十章 救世主 「失せるのはお前のほうだ」 “氷の魔道士”――円卓の騎士、溝口は意地悪そうな微笑みを眼前で停止している金髪の男に向ける。 “ストップ”は標的の動きを停止させる魔法。かかれば数分は身動きがとれなくなる。そしてまんまと溝口の仕掛けた罠にかかったこの男も例外ではない。 溝口は勝利を確信した。相手が動けない以上、自分は好き勝手に攻撃できるのだから。さて、どんなひどいことをしてやろうか? 「最期になんか言いたいことはあるか?」 ある、と唯一動かすことのできる口で金髪の男――鎌先靖志は言った。どうせこの男は助からないのだから、最後に戯言の一くらいは許してやろう。少しくらい人間に慈悲を向けたって罰は当たらない。 「ふん、じゃあ言ってみろよ」 「――我は地獄の底より炎を呼び覚まさん」 身動きのとれない男が口に出したのは、意味を持たぬ文字の羅列だった。 「汝は地獄の底より天に手を伸ばさん その手に握られし剣は世界を打ち滅ぼさん」 溝口はようやくその文字の羅列が何なのか理解した。それは自分の主が破壊に用いるもの。強大な魔力を持つ者でなければ唱えることができないもの。――忌まわしい、古代魔法。 「その剣 天の力によりて汝と交わらん――来たれ“炎の剣”」 靖志が古代魔法の詠唱を完了した刹那、虚空に向かって火柱が勢いよく吹き上がった。それは徐々に何かの形に変化し始める。――剣だ。巨大な炎の剣が完成しつつあるのだ。だが、“氷の魔道士”はそれを見て驚いたりしなかった。 「馬鹿め! こっちにはシールドがあるってことを忘れたのか? 属性魔法は吸収されるんだよ」 見た目どおり頭の足りない男だったな、と溝口は胸中で毒づく。シールドの存在を知らなかったのだろうか? あるいは自分の窮地に気が動転してその存在を忘れていたのかもしれない。 “炎の剣”が鳥の急降下のような速さで溝口に向かって落ちていく。だがしかし、そのときには“氷の魔道士”の身体は薄い緑色のベール包まれていた。火属性魔法である“炎の剣”はこのままシールドに吸収されるだろう。しかし―― 「!?」 溝口はこの日初めて目を見開くという行為に至った。 全身が焼けるように熱い。心臓が握りつぶされたような感覚さえする。そして鼻に突き刺さる肉の焦げる臭い……。苦しみながら自分の身体を確認すると、彼の左胸に炎をまとった剣が突き刺さっていた。 「……なんでっ」 苦しさと痛みに耐え切れず、その場に膝をつく。 「馬鹿はあんたのほうだったな、おっさん」 “ストップ”が解けたらしい金髪の男が、溝口のそばに歩み寄ってくる。 「“炎の剣”は一見して火属性に思えるけど、古代魔法は全部無属性だから“炎の剣”も無属性になるってわけ。だからシールドは意味がねえ」 そうだったのか、と遠のいていく意識の中で溝口は呟いた。 「まあ楽になれよ、“氷の魔道士”」 眼前で無表情に佇む男が、いつか愛した誰かに似ている気がした。その男を殺したのは紛れもない、自分自身。破壊衝動など持って生まれたばかりに彼を―― だが、いまなら殺さずに愛し続けることができる気がする。あの世でもしも彼に逢えたらきっと―― 円卓の騎士溝口は、最期に大切なものを思い出して眠りについた。 ◆◆◆ 肉の裂けるような音がした。 だがそれは、決して大地の身体が福永の薙刀に引き裂かれたからではない。目を開くと、背後で薙刀を振り下ろそうとしていた影は完全に消滅している。――わずかな血痕を残して。 ガサガサ、と近くのひまわりが揺れた。福永か、あるいは別の誰かか――いずれにしても剣を構える必要があるだろう。 ガサ、とひまわりが一際大きく揺れたあとに、それが姿を現した。最初に目に入ったのは、艶のある灰色の毛並みだった。逞しい四肢を地面に突いて飄々としているその姿は、簡単に表現するなら巨大な狼だ。血のような赤い瞳が、何か言いたげに大地を真っ直ぐ見下ろしている。 大地はその獣に見覚えがあった。そう遠くない過去にどこかの森で世話になったような記憶が確かにある。 「若利……だよな?」 『ああ』 直接心に話しかけてくる低い声が懐かしい日の記憶を呼び覚ます。この異世界に迷い込んで初めて出逢ったのがこの獣――召喚獣フェンリルこと牛島若利だった。 「久しぶりだな!」 牛島は頷くような仕草を見せると、大地の手に大きな鼻を押し当ててくる。大地はそれを優しく撫でてやった。 「でもどうしてここに?」 『円卓の騎士討伐に協力してほしい、と岩泉から連絡があった』 確か前に岩泉が、牛島は自分の支配下にはないが、離れていても連絡を取ることができるのだと言っていた。 「あ、そういえば福永は?」 『福永?』 「俺の後ろにいた円卓の騎士」 それなら始末した、と牛島は言った。 「ありがとう、若利。お前が来てくれなかったら、俺はやられていたかもしれない……」 大地はさっき完全に罠にはめられ、そして福永に切り裂かれる寸前まで追い込まれていた。防御姿勢をとろうにも間に合いそうになかったし、牛島が来てくれなかったらと思うとぞっとする。 『礼には及ばない。――残りの敵の数は?』 わからない、と大地は首を横に振る。 「数人でここに乗り込んで、別々に戦ってる。だから他のみんながどうなったのかは……」 『そうか。では、俺たちも他の人員の手助けをしよう。城の中を捜せばそのうち遭遇するだろう』 ◆◆◆ 円卓の騎士広尾は自らの勝利を確信した。瞬時に王女の背後に移動し、サーベルを振り下ろそうとしているいま、その王女はまだこちらを振り返っていない。圧倒的な速さを持って仕掛けたこの攻撃は防げないだろう。しかし―― 「!?」 王女の姿が、サーベルが振り下ろされるまでの一瞬の内に掻き消えた。そう、先ほど広尾が王女の背後に回りこんだときと同じように。 咄嗟に後ろに旋廻させたサーベルは、硬い感触とぶつかり合って高い金属音を上げた。 「……なかなかやるな」 サーベルと対峙したのは王女の持つ最凶の暗器――衝撃波ブレードである。扇子の形をしたそれは、マイクロサイズのフレアで衝撃波を生み出すらしい。 広尾は衝撃波が放たれる前に間合いを広げる。 「じゃあ、そろそろ俺も本気でいかせてもらうよ」 |