四章 聖彼城


「僧衣にシミもシワもなし、寝癖も直したしどこに出しても恥ずかしくないね!」

 大地の頭の先から足の爪先までじっくりと検分してから、冴子は満足したように大きく頷いた。
 王都聖庭市に来てから三日目の朝、前日の夜に聖彼城側から教会に直接連絡があり、聖彼王との謁見は今日の十時からに決まった。予定どおり海と靖志がついてきてくれることになっているが、それでも昨日は緊張してろくに眠れなかった。いまも気を抜けば足が震えてしまいそうだ。

「っていうかさ、大地ってこうして僧衣を着せてみると、なんだかうちの司教さまに似てるわよね」
「あ、オレもそれ昨日から思ってた!」

 冴子の言葉に龍之介も同調した。

「……実は司教さまって、うちの父さんにすごく似てるんですよね。初めて見たとき本人かと思ってびっくりしました」
「そうなの? ひょっとして大地のお父さんと司教さまが兄弟だったりして」
「俺ももしかしたらって思って訊いてみたけど、司教さまに男兄弟はいないそうです」
「そういえばそんなこと言ってたわね。でもホント、目元とかクリソツだわ。ま、世界には自分にそっくりな人間が三人はいるって言うし、たまたまなんだろうね」

 たまたまにしてはあまりにも似すぎている父と長門の二人だが、本当に繋がりのないまったく赤の他人でしかないんだろうと、いまはもう似ている理由については考えたりはしない。

「それよりも、どうして聖彼王は大地さんを召喚してるんっすかね?」
「それは俺にもわからないよ。行って確かめるしかない」
「帰ったら話聞かせてよね」
「了解です」
「あ、あと坊主の彼氏によろしく!」
「了か……いや、だから海くんは彼氏じゃないですって!」



 海たちとの待ち合わせは、昨日再会を果たしたあの公園ですることになっていた。
 教会を出たところに待ち構えている迷路にも奇跡的に迷うことなく、表通りに出ても、なんとなく記憶していたルートを辿っていくと例の公園に辿り着くことができた。大地は少し早めに来たつもりだったが、約束した二人はすでに来ていた。

「おはよう、澤村くん」

 すべての邪気を浄化するような洗練された爽やかな笑みを湛えて、海が大地に呼びかけてくる。朝からなんだか心臓が痛い。もちろんいい意味で、だ。

「海くんおはよう」
「クマができてるけど大丈夫?」
「ああ、うん。やっぱり緊張しちゃってなかなか寝付けなかったんだよ」
「そうなんだ。靖志くんと同じだね」

 ほら、と海が指差した先では、靖志が怠そうにベンチにもたれかかっている。

「オレのは緊張じゃねえ、たまたまだ。そもそも聖彼王は緊張するような相手じゃねえし」
「靖志くん、聖彼王に会ったことがあるの?」
「……一応な。なんつっつーか、雰囲気はその辺の一般人とそんな変わらないぜ。むしろちょっと軽薄なとこあるし」
「そういえば俺が世話になってる教会の人が、昔聖彼王にナンパされたことがあるって言ってた」
「まあ、そういうやつだよ。だから変に緊張なんかする必要ねえ」
「そう言われてもな〜……」

 聖彼王の人柄がどうであれ、大国の王という立場であることは変わらない。リラックスしろというほうが無理な話だ。
 雑談もそこそこに、聖庭市の地理に詳しい靖志に道案内を任せ、三人は聖彼城に向かう。徒歩での移動は結構な時間がかかるらしく、大通りに出てからバスを使うことになった。そこから十分で聖彼城前のバス停に着くと、目的の城はもうすぐ目の前だった。
 飛空艇から眺めていたときには気づかなかったが、聖彼城の周りは広い湖になっており、その中心に城が浮かぶような形で聳え立っている。陸地からは石橋がかかり、その入り口の立派な門扉は開かれてはいるが、何人も突破できないよう衛兵がしっかりと目を光らせているようだった。

「すごく綺麗な城だね」

 そばに立つ海が感嘆の声を上げる。
 間近で見ると、聖彼城のその複雑な造形がより鮮明に確認できた。外壁全面に刻み込まれた数え切れないほどの人や動物を象った彫刻は、本当に人の手で造られたものなのかと疑いたくなるほどに緻密だ。周囲の自然豊かな景色と相まって、ミステリアスかつ幻想的な雰囲気を醸し出しており、何時間眺めていても飽きなさそうだと大地は思う。

「カメラを買っておけばよかったな」
「確かにな〜。元の世界じゃ見られないものだし」

 サグラダファミリアは写真でしか見たことないが、この美しい城を目にしたあとではきっと感動も小さくなってしまうだろう。

「――大地」

 聖彼城の美しさに見惚れていた大地を、聞き覚えのある声が呼んだ。振り返れば、一週間と少し前まで一緒に旅をしていた青年――岩泉一が、不器用そうな笑みを浮かべて立っていた。

「一! 無事でよかったよ」
「大地もな。その、すまなかったな。守るって言っておきながら、結局お前を守れなかった」

 ううん、と大地は首を横に振る。

「一が謝ることじゃないよ。あれは及川ってやつのせいだろ? 俺はこうして無事だったわけだし、怪我一つしなかったからいいんだ」
「俺のほうはしばらく怪我で動けなかった。だからお前の居場所をわかっていながら、すぐに迎えに行くことができなかったんだ。それも悪かったと思ってる」
「だから謝らなくていいって。俺はあのあと親切な人に拾ってもらえたし、いろんな人に出会えたからさ」

 虎宇都島での出来事が頭の中に甦る。あのとき空から落ちたからこそ――というと岩泉には聞こえが悪いだろうが、けれどあそこで虎宇都島に落ちていなければ、モッツァリーナのチームメイトたちとは出会えなかった。だからあれでよかったんだとひっそりと思う。

「及川のほうはその後どうだったんだ? 決着ついたのか?」
「いや、残念ながら持ち越しだ。まともに攻撃くらったから、さすがに戦闘続行は無理だったな。幸いにも及川に弱ってるところを追撃されることはなかったし、魔石も盗られずに済んだけど、いつかはちゃんと決着つけなきゃいけねえときがくるだろうよ」
「……戦う以外の方法で解決できるといいな」
「まあ、それが一番なんだけどな」

 岩泉の顔に一瞬だけ悲しそうな色が浮かぶ。けれどそれはすぐに消えて、キリっとした瞳が真っ直ぐに聖彼城のほうに向けられた。

「こんなところで立ち話もなんだし、早く城に行こうぜ。聖彼王も待ってることだろうしな」

 案内役は靖志から岩泉に変わり、彼について城までの石橋を渡る。渡り切ったところにはもう一つ門扉があり、そこをくぐると広い庭が待ち構えていた。城の玄関まで真一文字に伸びた石畳の両サイドには、色鮮やかな花々が咲き誇っている。美しく品のある庭だ。

「ここも昔と変わんねえな〜」

 そう呟いたのは靖志だ。

「靖志くんってここに来たことあるのか? 確か聖彼王に会ったことがあるって言ってたけど、一般人がおいそれと会えるものなの?」

 海が訊ねると、靖志が答えるより先に岩泉が口を開いた。

「靖志、お前こいつらになんも話してねえのか?」
「……こいつらに話したってどうしようもねえだろ」

 何を話してないのだろうかと気にはなったが、訊いてはいけない気がして大地も海も何も言わなかった。
 庭を通り過ぎると、いよいよ聖彼城の玄関口となる。石でできた立派な扉を岩泉が押し開け、中に入るとすぐに突き当りになっていた。そこを左に曲がり、次の突き当りを右に曲がり、長い回廊の右手に現れた扉を開ける。
 目の前に広がる空間に、大地は思わず「うわあ」と声を上げた。中はちょっとした体育館くらいの広さがあり、見上げた天井には豪奢なシャンデリアがぶら下がっている。天井や壁、柱には外壁と同じように複雑な彫刻が彫られ、大理石の床には魔法陣のようなものが描かれている。
 左手には幅の広い階段があり、その手摺にさえも細やかな彫刻が施されており、想像していた以上の格式高さと煌びやかさにただただ圧倒されるばかりだった。

「王とはこの上で会うことになってる」

 呆然としていた大地たちをよそに、そう言って岩泉が階段を上っていく。装飾の数々に見惚れながら後をついていき、上った先にはまた広い空間が広がっていた。突き当りの壁際には四段ほどの階段があり、その上の小さなスペースに、縁を黄金の装飾で象った立派な椅子が置かれている。おそらくあれが玉座――王が座る椅子なのだろう。玉座のスペースの下には、玉座に比べれば質素だが十分に品のある椅子が四つ横に並べられていた。

「とりあえずそこに座れよ。聖彼王もすぐに来ると思うからよ」

 岩泉に促され、大地たちは並べられた椅子に腰かけた。すると脇にあったドアからメイドが二人ほど出てきて、それぞれの椅子のすぐそばに設置された小さなテーブルにティーカップとソーサー、そして小さなスプーンをセッティングする。そしてカップの中に温かいものを注いでくれたが、香りでハーブティーだと大地はすぐにわかった。

「まあ、それでも飲んどけよ。少しはリラックスすると思うぜ?」
「じゃあいただこうかな」

 さっそくカップに口をつける。口の中に含んだ瞬間、すっきりとした爽やかな味わいがいっぱいに広がる。優しい味と香り、そして程よい温かさも相まって、本当に心が落ち着くような気がした。

「――お待たせして申し訳ない」

 メイドたちが出入りしたドアとはまた違うドアが開いたかと思うと、女性――と呼ぶにはまだどこか幼いような声が広い部屋の中に響き渡った。現れたのは大地よりも明らかに歳が下だと思われる少女で、しかしそのあどけなさの抜け切れていない容貌とは裏腹に、こちらを見つめた視線や歩き方には一般人のそれではないオーラのようなものを感じる。

(王妃……じゃないよな? さすがに若すぎるし。ってことは王女か?)

 王は多忙なのか、あるいは自分ごとき一般人のために、わざわざここに出てくる必要はないと判断したのかは知らない。きっと王の代わりに王女が自分と面会してくれることになったのだ。大地はそう察した。
 しかし現れた王女は四段の階段を上ると、迷いなく玉座に腰を下ろした。玉座とは王のみが座れるものではないのだろうか? 王族なら誰でも座れるのだろうか? 疑問に思いながら彼女の動向を見つめていると、彼女はまっすぐに大地を見つめたまま口を開いた。

「突然お呼び立てして申し訳ない。しかし大変重要な事柄故、遠路ここまで来ていただいた。ああ、自己紹介がまだであったな」

 少女は顔に似合わぬ断固たる響きを持たせた声で、自らの名を広間に響かせる。

「余は聖彼・谷地仁花。この聖彼王国の国主である」







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