九章 “氷の魔道士”


「――へえ、王女さまは戦闘もできるんだ。すごいね」

 そう言った死魚の目をした男の声は、明らかに馬鹿にするような響きを含ませていた。仁花の扇子を押さえつけている力には、まるで憎しみのようなものがこもっている。

「じゃあ、お手並み拝見といこうかな。あ、俺は広尾。どこかのツンツンヘアーの人と名前間違えないでね」

 短い自己紹介と同時に、死魚の目をした男――広尾の姿が掻き消えた。

「玉体に傷をつけるかもしれないけど、仕方ないよね」

 声は上からだった。仁花の頭上、広尾はサーベルを振り上げた態勢で降下しようとしている。
 仁花は扇子を旋廻させる。大理石さえも粉砕するその一撃は、サーベルごと広尾を斬り裂くだろう。しかし――

「!?」

 放たれた衝撃波は呆気なくサーベルに弾かれてしまった。

「甘いよ」

 落ち着き払った声とともに繰り出された一撃は、仁花の扇子と交わって高い金属音を上げる。

「!?」

 だが、次に驚くのは広尾の番だった。扇子の刃が高速で振動し、サーベルを弾いたのである。
 広尾が怯んだ隙を見て仁花は衝撃波を放った。防御態勢が万全でなかった広尾は後方に吹っ飛んだ。
 仁花の第二撃、この暗器の大技である“マイクロフレア”を炸裂させる。放たれた白い光は大理石の床を抉りながら目的地を目指した。いくら円卓の騎士といえど、この攻撃には耐えられまい。
 だが、確実に広尾を仕留めるはずの光は、その直前で消滅した。

「結構強いんだな。けど――」

 薄く笑う広尾の周囲に緑色のベールが張り巡らされている。

「そっか、シールド!」

 仁花は吐き捨てるように、イージスシステムに酷似した防御装置の名を口にした。

「そう。俺にはこのシールドがある。だからあんたじゃ俺に勝てないよ」

 広尾の姿が再び消滅する。半瞬後には白昼夢のような唐突さで仁花の背後に出現し、サーベルを振りかざしていた。


 ◆◆◆


“氷の魔道士”の話を靖志は知っている。暇なときに読んだ円卓の騎士に関する資料の中にその文字はあった。天才的な攻撃魔法の使い手で、冷徹極まりないことからそう呼ばれているという。
 靖志がキャメロット城で最初に出遭った円卓の騎士は、その“氷に魔道士”――溝口貞幸だった。ちょうど靖志と同じくらいの短い金髪に、二十代後半だと思われる顔立ち、そしてその容姿にあまり似合っていない暗黒のローブ。ローブを着ていなければ誰も彼を魔道士だとは思わないだろう。

「聖彼の王子か」

 開口一番に言われ、自分の正体が知られていたことに靖志は内心で驚く。

「へえ。オレも有名人ってわけか」

 おどけた調子で言った靖志に対し、溝口は呆れたように溜息をついた。

「聖彼王家の人間は抹殺せよとの命令だからな。顔写真付きで出回ってたぜ」
「あっそ」

 どうでもよさそうに目を細めつつ、背中に隠れた右手の人差し指でこっそりと魔法陣を描く。それはもう完成しつつあった。

「それより一言言わせてもらっていいか?」
「なんだ?」
「あんたさ、若干オレとビジュアル被ってんだけど! ただでさえ父さんと被ってんのになんなのお前! もうちょっと考えてから出て来いよ!」
「知らねえよ! つーか俺はお前みたくゴリラじゃねえし! 一緒にすんなよクソガキ!」
「誰がゴリラじゃおっさん!」
「おっさん言うな! 事実なだけに傷つくだろうが! これでも喰らっとけ、クソガキ!」

 溝口は顔を憤怒に染めると、手中に炎を出現させてそれを投げつけてくる。――これは靖志が最も望んでいた展開だった。
 次の瞬間、靖志の姿が小さな魔法陣だけを残して掻き消えた。続いてそれと同じ魔法陣が溝口の頭上に出現する。
 メテオレイン――宇宙から引き寄せられた複数の小惑星が、溝口の頭上に現れた。闇ばかりがわだかまった空間に、大きな爆発音が轟く。

「ぬるいわ!」

 だが爆発に巻き込まれたはずの溝口は、邪悪な微笑みを浮かべていつの間にか靖志の近くに佇んでいた。不気味な形に手を動かすと何かを口走る。――刹那、先ほどのメテオレインを真似たかのような大爆発が起こった。
 耳をつんざくような轟音と、激しく上がった火柱。地獄絵図のような光景がそこに拡がる。

「あんたも人のこと言えねえな、“氷の魔道士”?」

 轟々たる空間の中に、靖志は平然と佇んでいた。その周囲に浮かぶ丸いものからは白い光が放たれている。

「それがかの有名なイージスシステムか」

 同じく平然と佇む溝口は、なぜだか嬉しそうに口元を綻ばせている。

「けど、おもちゃも同然だ」

 溝口の姿が残像だけを残して掻き消える。靖志が魔法を詠唱するよりも早く至近距離に入ってきて――もっと言えばイージスシステムがベールを生成するよりも早くに間接距離に入ってきて、持っていたロッドを丸い球体に向けて振り下ろした。

「!?」

 浮遊していた球体が、激しい音を立てて破壊される。尋常ならざる相手のスピードに息を飲みつつ、靖志は慌てて次の手を考える。

「ベールを生成するよりも早く破壊すればいい。弱点を知らないとでも思ってたのか?」

 すべての球体が床に落ちたとき、氷の魔道士の身体は靖志の間接距離に入ってきている。咄嗟に杖を構えるが、遅い。特別な呪が施されたロッドの一振りで靖志の身体は宙を舞った。

「くっ……!」

 激しく身体を地に叩きつけられ、背中に激痛が走る。

「人間が俺ら円卓の騎士に刃向かうなんて、お遊びがすぎるじゃねえのか?」

 溝口は喋りながら新たな魔法を繰り出そうとしていた。
 靖志は背中の激痛を堪えて立ち上がり、古びた杖を強く握り締め、溝口との間合いを縮める。

「はっ!」

 間近に炸裂した相手の炎魔法をぎりぎりのところで躱すと、一気に間接距離に入った。
 接近戦はあまり得意ではないが、この場面においてはそちらのほうが賢い戦い方だと言えよう。イージスシステムが破壊されてしまったいま、靖志にとっては攻撃こそが最大の防御だった。
 勢いよく振った杖は“氷の魔道士”の身体を吹っ飛ばした。

「円卓の騎士も大したことねえじゃんか。人間のこと馬鹿にできんのかよ?」

 悔しそうに顔を歪めた溝口を見て、靖志は薄く微笑む。

「失せな」

 靖志は最後の一撃を叩きこむべく、高く跳躍した。空中で必殺の態勢となって一気に降下。先ほどの攻撃で大ダメージを喰らって動けない溝口にこの攻撃は防げまい。特別な呪のかけられた杖だから、シールドさえも貫通するはずだ。
 しかし、靖志の攻撃が溝口に届くことはなかった。

「甘いな、クソガキ!」

 いましも溝口に留めを刺そうとしていた靖志の身体は、直前で完全に停止している。――“ストップ”、という一時的に動きを封じる魔法をかけられたのだ。普段ならそんな低級魔法など簡単に防げるのに、このときは勝利を確信し、油断しきっていた。

「失せるのはお前のほうだ」







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