五章 若き女王


 えっ、と大地は思わず小さく呟いていた。聖彼王国の国主――つまり彼女が聖彼王ということになる。しかし、確か教会の長門や冴子、そして靖志も聖彼王は男性だと言っていたはずだ。これはどういうことだろうか? そう疑問に思いながらも口に出して訊くことはできなかった。聖彼王と名乗った少女の放つオーラは重厚ささえ兼ね備え、その程度の質問を投げかけることも憚られたのだ。

「澤村殿、まずは汝に謝罪したい。余の使者が汝をここまで無事に連れて来られなくて申し訳なかった。汝には多大な苦労をかけてしまった」
「あ、いえ、その……一が悪かったわけじゃなくて、トラブルの原因は別の人だったので、どうか一を責めないであげてください」
「寛大な言葉に感謝する」

 少女――聖彼王はにこりとも笑わず、言葉を続ける。

「さて、さっそくだが此度汝を余の元に招いた理由について話すとしよう。実は汝に頼み申したいことがあり、ここに呼んだ」

 頼みごとがあるというのは以前岩泉からちらっと聞いている。しかしその内容までは知らされていなかった。

「その前に確認だが、汝は魔法の類を使えるか?」
「いえ、そういうのは全然……」
「では、感情的になるような出来事に遭遇したとき、何かとてつもない力が湧いてきた、というようなことはないか?」
「とてつもない力……」

 記憶を探って、思い当たるそれはすぐに見つかった。初めてそれを自覚したのは確か、魔物の森で出会った召喚獣の牛島が、ハンターたちに襲われていたときのことだ。傷ついた牛島とゲスなハンターたちを目の当たりにして、大地の心は一瞬で怒りに染まった。その怒りに身を任せてハンターたちに立ち向かい、喧嘩などろくにしたことのない大地があっという間に六人もの敵を打ち負かしたのだ。
 二度目は小さな村で出会った少女――夏が魔物に襲われていたとき。あのときは夏を守りたい一心でその力を無意識に呼び覚まし、襲い掛かる何匹もの魔物を蹴散らした。

「……確かにそういう経験がありました。聖彼王はあれが何かご存知なんですか?」
「一応存じておる、ということになる。それも含めて汝のこと、そしてこの世界のことをいまから話していこうと思う。ただ、これから余が話すことの中には汝にとってとても不愉快で、聞き苦しいこともあるだろう。けれど最後までしっかり聞いてほしい」

 真剣かつ力強い聖彼王の眼差しは、まるで聞かずに逃げることなど赦さないとでも言いたげだ。もちろん最初から逃げるつもりなど大地にはないが、何かとてつもない話が出てきそうな雰囲気に、人知れず息を飲む。

「核心部分を話す前に、まずはこの世界の昔話の一つを聞いてほしい。汝は“円卓の騎士”を知っておるだろうか?」
「円卓の騎士……」

 どこかで聞いたことのある単語だが、それがどんなものであるかまで大地は知らない。素直に首を横に振った。

「円卓の騎士とは、昔この世界に実在した騎士団の一つだ。その心に破壊衝動を宿し、持って生まれた強大な力を世界の破壊に使おうとした邪悪な存在。実際に奴らは魔法や武器を使い、破壊の限りを尽くした。だがもちろん、彼らに対抗しようと立ち上がった人間たちもいる。それが余の先祖でもある聖彼柳貴を中心とした、召喚士団だ」
「聖彼柳貴って……確か教会にある銅像の人ですよね?」

 初めて教会を訪れた日に、龍之介がそう説明してくれたことを思い出す。

「そうだな。世界を守った召喚士団は、いまや英雄として各所の教会に祀られておる。召喚士団のおかげで世界は平和を取り戻し、様々な文明が開化していまに繋がる。しかし、それはあくまで表向きの話だ」
「表向きの話?」
「ああ。確かに召喚士団は世界を救った。だが決して円卓の騎士を倒したわけではない。正確には“追い払った”ということになる」

 倒したのではなく追い払っただけなのだとしたら、寿命的に当時の円卓の騎士たちが死んでいたとしても、その子孫のような存在がいまもこの世界にいたりするのだろうか?
「円卓の騎士の力はあまりにも強大すぎた。召喚士の力を以てしても完全な破壊には至らなかったのだ。やむを得ず召喚士団は奴らを封印する方向に切り替え、そして自らの命と引き換えにそれを実行した。しかし、十三人いた円卓の騎士全員を封じることはできず、一人だけ逃してしまったのだ」
「そいつはいったいどうなったんですか?」
「“次元の狭間”――このハルモニアと汝の元いた世界とを繋ぐ古代魔法を使って、あちらに逃げ延びたのだ。しかも、よりにもよって逃げたのは円卓の騎士の中で最も強く、そして最も邪悪な存在――アーサー王だった」

 アーサー王――初めて及川の名前を聞いたときのような、畏怖にも似た感情が身体の奥底から湧いてくるのを大地は感じた。

「聞いたことがあるかもしれんが、ハルモニアの人間があちらの世界――イクシオンに渡れば、記憶のすべてをなくす。それはアーサー王も例外ではなく、現に彼はあちらに渡っても破壊行動には移らなかった。まあ、記憶を持っていたとしても召喚士との戦いで瀕死の重傷を負っていた故、いずれにしても活動はできなかっただろう。しかし、それも何百年もの時をかけて徐々に回復したようだ」
「アーサー王はいまも生きてるんですか!?」
「不老不死というわけではないようだが、普通の人間よりも遥かに寿命が長いそうだ。いまも生き、そして力を取り戻しつつある」
「――あの、ちょっと質問してもいいでしょうか?」

 遠慮がちに声を上げたのは、大地の隣に座っていた海だ。

「澤村殿に限らず、余に対する質問は自由だ。遠慮せずに申してみよ」
「あの、アーサー王が俺たちの世界――イクシオンで生きていて、力を取り戻しつつあるって、どうして聖彼王はご存知なんですか? 魔法か何かであちらの様子を見られるのですか?」
「召喚獣だ。聖彼柳貴はアーサー王がイクシオンに逃げる可能性をある程度推測しており、絶命する前に自らの召喚獣にアーサー王を追跡するよう命じておったのだ。召喚獣はあちらに渡ってもこちらでの記憶を失わない上、違う世界にいながら言葉をこちらに伝えることができる。しかし、こちらにその言葉を受け取る手段がなかった。余ら聖彼家一族は聖彼柳貴の子孫ではあるが、残念ながら召喚士の力は長い時の中で薄れてしまったからな」

 しかし、と聖彼王は言葉を切ってその瞳を岩泉のほうに向ける。

「研究と実験を重ねた末、人工的に召喚士を生み出すことに成功したのだ。その一人がそこにいる岩泉。岩泉は聖彼柳貴が遺した召喚獣の言葉を受け取り、そうして余らはあちらでのアーサー王の様子を知ったというわけだ」

 岩泉が試験管ベビーであるということは、本人の口から聞いたことがある。確か埋葬された召喚士の遺体から細胞だったか遺伝子だったかを採取し、それをベースにつくられたのだと言っていた。

「徐々に力を取り戻しつつあったアーサー王だが、記憶が戻らない以上はこちらにとって無害だった。しかし……先日思わぬ事態が発生した。次元の狭間は魔法で起こす以外に、自然に発生するケースもある。偶然にもアーサー王がそれに巻き込まれたのだ」
「じゃあアーサー王はいまこっちに!?」
「そういうことだ。それは岩泉も感知している。こちらに戻ってきたということは、なくしていた昔の記憶も取り戻したということだ。つまりそれは世界の災厄――破壊の限りを尽くす円卓の騎士の復活を意味する。幸いにもまだ完全に力を取り戻したわけではないようで、破壊行動の痕は見られない。しかしそれも時間の問題だろう」
「存在を感知できているなら、アーサー王が力を取り戻す前に倒したほうがいいんじゃないですか? 一もいることだし」
「そうしたいのは山々だが、アーサー王は自らのその強大な気配を何らかの手段で隠した。つまりいまの岩泉には奴の居場所がわからない。倒そうにも倒せない状況にある」
「じゃあいったいどうすれば……」

 アーサー王の力がどれほどのものなのかは想像もつかないが、聖彼王が“災厄”と呼んだからにはとてつもなく強大なものなのだろう。そんな世界を脅かす存在に立ち向かう手段を聖彼王は持ち合わせているのだろうか?
「……アーサー王には子どもがいる」

 そう切り出した聖彼王の声は、いままで以上に硬さを滲ませていた気がした。

「イクシオンにいる間に一人の女性と結ばれ、そしてその女性との間に子どもを授かった。その子どもはアーサー王に匹敵するほどの魔力を秘め、しかしアーサー王にはあった破壊衝動を持ち合わせない。アーサー王に対抗する手段になり得る存在だ」
「じゃあ、どうにかその人にお願いすれば……」
「アーサー王の子ども……それは澤村殿、汝だ」

 静かに放たれた聖彼王の言葉に、大地は思わず息を詰まらせる。何か聞き間違えただろうか? しかし確かにいま聖彼王の口から、自分の名前が告げられた。

「えっ……いや、それはないと思うんですが……」
「先ほど余は汝に問うた。感情的になるような出来事に遭遇したとき、何かとてつもない力が湧いてきたようなことはないか、と。それを汝は肯定した。何より汝の膨大な魔力を岩泉が感じ取っている」
「……そうなのか、一?」

 ああ、と岩泉は間髪入れずに頷いた。

「言っただろ? 離れていても俺はお前の居場所がわかるんだって。それはそういうことだ」
「で、でも俺……いや、俺のことは置いといて、父さんがアーサー王なんて、そんなはずない」

 父の優しい笑顔と声が頭の中に浮かび上がる。家族として愛してくれているのだと、大事にしてくれているのだと、そばにいながらいつも感じていた。こうして離れ離れになってみて、それがとても温かく、心に安らぎを与えてくれていたのだと痛いほどに感じていた。
 そんな父が世界を破壊する円卓の騎士の一人だったなんて、とても信じられるような話ではない。きっと何かの間違いだ。他の誰かと間違えているだけで、それで……
 それなら自分の持つあの力は――感情的になったときに発揮されたあの爆発的な力は何なのだろう? あれは明らかに普通の力ではないし、元の世界にいた頃にはどれだけ感情的になっても発揮できなかったものだ。
 その戦闘能力以上に異常なのは治癒力だ。夏を守るために魔物と対峙した際、大地は腕を咬まれてかなり深い傷を負ったはずだが、次の日にはその傷が塞がっていたどころか、痕一つ残っていなかった。あのときはたいして気にしていなかったけれど、いま思えばやはり普通ならあり得ないことだ。
 思い返せば思い返すほどに、自分の異常さが浮き彫りになる。自分が特異な存在である以上、やはり父親も特異な存在――本当にアーサー王なのだろうか? かつてこの世界を破壊しようとした騎士の一人なのだろうか?
 認めたくないし、とても信じられない話だが、聖彼王や岩泉がそう言うからにはきっと事実なのだろう。大地を騙して得することなんて彼らにはないだろうし、聖彼王はさておき、岩泉がそんな嘘をつくとは思えない。

「汝が次元の狭間に巻き込まれ、この世界に迷い込むことになったのは余の仕業によるものだ。余は次元の狭間を意図的に発生させることができる。汝の力を借りるためにそれを使ったのだ。しかし、そのせいで汝と海殿には大変な苦労をかけてしまった。それは非常に申し訳なく思っている」
「俺は……俺はどうしたらいいんですか? あなたは俺に何をさせたいんですか?」
「……余らと協力し、アーサー王を――汝の父親を討ち滅ぼし、この世界を守ってほしい。自分の父親と戦うことがどれだけ辛く、悲しいことなのかは察しているつもりだ。しかし、アーサー王を討たなければこの世界が滅亡に向かって突き進むことになるのは明白であるし、いまこの世界で奴に対抗できる力を持つのは汝しかいない」

 まるで嘘のような真実を、聖彼王は淡々と語っていく。

「もちろん強制ではない。この世界は汝にとっては異世界であって、生まれ故郷でもなければ育った場所でもない。さして思い入れもないだろうし、守らなければならない義務もない。汝がどうしても無理だと言っても、余は汝を責めることはしない。イクシオンに帰りたいと言うなら次元の狭間を使って送り届けよう。だが……どうか、頼まれてほしい。どうかこの世界を……この世界で生きる人々を、降り注ごうとしている災禍から守ってほしい」

 優しく微笑む父の顔が、父と過ごした幸せな日々が、さっきから何度も頭の中をよぎる。その父が本当に世界の敵だったとして、果たして自分に父と戦うことなどできるだろうか? 自分の父親を倒すことなどできるだろうか?
 大地は確かに特別な力を持っているかもしれない。しかしそれに見合う意志の強さは持ち合わせていなかった。父と戦うなんて、父を傷つけるなんて、そんなことは絶対にできない。想像するだけでもそれはとてつもなく恐ろしく、おぞましく、まだ何も始まっていないのに身体が震えそうになる。
 自分には無理だ。戦う勇気なんてない。何十億人と存在するであろうハルモニアの人々の命よりも、たった一人の父親の命のほうが大地にとっては尊く思えてしまう。

『その寂しさも、これから訪れるかもしれない困難も、大地ならきっと乗り越えられるはずだ』

 はっ、と大地は顔を上げた。ずっと思い浮かべていた父の顔が、まるで風船が割れるような感覚でパッと消える。代わりにフラッシュバックされたのは、この世界で出逢った人たちの顔と、その人たちからもらった言葉の数々だ。

『この胸のつっかえのようなものが寂しいという感情なら、俺も大地との別れを寂しく思っているということだ』

『あたしも大地くんのこと忘れないよ』

『俺っ……大地のこと好きだよ。すげえ好きだっ。初めて誰かのこと、そういうふうに思えた』

『俺のこと忘れんなよ』

『それともし今日の宿が決まってないなら、ここに泊まるといいよ。寝床の一つくらいすぐに用意できるから』

『あ、あと坊主の彼氏によろしく!』

『僧衣が似合ってねえかもしれねえけど、ここの神父で間違いないっすよ』

 この世界に迷い込んだばかりの大地を世話してくれた召喚獣。両親を失いながらも強く生きようとしていた村の少女。大地を好きだと言ってくれたバレー青年と、そのチームメイトたち。右も左もわからない聖彼王国で、生活の場を提供してくれた神父と、同じ教会で働く姉弟。
 この世界に来たばかりの大地なら、聖彼王の言ったとおり、守る義務などないと思って依頼を断っていたかもしれない。けれどいまは違う。大地はこの世界でいろんな人に出逢い、そして彼らを大事に想った。この世界が滅ぶということは、そんな彼らを同時に失うということだ。そうなれば彼らがくれた優しさも、好意も、そして思い出も、後悔に塗りつぶされてそれをずっと抱えてながら生きていくことになるだろう。
 たとえ元の世界に帰って二度と逢えなくなったとしても、彼らには幸せな人生を送ってほしいと心から思う。彼らには彼らの明日があり、そして未来があるんだ。それを誰かの手によって掻き消されてしまうなんて、絶対に阻止しなければならない。

「……やります」

 まだ完全に決意が固まらない中で、自分の心を前に進めるために大地はそう答えた。

「俺にとってハルモニアはただの異世界じゃない。大事な人がたくさんいる場所。いろんな思い出が詰まった大事な場所です。それに、本当に俺の父さんがこの世界を破壊しようとしているなら……それを止めるのが息子である俺の義務だと思います」

 覚悟もまだできていない。けれどやらなければ一生後悔するだろうし、さっき頭に浮かんだ人たちをなんとしても守りたいと強く思う。

「感謝する、澤村殿」

 聖彼王は初めてそのあどけなさの残る顔に見合う、可愛らしい笑みを浮かべた。

「詳しいことはまた明日話そう。今日はゆるりと休まれるがよい」







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