八章 最強のシスター


 辺り一面は黄色に覆いつくされている。その正体は、見事なまでに咲き誇ったひまわりだった。背丈はさほど大きくないが、どれも立派な花を咲かせている。数多くのひまわりが例外なく太陽のほうを向いている光景は美しくもあり、また異質でもあった。
 大地はこの光景をどこかで見たことがあるような気がしていた。そしてそれが、とても大切な思い出の一節であることまではわかっている。だが、思い出そうとすれば思い出そうとするほど浮かんでくる景色が曖昧になってしまう。
 そこで何か忘れてはならないことを学んだはずだ。自分自身の人生に関係のあること――ひいては自分の父に関係していること、というところまでは思い出せても肝心な内容まで思い出すことができない。
 記憶を探っていると、時々ここが敵の陣地であることを忘れそうになる。――背後に何者かの気配を感じたのはそのときだった。
 はっとなって振り返ったとき、眼前に鋭い白刃が迫っていた。反射的に目を閉じてしまったが、その白刃が大地に届くことはなかった。
 ポータブルイージスシステム――大地の近くを周回していた小さな丸い機械が防御ベールを張ったのだ。至近距離にあった白刃が一気に引き離される。

「誰だ?」

 そこにいるのが円卓の騎士であることくらい容易に想像がつく。もしかしたら父かもしれない、と思って振り返った先にいたのは父ではなかった。
 猫のような、まん丸い瞼が特徴の男だった。顔立ちは端整ではあるが何の表情も灯っていない。短い黒髪には寝癖がだらしなくついているが、それとは対照的に喪服めいたダークスーツは寸分の狂いもなくきちんと着込まれている。
 彼の手には薙刀が握られていた。先ほど大地の目に映った白刃はきっとあれだろう。

「福永招平」

 男が何かを囁いたが、それがなんだったか悟る前に彼の姿が掻き消えた。
 大地がソロモンソードを構えた瞬間、漆黒の男は高々と跳躍している。だが、大地がその攻撃を受けることはないだろう。イージスシステムがベールを形成すると、突っ込んできた福永と名乗った男はおもちゃのように弾き返される。

「降参することを勧めるよ。そうすれば危害が加えないから」

 この防御マシンの前ではどんな攻撃も意味を成さない。だが、それと同じくらいこの男に降参を勧めるのは無意味なことだろう。光らぬ黒い瞳は変わらず殺気に満ちていた。
 福永は薙刀の刃を後ろに向け、一瞬のうちに大地の眼前に迫ると、鋭い刃を旋廻させる。大地もそれを迎え討とうとソロモンソードを掲げる。しかし福永が刃を向けた先は、大地ではなくイージスシステムのほうだった。

「!?」

 大地は予想もしていなかった光景に思わず目を瞠った。ベールを生成する丸い機械が、いとも簡単に壊されたのである。――いや、簡単のように見えたが、いまのは福永の速さが常軌を逸していたのだ。
 確か聖彼王が、イージスシステムがベールを展開するのには〇,一秒程度の時間がかかると言っていた。大地が攻撃態勢になったことにより一度リセットされたシステムの一瞬の隙を見て、福永は攻撃を繰り出したのだ。
 大地はソロモンソードの柄を強く握ると、装置を壊す作業に没頭している福永に突進する。
 高い金属音と同時に火花が散った。確実に防御されたがそれを気にしている暇はない。態勢を低くすると第二撃を繰り出す。だが、福永は微風のようにふわりと躱した。そうかと思えば突風のような速さで大地に接近してきて、薙刀を旋廻させる。
 大地は高く跳躍した。そして全体重をかけて剣を振り下ろす。避けられるのは目に見えていた。
 福永の跳躍したのを視線の端で捉え、着地と同時にそちらに走る。だが、そのときにはすでに福永の姿は残像もなく消滅していた。おそらくひまわり畑の中に身を潜めているのだろう。全神経を周囲に集中させ、気配を探る。

 ざわ、と一部のひまわりが揺れた。

 大地は柄を握る手に力を込めると、ひまわりが揺れたほうへ跳躍。剣を大きく旋廻させる。
 硬い感触がした。やったか、と思って捉えた獲物に目をやるが、そこにあるものを見て大地は絶望する。大地が斬ったと思ったのはただの大きな石だった。
 はめられた、と気づいたときにはもう遅い。大地の背後では漆黒の影がいまにも薙刀を振り下ろそうとしていた。


 ◆◆◆


 その尼僧――田中冴子は白布の知っているどんな剣豪よりも強かった。美しい容姿からはとても想像しがたい、相当な戦闘能力――それは自分たち円卓の騎士と大差ないようにさえ感じる。
 尼僧は決してガタイがいいわけではない。どちらかというと細身に分類されるだろう。その細身から繰り出される剣技はとてつもない力を兼ね備えている。
 白布に勝算はなかった。尼僧の力が自分よりも上であることは明らかだし、先ほどから尼僧ではない誰かからの銃撃を受けている。非常に不利な状況だ
 せめて他の騎士たちのところまで行けたら、と思うが止まぬ攻撃の前にそれは叶わない。この状況をどう打開しようものか――そう思ったところに剣が振り下ろされた。耳元を掠めた剣は続いて白布の首を取ろうと横方向に旋廻する。剣でそれを防いだ。
 白布は渾身の力でそれを押し戻し、音速にも迫る速さで突きを喰らわせる。――何の手ごたえもなかった。
 尼僧の姿はすでにそこにはない。代わりにゲル状の液体が見かけによらぬ機敏な動きで白布の周囲を飛び回っていた。それは尼僧の特殊能力らしいが、詳しくはよくわからない。ただ、尼僧が普通の人間ではないことだけは理解できる。
 白布は攻撃には出ず、回廊を深部に向かって走った。尼僧が見逃してくれないことは重々承知しているがここで攻撃に出ても何ももたらさない。
 走る白布をゲル状の液体と銃弾が追う。どちらも得体が知れなくて気持ちが悪い。
 体力の限界を感じ始めたとき、白布が辿り着いていたのはエンジンルームだった。多くの機械がせわしなく働き、あちらこちらから蒸気が上がっている。
 どうやら道を間違えたようだが、いまはそれを気にしている場合ではない。振り返ると金髪の尼僧が剣を持って佇んでいた。

「行き止まりみたいね〜」

 ネズミを追い詰めた猫が人語を喋ることができたら、こんな声だったかもしれない。尼僧の口が不気味な三日月をつくると同時に、その姿が残像だけ残して掻き消えた。そうかと思えば白昼夢のような唐突さで眼前に出現し、剣を振り下ろそうとする。
 白布は後方に跳躍。細い路地でそれ以外に何ができただろう。――いや、一つだけ攻撃を防ぐのに適した方法があった。いままでそれの存在を忘れていた自分の愚かさを恥じながら、身に着けていた装置を発動させる。
 尼僧の次の攻撃が繰り出されるが、白布は避けなかった。シールドが自分の周囲に展開されたことを冷静に確認し、尼僧の一撃を受け入れる。

「何!?」

 しかし次の瞬間、白布は目を見開くこととなった。薄い緑色のベールに、あろうことか尼僧の剣が突き刺さったのだ。そうかと思えば剣はベールの内側に侵入してきて、次いで尼僧の身体が当たり前のように入ってくる。

「馬鹿な!? シールドを貫通した!?」

 咄嗟に剣を構えたが、その身体はあっけなく後方に吹っ飛んだ。

「さっきのやつもそうだけど、あんたもホント大したことないわね。本当に円卓の騎士なの?」

 ぞっとするようなハスキーボイスが毒々しい言葉を吐く。

「もう終わりよ」

 そのとおりだ、と白布は自覚した。どう抵抗したってこの尼僧に勝てはしない。――奇跡を起こせるかもしれない、と唐突に思ったのはそのときである。
 白布の目に映ったのは巨大な通気口だった。いまは動いていないプロペラの向こう側はキャメロット城の外――すなわち空の上に繋がっている。ひょっとしたらあれは使えるかもしれない。
 白布は持てるすべての力を振り絞ってプロペラのスイッチの元へ跳躍。どうやらそれは尼僧の想定外の行動だったらしく、半瞬遅れて金髪が舞う。――その半瞬がすべてを決めた。
 白布の手がスイッチに届いたのと同時に尼僧の斬撃が飛んだ。剣先がわずかに手を掠めたがそれだけのこと。次の瞬間には白布の剣が旋廻している。
 その攻撃が尼僧に命中することはない。すでにゲル状の液体と化していたからだ。――それこそが白布の狙いだった。

<!?>

 ぐちゅ、というあまりよろしくない音が上がったかと思うと、ゲル状の液体が通気口に吸い込まれていく。人間の重さでも気を抜けば吸い込まれそうだったが、質量の軽いゲル状の液体となれば尚更だ。たちまち大空からダイブすることになるだろう。そしてゲル状の液体となった尼僧は白布の目論見どおり、あっという間にプロペラの向こうに消えていった。

「……所詮は人間、か」

 安堵の息が漏れたのは、相手が想像以上に強かったからだろう。大きな達成感と安心感が胸に満ちる。
 そう言えば銃撃が止んだようだが、先ほどの尼僧がやられたために退却したのだろうか? まあ、どうでもよい。自分が勝利したのには変わりないのだから。

「――あら〜、それで勝ったつもり?」

 忌々しいハスキーボイスは、意外なほど近くから聞こえた。

「ごめ〜ん。さっき飛ばされたの、頭巾だわ」

 驚愕の事実を聞かされた刹那、白布は不思議な光景を目にした。
 首から上のない人間の身体、だった。斬り裂かれたらしい首の断面からはおびただしい量の鮮血が噴水のように迸っている。
 白布は気づいた――それが自分の身体であることに。
 周囲の景色が徐々に暗転していく。彼が最後に見たのは、悪魔のように微笑む美しい尼僧の姿だった。







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