六章 サプライズ


 自分と自分の父親の真実を聞かされ、受けた衝撃からまだ立ち直れていない大地と、そんな大地をどう扱っていいかわからずにオドオドしている海、そして二人に何か言葉をかける岩泉の三人が退席するのを鎌先靖志は黙って見守っていた。
 さっきまでそでに控えていたメイドの姿もいつの間にか消えており、静かになった玉座の間には、聖彼王たる少女と靖志の二人しかいない。そんな中、聖彼王が静かに玉座から立ち上がり、短い階段を下りてくる。そして椅子に座っていた靖志の目の前まで歩み寄ってくると、年頃の少女らしい屈託のない笑みを浮かべた。

「偉い人のふりをするのはとっても疲れます」

 聖彼王は先ほどまでの威厳のある口調とはまるで違う、砕けた調子で靖志に話しかけてくる。

「でも普段の私のままじゃ、あの椅子に座ることは絶対に赦されない。聖彼王とは威厳に満ち、人々を惹きつけ、導いていく力がなければならないものですから」
「……なんでお前が聖彼王を名乗ってるんだ? 本来あの椅子に座るべき人間はどうした?」

 少女の笑顔に対して靖志は険しい表情を崩さないまま、疑問に対する答えを要求した。

「それはこれからきちんと説明します。その前に言わせてください。――お久しぶりです、兄さん。六年ぶりに会えてとっても嬉しいです」



 聖彼・鎌先靖志。これが靖志の本名であり、その名が示しているとおり、聖彼王家の一員である。もっと正確に言うならば、現聖彼王――仁花のことではなく、本来王位にいるはずの男の息子であり、仁花の兄になる。
“鎌先”というのは決して偽名ではなく、靖志に与えられたミドルネームだ。聖彼王家は一人一人違ったミドルネームを持ち、城外では聖彼を名乗ることは畏れ多いとされていることから、基本的にはこのミドルネームを名乗っている。



 靖志が最後に仁花を見たとき、彼女はまだ十歳の子どもだった。もちろん二つしか歳の違わない靖志も子どもだったが、そんな靖志から見ても仁花は子どもらしく元気な可愛らしい子だった。
 六年を経て再会した妹は、ずいぶんと立派になっていた。容姿にこそまだ子どもの面影は見られるものの、立ち居振る舞いや雰囲気は確かに大人の女性に近づいている。玉座に座り、大地たちを相手に弁を振るう姿は、知らない者が見れば聖彼王本人だと疑わないほどの威厳を露わにしていた。
 成長した妹の姿を目にして、本当に六年の月日が流れたんだと改めて思い知らされる。けれど城の中は六年前とほとんど変わっておらず、どこを見ても懐かしさを感じた。
 仁花との再会は嬉しい。けれどそれを喜ぶには、いろいろと説明してもらわなければならないことある。なぜ仁花が王として玉座にいるのか? そして、本来玉座に座っているはずの父親はどこに行ったのか?
「とりあえずついて来てください」

 歩き出した仁花の後ろを、靖志は黙ってついていく。案内されたのは城内の礼拝堂だった。ここも昔と変わらない。並べられた長椅子、陽の光を受けて美しく輝くステンドグラス、そして通路の先にある召喚士像。幼い頃にここで仁花とかくれんぼをしていたことをなんとなく思い出す。
「こちらです」

 仁花は通路を最奥まで行くと、召喚士像の裏手に回る。靖志もそれに続いて六帖ほどのスペースに入ったのだが、そこにあった光景を見て呼吸が止まりそうになるほどに驚いた。
 敷き詰められた白い花の上に、二つの棺が並べて置かれている。それぞれの棺につけられたシルバーのネームプレートに刻まれた名前は、どちらも靖志がよく知る人物のものだった。

 聖彼・滝ノ上祐輔
 聖彼・三咲華

 この国の王と王妃であり、靖志の父と母である二人の名前だ。

「嘘……だろ?」

 大きな衝撃とともに深い悲しみが押し寄せてきて、靖志は思わずその場に頽れた。
 両親とは決して不仲だったわけじゃない。むしろ靖志は二人のことを尊敬していたし、二人も靖志のことを大事にしてくれていた。だから何も告げずに城を出て、そうかと思えば六年ぶりにこうしてふらっと帰って来ても、多少叱られることはあっても最後には再会を喜び合えるものだと思っていた。

「二人とも病気でした。五日前に亡くなりましたが、国民の混乱を避けるためにいまは城内だけの秘密にしてます」

 そう告げた仁花の声は哀愁を滲ませていた。

「二人とも兄さんにとっても会いたがってました。いつでも兄さんのことを心配してましたよ」

 いつだって二人は温かかった。時には喧嘩をすることもあったけれど、二人を嫌いだと思ったことなんて一度もない。

「お父さまとお母さまのことは近日中に公表し、葬儀を行う予定です。寄り添える時間もそれほどないと思います。なのでいまはそばにいてあげてください。私は先に戻ってますね」

 靖志と同じものを失った妹は、しかしそれ以上悲しむような姿は見せずに礼拝堂を出て行った。残された靖志は二つの棺にそれぞれ触れ、そのまま人形のように動かなくなる。
 まさか二人が亡くなっているなんて想像もしていなかった。きっと笑って迎えてくれるだろうと思っていたのに、待ち受けていた現実は重く冷たい。

「……父さん、母さん……ごめんな」

 やがて懺悔するように、冷たい棺に向かって語りかける。

「オレ、恐かったんだ。この国の王になることが、すげえ恐かった」

 王家の長男として生まれた以上、靖志がいずれ王位を継ぐことになるのは必須と言ってもいい。けれど靖志には自分が王になる器だなんてとても思えなかった。魔法は得意だが、それは国を治めていく上で特に役には立たない。他に秀でた才能があるわけでもなく、こんな自分に国王なんて務まるのだろうか子どもの頃から疑問に思っていた。

「オレなんかが王になっちまったら、父さんや先代の王たちが築いてきたものを壊しちまうんじゃねえかって……この国を駄目にしちまうんじゃねえかって、ずっと不安だったんだ」

 そしてついにその不安に耐え切れなくなり、靖志はこの城を出る決意をした。それをいまは苦しいほどに後悔している。あのとき出ていかなければ、二人の最期を看取ることができたかもしれない。いや、ひょっとしたら二人が病死するようなこともなかったかもしれない。
 悔しさと悲しみに打ちのめされ、涙が溢れ出しそうになったけれど靖志はなんとかそれを堪える。いまは泣いている場合じゃない。この城に帰ってきた以上、自分にはやらなければならないこと、果たさなければならない責務がたくさんある。それを妹一人に押しつけるなんて絶対にやってはならないことだ。

「オレ、王位を継ぐよ。王の器じゃねえかもしれねえけど、やっぱり聖彼家の一員である以上はこの国のために生きるべきだ。それに仁花一人にこの国を任せるのは心配だからな。あいつはしっかりしてるけど、全部を一人で抱えられるほど聖彼は軽いもんじゃねえ。つーかあいつが必死に頑張ろうとしてんのに、オレが恐いとか言ってたらカッコつかねえし。だから王位を継ぐ。父さんと母さんが守ろうとしたもの、オレがしっかり守っていくよ」

 正直に言えば、まだ恐い。こんな自分に何ができるのだろうかと不安に思う気持ちがまだある。けれどいつまでも弱音を吐いてばかりじゃ駄目なんだ。前へ進もう。ずっと進むことを拒んでいた聖彼王としての道を歩き出すために、ここで一歩踏み出そう。そんな決意を胸に、靖志は立ち上がった。

 ――そのとき。

 ネズミが天井を駆けるような音が礼拝堂の中に突然響き渡る。なんだろうかと辺りを見回した瞬間に、目の前の棺が勢いよく開いた。

「うわっ!?」

 靖志は驚きのあまり情けなくもひっくり返ってしまう。
 開いた棺の中からは多量の白煙が上がっている。それが落ち着くと、棺の前に立つ二つの人影が見て取れた。一つは短い金髪の三十代くらいの男で、その男らしい顔立ちは靖志によく似ている。もう一つは栗色の髪を肩ほどまで伸ばした、どこか年齢不詳な女だ。

 聖彼・滝ノ上祐輔。
 聖彼・三咲華。

 もう二度と会うことは叶わないと思っていた両親が、靖志の目の前に立っていた。

「え? え!? 何、幽霊!?」
「六年ぶりに再会した親に対して幽霊とはずいぶんだな。俺たちがそう簡単に死ぬわけねえだろ? つーか俺らがマジで死んだとして、それを完璧に隠すなんて絶対無理だっつーの。絶対に一人は情報を漏らすやつがいるんだよ。気づけよな、この親不孝者」

 父親はそばまで寄ってくると、靖志の背中を軽く叩いた。

「あれ? お前ひょっとして俺より背高くなったか? 最後に見たときはまだ俺の顎の辺だったってのに」
「……六年経ったからな」
「あんなに可愛かった靖志が、もうすっかり大人だな。もちろんいまも可愛いけどよ。つーかお前、増々俺に似てきたな」
「あんたの息子だからな」

 予想外の再会の衝撃が落ち着いてくると、今度はどうしようもない嬉しさと懐かしさが胸に満ち溢れてくる。やっぱり自分はこの二人に会いたかったんだ。恋しく想っていたんだと、自分の中の温かい気持ちに気づかされてなんだか照れくさくなる。

「で、さっきのお前の言葉は全部本心ってことでいいんだろうな? しっかり聞かせてもらったぜ」

 自分が王位を継ぎ、この国を守っていく。その言葉に嘘偽りはないし、こうして両親が生きていることがわかったいまも、やはりこの国のために生きていきたいと強く思う気持ちがある。だから父親の問いかけに靖志は頷いた。

「ま、あと数十年は俺がいるから、お前の出番は当分先ってことになるけどな。けど嬉しかったぜ? お前が王位を継ぐ決意をしてくれたってのは。もちろん、お前が自由に生きたいって言うならそうさせるつもりでいたし、だからこそお前が出て行っても捜したりはしなかった。そう思う反面でやっぱお前に王位を継いでほしいって気持ちもそれなりにあったんだろうな」

 父は靖志の顔を見て優しく微笑む。

「お前は王の器じゃねえって自分のことを評価してるみてえだけど、俺はそうは思ってねえよ。ほら、昔お前の友達でハルモニアの闇に憑かれたのがいただろう?」

 丸山一喜の事件は一度だって忘れたことがない。それほどまでに衝撃的な出来事だった。

「お前はあの子を必死になって助けた。そういう優しさも一つの才能なんだよ。そりゃ、それ一つだけじゃ政治なんてやっていけねえけど、やっていく上で必要な才能の一つだとは思う。他の才能はいまじゃなくて、王をやってるうちに身につけりゃあいいんだよ。最初から完璧な王なんてきっといままで一人もいなかったと思うぜ」

 そう言って父は靖志の頭を優しく撫でた。いまは体格もほとんど変わらないし、だから手の大きさだって変わらないはずなのに、触れた手はなんだかずいぶんと大きく感じられた。

「心配かけて悪かった。黙って出て行ってごめん……」
「――赦しません」

 靖志の謝罪を一刀両断したのは、父の後ろで黙って様子を見ていた母だった。

「私や父さんはもちろん、仁花や靖志の友達がどれくらい心配したと思ってるの! 時々でいいから、せめて手紙くらいは送ってよね。どこにいるのか、生きているのかどうかもわからないなんて、それがどれだけ辛いことかも考えてよ。本当に、あなたって子は……」
「ごめん、母さん。仁花にもダチにもあとでちゃんと謝るよ」
「それだけじゃ赦しません。だからあなたも澤村くん……だったっけ? あの子と一緒に円卓の騎士と戦いなさい。彼を最後まで守ることができたら赦してあげる」
「そんなの……言われるまでもなく最初からそのつもりだったよ。あんな話を聞いておいて、大地一人で戦わせるなんてできるわけねえだろ? それに戦わなきゃ、この国どころか世界が終わるんだ。何もせずにいられるかよ」
「そう……ならいいわ」

 母は父の隣に並ぶと、一瞬だけ泣きそうな顔をしたあとに優しく微笑んだ。

「大きくなったね、靖志。お帰りなさい」
「ただいま……ただいま、母さん」

 靖志は自分よりも小さな母の華奢な身体を、そっと抱きしめた。懐かしい母の香りと温かさが触れた部分から流れ込んでくる。離れていた六年の時が一気に縮まった瞬間だった。







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