七章 大地の怒り


 戦わなければならない相手は、愛する父――。
 聖彼城の一室に案内された大地は、テラスに出て眼下に広がる湖を眺めながら、さっき聖彼王が話したことを頭の中で振り返っていた。この世界を破壊しようとする騎士がいて、それが自分の父親で、だからこそ自分は特別な力を持っていて……。
 まるで創作の世界だ。ハルモニアに来るまではただの平凡な高校生だった自分が、いまや物語の主人公のような境遇に立たされている。だからといって何も嬉しいことはないし、むしろいま直面している事態は大地にとって苦しかった。

(父さんなら話し合いで解決できそうな気がするけど、どうなんだろう? それともこっちの世界に戻ってきて、記憶を取り戻しちゃったから俺のことなんかもうどうでもよくなっちゃってるのかな? もしそうならやっぱり戦わないといけないんだろうか?)

 疑問は尽きないし、覚悟も定まらない。けれど父のやろうとしていることが間違っていて、それを止めなければならないということは絶対だ。
 ふと隣に目をやると、海が黙って同じように外の景色を眺めていた。さっきから自分のことで手いっぱいで、彼がずっと寄り添ってくれていることに気づかなかった。

「海くん、ごめんね。変なことに巻き込んじゃって……」

 ううん、と海は首を横に振る。

「巻き込まれたなんて俺は少しも思ってないよ。こういう言い方すると澤村くんはあまりいい気がしないかもしれないけど、俺はこの世界に来れてよかったって思ってる。澤村くんと同じように、俺もこの世界でいろんな人に出会ったんだ。その出会いって俺にとってすごく貴重で、刺激的で、大事にしたいものなんだ。それに何より、こうして澤村くんと一緒にいろんな場所に行って、いろんなものを一緒に見られる。それがすごく楽しいよ」
「海くん……俺も海くんと一緒にいると楽しいよ。こうして話をするだけでも楽しい。もちろん元の世界にいた頃もそうだったよ。つっても俺、海くんとまともに会話したのってこの間の放課後が初めてだったけどさ」
「そういえばそうだね。でもなんだか俺は、ずっと澤村くんの近くにいた気がしてた。いつも澤村くんの存在を感じていて、ふとした瞬間に澤村くんのことを見てたんだ」

 海はふわりと微笑む。その慈愛に満ちた優しい微笑みは、大地の心の中の不安を流し出すような勢いで温かいものを注ぎ込んでくれる。

「その、お父さんのことや澤村くん自身のことは俺には何も言えないし、力にもなれないだろうけど、もし俺に何かできることがあったら遠慮なく言ってね。たとえば誰かに甘えたくなったときは、俺のところに来てよ。話を聞くとか、ハグするとかくらいしかできないけど、そういうことでもよければ俺はいつだってオッケーだからさ」
「海くん……ありがとう。やっぱり海くんが一緒にこっちに来てくれてよかったな」

 一人でいまの状況に直面していたら、きっと大地はただただ苦しいだけだった。支えもなく立ち向かっていくことなんてきっとできなかっただろう。海はやっぱりすごい。言葉と笑顔、そのたった二つだけで大地に安らぎを与え、そして前へ進む力をくれる。本当に彼がいてくれてよかったと、心の底から感謝した。

「――邪魔するぜ」

 ノックもなしに部屋に入ってきたのは靖志だった。どこか疲れた様子でソファーまで歩いていくと、大仰に溜息をつきながらそこに座る。

「なんだよ、二人きりだからてっきりあんなことやこんなことしてるかと思ってたのに」
「……そう思うならノックなしで入ってこないでよ。いままでどこにいたの?」
「ちょっと家族と会ってたんだよ。みんなこの城にいるからな」
「えっ、そうだったのか!? 靖志くんの家族ってメイドとか執事ってこと?」
「……こういうこと言うとお笑いにしか聞こえねえだろうし、そもそも信じられねえと思うけど、オレの父親はこの国の王だ。さっきお前らに聖彼王って名乗ったのはオレの妹で、オレに対するサプライズで王のふりをしていたらしい。つまりまあ……こう見えてもオレはこの国の第一王子ってわけよ」
「またまた〜。いきなり何を言い出すんだよ」

 海が笑いながら靖志の言葉を一蹴する。

「ほらな、やっぱ信じねえと思ったぜ。まあ、オレがこんなだから無理もねえけどさ。けどマジなんだぜ? 一に聞いてみろよ。なんなら仁花でもいいし。……いや、そんなことより、聖彼王からの伝言だ。大地も信も今日からこの部屋を自由に使っていいってさ。円卓の騎士と戦うってなったらこの城にいてもらったほうがいろいろと都合がいいし、元の世界に帰るほうを選んでも同じだ」

 元の世界に帰る――そういえばそんな選択肢も用意されていた。けれどいまはもうそちらを選ぼうなんて露ほども思わない。そちちのほうが大きな後悔をすることになるのが目に見えているからだ。

「靖志くん、俺は戦うよ。敵が父さんであろうとなんだろうと、この世界を見捨てるなんてことはできない」
「そう言ってくれて嬉しいぜ。オレも一緒に戦うから、全部一人で背負おうなんて思うなよ。こう見えて魔法は結構得意なんだぜ?」
「ありがとう。あのさ、自分がすごく甘いことを言ってるっていうのはわかってるんだけど、これって話し合いとかで解決できないものなのかな? 俺の父さんだっていうなら、それでどうにかなるような気がしないでもないんだけど……」
「どうだろうな。可能性はゼロじゃないと思うぜ? ただ、円卓の騎士たちには破壊衝動ってもんがあるんだ。持って生まれた本能っつーか、俺らの食欲とか性欲とか、そういう欲と同じくらいに普通に持ってるもんで、それがあいつらを攻撃に走らせるらしい。冷静に話し合いができるかどうかはオレにも想像つかねえよ」
「そっか……」

 運命とは時に残酷である。もしも相手が父でなければ、大地の戦う意志はもっと強固ではっきりとしたものになっていただろう。けれど相手は愛する父。戦わずに済む方法があるならと、父を傷つける以外の選択をどうしても探してしまう。

(でも、きっとやるしかないんだ……)

 期待はしないようにしなければ。それが裏切られたとき、大地が感じることになる絶望はより深く、重いものになってしまう。それにちゃんと心を決めなければ、いざ戦うことになったときにこちらがやられてしまう可能性だってあるのだ。生半可な気持ちでこの戦いに挑むことは、自分も含めてすべてを危険に晒す結果となってしまう。

「あんま一人で根詰めんなよ」

 ネガティヴなことをつい考えていると、靖志が優しく声をかけてくれる。

「味方はたくさんいるんだぜ? オレもそうだし、一に聖彼王にその他もろもろ。それにそこにいる信だって、戦うことはできなくてもお前を甘やかすことはできるんだ。どうにも心の整理がつかねえってときは、一度全部置いといて信に甘えとけ。そんだけでも少しは楽になると思うぜ」
「そうだよ、澤村くん。さっきも言ったけど俺はいつだって澤村くんを受け入れるよ」

 茨の道を進む自分の周りには、こんなにも強くて優しい人たちがいる。そう思うだけでも心が安らかになった。なんだか勇気が湧いてくる気がする。実際に絶望を目の前にしても、強くあれる気がしてくる。

「二人ともありがとう」

 素直に礼を告げると、二人はそろって笑った。

「あ、そうだ。ここに寝泊まりすることになるんだったら、俺教会に荷物を取りに帰ってくるよ」
「そういや教会に住んでるって言ってたな。帰り方わかるか? わからなきゃついていってやるぜ?」
「なんとなく覚えてるから大丈夫。教会の人たちにも話をしないといけないし、帰ってくるのは少し遅くなるかも」
「わかった。気をつけて行って来いよ」



 教会に帰るや否や、大地は待ち構えていた冴子に聖彼王との謁見の内容をしつこく追求された。長門と龍之介もそろっていたし、ちょうどよかったと思いながら聖彼城で暮らさなければならない旨をその場で伝える。ただ、円卓の騎士に関することは三人には伏せておいた。

「本当にお世話になりました。あと、ここで働くことができなくてすいません」
「それはいいよ。聖彼王たっての希望なんだから、そっちを優先するべきだ」

 長門は優しげに微笑む。

「もし何かあったらいつでも戻ってくるといいよ。と言っても聖彼城に比べればここは居心地のいいところではないかもしれないけど、俺たちはいつだって大歓迎だから」
「長門さん……」
「あ、そういえば冴子たちから聞いたんだけど、どうも俺は大地の親父さんに似てるらしいな。最初会ったとき本人かと思ったって?」
「そうなんです。あのときは本当にびっくりしました」
「じゃあ俺はこっちの世界の大地の父親ってことでどう? ま、父親になったことなんて一度もないから、父親らしいことが何なのかもよくわからないけど、辛くなったときはいつでも甘えに来るといいよ。この世界の大地の帰る家はここだ。……って勝手に決めちゃいけないけど、でもそう思ってくれていいから」
「そうよ、大地。アタシらは家族なの。遠慮なんてしなくていいからね」
「オレもいますよ大地さん! ホント兄貴だと思ってるんで!」

 異世界のこんなところに自分の家のような温かい場所があり、本当の家族のように温かく迎え入れてくれる人たちがいる。それはとても心強くて、安心できて、そして彼らのことを守るためにも円卓の騎士に立ち向かわなければならないと、改めて強く思う。

「三人とも、本当にありが――」

 ただ迷い込んだだけの自分を大事にしてくれる人たちに、せめて感謝の言葉を伝えておこうと口を開いたが、その台詞を最後まで彼らに届けることはできなかった。なぜなら突然けたたましく鳴り響いたサイレンのような音によって、言葉が掻き消されてしまったからだ。

「何!?」

 困惑したように冴子が声を上げた。

『こちらは聖彼王府災害対策本部です。聖庭市にお住いの皆様にお知らせ致します。先ほど黒海の沖合にて竜巻が発生したことを確認致しました。勢力はカテゴリーF。非常に強力かつ巨大な竜巻で、現在ゆっくりと聖庭市に向かって来ています。甚大な被害が及ぶと予想されるため、屋外にいらっしゃる方やイージスシステムの搭載されていない建物にいらっしゃる方は、ただちに地下及びイージスシステムの搭載された建物へ避難してください。繰り返します――』

「竜巻!? ちょっと、この教会やばいんじゃないの!?」
「ああ! この教会にはイージスシステムが搭載されていない!」


 イージスシステム――聖彼王国が開発した、建造物などを外部の衝撃から守る装置である。魔力が蓄えられた鉱石を利用したもので、物理的な衝撃を軽減、あるいは消滅させる防御障壁を張り巡らせることで、建物へのダメージを防ぐことができる。
 非常に優れた装置ではあるが、それもすべての建物に搭載されているわけではない。設置に高額な費用がかかるため、一般家庭には備わっていないことが多く、また、装置が運用されるようになる以前に建てられたトリフォニル教会も未搭載だった。


「この辺だと表通りのモールに搭載されていたっけな。とりあえず必要なものを持ってそこに行こう! 道中に助けを必要としている人がいたら手を貸すことも忘れずに!」

 長門の号令で大地たちは急いでそれぞれに部屋に向かった。


 ◆◆◆


 それは、天を支える大きな柱のように見えた。
 それは、悪魔が踊っているようにも見えた。
 それは、獣の咆哮を思わせる不気味な音を立てていた。
 そしてそれは、逃げ惑う人々に容赦なく死を与えた。


 ◆◆◆


 荷物の少ない大地はすぐに身支度を済ませるつもりだったが、モッツァリーナのチームメイトたちと撮った記念写真がないことに気づいて、それを必死に探していた。結局ベッドの下に入り込んでいたのだが、見つけるまでに十分ほどの時間を費やしてしまった。
 急いで聖堂に出ると、聖彼柳貴像の前に人影を見つける。長門だ。

「遅かったな。冴子と龍之介は先に行かせたよ」
「俺を待っててくれてたんですか?」
「当たり前だろう。一人にするのは心配だし、大地がモールの場所を知らなかったらいけないから」
「すいません。大事な写真がなかなか見つからなくって……」
「そうだったのか。なら一緒に探してやればよかったな。よし、俺たちもモールに行こう。風が強くなってきたし、そろそろやばそうだ」

 確かに窓ガラスの揺れが激しくなっている。さっきの災害対策本部からの放送では、竜巻のスピードはゆっくりだと言っていたが、途中で状況が変わったのかもしれない。
 走る長門の後ろに大地は続く。そして長門が教会の出入り口の扉に手をかけた途端――そのドアが内側に勢いよく開いてきた。同時に凄まじい風が開け放たれた扉から吹き込んでくる。その勢いは、並んだ長椅子を軽く動かす程度に強力だった。大地も長門もまともに立っているのが難しくなり、部屋の隅に逃げざるを得なかった。

「すいません、俺がもたもたしてたからこんなことに……」
「いや、大地のせいじゃないよ。こんなに早くに竜巻がここまで来るなんて思いもしなかったな。どうしたものか……」

 避難するどころか、外に出るのもままならない状況だ。走って突破なんてできそうにないし、助けが来てくれるようにも思えない。

(そうだ、あの力ならどうにかできるんじゃ……)

 思い出したのは、大地が感情的になったときに発揮される強大な力だ。運動神経を飛躍的に向上させるあれを使えば、長門を抱えてなんとか逃げられるかもしれない。
 牛島や夏、この力はいつだって誰かを守るために使ってきたし、その使い方は絶対に正しかったと自信を持って言える。だからいまこの場面でも、長門を守るために使っていいはずだ。いや、使わなければならないだろう。
 一つ深呼吸をしたあとに、意識を集中させて身体の奥底にしまわれたあの力を探す。確か喜怒哀楽を通りすぎた辺りに三つの赤いランプがあるはずだ。あれを全部青にすれば力を呼び覚ますことができる。もう少し、もう少しでそこに辿り着けそうだ。

 ――だが

 大地が力の元に辿り着く寸前に、教会中の窓ガラスが激しい音を立てて割れた。大地たちの頭上にも窓があり、大小様々なガラスの破片が降り注ごうとしていた。

(やばっ……)

 咄嗟に身動きのとれなかった大地を庇うように、長門の身体が覆いかぶさってくる。ガラスが床に叩きつけられる音。耳を塞ぎたくなるようなそれに混じって、何か湿ったような音が大地の耳に入ってきた。音の正体を知るより先に、大地は自分の胸の辺りが生温かい液体で濡れていることに気がつく。

「長門さん?」

 声をかけると、自分に覆い被さっていた長門の身体が糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた。彼の胸に辺りには大きなガラスの破片が突き刺さっており、そこから夥しい量の血が流れ出ている。大地の身体を濡らしていたのはそれだった。

「長門さんっ! 大丈夫ですか!?」

 訊かなくとも大丈夫ではないことは見て取れた。こういうときはどうしたらいい? ガラスは抜いていいのだろうか? それとも下手に触らないほうがいいのだろうか? そんなことより早く病院に連れて行かないといけない。けど、下手に身体を動かすと傷が開いて……。

「大地」

 パニック状態に陥った大地を、この状況にそぐわない優しい声が呼んだ。長門の大きな手が大地の頬にそっと触れる。

「俺のことは放っておいていいから……一人で早く逃げるんだ。でないと……大地まで巻き込まれてしまう」
「長門さんを置いて行けるわけないだろ! 俺がどうにかするから、諦めないでください!」
「逃げ切る前に、俺は……俺は、たぶん駄目になる。だから置いて行くんだ」
「そんなこと言わないでくださいっ」

 絶対に救う。この人を死なせたりしない。けれどいまの自分に何ができる。大地が持つ力は傷を癒したりするタイプのものじゃない。あくまで戦うための力。この状況では役に立たない。

「最後に……父親っぽいこと、できたかな……? 息子をちゃんと、守れたよな……?」
「長門さんっ……」
「大地、俺の分まで生きて……。あと、冴子と龍のことよろしく頼む……」

 大地の頬に触れていた手が、ふっと離れて床に落ちる。瞬きの止まった瞳が大地を優しく見つめていたが、おそらくそこにはもう何も映っていない。自分の父親になると言ってくれた人の――この異世界で大地に帰る家を与えてくれた人の命の灯火が、たったいま目の前で消えてしまった。

「長門さんっ……」

 自分はこの人のためにまだ何もできていない。本当の父親のように優しくしてくれたこの人に、何も返せていない。悔しさと悲しさ、そして長門の死のきっかけをつくってしまったという自責の念が一気に押し寄せ、胸が苦しくなる。
 そんな大地の心中など知る由もなく、巨大な竜巻はいましもトリフォニル教会を飲み込もうとしていた。何かが巻き上げられる音、何かが破壊される音、そして凄まじい風の音――それらが混じり合ってできた歪な音色を奏でながら、地上に猛威を振るっている。

「うわああああああああああああああ!!!!!!」

 そしてその天も地も判別のつかないような空間の中で、大地が咆哮した。



続く




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