三章 再会


 大地の声に、彼は驚いた顔をして振り返る。そして勢いのままに飛び込んだ大地を、両腕で優しく受け止めてくれた。

「澤村くん!? 嘘っ……本当に澤村くんなのか!?」
「うん。俺だよ、海くん。やっと逢えた。ずっと逢いたかったよ」

 どれだけこのときを待ち望んだだろう。どれだけこのときが来ることを星に願っただろう。夢の中でしか逢えなくなってしまった彼との再会が、ついに叶った瞬間だった。
 腕に抱きしめた身体は本物だ。自分を呼んだ声も、抱きしめ返してくれる腕も、全部本物。張り裂けそうなほどの強い喜びに全身を包まれ、なんだか心がポカポカと温かくなるような気がした。

「俺もずっと澤村くんに逢いたかったよ。この世界に来てからずっと澤村くんのことばかり考えてた。怪我とかしてない? ちゃんと御飯食べてる?」
「俺は至って元気だよ。海くんはどう?」
「俺も元気だよ。ここに来るまでいろいろあったけど、親切な人たちに助けてもらえたから、無事に辿り着けた。少し髪が伸びたね」

 海の手が撫でるような優しい手つきで大地の髪に触れた。

「海くんはあんまり変わってないな。むしろ短くなった?」
「実は昨日バリカンで剃ってもらったんだよ。ちょっと伸びてたから」
「さ、触ってもいい?」
「澤村くんなら好きなだけ触ってもいいよ」

 斜め後ろの席からその頭を眺めながら、触り心地がよさそうだなといつも思っていた。けれどその頃は容易に触れられるほどの近しい間柄ではなかったし、お願いすることも常識的に考えて駄目だと思った。三週間近く離れていたのに、いまは不思議とこの世界に来る前よりもずっと心の距離が近づいた気がする。
 後頭部にそっと手を添えると、チクリとした硬い髪の毛の感触がした。ゆっくりと手を動かせば、それはブラシで優しく擦られているような、心地よいくすぐったさとなって大地を癒す。

(なんだこれ……ああっ……なんだこれ……なんかすごい)

 大地の後頭部も散髪したばかりの頃はこれに近い手触りがするけれど、海のはもっと洗練されていて、病みつきになってしまいそうな気持ちよさがある。

「あっ、ごめん! つい夢中になっちゃって……」
「澤村くんなら好きなだけ触っていいって言っただろ? だから気にしないで」

 優しく微笑んだ顔は、彼の持つあらゆる表情の中で大地が一番好きなそれだ。この笑顔がいつも大地をときめかせる。この笑顔がいつも大地に癒しと幸福を与えてくれる。それは別の世界に来たってやはり変わらなかった。

「――お前らいつまで公衆の面前でイチャついてんだよ?」

 そんな幸せな時間をぶち壊すように、張りのある低く男らしい声が大地の鼓膜を震わせた。声のしたほうに目を向ければ、すぐそこのベンチに金髪の若い男が、生まれたときからそこにいたかのような平然さでふんぞり返っている。

「海くんの知り合い?」
「信の親友ってとこだな。なあ、信?」
「そうなの?」
「え……いや……全然知らないよ、あんな人」
「おいこら信! 拾って世話してやった人間を知らないやつ呼ばわりしてんじゃねえよ!」
「冗談だって。澤村くん、彼は靖志くんっていって、この世界に来たばかりの俺を拾ってくれたん人なんだ。聖彼に澤村くんがいるかもしれないって教えてくれたのも彼だし、ここに来るために船の手配とか、それ以外にもいろいろお世話になったんだ」
「そうだったんだ。あ、俺、澤村大地です」
「おう、お前の話は信と一から聞いてるぜ」
「一って……もしかして召喚士の!?」
「ああ。なんかトラブルがあったっつってたけど、一応無事だぜ。いまは聖彼城に戻ってる」

 海のこともそうだったけれど、岩泉のこともまたずっと心配していた。奇跡的に自分は怪我もなく無事で済んだけれど、結構な高さから落ちたし、岩泉はひょっとしたら……と、最悪な事態も想像した。

「よかった……」
「あいつは丈夫だからな。普通の人間と違って、召喚士は怪我の治りが早いんだよ」
「そうだったんですね。靖志さんは、一とは知り合いなんですか?」
「昔馴染みだよ。歳も同じだし、学校も同じだったからな。そういや、大地は聖彼王に呼ばれてるんじゃなかったのか? 一がそう言ってたけど」
「え、そうなの澤村くん?」
「あ、うん。一応聖彼城側に連絡を取ってみて、明日辺り謁見することになってるよ。そうだ、海くんも一緒に聖彼城に行こうよ。正直一人で行くのってなんか恐くて……」
「行きたいのは山々だけど、招待されてない人がついて行っちゃっていいのかな?」
「事情を話せばきっと大丈夫だよ。なんなら一に取り合ってみてもいいし」

 長門も冴子も、聖彼王はフラットな人間だと言っていたけれど、それでも大国の王であり、大地なんかとは身分が違うことに変わりない。招待されている身とはいえ、あの城を一人で訪れるのはあまりにも恐れ多かった。

「よし、そういうことなら俺も一緒に行くぜ」

 そう言ったのは靖志だった。

「俺なら一に直接連絡取れるし、信も俺も大地と一緒に城に行けるだろうよ」
「助かるよ靖志くん。そういうわけだから、一緒に行かせてもらうね」
「いや、それは本当にありがたいよ。一人じゃ絶対城の前でフリーズしてたと思うから」

 海や靖志がいるなら緊張も少しは薄れる。大地はひっそりと胸を撫で下ろした。

「大地って携帯は持ってねえよな?」
「あ、うん。そっか、時間がはっきりしてないから連絡取れないと困るよな?」
「そういうこと。神父服着てるってことはどっかの教会で働いてんのか?」
「聖トリフォニル教会ってとこなんだけど、わかるだろうか?」
「地図で調べりゃわかると思うぜ。教会には電話あるんだろ? 謁見の時間がわかったらオレの携帯に電話してくれ」

 靖志が口頭で伝えてくれた電話番号を、大地は忘れないようにしっかりと記憶した。

「あ、そうだ。俺人を待たせてるっていうか、人を放って来ちゃったんだった」

 海を見つけた瞬間に他のものがすべて見えなくなり、喫茶店を飛び出してきたことを思い出す。冴子も龍之介も何事かと心配していることだろう。ひょっとしたらいなくなった大地を捜しているかもしれない。

「俺、そろそろ戻らないと……」

 まだまだ海と再会の喜びを分かち合っていたかったけれど、冴子と龍之介にこれ以上心配はかけたくないし、そろそろ教会に帰らなければならない時間だ。

「せっかく逢えたのにごめん……」
「ううん。明日逢えるから平気だよ。今度からはもう、いつ逢えるんだろうかとか、無事でいるだろうかとか、そういう心配しなくて済むから大丈夫」
「そうだな」

 今日からはもう逢おうと思えばいつでも逢えるし、話もできる。ここで別れても行方知れずになったりはしないんだ。それがとても心強くて、こんなにも安心することなんだと大地は改めて思い知る。

「澤村くん、その服似合ってるよ。すごくカッコイイ」

 海が大地の僧衣姿を褒めてくれる。

「ありがとう。でもたぶん海くんのほうが似合うと思うよ」
「そうかなー?」
「絶対そうだよ。今度俺の貸すから着てみて」
「わかった。じゃあ、また明日」
「うん。また明日」

 明日もまた逢える。昨日までとは違うんだと、喜びをもう一度噛み締めながら公園を後にする。冴子と龍之介の姿が見えたのはそれからすぐのことだった。

「ごめん、俺のこと捜してた?」
「そうよ。まあ、すぐに見つかったけどね。彼氏とイチャイチャしてたところだったから近づけなかったけど」
「か、彼氏?」
「とぼけんじゃないわよ。あの坊主頭、大地の彼氏なんでしょ?」
「ち、違うよっ。イクシオンから一緒に飛ばされたクラスメイトだよ」
「どう見たってただのクラスメイトって雰囲気じゃなかったわよ。熱く抱き合ったり、じっと見つめ合ったり……リア充爆発しろ!」
「いや姉ちゃん、さすがに爆発はどうなんだよ……」

 そのあと教会に向かって歩いて帰りながら、冴子に海のことをいろいろと問いただされた。彼に片想いをしていることも吐かされ、それをネタに延々と弄られる。それも何も言わずに喫茶店を飛び出した罰だと思って甘んじて受け入れたが。
 路地に入る前に、近いようで遠いところにある聖彼城にふと目をやる。陽の光受けて白く輝くそれは、何度見ても感嘆の溜息が零れるほどに優美である。あの中に聖彼王が――この国を統べる君主がいるのだ。いったいどんな人間なのだろうか? 謁見できるのが楽しみである反面で、やはり不安のようなものは拭えなかった。どんな理由で大地に召喚を求め、いったい何を大地に話すのか……それが明らかになるまでもうすぐだ。







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