どこを見回しても、見えるのは黄色ばかりだった。
 唯一違っているのは頭上の景色。空はどこまでも青く、遥か遠くに浮かぶ入道雲は、まるでその中に天空の城でも隠しているのではないか、と思うほど巨大だ。
 辺りに広がる黄色の正体は、見事なまでに咲き誇ったひまわりだった。目が痛くなるほど明るい花は、広い丘を覆いつくすほどの数である。その数を数えようなどと無謀なことを思いつく人間はいないだろう。
 一面の黄色の中に、ぽつん、と一つだけ黒色が混じっている。よく見れば五、六歳くらいの少年が、自分の背丈よりも高いひまわりを珍しそうに見上げていた。

「――見ーつけた!」

 急に背後からかかった女性の声に、少年は跳び上がるような勢いで驚いた。だが、その声の主を見てすぐに安心したように笑った。

「心配したぞー。いきなりいなくなっちゃうんだから」
「ごめんなさい、お母さん」

 謝りながらも無邪気に笑う少年に対し、ひまわりの間から出てきた女性は少し苦笑する。

「大地はまだ背がちっちゃいんだから、すぐに見えなくなっちゃう」

 女性の平均的な身長の彼女ですら、ひまわりに背を越されてしまっている。人の手を借りずに、自然の力でここまで立派に育つとは驚異的だ。

「お父さんも心配してたよ。さ、行きましょ」
「はーい!」

 少年は母親の手を取ると、愉快な足取りで歩き出す。
 辺り一面がひまわりに埋め尽くされている中に、一本の枯れ木があった。ひまわりのちょうど半分ほどの背丈の少年にもよく見える高さで、葉も花もない、言わば裸の木だ。
 少年の父はそこで待っていた。少年と同じ短く切りそろえた黒髪で、その下の顔もまた少年とどことなく似ている。少年があと何十年か歳をとったら、きっとそっくりな顔になるだろう。

「お父さん!」

 少年は母の手から離れると、迷いなく父の胸に飛び込んだ。

「どこへ行ってたんだい?」

 父は優しさを絵に描いたように微笑む。

「ひまわりさんたちと遊んでたんだよ」

 少年の笑顔は父の優しさを受け継いでいた。無邪気な中に人を安心させるような温かさがある。――まるでひまわりのようだ。

「いいことを教えてあげよう」

 父は少年と同じ高さの目線になるまでかがむと、髪と同じ黒色をした瞳をひまわりのほうへ向けた。

「ここにあるひまわりはすべて、父さんや大地たちと同じように生きている」

 天使が囁いているかのような優しい声色で父は話す。

「もちろんこの木も、枯れているように見えるけど生きている。生きているということは、大切にしなければならない。命あるものを決して壊してはいけないんだ」
「ふ〜ん」
「だから大地、人間も植物も、そして虫や鳥たちも、大切にしなければならないんだよ」
「うん、わかった!」

 美しいひまわり畑での家族の団欒。少年も、そしてその父と母もとても幸せそうだった。
 この家族が後に離れ離れになるなど、誰が想像できただろうか? そして、少年と父親が敵対することになるなど、考えられた人間などいただろうか?
 強い風が太陽のほうに顔を向けているひまわりたちを揺らす。綺麗な黄金の花弁が一斉に宙を舞った。





 滅びの炎 神々の歌 (Harmonia 第五部)




一章 帰る場所


 王女に円卓の騎士の話を聞かされてから、大地には聖彼せいか城の一室が与えられた。最初はあまりに豪奢で煌びやかな部屋に落ち着くことができなかったが、それも二日で慣れた。いまや本当の自分の部屋のように好き勝手にしているし、寛ぐことだってできている。
 大地が聖彼王国に来て一週間が経った。四日前の巨大竜巻以降、円卓の騎士による攻撃はなかったものの、代わりに連日に渡って騎士討伐に向けた作戦会議行われ、討伐作戦に加わることになっている大地もまたそれに参加している。
 会議は毎日長時間に及び、時間が空けば今度は聖彼王国の属庭軍による戦闘訓練を受けなければならなかった。これは大地自身が望んだことで、ソロモンソードという武器があっても使い方がわからなければ話にならないと危惧したからである。幸いにも大地は筋がよかったようで、教えられたことを自分でも驚くほどあっさりと吸収、実践することができていた。
 ちなみに田中姉弟も別メニューではあるが、同じように属庭軍の訓練を受けている。訓練場を出たところでちょうど龍之介に出会い、部屋が近いので一緒に戻ることにした。

「あれ? 冴子さんは?」
「姉ちゃんはまだ訓練場っすよ。姉ちゃんに挑戦したいっていう兵士がいっぱいいて、その相手をしてるとこっす」
「冴子さんが挑戦するんじゃなくて、兵士のほうが冴子さんに挑戦するんだな……」
「まあ、うちの姉ちゃんマジ強いっすからね。そこら辺の下っ端兵士じゃ全然話にならないっすよ。あ、もちろんオレだってそれなりに強いんっすよ! 期待しててください!」
「はいはい」

 汗や汚れをシャワーで洗い流すために一度それぞれの部屋に戻って、三十分後に龍之介とはもう一度落ち合う。それから海を誘い、三人で食堂に向かったが、そこで今度は岩泉と靖志の二人に出会った。

「よう大地。訓練は上手くいってるか?」

 岩泉の質問に、大地は力強く頷いた。

「一応戦いに出ても恥ずかしくないレベルにはなってると思うよ」
「そうか。ま、お前なら大丈夫だろ」

 その日は結局五人で食事をし、雑談もそこそこに解散となる。皆それなりに疲れが溜まっているのか、早く身体を休めたいようだった。大地も会議では頭を使い、訓練では身体を使って疲労しているけれど、初日に比べればだいぶ余裕が出てきた気がする。

「あ、澤村くん。疲れているところ悪いんだけど、あとで澤村くんの部屋に行ってもいい?」

 海がそう言ってきたのは、それぞれの部屋に着く直前のことだった。

「俺、今日はあんまり疲れてないから大丈夫だよ。すぐに来る?」
「十五分くらい待ってもらっていいかな? 先に自分のことを済ませて来るから」
「わかった」

 一度それぞれの部屋に戻って、大地は海が来るまでに歯磨きを済ませておいた。残りの時間で部屋の整理整頓をしようと思っていたけれど、昼間に城の使用人が掃除に入ってくれるから特にその必要はなかった。代わりに備えつけのケトルで湯を沸かし、海にコーヒーなり紅茶なりをすぐに出せるように準備しておいた。
 そしてきっかり十五分が経った頃に部屋のドアがノックされる。胸を躍らせながらドアを開けると、海が「やあ」と優しく微笑んだ。

「急にごめんね。どうしても澤村くんと二人で話をしたくて」
「ううん。俺も海くんと話したかったから、よかったよ。どうぞ」
「お邪魔します」
「ソファーに座っててよ。コーヒーと紅茶と緑茶、どれがいい?」
「あ、せっかくだから紅茶をお願いしようかな」
「わかった」

 高そうなティーカップにインスタントの粉末状の紅茶を入れ、湯を注ぐとたちまち爽やかな香りが湯気とともに立ち上る。大地も同じものにして、二人分のティーカップをソファーの前のローテーブルまで持って行った。

「ありがとう。ここの紅茶ってインスタントでもすごく美味しいよね」
「だよなー。初めて飲んだときは思わず感動したよ」

 大地は海の隣に腰を下ろし、紅茶を一口飲んだ。
 こうして海と二人きりでゆっくり話すのは久しぶりだ。聖彼で再会してからもずっと忙しくて、すぐ隣の部屋にいるのになかなかそういう時間をとることができなかった。

「そういえば聖彼王から聞いたよ。海くん、武器の開発に参加してるんだって?」
「武器っていうか、防御装置だね。澤村くんたちが安全に戦えるような装置を開発してるんだ。まあ、俺は簡単な案を出すだけだから全然大したことないんだけど」
「いや、案を出せるってだけでも十分すごいと思うよ……」

 この世界に来る直前に二人で話をしたとき、海はロボットをつくるのが趣味だと言っていた。その趣味の中で得た知識が防御装置の開発にも活かされているのかもしれない。

「本音を言えば、俺、澤村くんに戦ってほしくないんだ」

 海は苦笑しながら、遠慮がちにその言葉を口にした。

「戦いってやっぱり危険が伴うものだし、澤村くんに何かあったらって思うと気が気でないよ。でももし俺が澤村くんの立場だとしたら、きっと同じように戦うことを選んでたんだろうな」
「海くん……」
「だからせめて少しでも協力できればと思って、防御装置の開発に参加させてもらったんだ。役に立っている自信は正直あんまりないけど、何もしないで澤村くんが戦いに出るのをただ見ているなんてできない」
「……前に言ったと思うけど、俺は海くんが一緒にこっちに来てくれてよかったって思ってるよ。こうやって話をするだけでも安心できるし、海くんがいるから強くなれる気がする。少なくとも俺にとってはいてくれるだけでもありがたいというか、なくてはならない存在だって感じてるんだ」

 もしもここにいるのが海じゃなかったら、きっと自分は戦う覚悟を決めるのにもっと時間がかかっていた。こんなにも懸命に強くなろうとは思わなかったかもしれない。

「海くん、この間言ってたのってまだ有効?」
「と言うと?」
「その、ハグしてくれるってやつ」
「あ、ああ! もちろん! いまするかい?」
「うん。お願いするよ」

 どうぞ、と海が両腕を広げる。大地はその中に躊躇いがちに、けれどその抱擁を心の底から欲しながら、そっと身体をもたれさせた。
 すぐに海の腕が大地の背中に回ってきて、赤ん坊を宥めるような優しい力加減で抱きしめられる。熱い抱擁というよりも、柔らかな毛布に包まれたような、どこか安心できる温もりが海の腕から伝わってくる。そんな抱擁だった。
 ああ、と大地は心の中で感嘆の声を上げた。きっと自分の帰る場所はここなんだ。元の世界の自分の家じゃなくて、すべてが終わったらまたここに帰って来たい。そしてこの場所を――この温もりをくれる大事な人を守るために、やっぱり自分は戦いに出るんだ。
 大地も海の背中に腕を回した。頬と頬を重ね合わせ、隙間なく抱きしめ合いながら、海の身体から流れ込んでくる温かな熱をただただ受け入れる。







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