五章 決戦の始まり


 すべてが終わった、と大地は思わずにはいられなかった。及川――正確には及川の銀竜――が繰り出す光はこの周囲にいる人間を跡形もなく消し炭に変えてしまう。街に溢れている人々も、そしてここにいる自分もすべてだ。
 だが、目を閉じていても眩しく感じられたその光は突如としてその輝きを失った。そっと目を開けてみる。そこには目を閉じる前と何一つ変わらない大通りの風景が広がっていた。


 ◆◆◆


「――来ると思ってたよ、岩ちゃん」

 美しい顔立ちの青年の言葉に対し、岩泉は無言で鋭い視線を返すだけだった。
 二人の男がいまいるのは聖庭市の上空である。岩泉は黒竜に跨り、そしてもう一人の青年は銀竜に跨って、お互いに向き合っていた。

「こんな街にどんな価値があるって言うんだい?」

 小馬鹿にしたような笑いを僅かに含め、青年――及川は訊ねる。

「少なくともお前の存在より価値はあると思うぜ?」

 岩泉は凶悪な微笑みとともに度の行き過ぎた毒を吐いた。だが、及川は怒るどころか人のよい笑みさえ浮かべている。

「で、今頃聖庭市に何の用だ? いまはお前なんかの相手をしてる暇なんかねえんだよ」

 最前、及川の銀竜が破壊攻撃を聖庭市に向かって放ったが、偶然近くを飛翔していた岩泉たちがそれを阻止。もしも攻撃が成功していたら、眼下の人々は今頃跡形もなく燃やし尽くされていたことだろう。イージスシステムの備わった建物の中にいた者は別として、それ以外の人間は消し炭にされるところだった。

「この街には憎いやつ、ムカつくやつがたくさんいるからね。俺をつくった人間、俺を穢れた血だと言って拒絶した人間……だから掃除しようとしたんだよ。あのゴミみたいな街も人間も。その準備も整ったから。俺、実は円卓の騎士の仲間に入れてもらったんだよね」
「人間に相手されなくなったと思ったら、今度は円卓の騎士なんかにすり寄るのか。マジでてめえはゴミ以下だ」

 薔薇の棘のような言葉は及川の心に怒りを湧かせただろう。いつもの軽薄な微笑みは跡形もなく消えていた。――岩泉が黒竜に降下の指示を与えたのと、銀竜の口から青白い光が吐き出されたのはほぼ同時だった。ぎりぎりのところで光を躱した黒竜は銀竜との間合いを広げる。

「俺がゴミ以下だって? 言ってくれるじゃん」

 及川の口が不気味な三日月を象った。

「この間は見逃してあげたけど、今度はそうはいかないよ。殺してあげる」

 再び銀竜の口から光が吐き出されたときには黒竜はすでに上昇を開始している。次の攻撃に最前の注意を払いながら近くの積乱雲に逃げ込んだ。
 雲の中は冷房のよく効いた部屋よりも涼しい。それどころか冷蔵庫にでも迷い込んだかと思うほどに寒かった。しかし、この中なら及川もそう簡単に見つけることはできないだろう。視界は完全に遮られているし、確か及川は寒いのがかなり苦手だったはずだ。

(さて、こっからどうっすっかな……)

 及川はそう簡単に倒せる相手じゃない。彼の持つ魔力は岩泉よりも上をいっているし、頭だっていい。慎重にならなければこちらが簡単にやられてしまうだろう。――右方向から激しい光が出現したのはそのときである。
 もしも黒竜が咄嗟に降下していなければ、今頃岩泉の頭は消し炭になっていただろう。頭上を通過した光を視線の端で捉え、岩泉は思考を巡らせる。
 いまのは外からの攻撃ではない。雲の外からあそこまで正確に標的を狙えるわけがないのだ。では、と思ったところに再び光が襲ってくる。岩泉は振り落とされぬよう黒竜のハーネスをしっかり掴んだ。
 今回は及川のほうもきっと本気だ。さっきの宣言どおり、本当に岩泉を殺そうとしているのだろう。これまで幾度となく彼とは衝突してきたが、これが本当に最後の戦いになるかもしれない。

(勝っても負けても笑えねえけどな)


 ◆◆◆


 大地たち戦闘部隊の乗り込んだ飛空艇は、高級ホテルのような豪奢な内装をしていた。大きな機体の内部にはレストランやショッピングセンターなどが収まっており、その点から察しがつくように、本来なら戦闘に使われる飛空艇ではない。ではなぜこの飛空艇が今回の突入作戦に起用されたからというと、聖彼王が求めた“かなり振動が少なくて安定した飛行のできる船”という条件に最も適していたからである。

「でもどうして振動が少ないほうがいいんだ?」

 靖志に訊ねると、彼は頭痛を堪えるように額を手で押さえ、長い溜息をついた。

「うちの父さん乗り物酔いするんだよ。だからできるだけ乗り心地のいい船がよかったんだ。まあ無駄な条件付けだったけどな。ほら、結局酔ってるし」

 靖志が指差したソファーの上では、聖彼王が横になってぐったりしている。知らない人間があの姿を見れば、誰も彼が世界一の大国を治める王だなんて信じないだろう。

「父さん、そんなんでホントに戦えんのか? 乗り物酔いのせいで負けましたじゃ洒落になんねえぞ」
「降りたらすぐに治るから大丈夫だ。つーかいますぐ降りたい。いっそ飛び降りたほうが楽になれそうだわ」
「じゃあ俺が突き落としてやろうか?」
「……親思いの優しい息子を持てて俺は幸せだぜ、靖志」
「おお。感謝しろよ」

 緊張感の欠片も感じられない親子漫才を聞き流し、大地は窓の外に視線をやる。
 眼下に広がる暗黒の海は、まるでそこに夜の世界が広がっているかのようである。魚が日光を受けて輝いているのが星のようで、余計にそう錯覚しそうだ。
 円卓の騎士のアジトであるキャメロット城は、現在この黒海の上空に停滞しているという。偵察隊からの情報を受け取りながら、この飛空艇はキャメロット城に向かっていた。

「大地くん」

 愛しい人の声が大地を呼んだ。振り返れば、海が心配そうな面持ちで佇んでいる。

「そろそろキャメロット城に着いちゃうのかな?」
「どうだろう? いまのとこそれっぽいものは見えないけど、でも空港を出てから結構経つし、そろそろかもしれない」
「正直、このまま着かなきゃいいのにって思ってるよ。やっぱり心配だから」
「信行くん……」

 もしも自分が海の立場だったら、きっと同じようにどうしようもなく心配していただろう。必死になって戦うことを止めていたかもしれない。
 大地は海の右手を握る。無骨で男らしい手をしているけれど、大地に触れるときはいつも優しくて温かい。この手が好きだ。この存在が好きだ。触れ合うたびにいつもそう思った。

「俺は絶対に信行くんのところに帰ってくるよ。だから信じて待っててほしい」
「……怪我しないでね。無理もしちゃ駄目だよ」
「わかってる。いざとなったら他の仲間を頼るよ」
「絶対だよ」

 互いの顔を目に焼きつけるようにしばらく見つめ合って、どちらともなく抱きしめ合う。想いが通じ合ってからもう何度もこうして抱き合ったけれど、何度やってももっと欲しくなる。もっと触れ合っていたいと思ってしまう。

「人前でイチャイチャしやがって。付き合い始めた途端これだからな」

 すぐそばで靖志が口を尖らせた。

「オレも恋人つくろうかな」
「靖志くんには一くんがいるじゃん」
「はあ!? なんでそこで一が出てくるんだよ! つーかオレ、ゲイじゃねえんだけど!」
「靖志、父さんは息子がゲイでもオールオッケーだぜ? むしろそっちのほうが……」
「船酔いで潰れてるやつは黙ってろ!」
「優しいお父さんじゃないか。俺の父さんなら発狂しそうだっていうのに」
「信の家庭の事情なんぞ知らねえよ!」

 こうしていると、いまから戦場に行くのが嘘みたいだ。大地の中で緊張が少しだけ和らいで、けれど心の奥底にある強い意志だけは決して薄れない。

「主上、キャメロット城を発見しました。間もなく戦闘範囲に突入します」

 コックピットからの報せがスピーカーを通して届けられる。大きなフロントガラスに目を向ければ、遠くのほうに巨大な黒い影が浮遊しているのが確認できた。

(あそこに父さんがいる……)

 姿を見たわけじゃないから、本当にそうなのかはまだわからない。けどきっといる。あそこにいて、この世界を破壊しよう――大地の大切なものたちを壊そうとしているんだ。
 父と対峙することへの恐怖心は結局拭えなかった。けれど戦う意志だけは大地の中で確かなものになっていた。だから大丈夫。きっと戦える。そしてこの世界を守るんだ。黒海よりも暗いその城を睨みながら、大地は身体の奥底から力が湧き上がってくるのを感じた。







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