十二章 竜の牙



 蜘蛛によく似たそのロボットは、滝ノ上を踏み潰すべく肢を大きく上げる。十トン以上の重量で落ちてくれば滝ノ上などひとたまりもない。だが、王たる男はその場を動かなかった。それどころか床に置いていた煙草を拾い、暢気にその味を楽しんでいる。――ロボットの脚部が無慈悲に振り下ろされたのはそのときだった。

<やったか!?>
「いや、生きてるぜ」

 落ち着いたテノール声は、たった今振り下ろされた脚部の下からだった。その底面は床に突いていない。なぜなら、そこに傘の先端を脚部に突き刺した男がいるからだ。
 次の瞬間、蜘蛛の肢は電気を発して弾け飛んだ。
 傘――放電・発電機能、イージスシステムを搭載した武器から電流が放出されたのである。傘の先端がロボットの中に侵入しているため、表面にしか張られないシールドは無意味だ。
 円卓の騎士小牧――顔の見えぬ相手の驚いている様子を思い浮かべながら、滝ノ上は適度に間合いを取る。

「はあ、こうも相手がデカいと苦労するぜ」

 傘にセットされた複数のボタンを弄りながら、滝ノ上は大仰に溜息をつく。

「けど頑張るしかねえよな」

 テノール声の一言にドリルの回転音のようなものが重なった。音源は滝ノ上の手にしている傘、よく見ればその傘は普通のものとは大きく異なっている。というより、それは傘の形をした別のものだった。
通常、傘の防雨部はナイロンの交織ファブリック布などでできているものだが、滝ノ上の持つそれは鋼鉄でできていた。先端から傘となる部分までが高速回転し、ドリルの回転音に似た音――いや、ドリルの回転音そのものを上げていたのだ。

「肉体労働は嫌いなんだけどな……」

 お世辞にも速いとは言いがたいスピードで滝ノ上は走り出した。とはいえ、脚部を一本失い、バランスが取れずに辟易しているロボットにこの攻撃は防げまい。
 傘――正式名“鬼の絶叫”の一閃。高速回転により小規模衝撃波を放つその武器の攻撃は、蜘蛛の胴体に大きな爪痕を残した。無論、“鬼の絶叫”も靖志に死ぬほど魔力を注がせているため、シールドの意味はない。

「さて、小牧。そろそろ降参したらどうだ? お前を生かしておくつもりなんてねえけど、無駄なあがきは疲れるだけだぜ?」
<……降参だと?>

 スピーカーを通じて耳に入った声は、狂気こそ感じられぬものの僅かに怒気を含んでいた。

<人間風情がつけ上がるなよ!>

 僅かな怒気から激しい怒気に転じた小牧の声が、広い格納庫に響き渡る。

<殺してやるッ!>

 殺意までもを露にしていたが、滝ノ上は恐怖など抱いたりしなかった。“鬼の絶叫”の回転を止めると、いつものように煙草を咥える。――蜘蛛の形をしたロボットのハッチが開いたのはそのときだった。

「聖彼王!」

 怒り、殺意、憎悪、興奮……あらゆる感情をない交ぜにした表情でロボットから出てきたのは、眼鏡をかけた青年だった。白い肌の端整な顔立ちを憤怒に染め、震える手には銃らしきものが握られている。

「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 獣の雄叫びめいた絶叫と、一つの銃声が重なった。だが、銃声は小牧の構えた銃から上がったものではない。小牧が確かに構えたはずの銃は、魔法のように彼の手中から消滅している。
 我が身に何が生じたのかわからぬ小牧は周囲を見回した。そのときに光る何かを見つけて、敵方の仲間が来たのだと悟った。

「お前が単純なやつで助かったぜ。これでジ・エンドだ」

 滝ノ上の口から死の宣告が告げられた刹那、小牧の四肢が血飛沫を上げて吹き飛んだ。苦悶に歪む若者の顔は何かを口走ろうとしたが、沸き上がってきた鮮血にそれは叶わなかった。
 発動させた単分子ワイヤーを停止させ、滝ノ上は一つ息をつく。

「安らかに眠れよ、小牧譲。そんで二度と目覚めんじゃねえ。――にしてもナイスタイミングで来てくれたな、田中弟」

 うっす、とよく通る青年の声がどこからともなく聞こえてくる。そして、巨大な機械の陰に隠れていたらしい坊主頭の神父と、白い尼僧服を朱に染めた金髪の美女が一緒に姿を現した。

「円卓の騎士を二人始末しました、殿下」

 金髪の美女――田中冴子は無表情に自分たちの状況を告げた。

「へえ。いまので三体……他のやつらはどうなってんのやら」

 大した実力のない滝ノ上でこれだから、他の者――息子や“希望の星”はもっと余裕でクリアしていることだろう。あるいはそこで無残な死体と化した男が偶然弱かっただけなのかもしれないが。

「とりあえず、ここを破壊しよう。それから状況の確認だ」

 田中兄弟が頷いたのを確認して、滝ノ上はもう一度単分子ワイヤーを発動させた。


 ◆◆◆


 西の空は黄昏に染まり始めている。
 暗黒の海に沈みかけた夕日をバックに、二つの影が上空を舞っていた。それらは時折交わったり、そうかと思えば距離を広げて激しい光を放ったりしている。
 一方は銀色の、もう一方は夜の闇より暗い色の躰をしており、どちらも人ではない。ドラゴン――最高位の召喚獣と言っても過言ではない生き物たちが、主を背に乗せて激しい戦闘を繰り広げていた。。

「そろそろ諦めたらどうだい、岩ちゃん?」

 美男子と呼ぶにふさわしい端正な顔立ちの青年が、揶揄するように言葉を投げかけた。

「そっちこそ、黒海に沈む覚悟をしたらどうだ?」

 一方の短い黒髪の青年もまた、皮肉のこもった言葉で答える。
この戦いが始まってからすでに六時間。どちらの青年も、そして黒竜も銀竜も疲弊した様子を見せないでいるが、実際のところは体力的にも精神的にも限界が近い状態だった。
 黒髪の青年――岩泉は硬い表情を浮かべたまま黒竜に攻撃の指示を出す。細やかな動きだが確かにそれは黒竜に伝わり、その手中に黒い球体が出現した。
 電磁重力球体――直撃すれば即死さえし得るそれは、生き物のようなコミカルな動きで銀竜に向かう。

「甘いよ」

 だが、黒竜の繰り出した球体は、銀龍に届く直前に出現した白い光によって打ち消された。

「あの攻撃ごときに“ホーリー”なんて、お前も無駄に魔力を使うな」

 岩泉は及川を揶揄すると、黒竜に上昇の指示を与える。

「どこへ逃げたって無駄だよ」

 遠ざかっていく及川の声を耳にしながら、“グラビガ”を放った。
 グラビガは広範囲に渡って重力を通常の十倍にする攻撃魔法であり、巻き込まれれば体力を大幅に削られる。これが及川に命中すれば銀竜もろとも弱ってくれるだろう。そうなればこちらが幾分か戦いやすくなる。
 だが、グラビガが及川たちに到達するよりも早く、その姿は魔法のように掻き消えた。

「やべえな……」

 岩泉は慌てて辺りを見回すが、及川――銀竜――の姿を捉えられない。ここで後ろを取られれば岩泉の負けは確実だろう。背後に注意を配りつつ黒竜を上昇させる。――青白い光が自分たちのすぐそばを走ったのはそのときだ。
 もしも黒竜がその巨体を傾けていなければ、岩泉は今頃炭の塊と化していただろう。だが、相手の攻撃を回避することには成功したものの、結果的にはそれが岩泉たちの命を更なる危機に晒すことになる。

『!?』

 呻きに似た声が回避行動をとっていた黒竜から上がった。見ると、左翼の一部に大きな穴が空いていた。肉が焼け焦げたような臭いが岩泉の鼻を突く。
 黒竜の巨体は糸が切れたように動かなくなり、眼下に広がる暗黒の海に向かって落下し始めた。虚空に投げ出された岩泉の身体も隕石が落下するかのごとく急降下を開始する。

「――岩ちゃん!」







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