二章 あなたがいるから


「ああっ!?」

 穏やかで幸せに満ち足りた時間に身を浸しかけたとき、海が急に大きな声を上げた。

「ど、どうかした? やっぱり俺を抱きしめるの嫌だった?」
「違うよ! それは絶対ないから! 俺、澤村くんに渡したいものがあったんだけど、それをいま急に思い出しちゃって……。ちょっと取ってくるから、待ってて。すぐ戻ってくる」

 そう言って海は走って部屋を出て行って、そして宣言どおり一分もしないうちに戻ってきた。その手には小さな紙袋が提げられており、丁寧に両手で大地に差し出してくる。

「これ、澤村くんに受け取ってほしいんだ。気に入るかどうかわからないけど、開けてみて」
「なんだろう?」

 大地は受け取った紙袋をさっそく開けた。中には小さな小箱が入っており、それを開けた瞬間に何かがきらりと光った。
 手に取ってみると、それは片翼をモチーフにしたネックレスだった。一見シンプルだが、その造形は細やかで美しい。全体的に銀色をしていて、翼の先端だけは薄っすらと水色に染まっている。

「聖彼に来る途中に寄った島で買ったんだ。澤村くんに似合いそうだなと思ってそれにした」
「本当にもらっていいの? 高かったんじゃないのか?」
「値段は大したことないよ。それにほら、俺も同じの買ったから」

 色違いのネックレス――翼の先端が緑色のものが、海の手に乗っかっていた。

「この世界に二人で来た記念にと思って、おそろいの買ったんだ。気に入らなかったら着けなくていいからね」
「いや、すごくカッコイイと思うよ。正直めちゃくちゃ嬉しいな。ありがとう」

 デザインもすごく好きだけど、何より海からもらったものだから大事にしたい。それにおそろいというのがなんだか恋人のような感じがして、照れくさいやら嬉しいやらで顔がにやけそうになる。

「いま着けてみてもいい?」
「あ、それなら俺が着けてあげるよ」

 そう言って海が後ろからネックレスを着けてくれる。大地も海の色違いのネックレスを着けてあげた。

「本当にありがとう。大事にするね」
「こちらこそ着けてくれてありがとうだよ。気に入ってもらえなかったらどうしようってちょっと不安だったから」

 よかった、と海はホッとしたように溜息をついてから、視線をテラスのほうに向けた。
 窓の外は夜を迎えたというのに明るい。今日は満月で、その光が更に湖に反射して輝いているのだ。
 海の視線が再び大地のほうに戻ってくる。その顔はどこか真剣な、あるいは緊張したような色を浮かべており、どうしたのだろうかと大地は首を傾げた。

「澤村くん、聞いてほしいことがあるんだ」

 そう言った声も硬さを滲ませていて、彼がかなり大事なことを話そうとしているのだと察した。

「いま言うことじゃないのかもしれないけど、この先何があるかわからないから言わせてほしい」

 真っ直ぐに大地を見つめる目。話を聞かないでいることなど赦さないとでも言うような強い眼差しに、大地は思わず息を飲む。

「俺はいつも誰にでも優しく接するように心がけてる。そうすることで人間関係が円滑になると思うし、同じ優しさを返してくれることもあるからだ。けどさすがにさっき澤村くんにしたみたいに、抱きしめたり甘えさせたりなんてことはしないよ。あれは澤村くんだけの特別」

 海はそこで一度言葉を切って、何かを思い返すように瞳を閉じた。

「いつかのクラスマッチでバレーをしてた澤村くん、すごくカッコよかった。一番上手かったし、チームのみんなに声かけて引っ張っていってるの見て、すごいなって思った。そこから澤村くんのこと意識し始めたんだ」

 優しい声が大地の内耳に滑り込み、心の中にさざ波を立てる。

「あまり話したことはなかったけど、澤村くんが誰かと話しているのを聞いているうちに、澤村くんが明るくて、優しくて、頼りになる人だってことを知った。知れば知るほどにもっといろんなことを知りたいって思ったけど、なんだか緊張して自分からは話しかけられなかったんだ。その緊張が何なのかしばらくわからなかったけど、ある日突然理解した。澤村くん、覚えてる? 授業中に具合が悪くなって、俺と一緒に保健室に行ったの」
「覚えてるよ」

 あのときのことを忘れるはずがない。なぜならあのときから大地は海のことを恋愛対象として意識するようになったからだ。

「保健室に連れて行きながら、この人の支えになりたい、この人を守りたいってすごく思った。友達や家族、他の誰にも感じたことのない気持ちを澤村くんに対して抱いていることをあのとき初めて自覚したんだ」

 その気持ちは大地もよく知っている。それは繊細で、とても切なくて、けれどそれがあることで毎日が楽しくなるような特別な気持ち。ひょっとして海の中にも同じものが――

「俺、澤村くんのことが好きなんだ。ずっと好きだった。いまだってこんなに、いっぱい抱きしめたいくらいに好きで、隣にいるとずっとドキドキしてる。――急にこんなこと言ってごめん。男の俺からこんなこと言われても嬉しくないかもしれないけど、どうしても言っておきたかった」

 海の真剣な言葉が降り注いで、それが大地の心に結びつく。するとそこから温かいものが一気に溢れ出し、大地の足の先から頭の天辺までを満遍なく駆け巡った。驚きと嬉しさで息が止まりそうになりながら、けれどちゃんと言葉は返さないといけないと思って声を絞り出す。

「謝ることなんてないよ。俺も海くんと同じ気持ちだから」

 大地は海の手を取り、その甲を自分の額に押し当てた。

「海くんが好きなんだ」
「う、嘘だー」
「嘘じゃないよ。海くんは優しくて、いつも俺を安心させてくれる。そういうところ、すごく好きだ」
「で、でも俺こんな地味で、澤村くんには釣り合わないんじゃ……」
「地味って言うなら、俺だってそうだと思うけど。それに俺の中では、海くんは誰よりもカッコイイよ」

 海はしばらく狼狽したような妙な瞬きをしていたが、それが落ち着くと今度は泣きそうな、それでいて確かに嬉しそうな笑顔を見せて、大地がさっきそうしたように、大地の手を取って自らの額に押し当てた。

「夢みたいだ。澤村くんと両想いなんて信じられない……」
「俺だってそうだよ。ずっと俺の片想いだと思ってたから。でもすごく嬉しい」
「俺も嬉しい」

 笑い合い、そしてどちらともなく抱き締め合う。さっきみたいな優しい抱擁じゃなくて、互いが互いを求め合うような、熱と強さを伴う固い抱擁だ。
 一方通行だと思っていたこの恋が、まさか成就するなんて海を好きなったばかりの自分は思いもしなかっただろう。いや、ほんの数分前の自分でさえ、こんな展開予想もしていなかった。不意打ちのような告白に驚き、戸惑い、けれどやっぱりどうしようもなく嬉しくて、その感情を抱きしめた海に全部ぶつけた。そしてまた海のほうからも、同じ気持ちが同じ大きさで返ってくる。

「なあ、大地くんって呼んでもいい?」
「もちろん」
「靖志くんや一くんがそう呼んでるのを聞いて、ずっと嫉妬してたんだ。俺のほうが大地くんのことを好きで、大地くんのこと知ってるはずなのにって」
「そうだったんだ。俺も海くんのこと信行くんって呼ばせて」
「俺の下の名前知ってくれてたんだね」
「当たり前だろ。好きな人の名前なんだから」

 心の中では何度もその名前を呼んだことがある。実際にそう呼ぶのは、慣れないせいかどこか照れくさかった。

「大地くん、今日こっちで一緒に寝てもいい?」
「いいよ。俺もそうしたいって思ってた」

 そうして二人は同じベッドに入って、抱き合ったり手を繋ぎ合ったりしているうちに眠りに落ちていた。
 目の前に戦乱が迫る中での、束の間の平和な時間。それはどうしようもないくらいの幸せに満ち溢れ、ベッドの上は何人の邪魔も赦されない聖域となっていた。
 朝になって大地が目を覚ましたとき、海はまだ穏やかな寝息を立てていた。その頬に触れ、そっとキスをする。
 これから自分は世界を守るために戦う。けれど何より彼を守るために戦うのだと、自分の中の強い気持ちを噛み締めながら、もう一度、今度は柔らかい唇にキスを落とした。







inserted by FC2 system