三章 円卓の騎士


 晴れ渡った夏の青空に、巨大な入道雲が浮かんでいる。まるでその中に何かを隠しているような独特の造形だ。
 そしてそれは決して間違いではなかった。巨大な裂け目が雲に生じたかと思うと、そこから黒い影が這い出てくる。その様子はまさに悪魔が空に生み出されたようで、偶然目にした者たちは恐怖に身を震わせた。
 しかしよく見ればそれは一つの城のようだった。円盤のような土台の縁を塀が囲い、その中心に聖彼城にも負けず劣らずの複雑な造形をした城が聳え立っている。色は黒海よりも暗い闇色をしており、美しくもどこか不気味な雰囲気を醸し出していた。
 遥か昔に、これと同じものがこの世界に存在していた。それは地上に破壊をもたらし、人々を絶望に追い込み、そして滅びの炎で世界を照らした。円卓の騎士が住まう、絶望の象徴の一つ――キャメロット城。


 ◆◆◆


「――懐かしいな」

 その空間に冷房は備わっていないはずだが、なぜだかとても涼しかった。
 暗いとばりがわだかまった広間。その広間の中央に大きな円卓が置かれ、数人の男女がそれを囲うように立っている。人数分の椅子がちゃんと用意されていたが、誰もそこに座ろうとはしなかった。

「本当に懐かしい。まさか再びここに来れるなんてな」

 かつて彼らはここを住処としていた。しかしある日、敵対していた召喚士たちに住処もろとも封印されてしまったのである。ここ――キャメロット城に足を踏み入れたのは、実に数百年ぶりのことだ。

「あの日、ここで世界の破壊を誓ったときのことが昨日のことみたいに思い起こされるな」

 一人の男が円卓に触れる。

「ここが俺らの始まりだったっけな。マジで懐かしい」
「さっきから何自分の世界に入っちゃってるの? 若干きもいですよ、大将さん」

 愛しいものを撫でるようにして円卓に触れている男に、まとまりのない黒髪を弄っていた長身の男が一声浴びせた。

「失礼なやつだな。俺から見ればお前のその変な髪型のほうが絶望的にきもいんだけど、黒尾」
「これは最近流行りのナチュラルヘアーです〜。つーか、髪型に関しちゃお前に悪口言われたくねえよ。何それ? オネエかっつーの」
「あ!? 刺し殺すぞてめえ!」
「お好きにどうぞ〜。俺の“糸”のほうが発動早いし」
「――二人とも落ち着いて」

 いまにも戦闘を始めてしまいそうな大将と黒尾の間に入ったのは、黒尾よりもわずかに背は低いが、肉付きがいいせいでずいぶんと大柄に見える男だった。

「そろそろアーサー王が来るだろうから、大人しくしてなよ。ここを荒らしたら怒られるよ」
「獅音……大丈夫、俺は全然そんな気なかったから。そこの誰かさんが一人で熱くなってただけだし」
「黒尾てめえ……いつか絶対泣かしてやる」
「へえ。そりゃ楽しみだな〜」

 最後まで憎まれ口を叩き合うも、それ以上騒ぐ様子はなく二人とも黙って円卓の前に控えた。正面の大きな扉が開いたのはそのときだ。
 現れたのは、三十代後半から四十代前半くらいの男だった。どちらかというと背は高いほうだが、決して大柄というほどではなく、体型も標準的である。短く切りそろえられた黒髪の下の顔は男らしく端正で、真面目な役人のような雰囲気だ。

「全員そろったようだね」

 男は広間に集まった者たちを一望し、穏やかな微笑を浮かべる。

「お久しぶりです、アーサー王――澤村様」

 大将が慇懃に会釈したのに合わせ、あとの者も頭を下げた。短髪の男――アーサー王こと澤村大輔は苦笑する。

「頭を上げて。俺は人に礼拝されるのがあまり好きじゃないって昔言っただろう?」

 妙な緊張感が漂っているのは、この場の誰もがアーサー王の恐ろしさを熟知しているからだろう。当の本人はそれを知ってか知らずか、優しい微笑みをもって十二人の人間たちを見ていた。

「まずは謝らせてほしい。俺の勝手でみんなを目覚めさせてすまなかった」

 そんなことはありません、と大将が間髪入れず首を横に振る。

「俺たちもあなたと同じにございます。破壊の先に何があるのか知りたい」
「俺は別にそんなの興味ないけどな」

 無遠慮に口を挟んだのは黒尾だ。

「俺はただ地上のゴミみたいな奴らを消したいだけだ」
「そのゴミみたいな奴らの中には俺たちも入っているのかな?」

 まろやかな声色だったが、アーサー王の質問はその場にいた全員を凍りつかせた。
 いや、と黒尾は内心冷や汗を掻きながら彼の言葉を否定する。

「一応仲間ですよ。形だけでも」
「おや? 俺は君のことをちゃんと仲間だと思ってるよ?」

 優しい微笑みの裏で彼はいったい何を考えているのだろうか? そう思ったのは決して黒尾だけではないだろう。しかしながら、その考えていることがとてつもなく恐ろしいことであることくらいは、彼に忠誠を誓った身だから想像がつく。

「さて、昔の懐かしい話をしたいところだけど、生憎時間がない。この世界を確実に破壊するための手順を話し合おうか」


 ◆◆◆


 聖庭市のとある武器店から一人の少女が出てきた。人通りの多い道を見回すと、小走りに道の脇を移動する。
 明るい黄色のワンピースにベージュの帽子というどこにでもいそうな一般人の風貌だが、一目を気にしながら街中を歩く姿は不審である。帽子から覗かせる金髪をなびかせながら、少女は細い路地に入った。
 暗い路地に人影はない。自分の足音しか聞こえない空間が妙に不気味だと感じる。
 念のため後ろに誰かいないか確認し、突き当たりを右に曲がろうとした。――誰かにぶつかったのはそのときだった。

「ひゃっ!」

 心臓の畏縮する音が聞こえるくらい驚いて、少女は情けない悲鳴を上げた。

「――失礼。前を見ていなかったもので」

 ぶつかったのは自分より頭二つ分ほど背の高い男だった。数分の狂いもなくスーツを着こなし、青い縁の眼鏡をかけている。どこにでもいそうなサラリーマンだ。
 
「ごめんなさい! わたしも急いでいたので」
「お怪我はございませんか?」

 大丈夫です、と短く答えて少女は足早にその場を去ろうと足を踏み出す。しかし――

「なっ!?」

 男の隣を通り過ぎようとした刹那、右腕を掴まれ、ついでその男の身体に引き寄せられた。

「な、なんですか!?」

 侮蔑も露わに男を睨むと、彼の口が不気味な三日月形に歪んだ。

「あなたを攫いに来ました。王女さま」
「!?」

 少女――聖彼・谷地仁花は、男の台詞に驚愕を隠せなかった。変装は完璧だったはずだ。城から出るときも車のトランクに隠れていたし、トランクから出るときも十分に人目を確認した。自分の正体が他人に知られてしまうようなヘマなど犯さなかったはずなのに……。

「あなたのその美しい容姿が証拠です。先日、一度拝見させていただいてからその美貌を忘れたことはなかった」
「放してください!」
「大丈夫。御身を傷つけるつもりはございません。ただ私について来てくださればいいのです」

 丁寧な物言いとは裏腹に、手首を掴んでいる力は思いのほか強い。逃れることは不可能だった。

「……わ、わかりました」

 仁花は仕方なく彼に従うことにした。そうすることが自分にとっても最もよいだろうし、世界にとってもよい決断となるだろう。

 ――空に巨大な影が出現したのはそのときだった。


 ◆◆◆


 この世界は聖彼王国を中心に動いている、と言っても過言ではない。工業や商業はもちろん、建築に至っても聖彼はトップの実績を誇り、他国の支えとなっている。もしもその支えを失ったら、この世界はどうなってしまうのだろうか? 少なくとも大混乱に陥ることは間違いない。

「――街、人、物……そんなものは何の意味も持たない」

 暗闇の中で呪文のようなものを唱える男がいた。モニターに映る聖庭市の街並みを眺めながら、不気味に微笑む。

「さて、まずはこの国を排除しようか。建物はイージスシステムとかいうのに守られているようだけど、道路や電車、外に出ている人間は丸裸だ」

 そう言って男はモニターの前のスイッチに触れる。
 このスイッチは、キャメロット城に装備された高エネルギー砲の起動スイッチだ。強大な破壊兵器の一つで、かつてはこれを使って世界のあらゆる都市を炎の海に沈めた。
 このスイッチを押せばイージスシステムに守られていないもの――道路や外に溢れる人々はたちまち炭か灰になるだろう。そうなることが男の何よりの望みだった。

「さようなら、まだ出会ってもいない人たち。あの世でみんな仲良く歌でも歌ってればいい」

 男の口が不気味な三日月を描く。そして、細くて長い彼の指がついにスイッチを押し込んだ。


 ◆◆◆


 聖庭市の上空に突如として黒い物体が出現した。限りなく黒いそれは、まるで空にぽっかりと穴が空いたようにさえ見える。
 その物体に赤い光が走ったかと思った刹那――世界が発光した。
 地響きさえも起こりそうな爆発。黒い物体から吐き出された太陽そのものような炎。そして、一瞬にして聖庭市を包み込んだ光。この世のすべてが終わったのではないか――誰もがそう確信し、そして絶望した。


 ◆◆◆


「クックック……アハハハハ! 相変わらず感動的なまでに強力だ!」

 高エネルギー砲を起動させた男は狂ったように笑う。
 モニターの中もすっかり光に包まれている。あの中で、生き、愛し、愛された者たちは何が起こったのかもわからぬまま死んでいっただろう。そして道路や美しい並木は無残な姿になったに違いない。もしくは完全に消滅してしまったか。

「さて、御自慢の美しい街並みはどうなっ――!?」

 だが、光が収まりつつあるモニターの中に男が見出したのは、消し炭に変えられた聖庭市の街並みではなかった。







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