八章 この世界での父親


 夜の闇に白い輝きが出現したのは、巨大な竜巻がいまにも聖庭せいてい市を飲み込もうとしていたときのことだった。
 帯のような光は、地上から螺旋を描きながら竜巻へと伸びていく。やがてそれは竜巻と混ざり合い、闇色だった地獄の渦を白光に転じた。
 その様子はまさに、大地の怒りが天使の微笑みに変わったようである。
 あれほど猛威を振るっていた竜巻は白い光に打ち消され、暗黒に曇っていた空も、さっきまでの地獄の景色がまるで嘘のように、いつもの綺麗な星空に戻っていた。


 ◆◆◆


「いまのは古代魔法の一種か……?」

 聖彼せいか城にある災害対策本部。モニターの中で竜巻が突如出現した白い光の帯によって打ち消される様子を眺めながら、聖彼王こと滝ノ上祐輔は呆然と呟いた。

「古代魔法ということは、大地くんがやったの?」

 妻の質問に、祐輔は頷いた。

「あんなことすげえことができるのは大地くらいなもんだろうよ。どうやら俺たちが思っていた以上に、あいつの持ってる力は強大みてえだ」

 これならこの世界の破壊のために動いているであろうアーサー王にも太刀打ちできるかもしれない。だからと言ってそれ一つで安心することなどできないが。
 アーサー王は確実に本来の力を取り戻しつつある。その証拠が先ほどの竜巻だ。あれは自然に発生したものではなく、古代魔法の一つであることが気象庁と魔法庁の調査でわかっていた。古代魔法はそこらの魔道士がおいそれと使えるようなものではない。しかもあの規模のものとなると、アーサー王の息子である澤村大地でなければ、アーサー王本人の仕業に他ならなかった。
 聖彼城が管理する歴史書にも、竜巻を発生させる古代魔法の記録がしっかりと残っている。けれどあの魔法はまだ序の口で、アーサー王はかつてもっと強力で邪悪な古代魔法をいくつも使っている。それらを使わずにまずあの竜巻を使ってきたということは、やはり完全に力を取り戻したわけではないのだろう。けれどそれも時間の問題だ。

「一、アーサー王の居場所は相変わらずわかんねえか?」

 この中で唯一奴の存在を感知できる召喚士に、祐輔は期待せずに訊ねた。

「一瞬だけ港の辺りに出たけど、本当に一瞬だけでした。いまはもうどこにいるかわかりません」
「やっぱそうか……」

 奴の居場所がわからない以上、こちらは後手に回るしかない。もちろんただ相手の攻撃を待つわけではなく、守りを固めるための準備はすでに実行している。

「なあ父さん、アーサー王のことは市民たちに言わなくていいのか? 隠し通せるようなことじゃねえだろ?」

 隣に座る息子の靖志が、眉間を指で押さえながら訊いてくる。

「言って信じるやつがどれくらいいるよ? それにいま言うのは余計なパニックを招くだけだ」
「じゃあいつ言うんだよ? さっきの竜巻だって犠牲になったやつがそれなりにいるはずだろ? 市民にだって逃げる準備とか、覚悟する時間とか必要なんじゃねえのか?」
「確かにな。けどパニックを引き起こして余計な死傷者が出たらどうするよ? 俺はアーサー王の襲撃による死傷者よりも、そっちのほうが多くなると思うぜ。少なくともアーサー王云々って話は伏せておくべきだろう。けど市民にいつでも避難できる準備をさせることは必要だな。だから今回の竜巻を利用して、聖庭市が自然災害の起こりやすいっていうような状況にあるって設定をつくろうと思う。ま、その辺は俺らなんかより広報庁のほうが上手く考えてくれるだろうから、そっちに任せよう」
「避難の準備をさせておくってのはそれでいいとして、肝心の避難場所はあるのか?」
「お前な、この俺が開発したイージスシステムのことを忘れたのか? たとえ古代魔法だろうと、イージスがあればとりあえず好き勝手に破壊されるようなことはねえ。それに六年ここを離れていたお前は知らねえだろうが、ちょっと前に地下に巨大なシェルターをつくったんだよ。それとイージスシステムの搭載された建物があればとりあえず避難所は足りる。なんならこの城を開放したっていいしな」

 イージスシステムを最初に備えつけたのはこの聖彼城だ。王府が機能しなければ、国自体が機能しなくなると言っても過言ではない。だからここは最後の砦として絶対に敵の手に堕ちてはならなかった。

「それより俺たちが考えなきゃいけねえのは、アーサー王をどう見つけて、どう戦うかってことだ」

 後手に回るのは仕方がないとして、奴の攻撃を受け続けることは避けたい。それに比較的イージスシステムが機能している聖庭市ならまだしも、そうではない他の地域が標的になれば、甚大な被害が出ることは間違いないだろう。ではどうする? 祐輔はこの街を――いや、この国を――もっと言うならばこの世界を守るために、その頭をフル回転させる。


 ◆◆◆


 静かな浜辺に、さざ波が一定のリズムで打ち寄せる。
 昨日の竜巻が嘘のように、頭上にはすっきりとした青空が広がり、黒海は不気味な黒さを保ちながらも水面は穏やかだ。しかし、海岸に集まった人々の顔は、そんな空や海の様子とは反対に皆沈鬱だった。中には涙を流している者もいる。
 昨夜、突如として発生した巨大な竜巻は、場所によっては大きな被害をもたらした。港に停泊していた船はどこかへ飛ばされ、海岸に沿って群生していた木々も根こそぎ倒されてしまっている。それでも聖庭市中心部の被害が少なかったのは、イージスシステムのおかげだろう。
 海岸で行われていたのは、犠牲者の合同葬儀だった。聖彼王国でも東部のほうは、葬儀が終わると遺体の入った棺を海に沈めるという風習があり、葬儀自体もこうして海岸で行われることが普通だった。
 一つの棺の前でぼうっと遠くを見つめる若い神父――澤村大地も大切な人を亡くした一人だった。

「俺が……俺が殺した」

 懺悔するように呟いた言葉は、波の音に飲まれて消えていく。けれどそばに立っていた金髪の美女には、大地の声はちゃんと届いていたようだった。

「悪いのは大地じゃないわ」

 そう言いながら冴子は大地の頭を撫でてくれる。

「龍もいい加減泣き止みな。司教さまだってあんたらに泣いてほしいなんて思ってないわよ」

 坊主頭の神父――龍之介は昨日からずっと泣いてばかりだ。
 棺の中で永遠の眠りに就く長門とは、たった三日だけの付き合いだった。けれどその少ない日数の中で大地は彼にどれほど助けられただろう。下手すれば路頭に迷っていたかもしれない大地を、長門は親切に自分の仕切る教会に住まわせてくれた。それから役所にも一緒についてきてくれたり、教会で働かせてくれたり、大地が聖庭市で生きていけるようにあらゆるものをそろえてくれたのも彼だ。
 そして昨日は、この世界で大地の父親代わりになると言ってくれた。それがどれほど嬉しかっただろう。あのときはまさか、その数十分後に永遠の別れが待ち受けているなんて思いもしなかった。

「ごめんなさい……」

 あのとき失くした写真のことなんかすぐに諦めていれば、長門が死ぬことなんかなかったのに。確かに大事な写真ではあったが、人の命に比べればそれほど重要なものではない。こうなるとわかっていれば、あのとき大地はすぐに部屋を出ていたのに……。
 拭えない後悔と一緒に涙が込み上げてくる。もう何度も、何時間も泣いたのに、それは尽きることを知らなかった。

「二人ともいい加減にしなさい!」

 突然この場の雰囲気におおそよそぐわない怒声を発したのは、さっきまで大地と龍之介を慰めていたはずの冴子だった。その威勢の凄まじさは、大地の涙を一瞬にして止め、伏せこんでいた龍之介の顔を上げさせ、葬儀の参列者を注目させるほどのものだった。

「いつまでそうやってくよくよしているつもりなの? 悲しいのはよくわかるわよ。アタシだって泣きたいくらい悲しいからね。でもねえ、どんなに泣いたって司教さまは生き返ったりしないし、喜んでもくれない。ならいつまでもしょぼくれてないで前を向くべきでしょ!」

 冴子は表情こそ怒りに染まっているものの、その吊り上った眦からは透明な雫が零れ落ちていた。それを乱暴に拭うと、大地と龍之介、二人の身体をまとめて両腕に抱きしめる。

「後悔なんていくらしてもし足りないだろうけど、それでもアタシたちは生きていくんだから、ここで止まってちゃ駄目なの。これからの仕事とか住む場所とか、考えなくちゃいけないことはいくらでもあるでしょ? だから悲しむのはもうおしまい」

 竜巻のせいで全壊した教会と宿舎は、早ければ明後日から復旧作業が始まるらしい。今度は前の教会よりも規模の大きな教会になるという。もちろんイージスシステムも搭載されることになっていた。
 復旧工事が完了するまで約四ヵ月。それまで冴子と龍之介は別の教会で働くことになるようだが、まだどこの教会かは決まってないらしい。住む場所もこれから探すところだった。
 合同葬儀のスタッフが大地たち三人に声をかけに来る。どうやら出棺のときが来たようだ。棺と一緒に小型のボートに乗せられ、沖のほうへと移動する。
 海に沈める前に、大地は棺の小窓から長門の顔を見せてもらった。痛々しい最期を遂げたはずなのに、眠る彼の表情はとても穏やかだった。
 そしていよいよ棺が海に投じられる。重石を繋げたそれはあっという間に水面に沈んだが、海水の透明度が高いおかげで沈んでいく様をしばらく見ることができた。

「長門さん……いや、父さん。ありがとう、さようなら……」

 大地にとっての、この世界での父。結局彼が生きているときには一度も呼ぶことができなかったけど、最後にそう呼んで彼のことを見送る。

「主よ、彼に永遠の安寧を――エィメン」







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