確な身長はわからないが、あまり高くはないようだった。手足の細さや背中の薄さから、大人ではないことはすぐにわかった。

「あの、大丈夫?」

 声をかけると、プリン頭がゆっくりとこちらを見上げる。蒼白になった顔は春樹とあまり歳が変わらなさそうな少年だった。

「ちょっと酔っちゃったみたいで……」

 風に飛ばされて消えてしまいそうな弱々しい声が答える。

「吐きそうなのか? トイレまでもう少しだから頑張れよ。こんなところで吐いちゃったらあとがめんどいぜ」
「うん……」

 生まれたての小鹿のように震えながら立ち上がった彼の肩を春樹は支えてやる。そのままトイレの個室に押し込んで、外で彼が出てくるのを待つ。

「春樹くん、どうかした?」

 ショッピングエリアで待たせていたはずの海が、心配そうな面持ちで歩いてきた。きっと、速攻で戻ると言った春樹の帰りが遅くて様子を見に来たのだろう。

「ごめん。なんか船酔いしたっていう歳近そうなのがいたから、介抱してたんだ。いまトイレに連れて行ったんだけど、心配だから一応出てくるの待ってる」
「そうだったんだ」

 海と話をしているうちに、さっきの少年がおぼつかない足取りでトイレから出てきた。

「大丈夫か? ちゃんと吐けた?」
「うん、ありがとう。薬、持って来てたけど飲むの忘れてて……」
「そうだったのか〜。じゃあ早く飲んだほうがいいぜ。部屋まで帰れるか?」
「大丈夫……」

 大丈夫と言いつつも、少年の足取りはやはり見ていて心配だった。部屋に辿り着く前にまたどこかで蹲ってしまいそうだ。

「信、おれこいつを部屋まで送って来るよ。どっかで適当に時間つぶしてて」
「わかった。けど一人で大丈夫? なんだったら俺もついていくよ?」
「こんくらい大丈夫だって」
「そう? じゃあもう少しショッピングエリアを散策してるよ。いってらっしゃい」
「またあとでな」

 ショッピングエリアに戻って行く海を見送ってから、二人のやりとりを見守っていた少年のほうに向き直る。

「ホントに、一人で大丈夫だから」
「遠慮すんなって。放っておくと気になって仕方なくなるから、部屋まで送らせてくれよ」
「……ごめん」

 少年の返事に満足してから、二人並んで客室エリアに向かって歩き出す。
 客室までの距離は決して遠くはなかったが、幼い子どもですらもっと早く歩けそうだと思う彼の足取りに合わせていると、ずいぶん途方もない旅に感じた。部屋に着いたらまず彼をソファーに座らせ、コップ一杯の水を用意してやる。

「薬はどこ?」
「ここにあるから大丈夫」

 少年はそばにあった棚から薬らしきものを取り出し、春樹の用意してやった水でそれを飲んだ。

「効くまでは我慢だな。まだ気分悪いか?」
「少しだけ……。迷惑かけてごめんね」
「全然迷惑なんかじゃないよ」

 船の上では余るほど時間があるし、病人の世話をするくらいどうということもない。それに困っている人間を放っておくのは春樹のプライドが許さなかった。

「お前、歳はいくつ?」
「もう少しで十七」
「じゃあおれの一個下だな。あ、おれ小見春樹。お前は?」
「弧爪研磨」
「珍しい名前だな〜」
「よく言われる」

 研磨の顔色は、今日初めて見たときに比べるとだいぶよくなってきている。この分だと完治するのも決して遅くはなさそうだ。

「船には一人で乗ってるのか?」
「うん」
「おれも一人なんだ。なんか困ったことがあったら遠慮なく頼ってくれよ。ここで知り合ったのもなんかの縁だし、歳も近いことだしさ。気分よくなったら……あ、研磨が嫌じゃなかったらだけど、一緒に遊ぼうぜ。信……さっきの坊主頭のやつな。あいつも優しくていいやつだから、安心していいよ。一人でいるのって退屈だろ?」
「うん……。ゲーム持って来てたんだけど、やり始めると船酔いするからできなくて」
「そうだったのか。あ、そろそろ戻るな。ホント、いつでも声かけてくれていいよ。俺の部屋は二〇七。お大事にな」
「ありがとう……」

 少しだけ微笑んだ研磨に手を振って、春樹は彼の部屋をあとにした。







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