十六章 始まりの扉



「誰か俺に話しかけてくれよ。でないとマジで吐きそうだ……」
「だったら便所に行きやがれ。ってかそれ以前に動いてねえつーの」

 飛空艇のブリッジでは、聖彼王親子のあまりに場違いな会話が繰り広げられていた。他に尼僧と神父が一人ずつ、そして坊主頭の若い男が一人、その他何名かの飛空艇スタッフがいるが、いずれも沈黙を守っている。
 そのせいもあってか、親子の馬鹿な会話は悪目立ちしていた。王族の会話とは思えぬボケと突っ込みのオンパレードである。

「――あの」

 そんなわんぱくワールドに割って入った弱々しい声は、坊主頭の男のものだった。

「大地くんは本当に大丈夫なんでしょうか?」

 坊主頭の男――海は想い人のことが心配でならなかった。何せ彼は自分と同い年の、大人と呼ぶにはまだ早い歳だし、たくましいとはいえ決して無敵ではない。
 いつか彼は自分の父と戦うことをひどく悲しんでいた。愛する父を討つことなどできない、と泣きそうになりながら訴えていたのをよく覚えている。最終的に戦う道を選んだが、それでも心中で躊躇いはあっただろう。
 そして、彼の父は最強の破壊神――世界を滅ぼす力を持った者である。そんな人間――あるいは神――を討つことなど本当にできるだろうか?
 
「心配すんなよ、信行」

 聖彼王は微笑む。

「大地は絶対に生きて帰ってくる。愛しのお前が待ってるんだからな。信じて待つんだ。あいつにも言われただろ?」

 その言葉がひどく温かく感じられたのは、海の心が心配で凍りつきかけていたからかもしれない。信じることは少しだけ安心感を生んだ。

「――戻りました」

 少女の声がしたのはそのときだった。



「戻りました」

 仁花がブリッジの出入り口から声をかけると、そこにいた一同が例外なくこちらを振り向いた。その視線は仁花を通り越し、その背後に佇む重々しい鎧を身につけた巨漢――大平に向けられているようだった。

「怪我はねえか?」

 近づいてきた父に頷いて、背後の偉丈夫を振り返る。

「この人は……仲間です。私に協力してくれました」

 おそらく、この中にいるだいたいの人間が大平の正体をすぐに察したことだろう。少数で乗り込んだはずだから、仲間かそうでないかなど一目でわかる。

「破壊衝動がないそうです。だから私とともに円卓の騎士と戦ってくれました。おかげで三人討伐することができたんです」
「よくやったな」

 仲間になったもう一人の円卓の騎士――黒尾は重傷を負っていまはこの飛空艇の医務室で休ませている。重傷と言っても澤村の回復魔法のおかげで傷は軽くなっているから、あとは意識が戻ればそれで安心だ。

「ここに戻って来たってことは、大地に会ったんだな?」
「はい。一人で奥に行っちゃいましたけど……」
「やっぱりそうか。まあそれはそれでいい。あとはあいつに任せよう」

 加勢しなくてもいいのですか、と訊きかけたのを仁花は賢明にも呑み込んだ。澤村が残した言葉と同じ答えが返ってくるとわかったからだ。自分の手で決着をつけなければ、真に決着はつかない。

「俺たちにできるのはここまでだ。アーサー王は人外の力を持ってる。どんな優れた兵器を用いたって敵わねえだろうな。対等し得るのは“希望の星”の力のみだ。他の円卓の騎士を倒せただけでもすごいと思おうぜ」

 聖彼王は淡々と告げると、ズボンのポケットから煙草とライターを取り出した。そして、いつものように優雅にシガーの味を楽しむ。

「そういや一がまだ帰ってきてねえな。あいつのことだから大丈夫だとは思うが……」

 この世に二人しか存在しない召喚士の片割れ。埋葬された召喚士の遺体から細胞を採取し、幾度の実験を経て生まれた彼らは、物心つくと別々のほうへ進み始めた。本当の意味での同胞は互いだけだったはずなのに、心が通わなくなり、そしていまこのとき、この空のどこかで戦っている。
 窓の外に目を向けると、大きな月が希望の光のように輝いていた。


 ◆◆◆


 夜――それは漆黒の闇が支配する世界である。
 キャメロット城の中にも闇がわだかまり、完全に漆黒の世界をつくり上げていた。だが、目が慣れてしまえば困ることもない。通路には障害物はないようだし、目指す先まで曲がり角すらなかった。
 大地は鞘のない古びた剣の柄を握り、正面にある扉まで歩く。
 あの扉の向こうにいるのはもう、きっと一人しかいない。十三人の円卓の騎士のうち、十人を殲滅、残る二人は味方についてくれた。そして最後の一人はあの扉の向こうにいるはずだ。
 破壊神、殺戮神、炎の王――様々な肩書きを持つアーサー王だが、いずれも大地の印象にはない。重要なのはその者が父であるということ。それだけだ。
 だが、相手が父だからと言って手加減するつもりはない。父だからこそ悪いことをすれば諌めたい、と思う。だから自分の持つ力をすべて出し切って父を討つ。
 この扉を開ければ、すべてが始まり、すべてが終わる。
 大地はいま、ハルモニアというとても大きなものを背負っている。自分の行動次第で世界の運命が左右されるのだ。アーサー王を討って平和を手に入れるか、アーサー王に滅ぼされるか――いずれも二つのうちの一つの道を歩むことになるだろう。
 意を決したように右手を伸ばすと、冷たい石の感触がした。そしてゆっくりとそれを押し開ける。







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