バイトが終わり、さあ帰ろうかと外に出ると、目の前の道路が薄っすらと水に濡れていた。雨が降り出したのだ。傘を用意していなかった澤村大地は思わず舌打ちをし、どうしたものかと考える。
 とりあえずここから駅まではすぐだから傘がなくても問題ないが、電車を降りて駅から自宅に向かうまでの道のりは、十五分近く歩かなければならないから絶対にずぶ濡れになってしまう。けれどコンビニで傘を買うのはなんだか悔しいし、タクシーを使うのももったいなくて気が引ける。

(今日はあいつの家に泊まらせてもらおうかな……)

 迷っているうちに友人の一人の顔が浮かび、大地はメッセージアプリで彼と連絡を取ってみる。返事はすぐに返ってきた。急だったが大地の来訪を歓迎してくれるようだ。そのことに安堵しながら、大地は駅に向かって駆け出した。
 ホームに立つとちょうど入って来た電車に乗り、いつも降りる駅を通り越して五駅目で降りる。駅を出ると彼のアパートまでは歩いて三分だ。走ればもっと濡れなくて済む。
 インターホンを押すと、少し間を置いて鍵が開錠される音がして、開いたドアから彼――友人の海信行が顔を覗かせる。目が合うといつもの優しい笑顔を浮かべて大地を迎え入れてくれる。

「急にごめんな」
「用事も終わったとこだったからいいよ。いつの間にか雨降ってたんだな〜。とりあえず風呂入って来なよ」
「そうする」

 海の勧めどおりに風呂に入り、雨に濡れた身体を温める。上がるとタオルで身体を拭き、全裸のままリビングに戻った。男同士だから海に見られたところで別に恥ずかしくない。

「信、パンツと服貸して」
「着替え持って来なかったのか?」
「バイト先からそのまま来たから」
「しようがないな〜」

 言いながら海は奥の寝室に引っ込み、下着や服を持って来てくれる。大地と海は体格がほとんど同じなので服のシェアが可能だった。と言っても下着を借りるのはこれが初めてだが。

「……って、あれ? 海さん、何かエロいのが出てきたんですが……」

 穿こうと思って手に取った下着は、ビキニタイプの布地の面積が狭いものだった。

「ああ、それ? 人に勧められて穿いてみたら結構収まりよくて、気に入ってるんだよね。今それしかないから我慢して」
「左様ですか……」

 これしかないと言うならこれを穿く以外に大地に選択肢はない。仕方なく足を通す。

「うわ、やっぱこれエロいよ信! 爽やかな顔していつもこんなの穿いてたのか!?」

 前側は性器がぎりぎり収まるくらい、後ろ側は尻が少しはみ出るくらいの布地しかなく、全体的に露出度が高めだ。しかも股間がボクサーのそれよりもっこりと強調されていやらしく見える。

「さすがに人に見られる機会がある日は穿かないようにしてるよ。それにしても大地はマッチョだからそういうのも似合ってるな。カッコいいよ」
「そ、そうか?」

 うん、と海は優しく笑う。カッコいいと言われると嫌な気はしないが、やっぱりこの下着一枚でいるのは恥ずかしくて大地はすぐにスエットを穿いた。

「あ、そうだ。大地がいつも文句言うからドライヤー買ったんだよね」
「え、マジっすか?」
「マジっす」

 坊主頭の海はドライヤーをかける必要がない。だからこの部屋にはドライヤーがなくて、泊まるときはいつも不便に感じていた。

「せっかくだから信がかけてよ」
「せっかくの意味がわからないよ……。まあ別にいいけどな。ほら、こっち座って」

 海の前に胡坐を掻いて座ると、後ろからドライヤーをかけてくれる。優しく髪に触れられるのが何だか心地よかった。

「信ってホント面倒見いいよな〜。お母さんって感じする」
「お母さんって言われるのは全然嬉しくないな〜」

 大地も昔から面倒見がいいと言われるほうだったが、海が相手だとこんなふうについ甘えたくなってしまう。そうさせる魅力というか、すべてを受け入れて優しく包み込んでくれるような雰囲気が海にはあった。

「俺将来、信みたいな女と結婚する」
「彼女もいないのに結婚とはずいぶん気が早いな」
「うるさいな〜。信だって彼女いないだろ」
「まあな〜」

 彼女が欲しい、と漠然と思うことはあるけれど、実際に合コンやそういった類のイベントに参加したことはない。あぶれたらどうしよう、という不安もあるし、仲のいい海がまったく参加しないこともまた不参加の一つの要因だった。とりあえず海に彼女ができないうちは大地も別にいいかな、と思っている。

「にしても不思議だよな。こんなに優しいのにどうして信には彼女がいないんだ?」
「俺は地味で目立たないからな〜。顔だってこんなだし、年中坊主だし」

 海が坊主なのは癖毛で伸ばすと変だからだと言っていた。伸ばしたところもそれはそれで見ていたい気もするが、こんなに坊主が似合う男もなかなかいないからそのままでいてほしい。

「俺は大地に彼女がいないことのほうが不思議だけどな。頼りになるし、顔だって男前なんだから言い寄られてそうなもんだけど」
「お、俺って男前なのか?」
「そうだと俺は思ってるよ」

 そういうふうに言われたことがないから、たとえ言われた相手が同じ男の海でもちょっと嬉しい。

「残念ながら言い寄られたことなんてありませんけど」
「でも彼女は欲しいんだろ?」
「そりゃ欲しいとは思ってるけど、積極的に探すほどじゃないかな。今は信と一緒にいるほうが楽しいし」
「お互い女っ気ないな」
「先に信に彼女ができて遊んでくれなくなったらどうしよう……」
「とりあえず、当面はそういった予定はないから安心しろよ」

 いつも優しく大地を迎え入れてくれる海も、やっぱり彼女ができたらそっちが優先になって、大地のことは二の次になってしまうんだろう。今日みたいに急に泊まらせてくれと頼んだら、断られるようになってしまうのかもしれない。想像するとちょっと寂しかった。

「あ、そうだ。俺さっきまでハンジュラの新しいアルバム聴いてたんだよね。大地も聴く?」
「聴く!」

 ハンジュラとは大地と海がそろってハマっている日本の女性シンガソングライターだ。失恋ソングを中心にしっとりとしたバラードを多く書き下ろしているアーティストで、ストレートな歌詞も切ないメロディーも大地の好みだった。

「今日発売だったのすっかり忘れてた」
「俺は昨日からずっとそわそわしてたよ。まだ聴いてる途中だからイヤホン片方だけでいい?」
「うん」

 ドライヤーをしまった海はローテーブルの上に置かれていたポータブルオーディオプレイヤーを手に取り、壁を背もたれにして座ってイヤホンを片方差し出した。

「ほら」
「サンキュー」

 その隣に座り、イヤホンを受け取って片耳に装着すると、海が歌詞カードを二人の間に置いた。途中まで聴いていただろうに、どうやら大地のために一曲目から再生し直してくれるようだ。優しいやつだな、と心の中で呟いていると、イヤホンから音楽が流れ始める。

 海は同じ大学に通う同級生で、学部は違うが同じバレーサークルに所属している。知り合ったのは高校生の頃だ。大地は宮城、海は東京と住まいは離れていたものの、互いの高校のバレー部に繋がりがあり、練習試合をする機会があってそのときに初めて顔を合わせたのだ。
 初対面のときはほとんど会話する機会がなかったが、合同の合宿で次に会ったときに海のほうから話しかけられ、同じハンジュラ好きなのもあって親しくするようになったのだった。
 そのときに連絡先を交換し合い、合宿が終わってからもメッセージのやり取りをしていたのだが、同じ大学に進学することを互いに知ることになったのは高校卒業を間近に控えた頃だった。そんな偶然もあるんだなと驚き合ったのをよく憶えている。
 大学入学後は一緒にバレーサークルに入り、高校時代までの厳しい部活とは違う、自由で伸び伸びとしたバレーを一緒に楽しんでいる。サークル外でもともに行動することが多く、互いの部屋を行き交うことももう何度したかわからない。
 海のそばは居心地がよかった。優しくて、温かくて、海といるといつもすべてを預けてもいいんだと思えるような安心感を覚えた。海も海で大地のことを気に入ってくれているらしく、さっきみたいに大地が甘えても嫌な顔一つしないし、多少の我儘も受け入れてくれる。それでも時々小さな喧嘩をすることはあるけれど、すぐに仲直りすることができた。

 あと二曲でアルバムも再生し終わるという頃になって、大地の肩にコツンと何かが乗っかってきた。海の頭だ。どうやら眠ってしまったらしく、曲の合間に規則正しい寝息が聞こえてくる。
 大地は海の頭をのかしたりせず、そのままにして曲の続きを聴くことにした。相手が他の男ならさっさと頭をのかせるところだが、海が相手なら不思議と不快じゃない。それに海はいつも大地を甘えさせてくれるし、たまにはこうして甘やかすのも悪い気はしなかった。
 全曲再生が終わると海の耳からイヤホンを外してやり、一度彼のそばを離れて隣の寝室に続くドアを開け放つ。海が一度寝始めるとちょっとやそっとじゃ起きないことは学習済みだ。フローリングの上で寝かせるのは可哀想だし、なら大地がベッドまで運んでやらなければならない。
 海を抱きかかえる前に大地は一度深呼吸する。腕力には自信があるほうだが、自分とほぼ同じ体格の海を抱きかかえるとなると気合いを入れなければならない。よし、と一人呟いて、彼の背中と膝の裏に腕を差し入れ、腰を痛めないように気をつけながら持ち上げる。

「ふんぎゅっ!!」

 やっぱり重かったけれど、何とか抱えられるレベルだった。絶対に落としてなるものかと踏ん張りながら歩き、何とかベッドまで運ぶことに成功する。
 この一連の動作の中でも海は一瞬も目を覚まさなかった。穏やかな寝顔を晒したまま、大地がかけてやった布団を掴んで向こう側に寝返りを打つ。
 海が寝ているのをいいことに、大地は彼の坊主頭にそっと手を伸ばした。触れるとチクリとした硬い感触がする。ゆっくりと手を動かすとまるでブラシで優しく擦られているみたいに気持ちよくて、もうずっとそうしていたくなった。

(なんだこれ……はあ、ホントなんだこれ……なんかすごいっ)

 大地の後頭部も散髪したばかりの頃はこれに近い手触りがするけれど、海のはもっと洗練されていて、一度触るともう手を離せなくなるような感じだ。
 ふと気がつくと、十分近くも海の頭を撫で回していた。名残惜しく思いながらも坊主頭から手を離し、クローゼットから客用の布団を取り出してベッドの隣に敷く。そして寝ようと思って横になったが、やっぱり名残惜しくてもう一度海の頭を撫でるのだった。



 この日最後の講義が終わると、大地は大学から程近いところにある小さな体育館に向かった。今日は水曜日、バレーサークルの活動日だ。メンバーは確か全部で二十人近くいたと思うが、バイトやその他各々の事情で集まるのは毎回十二、三人程度と、ぎりぎりゲームができる程度に収まっている。
 体育館までもう少しというところまで来たところで、サークル仲間で同級生の小見春樹の後姿を見つけ、大地は少し離れたところから彼を呼んだ。小見は振り返って大地の姿を見止めると、大地が追いつくのを待ってくれる。

「お疲れさん。信は一緒じゃないのか?」

 学部も学科も同じ小見と海はいつも一緒に体育館に向かっていたはずだが、今日は珍しく小見一人だった。大地が訊くと、小見はそのあどけなさの残る顔に困ったような表情を浮かべる。

「大地、海から何も聞いてねえの?」
「聞いてないって何のことだよ? 何か用事でもできたのか?」

 サークル活動の出欠確認は確か出席になっていたはずだ。急用で参加できなくなったときは大地にも連絡をくれるはずだが、海からそういったメッセージは届いていない。

「例の噂も聞いてねえの?」
「噂?」
「そっか。他の学部のやつらにはまだ知れ渡ってねえんだな」

 小見は表情を曇らせる。その様子からも何か大変な事態が起きているのだということは察せられた。

「今日学校行ったらさ、海がゲイだっつー噂が広がってたんだよ」
「えっ!?」

 まるで予想もしていなかった言葉に、大地は脳天に一撃を喰らったような衝撃を受けた。歩いていた足が急に重くなり、ついにはその場に立ち尽くす。

(信が、ゲイ……?)

 確かに女っ気のないやつだとは思っていたが、まさかゲイだとは想像もしたことがなかった。そういう人種は遠い世界にいて、自分とは関わることなんてないんだろうと勝手に思い込んでいた。それがこんなに身近に――それも一番近しい存在と言っていい海がそうだなんて誰が想像できただろう?

「そんで同じ学部の中にはそのことで海をからかう奴らもいて、海も居たたまれなくなったのか途中で気分悪いって言って帰っちゃったんだ」
「その……信がゲイだっていうのは本当のことなのか?」
「……ああ。海自身も認めてたし、証拠も掴まれてたから」
「証拠……?」

 小見は何か言い辛そうに口ごもったが、しばらくすると決心したような真剣な顔になって再び口を開く。

「海が男とやってる動画がSNSに上げられてたんだよ」
「えっ……」
「俺はそれ観てないんだけど、誤魔化せないくらい顔がはっきり映っちゃってるらしくて、海も言い逃れできなかったんだ」
「誰だよ、その動画流したやつ」
「知らね。それを見つけてきたやつも、噂を流し始めたやつもよくわかんねえよ。とにかく海がゲイってこととその動画が学部内で広まってるような状態なんだ」

 海がゲイであることに対して受けた衝撃を引きずりながら、大地はその奥のほうから煮えたぎるような怒りが湧いてくるのを自覚した。

(なんで信がそんな晒しものみたいにならなきゃいけないんだよっ)

 確かにゲイは少数派だし、正直大地も物珍しい人種であるというふうに感じている。でもだからってそれをネタにからかったり、行為の様子を晒すなんてことをしていいわけがない。
 今頃海はどうしているのだろう? 傷ついて、落ち込んで、一人で泣いたりしてはいないだろうか? 想像するとやはり腹が立った。動画を上げた人間も、それをネタに海をからかったという人間も赦せない。全員縊り殺してやりたい。

「大地も海がそうだってこと知らなかったのか?」
「知らなかった。全然そういう感じしなかったし」

 そもそも二人の間に恋愛の話はほとんどなかった気がする。まず大地は話すほどの経験がなかったし、海も同じようなものだと勝手に思っていた。

「あいつと一番仲のいいお前が知らなかったってことは、たぶん誰にも言ってなかったんだろうな」
「どうだろう……。やっぱりそういうのって、俺にも言い辛いもんだったんだろうか? 俺は別に信がゲイでも気にしないし、今までどおり友達でいてやれるのに……」
「俺だってそうだよ。けどやっぱ当人からすれば誰かに打ち明けるのって相当勇気が要るもんなんじゃねえの?」

 海には信頼されてると思っていた。海が大地に優しくしてくれるように、大地も海に優しくしているつもりだった。それでもゲイだということを話してくれなかったのが、少しだけ寂しいことのように感じられた。

「あれからメッセージ送ったりしてるんだけど、既読にすらならねえ」

 小見がスマホに目を落としながら言う。

「なら俺が直接信のとこに行って来る。心配だしな」

 一人で塞ぎ込んでいるなら、そばにいて慰めてやりたかった。味方はちゃんといるんだと教えてやりたかった。そうしてやりたいと強く思うほどに大地は海のことを大事に想っている。

「じゃああいつのことは大地に頼むな。あいつにとってもたぶん、俺より大地が来てくれるほうが安心だろうし」
「だといいんだけど……」



 結局大地は体育館に顔を出すこともせず、小見と話すとそのまま海の元へ向かうことにした。
 電車に揺られながら、まだ衝撃から完全には立ち直れていないことを自覚する。アウティングをした奴に対する怒りもまだメラメラと燃え盛っていたが、海と冷静に話をするだけの余裕はありそうだった。というかそうでなければ海の元へ駆けつけようなどと思わなかっただろう。
 電車を降り、もう何度も通った道を歩いて海のアパートに到着する。インターホンを押そうとした手が少しだけ震えていた。緊張しているのだ。海にどういう言葉をかけたらいいのか、どういう態度で接すればいいのか正直よくわからないところがある。他人のこんなデリケートな部分に触れるのは初めてだし、海が今何を望んでいるのかも想像がつかない。だけど彼の元へ駆けつけないという選択肢はなかった。唯一無二の親友を独りにするなんてことはできなかった。
 震える指を押し込み、インターホンを鳴らす。けれどしばらく待ってもスピーカーからの応答はなく、中から物音もしない。

(ひょっとしてどこかに出かけたのか? それとも居留守?)

 連絡もなしに来たのは失敗だったかと反省しながら、大地は海に電話してみようとズボンのポケットからスマホを取り出す。その瞬間に目の前のドアが開いて、海が隙間から顔を覗かせた。

「大地……」

 海は笑った。けれどいつもみたいな優しいそれじゃなくて、どこか弱々しく今にも消えてしまいそうな笑顔だった。

「信……あの、俺、春樹からあのこと聞いて……」
「そっか……」

 声にも元気がない。こんなに弱っている海を見るのは出会ってから初めてのことだ。

「とりあえず、上がる?」
「うん……」

 小見がメッセージに返信してくれないと言っていたから、大地も部屋に上げてもらえないんじゃないかと少し心配していたが、それは杞憂だったようだ。
 中に入り、リビングのローテーブル前のいつもの場所に座ると、海が茶を淹れてくれる。二人分のそれをテーブルに置くと、彼は大地の正面に座った。

「大地はどうしてここに来ようと思ったんだ?」

 一言目にまず何を言うべきか迷っている大地より先に、海のほうが口を開く。

「信のことが心配だったから。春樹がメッセージ送っても既読にすらならないって言ってたし、信が一人で泣いてるのかもって想像したら、駆けつけずにはいられなかった」
「心配かけてごめんな。大丈夫……とは言わないよ。正直結構参ってる」

 本当に参っているんだというような、辛そうな顔をする。

「ゲイがばれたのは正直それほど気にしてないんだけど、動画晒されちゃったのはさすがにな……。全部ばっちり映っちゃってるし、卑猥な単語とか恥ずかしげもなく言っちゃってるやつだから、もう死にたいくらい恥ずかしい」

 動画の詳細は観てないからよくわからないが、同じことをされたら大地だって恥ずかしくて人前に出られなくなっていただろう。仲のいい友人に会うのでさえも気まずさを覚えていたかもしれない。

「大地もあの動画観たのか?」
「観てねえよ。春樹も観てないって言ってた」
「絶対に観ないでくれよ?」
「そんな気まったくないから安心しろよ。友達のそういうのって普通観たくないだろ」
「まあ確かにそうだな……」

 だけど正直に言えば、例の動画がどんなものなのかちょっとだけ興味がある。このいやらしいことなど何一つ興味なさそうな男がどんな顔をして卑猥な単語を口走っていたのか、観てみたい気がした。

「大地は俺のこと気持ち悪いって思わなかったのか?」

 そう訊ねた海の顔は、まるで追い詰められた子犬のように臆病な表情をしていた。そんな顔をするのも無理はない。海は今、一番親しい相手に自分の性指向を受け入れてもらえるかどうかの瀬戸際にいるのだ。拒絶されればここで一番近しいはずだった友人を一人失うことになる。昨日まで笑い合っていたはずの相手に拒絶されれば、ショックも一際大きなものになるのだろう。

「俺が信のこと気持ち悪いだなんて思うわけないだろう」

 その言葉に嘘はない。海が何であれ大地の大切な友人だということに変わりはないし、むしろ海には本当の自分を隠してほしくなかった。

「そりゃ驚きはしたけど、信がゲイだからって拒絶する理由にはならない。それよりも俺がショックだったのは信が童貞じゃなかったってとこだよ。童貞仲間だって信じてたのに……」
「う〜ん……いや、確かに男と寝たことはあるんだけど、俺受け入れる側しかしたことないから童貞で間違いないと思うぞ」
「そ、そうなのか!?」
「うん。大地は俺が抱く側だと思ってたのか?」
「だって信って全体的に男らしい雰囲気してるじゃないか。性格もしっかりしてて頼りになる感じだし、だから普通に抱く側なのかと思ってた」
「見た目の印象とか雰囲気はあんまり当てにならないよ。厳つい顔をしたやつが実は受け入れる側ってこともよくある話だから」

 男を抱く海も想像できないが、抱かれる海はもっと想像できない。こんな男らしい顔をしているのに、男に組み敷かれてアンアン喘いだりしているのだろうか? 

「ち、ちなみに今まで何人くらいとやったんだ?」
「そうだな……まあ両手の指じゃ足りないくらいとだけ言っとくよ」
「そんなに!?」

 精々四、五人程度だと思っていたのに、返って来た数字は予想の倍以上だった。しかも両手じゃ足りないというのはあくまで下限だから、ひょっとしたら何十人もの男と関係を持っているのかもしれない。

「何かすげえショックだ。そっちの経験ないのは俺だけで、信は一人でずっと先を行ってたんだな……」
「いや、でも相手男だし、さっきも言ったように俺受け入れる側しかしたことないから。大地がショックを受ける意味がわかんないよ」
「そうなんだけど、それでも何かショック……」

 それだけ経験があるということは、それだけモテるのと同義だ。容姿の系統や雰囲気的に大地と同じジャンルの同じくらいのランクに位置しているものだと勝手に思っていたが、勘違いだったようだ。だって大地は相手が女であれ男であれそういう誘いを受けたことなど一切ない。

「やっぱり俺ってモテないのか……」
「どうしてそういう話になるんだよ……。そこそこ経験があるからって、俺は別にモテてるわけじゃないぞ? 自分から積極的に行動した結果そうなっただけだ」
「積極的に行動って?」
「出会いの場に行ってみたり、ネットを使って相手を捕まえたり、とか。大地も合コンとかに参加してみればいいじゃないか」
「合コンか……」

 今まで自分に自信がなくて避けてきたそれにも、そろそろ参加するべき時なのかもしれない。そうしなければ益々海が遠い人間になってしまう気がした。

「信って、今は付き合ってる相手とかいないのか?」
「今はいないな。というか恋人がいたことは一度もないよ」
「えっ!? じゃあ付き合ってもない相手とばっかやってたってことなのか!?」
「まあそういうことになるな。そういうのってやっぱり引く?」
「別に引きはしないけど、そういうやるのが目的みたいな関係って俺にはあんまりに縁のないもんだから、すげえ衝撃的。海も結構遊んでるんだな……」
「俺だって男だからな。性欲だってあるし、正直に言えばセックスってすごく好きだよ」
「セッ、セッ……」

 恥ずかしげもなく海がその単語を口にしたのも大地にとってはまた衝撃的だった。

「俺さ、その界隈じゃどうも“淫乱坊主”って呼ばれてるみたいなんだよね」
「い、淫乱坊主……」

 これほど淫乱という言葉から遠そうな顔をしている男もいないだろう。けれど本当にそう呼ばれているなら、この男は大地の知らないところでは想像もつかないようないやらしい顔をするのかもしれない。

「何だかさっきから大地を驚かせてばっかりだな」
「ホントだよ。俺、信のことなら割と何でも知ってるつもりでいたけど、知らないことばっかりだったんだな……」
「そりゃ俺が隠してたからな。けどセックスの経験はさておき、ゲイだってことはいずれ大地には話すつもりでいたんだ」
「そうなのか?」

 うん、と海は頷いた。

「嘘をつき続けるのも疲れるからな。ただなかなか勇気が出なくて、ずっと先延ばしにしちゃってたんだけど」
「俺はそれ、信の口から聞きたかったよ。まあもうそれは言っても仕方ないんだけどな。信にとっても今回のことは予想外だったんだろうし」
「そうだな。噂広めたのが誰なのかは俺もよくわからないんだけど、バレちゃったもんはもうどうしようもない」
「俺は信の味方だから安心しろよ。ゲイだろうが経験人数がとんでもないことになっていようが、大事な友達ってことは変わんねえよ」
「ありがとう……」

 海は笑った。さっき玄関で見せたときのそれに比べると、少しだけ明るさを取り戻したように感じられた。

「大学はどうするんだ? ひょっとして辞めちゃうのか?」
「いや、さすがに辞めるつもりはないよ。今回のことも放っておけばそのうちほとぼりが冷めるだろうし、とりあえず明日だけ休んで、土日挟んで来週からは普通に出ようと思う」
「同じ学部だったら俺が四六時中そばにいて守ってやれるんだけどな〜」

 同じ大学でも学部が違うだけで、校内で顔を合わせる機会はほとんどない。

「俺がいないとこは春樹に任せるしかないか。あいつも信の味方だって言ってたし」
「ホント、大地も春樹もありがたいと思ってるよ」

 とりあえず海に大学を辞めるつもりはなかったことに安堵し、大地は今日この部屋に来て初めて気を楽にした。海の淹れてくれた茶を飲み、はあ、と嘆息する。
 それからはいつもどおりに過ごした。テレビを観ながら時々海と会話し、一緒に音楽を聴き、大学の課題があることを思い出してそれを片付け――。まるで何事もなかったかのようにいつもどおりの二人に戻っていた。
 何となく海を一人にしたくなくて、大地はそのまま泊まっていくことにした。着替えと明日の講義に必要なものを取りに一度自宅に帰り、ついでに二人分の総菜を買ってまた海の部屋に向かう。
 再び大地を出迎えてくれた海は部屋着に着替えていた。風呂に入ったのかいい匂いがする。大地も風呂を借り、汗や汚れを洗い流してから海と夕食を食べた。
 そうして二十二時を回った頃、海がもう休みたいと言うので大地もそれに合わせて床に就いたのだが、寝るにはまだ早い時間だったせいか寝付くことができず、布団の中で何度も寝返りを打っていた。
 海はベッドの上で穏やかな寝息を立てている。布団から出て壁側を向いた寝顔を覗き込むと、今日一日いろいろあったにも関わらず安らかな表情をしている。
 大地はそっと手を伸ばし、海の坊主頭を撫でた。相変わらずジョリジョリしていて触り心地がいい。一晩中撫でていても飽きなさそうだと思いながら、しばらくの間そうしていた。

(それにしても、こんな無害そうな顔してるのに経験人数二桁越えはびっくりしたな……)

 快楽目的に不特定多数の男に股を開く。事実なのだろうが、大地の中ではそれと海とが上手く結び付かないままだ。女を弄ぶ海も想像がつかないが、それ以上に淫らに男を誘う海なんてこれっぽっちも映像が浮かんでこない。

(そういえば例の動画って結局どんなだったんだろ?)

 海がゲイであることがアウティングされるきっかけとなったもの。動画の中で卑猥な単語を恥ずかしげもなく口にしていると海本人は言っていたが、どんな顔してそんなことを言っているのか、どんな顔して男を受け入れているのか少し観てみたい気がした。
 だけど、海は絶対に観ないでくれと言った。まあ普通は友人に自分の痴態を観られたくなんかないだろう。もしも立場が逆だったなら、やっぱり大地も同じように海に釘を刺していたに違いない。
 だが――一度気になり出すともうそれしか考えられなかった。海の痴態を覗いてみたい。この一見汚れどころか煩悩さえなさそうな男がどんなふうに男に抱かれているのか観てみたい。そんな欲望と海の言葉とが大地の中でせめぎ合い、迷いの渦に飲み込まれそうになりながらも、最終的には理性の壁が音を立てながら崩れ去っていくのを感じた。
 さすがに本人のそばで観るわけにはいかないと、大地はスマホを手にトイレへと向かう。鍵を閉め、便座に腰かけてからスマホをタップし、件のSNSを開いた。

(開いたはいいけど、アドレスとかアップしたやつのアカウントはそういえば知らなかったな……)

 わからないなりに大学名や海のバイト先の名前、海の本名などを打ち込んで検索をかけてみるが、それらしきものはヒットしなかった。他にも思いつく限りの海に関する情報を打ち込んでみるが、結果は変わらない。

(あ、もしかして……)

 そろそろ白旗を挙げようかと考えていたところで、大地はある一つのワードを思い出した。その界隈で呼ばれているという海の呼称。寺の僧侶だと言われても疑わないような、清く洗練された雰囲気の海に到底似合わないような形容詞。それは――

(淫乱坊主……)

 文字を打ち込み、検索ボタンを押すといくつか動画が表示される。サムネイルではどれが例の動画かわからなかったから、とりあえず一番上に表示されたものをタップして開いた。そして開いた瞬間に息を飲むことになる。なぜなら画面いっぱいに全裸の海が表示されたからだ。まさか一件目でいきなり当ててしまうなんて思いもしなかった。
 海の顔にモザイク処理は施されていない。画質も鮮明だから、彼を知っている者なら別の人間と見間違うことはないだろう。だけどその顔に浮かんだ恍惚とした表情は、いつもの海とはまるで別人のようだった。目を気持ちよさそうに細め、何かを堪えるように眉間に少し皴を寄せ、だらしなく口を開いたそれは、同じ男なのに思わずクラっときてしまいそうな色気を放っている。

『あっ、あっ、あんっ』

 そして零れる喘ぎ声もまた、普段話すときの落ち着いたそれとは全然違う。本当に堪らなく気持ちいいんだと、どうしようもないくらい感じているのだと画面越しにも十分に伝わってくるほどに艶っぽい。
 顔と同様に、海の性器にもモザイクはかかっていなかった。ビンビンに勃起したそれが割れた腹筋の上でいやらしく揺れている。更にその下に視線を移すと、海の後ろの穴に誰のものかわからない男の性器が突き立てられ、激しいピストンが繰り返されていた。男同士のセックスでそこを使うということは何となく知っていたが、改めて映像として見せられると衝撃を受けずにはいられなかった。

『あっ……チンポがっ、俺のケツマンコのいいとこ当たってっ……気持ちいいっ』

 喘ぎながら時々卑猥な言葉を口にする様子は、まさに淫乱坊主という呼称がぴったりとくる。大地の知らなかった海の一面。ただちょっと観てみようという軽い気持ちで開いただけなのに、大地はすっかり動画の中の彼に夢中になっていた。気づけばいつの間にか勃起していて、スエットにテントを張っている。

(信に興奮しちゃってるのか、俺……)

 男に性的な興味などないはずなのに、大地は確かに海の乱れる姿に興奮を覚えていた。海としている相手がカメラを回しているからか、まるで自分が海を犯しているみたいに錯覚しそうになる。
 このままこれをオカズに抜いてしまおうか。一瞬そう思ったが、すぐに首をブンブンと振ってその邪念を振り払った。一番の親友をオカズにするなんて駄目だ。それにそれをしてしまったら、今までの自分じゃいられなくなる気がする。女を好きになるのが当たり前だと思っていた概念が、覆されてしまう気がして恐くなる。だから大地は動画を閉じた。今見たものは忘れよう。何も見なかったことにして、明日からも海と普通の友達でいよう。そう胸の中で呟きながらトイレを出ることにする。

「うわっ!?」

 そしてその瞬間、大地は驚きのあまりひっくり返りそうになった。なぜならトイレの真ん前に海が立っていたからだ。

「観たんだな」

 怒気のこもった低い声が鼓膜を震わせた。おそるおそる顔を窺うと、こちらもまた明らかに怒っているのだとわかるような表情をしている。

「な、なんのことだよっ」
「とぼけるなよ。あの動画を観たんだろ? 音が聞こえた。俺も自分で確かめたから、どんな動画かよく知ってる」
「か、勘違いだよっ。信のじゃないっ」
「じゃあスマホ見せてよ? 本当に観てないなら俺に貸せるよな?」

 大地は返答に窮した。動画は閉じたけれど閲覧履歴を見られれば一発でバレる。貸さなければ貸さないで観ていたことを認めることになるし、もはや逃げ場はない。

「……ごめん、観た」

 大地がそれを認めると、海は泣きそうに顔を歪ませた。本当に悪いことをしてしまったんだと、今更遅い後悔が胸の内に押し寄せる。

「何で観るんだよっ……俺、大地にだけは観られたくなかったのにっ。あんな情けない姿、見られたくなかった……」
「マジでごめん。どうしても気になってしまって……」

 海は両手で顔を覆い、肩を震わせた。その肩に手を触れさせたが、乱暴に振り払われてしまう。

「もう大地とは二度と口利かない」
「ま、待ってくれよっ」

 奥の部屋に行こうとした海を大地は慌てて引き止めた。

「本当に悪かったって! お前の気持ち考えてなかった……」

 ここで海を行かせてしまったら、本当に自分たちの縁は切れてしまうのかもしれない。それだけは避けたかった。出逢ってからで言ってもまだ一年程度の短い付き合いだが、それでも大地にとって海は失いたくない大切な存在の一人にまでなっていた。だから必死になって頭を下げる。

「ホントにごめん。赦してくれるなら何でもするから、口利かないとか言わないでくれ」

 海に口を利いてもらえないなんて絶対に耐えられない。顔を合わせても無視されるなんて想像するだけでも死にたくなる。

「……本当に何でもしてくれるのか?」

 海は足を止めてくれた。こちらを振り返らずにそう訊ねてくる。

「ああ。あ、でもさすがに死んでくれとか言われたら困るけど……」
「いくら腹が立ってるからって俺が大地にそんなこと言うわけないだろ」

 海ならたぶん、冗談でもそんなことは言わない。

「そうだな。一つだけ、これなら大地を赦してもいいかなっていう条件はある」
「ほ、ホントか!?」

 うん、と海は頷いた。

「俺のことを抱いてくれたら、赦してあげてもいいよ」
「えっ……えっと、それはつまり信を抱き締める、ということ?」

 自分の言ったことが間違っているということは自分でもわかっていた。それでも海の言葉が信じられなくて、そう訊き返す。

「大地だってわかってるだろ? 俺とセックスしてくれって言ったんだよ」



 ベッドに腰かけた大地は、自分の心臓がバクバクと激しく脈打っているのを自覚した。緊張で手足も震えそうになっている。高校時代に経験したバレーボールの大きな大会のときでさえ、こんなに緊張しなかったかもしれない。
 セックスをしたら大地の愚かな行為をなかったことにする。海が提示したその条件を大地は飲むことにした。男同士のセックスにまったく抵抗がないと言えば嘘になるが、あのまま海に口を利いてもらえなくなるよりはましだと思ったのだ。
 それに正直、海が相手なら男の後ろに挿入するという行為も普通にできてしまう気がしていた。逆をしてくれと言われたらさすがに受け入れられなかったかもしれないが、男役ならきっと自分はできてしまう。だってあの動画の中で乱れる海を観て、自分は確かに興奮していたのだから。
 洗面所のドアが開閉する音がした。寝汗を掻いたから身体を洗うと言ってバスルームに向かった海が上がったようだ。開け放った寝室のドアから海がこちらに向かって来るのが見える。
 海は全裸だった。大地ほど骨太な身体じゃないが、筋肉の凹凸がはっきりと見て取れるほどに鍛えられており、顔立ちと同様に男臭さを感じさせる身体だ。足を踏み出すたびに股間にぶら下がったものが揺れ、やっぱりどこからどう見ても男だなと再確認させられる。
 海の裸を見るのは決して初めてのことじゃない。一緒に銭湯に行ったことだってあるし、わずかな間だがこの部屋で彼が全裸だったこともある。そのときには何も感じなかったはずなのに、あの映像を観てしまったからか、あるいは数多の男に抱かれた身体だと知ってしまったからか、今は思わず生唾を飲み込んでしまうような興奮を覚えている。
 海は何も言わずに大地の隣に座った。スプリングが沈む感触に人知れずドキッとしてしまう。

「お、俺も脱いだほうがいい?」
「いや、そのままでいいよ。俺が脱がすから」

 脱がすというワードにさえ興奮しながら、大地はここからどう始めていいのかわからず海を仰ぎ見る。すると海はいつものように柔らかく笑った。

「そんなに緊張するなよ。相手は俺だぞ?」
「信相手でも普通に緊張するよっ。こういうことすんの初めてなんだから」
「初めての相手が俺になっちゃって申し訳ないけど、でももう引かないよ。心も身体ももうその気になってるから」
「申し訳ないとか思う必要ねえよ。そもそも俺が駄目だって言われたのにあの動画観ちゃったのが悪いんだし……。それに俺、信が相手なら不思議なほど嫌じゃないんだ」

 今だって全裸の男と触れ合いそうなほど近くに座っているのに、不快感は微塵も抱いていなかった。

「こういうこと言われても信は嬉しくないかもしれないけど、さっきトイレで動画観たときも俺勃っちゃって……」
「そうなのか?」
「うん、ごめん……」
「謝ることなんかないよ。大地が興奮してくれたなら俺は普通に嬉しい」

 海の手が短パンの上から大地の太腿に触れてくる。

「いっぱい気持ちよくしてあげるから、大地も俺を気持ちよくしてくれよ?」
「う、うん……でも俺初めてだから全然勝手がわかんねえよ」
「とりあえず俺が責めていくから、あとで攻守交替して同じようにしてみて。じゃあ――しようか?」

 そっとこちらに凭れてきた身体を、大地は反射的に抱き止めていた。海とこんなふうに抱き合うのは初めてというわけじゃない。高校生最後のバレーの大会で海たちと対戦し、その試合の直後に互いの健闘と称え合う意味で抱き合ったのを今でもよく憶えている。だけど――同じ抱擁でもあのときとは意味合いが全然違う。あのときにはなかった性の匂いがこの抱擁からは感じられた。
 そのまま押し倒され、耳を舐められる。くすぐったくて顔を背けようとしたが、海は執拗に追いかけてきた。耳全体を舌で舐め回すと耳朶を口に含み、優しく噛まれる。そうすると背筋がぞわぞわっとして変な声が出てしまう。

「あっ……くぅっ……」

 くすぐったいのか気持ちいいのかよくわからないような感覚に陥りながら、それをやり過ごそうと無意識のうちに海の背中を強く抱きしめていた。広くて男らしい背中だ。本当に男としてるんだと肌で実感させられるが、それでもやっぱり海が相手なら全然嫌じゃない。
 執拗に耳を責めていた舌が首筋に下りてきて、今度はそちらを舐め回す。時々強く吸い付いたり、そうかと思えばそっと撫でるように舌を這わせたり、一通りそうされたあとにTシャツを脱がされた。

「いつ見てもいい身体してるな〜」

 言いながら海の手が腹に触れてくる。

「バスルームから全裸で出て来られたときなんか、いつも目のやり場に困ったよ。内心すごくドキドキしてたけど、それを悟られないようにするのが大変だった」
「俺の裸でもドキドキするのか?」
「するよ。こんな完成されたエロい身体なかなかお目にかかれないし、大地は顔も男前だから目の保養になる。大地はこんなこと言われても嬉しくないだろうけど、大地をオカズにしたことだってあるよ」
「オ、オカズ……」

 そんなふうに海に性的な目を向けられていたなんてまったく気づかなかった。穏やかな笑顔の奥にそういった感情があったことに驚きながらも、そういう対象として見られていたことを少しだけ嬉しく感じている。

(こんな俺でもそういった意味で意識してくれるやつがいたんだな……)

 今まで誰かに告白されたこともなければ、自分が誰かに好かれているという噂も聞いたことがない。だから大地は自分には何の魅力もなくて、本当につまらない男なんだと自分で思い込んでいた。合コンに参加しないのもそういう気持ちがあったからだ。だけどこんなところに大地を魅力的だと思ってくれていた人がいた。たとえそれが自分と同じ男であっても、大地のことを一番よく知っている海が言ってくれるなら素直に嬉しかった。

「大地、勃ってる」

 スエットの上からそこに触れられ、大地は大袈裟なくらいビクッと反応してしまう。耳を責められていた途中からそうなっていたことはわかっていたが、指摘されると恥ずかしい。だけど自分のスエットに張ったテントの向こう側に見えた海のそこもまた、怒張して天井を指している。大地の身体を責めながら海もまた興奮していたのだ。

「信でも興奮して、そこを勃たせるんだな……」
「そりゃ男だからな。それに大地みたいないい男を相手にしてるもんだから、いつもより興奮してるよ」

 いちいち持ち上げてくれるのは悪い気はしないというか、むしろ調子に乗ってしまいそうだ。
 海は片方の手を大地の股間に触れさせたまま、もう片方の手を胸に滑らせてくる。

「胸筋も逞しいな〜。でも乳首は綺麗なピンク色だ。オナニーのときに自分で弄ったりしないのか?」
「し、しないよそんなとこっ」
「そっか。弄られたことのない乳首責めるのなんて初めてだな〜」
「女じゃないから責めてもどうしようもないだろ」
「何言ってるんだよ? 男だって乳首は感じるんだぞ?」

 海の舌先が胸の突起に触れてくる。最初は生温かいものが触れている、という感覚しかなかったのに、円を描くような動きを繰り返されているうちに、徐々に背筋がぞわぞわとしてくる。そして不意に強く吸い付かれた瞬間、それは鋭い快感となって全身を駆け抜け、自分でも驚くような甘ったるい声が零れてしまった。

「あっ……」

 恥ずかしいから声を抑えたいのに、海に吸い付かれるたびそれは大地の口から零れてしまう。優しく舐められるのも気持ちよくなってきて、その緩急を利かせた責めに大地の身体は悦んでいた。男も乳首が感じると言った海の言葉は本当だったようだ。
 乳首への刺激に意識が持っていかれそうになっていると、下着の中に海の手が侵入してきて、直に性器を握られた。指先で鈴口を撫でるようにされると、乳首の快感と相まって大地を更に追い詰める。

「ああっ……」

 本当にこういう行為に慣れているんだと、経験を積んできているんだと思い知らされるような愛撫だ。海は受け入れる側しかしたことがないと言っていたが、こうして組み敷かれ、弄り回されているとまるで大地のほうが抱かれているような錯覚に陥ってしまいそうになる。
 乳首だけじゃなくて、脇や腹も唾液でぐしょぐしょになってしまうくらい舐め回され、へそまでも責められたところでスエットと下着を脱がされた。露わになった屹立を、海は興味深げに観察し始める。

「そんなにじっくり見るなよっ」
「大地の勃起チンポ見るの初めてだからな。勃ってないときのは何度も見たことあるけど」

 確かに大地は男同士だからといって海の前で堂々と全裸を晒してきた。そんな大地を海はいつも呆れたような顔で見ていたが、その裏ではもしかしたら性的な興奮を覚えていたのかもしれない。

「思っていたよりもデカいな。あ、我慢汁がちょっと出てる」
「だからそんなに見るんじゃないよっ!」

 羞恥で顔が赤くなりそうだと思っていると、海が何の躊躇いもなさそうにそれを口に含んだ。その瞬間、脳髄まで痺れさせるような快感に襲われ、思わず全身を強張らせる。

「あっ……やばっ」

 はしたないと思いながらも、声が零れる。先端を吸われ、口で上下に扱かれ、したたかに動く海の舌にどうしようもなく感じてしまう。
 自分の股間の辺りで上下に動く坊主頭に大地は何となく手を伸ばした。健気さを感じるほど一心に愛撫してくれる海を、優しく撫でてやる。すると海が上目にこちらを見てきて、その仕草の可愛さと瞳に浮かんだ熱量に胸がキュンと高鳴った。

「大地、気持ちいい?」
「うん……。美味そうにしゃぶるんだな」
「そりゃ美味いからな。大地のチンポだし」
「どういう理屈だよ……」

 裏筋を丁寧に舐められ、根元近くまで口に納まったかと思うと中がギュッと締まる。男をよく知っているからこそなせる業なのだろう。自分以外の十人を超える男たちに仕込まれたものなのかと思うと、不愉快な気持ちになった。

(嫉妬してるのか、俺……)

 ただの友達ならこんな性欲を剥き出しにした一面なんて知らなくて当然というか、知りたいとも思わないはずなのに、海のこととなると知らなかったことが無性に悔しく感じる。どうせなら真っ新で男の味など少しも知らなかった彼を自分が一番に穢したかった。

「交替しよう」

 俄かに絶頂の兆しを感じ始めたところで大地は海にフェラチオをやめさせた。スペースを空けてやると海はゴロンと仰向けに寝転がり、その身体を跨ぐようにして大地が上になる。
 改めて見下ろした身体はやっぱり男らしく逞しい。彫りの深い顔立ちも男らしく精悍だが、ふっくらとした厚い唇はどこかエロティックだ。

「なあ、キスしてもいいか?」

 その唇に自分の唇を押し付けたい衝動に駆られた。どんな感触がするのか確かめたくて堪らなくなる。

「いいよ」

 許しが出たのでゆっくりと身体を重ね合わせ、そして海が目を閉じたのに倣って大地も目を閉じ、そっと唇を触れさせた。プルンとした柔らかな感触に、背中が総毛立つ。もっとそれを味わいたくて、何度も角度を変えながら最後には下唇に吸い付いた。そうしているうちにヌメっとしたものが大地の口内に侵入してくる。海の舌だ。これがディープキスってやつなのかと思いながら、本能的にその舌に自分の舌を絡めた。
 濃厚なキスをしていると下半身が疼いてくる。下のほうでは互いの硬くなったモノ同士が重なり合い、擦り合わせるように腰を揺すると、「んっ」とキスの合間に海が感じたような声を零した。
 気が済むまでキスを堪能したあと、海がそうしてくれたように耳を舐めた。組み敷いた逞しい身体がビクッと震え、甘ったるいような声が吐息とともに耳を掠める。自分がそうさせているのかと思うと全身の血が滾るようだった。
 そのまま首筋に舌をスライドさせ、強く吸い付くと痕が残った。この位置なら服を着ても外から見えるかもしれない。むしろ見てほしい。この身体を大地が抱いたのだという証を皆に知らしめたかった。
 更に下に移動すれば、まだ触ってもないのにツンと硬くなった乳首が目の前にあった。桃色に近い大地のそれとは違い、海のはやや黒くて中心の粒も大きい。それを舌先で転がすように舐めれば、エロティックな厚い唇はさっきよりも更に甘さを増した声を零した。

「あっ、あっんっ……」

 舐めて、吸って、優しく噛んで――それを繰り返しているうちに海の乳首が赤く腫れ上がってきた。反対の乳首も同じように弄び、責めたばかりの乳首は指で柔らかく擦り上げる。そうすると海は堪らないと言いたげに腰を揺り動かし、また硬いモノ同士が擦れ合う。

「乳首、そんなに気持ちいいのか?」

 訊きながら表情を窺うと、海は濡れた瞳で大地を見上げた。目元も少し赤く染まっている。さっき動画の中で見た淫乱な顔に近づいたような気がした。

「大地が上手いからすごく感じちゃったよ」

 上手いと言われるとやっぱり悪い気はしない。だけど他の誰かと比べられているのかもしれないと思うと、顔も名前も知らないその誰かに激しく嫉妬してしまう。

「もう一回キスしてもいいか?」
「いちいち許可なんかとらなくていいよ。大地とならいくらでもしたいから」

 そういう台詞はひょっとしたら誰にでも言っているのかもしれない。だけど何だか特別だと言われているような気がして、大地の興奮は更に高まる。かぶりつくような勢いでキスをかまし、海の口内を乱暴に貪った。そうしながら手を伸ばして捕まえた海の性器は、ずっと硬いまま先っぽのほうは蜜に濡れていた。
 キスをやめて顔を下腹部に近づけ、手に触れていたそれをまじまじと観察する。大きさは大地のよりも少し小さいくらいだろうか。包皮からしっかり露出した亀頭はやや縦長で、半円に近い大地のモノよりも形が綺麗に見える。
 男の性器をしゃぶるなんて本来なら御免こうむりたいところだが、やっぱり海のモノだと思うと嫌な気はしない。付け根の辺りに口付けてから、上に向かって舌を這わせていく。
 味や匂いは特にしなかった。口に含むとピクンとそれが跳ね、上下に頭を動かすと海は気持ちよさそうに喘いだ。

「無理しなくていいからな」

 勝手に動画を観たバツだと言ってセックスを持ちかけてきたくせに、海はそう言って大地を気遣ってくれる。だけどそんなものは不要だ。海がそうしてくれたみたいに、大地だって海に尽くしてやりたい、気持ちよくしてやりたいと思っている。

「あっ、大地っ……」

 こればっかりは慣れている海と同じようにとはいかないかもしれないが、できる限り丁寧に、けれど強く吸い付きながら、熱くて硬いそれを愛撫していく。喘いでいるということは、それなりに上手くはできているということなのかもしれない。

「大地、もういいよっ」

 けれど始めて三分も経たないうちに海にそう言われ、咥えていたものを放さざるを得なくなる。

「あ、あんまり気持ちよくなかったか?」

 やっぱり経験のない自分のフェラチオなんて下手くそで堪えられなかったんだろうか? 心配になりながら訊ねたが、海は首を横に振った。

「いや、結構気持ちよかったよ。でも俺、挿れられたくてもう我慢できなくて……」

 どこに何を挿れるかわからないほど大地は初心じゃないし、あの動画でもしっかりと観た行為だ。いわゆる本番。ついにするのだと、これまでにない緊張感を覚えながら何気なく挿入する場所に目を落とせば、海は両足を上げてそこが見えやすいようにしてくれた。
 陰嚢の下に小さな入口が見える。こんなところに本当に自分のモノが入るのかと疑問に思いながら、中を暴いてみたい衝動に駆られて腰が疼いた。

「さっき風呂場で慣らしてきたから、これをチンポに塗って挿れてみて」

 これ、と言って海が差し出したのは透明の液体が入ったボトルだった。不思議に思いながら受け取ったそれを見ていると、中身はローションだと教えてくれる。

「男のは濡れないから、それを塗らないと痛いんだ」
「な、なるほど、そうだよな……」

 確かに男の後ろは女のみたいに濡れたりしない。受け取ったボトルの蓋を開け、ローションを手に垂らして受けると、それを勃起したままの自分の性器に塗りつける。そして一歩前へ出ると、海の尻の谷間に先端を当てがった。

「このまま挿れちゃっていいのか? コンドームとか着けたほうがいい?」

 興味本位で買った避妊具が一応鞄の中に入ってはいる。使う機会などなく買ってからもう数ヵ月が経ってしまっているけれど。

「そのまま挿れて。大地のチンポ、生で感じたい」

 生、というワードに陰嚢がきゅんと上に上がるような感覚を覚えた。海の中に種付けできてしまうという事実に顔が熱くなるくらい興奮してしまう。男同士だから妊娠しないのは当然だが、初めてのセックスでいきなり隔てるもののない繋がりをするのは、なぜだか禁忌を犯すという感覚があった。だからといってここでやめるつもりはないし、海がそうしてほしそうにしている以上、コンドームを取り出すつもりもない。このまま海の中に入り、そして生で中を蹂躙する。そう決めた。
 大地は先走りで濡れそぼったそれに手を添え、もう一度海の尻の谷間に押し当てる。一気に突き入れるとさすがの海も痛がりそうで慎重になるが、ちゃんと入口に当てているつもりでもなかなか入らない。上手くいったかと思うとツルンと滑って谷間を擦るだけになる。

「俺のマンコはここだよ、大地」

 見兼ねた海が大地の性器に手を添え、そこへと導いてくれた。腰を前に動かすとさっきまで苦戦していたのが嘘みたいにスルッと一気に入ってしまう。そしてその瞬間――中の感触を確かめる間もなく、大地は暴発してしまった。鋭い快感が全身を駆け抜け、膝に力が入らなくなって思わず手をベッドに突く。

「ご、ごめん信。俺挿れただけでイっちゃった……」
「ホントだ。大地のチンポがビクビクしてるの伝わってくる」

 射精が落ち着いたのを感じ取って、大地は一度それを引き抜こうとした。けれど海が腰に脚を絡めてきて、動けないように拘束する。

「そのままにしてて。復活するの待って、ちゃんと続きしよう?」
「うん……何かカッコ悪いよな、俺」

 初体験はなかなか上手くいかないと聞いたことがあるが、これはあんまりにひどい有様だ。恥ずかしい。穴があったら入りたい。いや、もう入っているとも言える。

「俺の前で格好つける必要なんかないだろ? お互いの恥ずかしいこといろいろ知ってる仲なんだし」
「でもこういうときくらい、信にもカッコいいって思われたいよ。今までどんな男としてきたのか知らないけど、そいつらに負けたくない」
「大地……」

 海の両手が大地の両頬を包み込むようにする。目が合うと、いつもみたいに優しく笑った。

「大地はカッコいいよ。少なくとも俺が今まで出逢ってきた誰よりもそうだと思う」
「……そんなに気遣わなくていいって」
「お世辞で言ってるんじゃなくて、俺の本心だよ。顔もカッコいいし、中身だって優しくて頼りになって、真っ直ぐで嘘がない。だからそばにいるといつも安心できた」
「それってまんま信のことじゃないか」
「いや、う〜ん……どうだろう? そうありたいとは思ってるけど、でもやっぱり大地には敵わないよ」

 大地だって海に対して同じように思っている。誰よりも優しくて、しっかりしていて、こいつには敵わないなとそばにいながらいつも感じていた。

「そういう人が友達でよかったって思う。けど同時に、大地の身体に性的な意味で触れたいとも思ってた。友達に対して抱いていい感情じゃないってわかってたけど、そういう目で見てしまうのをやめられなかったな」
「そんなのはもう仕方ないだろ? 無理矢理関係を迫ったりするわけじゃなかったんだし、それは信の勝手じゃないか」
「でも今日はついにこうして無理矢理迫っただろ?」
「無理矢理じゃねえよ。いくら信と縁切りたくないっつっても、こういうことするのが本当に嫌だったら土下座で赦してくれるよう頼み込んでたと思う。信とこういうことしてるのは、俺に少なからずしたいって気持ちがあったからだ」

 正直な気持ちを吐露すると、海は少し驚いたように目をぱちくりさせた。さっきも嫌じゃないと言ったはずなのに、まだ信じてくれていなかったようだ。

「俺はゲイじゃないかもしれないけど、信とならエロいことだってできる。どうして信だけそうなのかはわからない。わからないけど、別に信は困らないだろ?」
「うん、まあむしろ俺には歓迎すべき気持ちだけどな。するならやっぱり嫌々じゃなくて、合意の上でのほうがいいから」
「あ、でもこれじゃ動画を勝手に観た罰にはならないよな? 何か他の罰を用意するか?」
「もうどっちでもいいよ。勝手に観たの、正直に言うとそんなに怒ってないしな。それよりも早くセックスの続きをしたい」

 海の両手に頭を引き寄せられ、キスをしたいのだと察した。望みどおりに口付けてやれば、性に対しては貪欲な男はすぐに舌を入れてきて大地の口内を貪ろうとする。負けじと絡めた舌を甘噛みされ、それが気持ちよくて海にも同じことをやり返せば、彼はキスの合間に掠れた吐息を零した。
 濃厚なキスをしているうちに大地の下半身は完全復活し、海の中で硬くなっている。目を見て窺えば、海もその意図を理解して一つ頷いた。

「じゃあ、今度こそ」
「うん。俺のこと、いっぱい犯してね」
「犯してねって……そんな言葉どこで覚えてきたんだよ、まったく」
「ごめん。でも本当に、大地にいっぱい犯されたいんだ。ずっとそうされたかった」

 そういうふうに求められていたことに、戸惑うどころかやっぱり喜びを感じてしまう。この入り込んだ狭い場所を滅茶苦茶に突き上げてしまいたくなる。
 ゆっくりと腰を前後に動かしてみると、自分の右手では決して味わえないような、強く激しい快感に襲われた。熱を持った襞が突き入れたモノに絡みつき、まるで逃がさないとでも言うように締め付けられる。

「あっ……あっ!」

 そして大地の律動に合わせるように、海が嬌声を部屋に響かせる。

「痛くないのか?」
「痛くないっ、から、もっと激しくていいよっ」

 許しを与える、というよりも、そうしてほしそうな声に煽られて、大地は少しずつ律動を力強いものにしていく。
 奥を貫くたびに海の中はギュッと締まり、いやらしくだらしのない表情をする。後ろが感じて仕方ないのだと、誰が見てもわかるようなそれに更に煽られ、無意識に腰の動きが速くなる。

「あっ、あんっ、あっあっ」

 動画の中の海もこんな顔をしていた。いつもの優しい笑顔からも、バレーをしているときの真剣な表情からも想像できないような、エロい顔。目を気持ちよさそうに細め、何かを堪えるように眉間に少し皴を寄せ、だらしなく口を開いたそれは、同じ男なのに思わずクラっときてしまいそうな色気を放っている。
 自分でもこんな顔をさせられるのかと思うと至福の喜びを感じることを禁じ得なかった。雄としての役割を全うしているという満足感さえ覚えていた。

「大地っ……あんっ、あぁっ」

 名前を呼ばれると、堪らない気持ちになって厚い唇に噛みつくような勢いでキスをした。そのまま男らしく硬い身体を強く抱き締め、パンパンと音が鳴るくらい激しく腰を叩き付ける。

「大地のチンポっ、すごく気持ちいいよっ…‥俺、すごく感じてっ、やばいっ」
「俺だってすげえ気持ちいいよっ……信のマンコが俺のことギュっと締め付けてきて、気を抜いたらイっちゃいそうになる」

 セックスってこんなに気持ちいいのか。男の尻でもこんなに気持ちいいのか。想像していた初体験とはかなり違っていたが、これはこれで悪くない。むしろ気心の知れた海が相手だからこそ、自分の欲望のすべてをぶつけてもいいんだという気になってしまう。
 海の蕾は濡れた音を立てながら大地に吸い付いてくる。大地の耳元で喘ぎながら、背中を抱き締めて肩に噛みついてきた。その仕草さえも愛おしくて思えて、坊主頭に何度も唇を押し付ける。

「あぁっ! あっ、あっ、あんっ」

 目の前にあった耳朶に齧り付けば海の中は更に強く締まり、逃げようとするように身を捩ろうとする。それを大地は脚で押さえて動けないようにし、海を追い込むように律動のスピードを速めた。

「あっ、駄目っ、大地っ……あぁっ、俺っ」

 駄目と言われてもやめる気はない。その駄目が本当は逆の意味であることくらい、海の身体に触れていればわかった。後ろはギュウギュウ締め付け続けてくるし、腹の辺りにはカッチカチに硬くなった海の性器が擦れている。これが駄目なわけがない。むしろどうしようもなくいいのだと理解していた。

「駄目なわけないだろっ。もっとすごいことを他の男たちとやってきたくせに、カマトトぶってるんじゃないよ」

 だけどやっぱり海をあられもなく乱れさせた男が他にもいるのだと思うと腹が立つ。腰つきが自然と乱暴になり、海の首筋に噛みつきながら鋭く奥を突き続ける。

「大地っ、駄目っ、俺っ本当にっ……ああっ!」

 一際締付けが強くなったかと思うと、互いの腹の隙間を何か生温かいものが流れる感触がした。それはそのまま大地の脚を伝い落ち、ベッドを濡らしていく。てっきり海が達したのかと思って身体を起こして確認するが、海の割れた腹筋に水溜まりをつくっていたのは白濁ではなく、透明な液体だった。

「ご、ごめん大地……俺気持ちよすぎて潮吹いちゃった」
「潮……って男でも吹くのか!?」
「人によってはそうみたい……」

 海が気持ちよかったという何よりの証拠だ。経験のない自分が数多の男と身体を重ねてきた彼を満足させられるか心配だったが、拙いテクニックでも海は潮を吹くくらい感じてくれたのだ。そのことに男としての達成感を感じずにはいられない。
 でもどうせなら吹く瞬間をこの目で見たかった。どういうふうにしてこの腹を濡らしたものが出たのか見てみたい。

(突いたらまだ出るのか?)

 確かめようと腰を引くと、海が駄目だと言って制止を求めてきたが無視した。リズミカルにピストンし、容赦なく中を掻き回す。

「あっ、大地っ!」

 もっと苦戦するかと思ったのに、海はいとも簡単に再び潮を吹いた。硬くなったままの先端から透明な液がプシュッと噴き出し、厚い胸板まで飛び散る。一度では終わらず、大地が中を擦り上げるたびにそれは噴水のように溢れ出し、海自身の身体を汚した。

「駄目って言ったのにっ」
「気持ちいいから吹くんだろ? 何が駄目なんだよ?」

 もっと吹かせて楽しみたかったが、今度は大地のほうが達してしまいそうな気がしてきて一度律動を止める。根元まで入ったそれを引き抜くと、海のそこは赤くなってパックリと口を開いていた。さっき一度中に放った大地の精液がだらりと垂れ、そのいやらしい光景に全身がカッと熱くなる。

「痛くはないのか?」

 結構容赦なく掻き回したから少し心配だった。出血はしていないようだが、中のほうの状態まではわからない。

「全然痛くないよ。むしろ大地のチンポ気持ちよすぎて意識飛んじゃいそう」
「そ、そうか……」

 照れくさそうに笑った海の顔は、妙にエロティックでそそられるものがある。今までだって何度も見たことのある表情のはずなのに、そこに性の匂いを感じるのは初めてだ。

「次、バックでしてみるか?」

 大地が返事をする前に、海は自ら四つん這いになってこちらに尻を向けてくる。形がよく張りのある双丘がさっきよりもよく見えるようになった。その谷間の濡れそぼった口がまるで呼吸するみたいに開いたり閉じたりするのを見ていると、早く突っ込みたい衝動に駆られた。

「ほら大地、来て」

 誘われるがままに膝立ちで前進し、いきり勃ったまま萎える気配のない肉棒をピタッと押し付ける。更に腰を突き出せば大地自身がいとも簡単に飲み込まれ、再び心地いい熱に包まれた。
 律動を再開すると、穴の位置が後ろのほうだからか正常位のときよりも腰が動かしやすいことに気がついた。それにさっきよりも奥のほうまで届いている気がする。自然と突き上げるスピードが速くなって、湿った音とともに肉のぶつかり合う激しい音が部屋の中に響き渡った。

「あっ! 大地っ……ああっ! あんっ!」

 海もさっきよりいいのか、声に艶が増したように感じられた。中の収縮も更に強くなり、大地を容赦なく追い詰める。
 この体位だと自分の性器が出たり入ったりする様子もよく見えた。こんなグロテスクとも言えるようなものが海の中に入っているのかと思うとぞっとする。だけど同時に、これが今海の身体を悦ばせているのかと思うと征服欲が満たされた。

「あっ、すごっ、大地のチンポっ、気持ちいいっ…あっ!」

 膝を立てていることが辛くなってきたのか、海は足を延ばしてうつ伏せになろうとした。大地も結合が解けないように逃げる尻を追いかけ、海の上半身を強く抱きしめながら律動を激しくする。

「ああっ、駄目っ…大地っ、俺っ…あんっ!」

 海の「駄目」は反対の意味だととっくの昔に学習している。だから容赦なく中を掻き回し、奥に擦り付け、そうしているうちに射精感が込み上げてきて更に前後するスピードを上げた。

「信っ、ごめんっ……もうイきそうっ」
「いいよ大地っ、俺の中、また出してっ……大地の精子いっぱい注ぎ込んでっ」
「わかったっ……全部中に出してやるからなっ」

 あとはただひたすらに百パーセントの力を海にぶつけた。もう我慢はできない。このまま欲望のすべてを中に吐き出したい。自分の精液で海の中をいっぱいにしてしまいたい。

「信っ……イくっ、イくっ――あっ!」

 頭が真っ白になるような快感に襲われると同時に、大地は海と繋がったまま射精した。ドクドクと自分の精子が海の中に注ぎ込まれていくのを感じる。その感覚に、男としての大きな仕事を一つやり遂げたような満足感を覚えた。



 腕の中では海が穏やかな寝息を立てている。大地はその額に優しく口付け、彼の逞しい身体を抱き締め直した。
 結局海とはあれから立て続けに三回もした。海の身体を味わい尽くし、そして精のすべてを海の中にぶちまけた。

(本当に信とやったんだな〜俺)

 まさか男と、それも親友と言って差し支えない海と身体を重ねることになるなんて、昨日までは少しも想像したことがなかった。いや、海がゲイと知ったときでさえ、こんなことになるなんて考えてもみなかったことだ。
 予想外の出来事ではあったけれど、行為に至ったことに後悔はない。海の中は気持ちよかったし、触れ合うことに不快感は一切なかった。むしろ一つになれたことに幸福感さえ覚え、行為が終わってこうして抱き合っている今も、満たされた気持ちを感じ続けている。
 このままずっと海を抱きしめていたいと思った。腕の中に閉じ込めて、もう他の男の目に晒されることがないようにしたいと、浅ましい独占欲が顔を覗かせる。そんな感情を抱いている自分に驚きつつ、だけどもうどうしようもないのだとそれを否定することはしない。
 カーテンの外が少し明るくなり始めていた。このまま寝てしまうと昼くらいまで起きられないとわかっていたが、海と触れ合っているのがあまりに心地よくて、舞い降りてきた微睡みをそのまま受け入れる。そしてこの日大地は大学に入って初めて講義をサボった。



 週が明けて月曜日、その日最後の講義が終わると大地は急いで大学内のロビーに向かう。
 今日は例の動画が流出してから初めて海が大学に出て来ていた。こういうとき学部が違うと海やその周囲の様子がわからなくて歯痒い。一応海と同じ学部で親しい友人でもある小見たちに、そばにいてできれば守ってやってほしいと頼んではいるが、どうせならやっぱり大地自身が彼のそばにいてやりたかった。
 朝から何をしていても海のことが気になって仕方なかった。あちらの学部のやつらに虐められていないだろうか、ひどい言葉を投げつけられていないだろうかと気が気でなくて、講義にも全然集中できない状態だった。
 最後の講義が終わる時間は海たちとほとんど同じだったから、終わり次第ロビーで待ち合わせようと伝えてある。小見からメッセージアプリで、特に大きな出来事はなく概ね問題なかったと教えてもらってはいたのだが、自分の目で海の様子を見なければ安心できなかった。
 ロビーに着くと海たちはすでに来ていて、大地に気づくと手を振ってくれる。小見ともう一人の友人に挟まれるような形でソファーに座っていた海は、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。

「信、大丈夫だったか? 馬鹿な奴に絡まれたりしなかったか?」

 開口一番に訊ねると、なぜだか三人ともそろって苦笑する。

「お前は海の親かよ……。概ね問題なかったってメッセしたろ?」

 小見が呆れたような声でそう言った。

「信の顔見るまで安心できなかったんだよ。今日一日ずっと心配してた」
「ありがとう、大地。でも本当に大丈夫だったから、もう心配しなくていいよ」
「絡んでくるやつがまったくいなかったわけじゃないけどな」

 海たちと同じ学部でサークル仲間でもある奥岳誠治が付け加える。

「でもほとんどのやつは普通に接してくれてたし、海も海であっけらかんとしてたから、そいつらもすぐに威勢なくしていったよ。午後にはいつもどおりって感じだった」
「まあ腫れ物に触るような扱いをするやつもいたけどな。そんなに気を遣わなくていいのに」

 とりあえず海が孤立するようなことにはなっていないことに、大地は心の底から安堵する。今日初めて肩の力が抜けた瞬間だった。

「けどもしかしたらさ、海がゲイなのバレたことで逆に他のゲイに言い寄られるってこともこの先あるんじゃねえのかな?」

 小見の言葉に大地は自分が過剰に反応しそうになるのを感じた。

「海って優しいし、顔だって男前なんだからそういうことがあってもおかしくないよな?」
「確かにな。むしろ俺らの知らないところでモテまくってたんじゃないのか?」
「いや、そんなことはないけど……」

 海は否定したが、本当は十人を超える男たちに抱かれたのだと大地は知っている。この男はゲイ界隈ではそれくらい引く手数多なのだ。小見が言ったように、海がゲイと知ってアプローチをかけてくる男がこれから現れても決しておかしな話じゃない。

(それでいつかそのうちの誰かと付き合うようになって、そいつとやったりするのかな……)

 想像するだけで無性に腹が立った。この間大地に見せてくれたいやらしい表情や、聞かせてくれた艶っぽく濡れた声を、他の男たちにも知られてしまうのだろうか? そんなの嫌だ。もう誰にも触れさせたくない。誰にも触れてほしくない。身体を重ねる以前には決して抱いたことのなかったそんな感情の数々が、大地の胸いっぱいに広がっていた。



 バイトの間中、大地はずっと海のことを考えていた。海のほうは今日バイトが休みで、帰ったら大学の課題を片付けるのだと言っていたが、それが終わったら何をするのだろう? ひょっとして誰か男を連れ込んだりするのだろうかと下世話なことを考え、そしてまた嫉妬に駆られた。

(誰を連れ込もうが信の勝手だろ……)

 そう自分に言い聞かせようとしても、大地の胸は素直に聞き入れてくれない。海を独占したい気持ちのほうが勝って余計に苛立ちが募った。
 バイトの残り時間をもやもやとした気持ちのままやり過ごし、終わるとその足で海のアパートに向かうことにした。気になるなら会いに行けばいい。他の男に会わせたくないなら、大地が行って会わせる時間をつくらせなければいい。結局そんな自分勝手な結論に辿り着き、そして行動に移したのである。海にとっては迷惑な話かもしれない。
 アパートに辿り着き、階段を上がって二階の外廊下に出たところで、奥のほうにある海の部屋の玄関のドアが開いた。出てきたのは男だ。部屋の中に向かって手を挙げると、ドアから手を離してこちらに近づいてくる。そして互いの顔がはっきりと見て取れるくらいの距離まで入って来たとき、目の合った男が「あっ」と声を上げた。

「澤村じゃないか」

 男は大地のことを知っているようだった。大地もその硬派な男前といった顔立ちに見覚えがある気がしたが、すぐには思い出せずに戸惑ってしまう。

「忘れちゃったか。音駒のコーチやってた直井だよ」
「あ、信のとこの……」

 言われてようやく音駒のベンチにいた人間の一人だと思い出す。確か大地たちのチームのコーチと同い年だったはずだ。

「お久しぶりです。すみません、すぐに思い出せなくて……」
「気にすんなよ。相手のチームのコーチなんてそんなに憶えてるもんでもないからな」

 直井は苦笑しながらそうフォローしてくれる。

「もしかして海のところに行くのか?」
「はい」
「俺も今寄って来たところなんだ。出張でこの近くまで来たから、そのついでに可愛い教え子の顔を見ておこうと思ってな。あいつ澤村のことも話してくれたよ。頼りになるすげえいいやつだって褒めてたぞ?」

 そんなふうに言ってもらえるのは悪い気はしない。

「それじゃ、俺は行くよ。これからも海と仲よくしてやってくれな」
「はい。失礼します」

 直井が手を挙げてすぐそばを通り過ぎていく。その瞬間、フワッと爽やかな香りが大地の鼻を突き抜けた。

(この匂い……信が使ってるシャンプーの匂いだ)

 大地もよく使わせてもらっているから知っていたし、風呂上がりの海からもいつもこれと同じ匂いがしていた。つまり、直井も海のシャンプーを使ったということだ。部活のコーチが元教え子のアパートを訪ねるまではいいとして、わざわざシャワーまで借りるなんておかしい。ひょっとして、とある可能性に辿り着いて、大地はまた胸が締め付けられるような感覚に襲われる。

(信、あの人としてたのか……)

 煮えたぎるような嫉妬と怒りで心が真っ黒に染まっていく。この間は一晩中求め合い、何か特別な繋がりのようなものを分かち合ったと思っていたのに、海はこんなにもあっさりと他の男を受け入れた。それとも大地とのセックスじゃ物足りなかったのだろうか?

(そりゃ俺は初体験だったし、テクニックなんてもんなかっただろうけど……)

 それでもあのセックスは互いにとって特別なものだと思っていた。けれどそう思っていたのは大地だけで、海にとってはただの性欲処理だったのかもしれない。
 沈んだ気持ちになりながらも、このまま引き返すのは悔しくて大地は海の部屋のインターホンを押した。すぐにドアが開いて海が顔を覗かせる。

「大地!? 急にどうしたんだよ!?」
「あ、うん、ごめん。何か信の顔見たくなったから」
「俺なんかの顔見たくなるなんて、変わってるな〜。というか数時間前に見たばっかだろ?」

 そう笑いながら海は大地を中に入れてくれる。リビングに着くと大地はいつものようにローテーブルの前に座って、そして海もまたいつものように茶を淹れてくれた。

「さっきそこで音駒のコーチに出会った」

 海が座ったところで話を切り出す。

「あ、そうだったんだ。何か話した?」
「いや、ちょっと挨拶しただけ。なあ、あの人と何してたんだ?」
「何って、久しぶりに会ったからお互いの近況を話したり、後輩たちの状況を教えてもらったりしてたよ。あ、それと軽くセックスしたな」

 海はまるで何てことないように――それこそ明日の天気の話でもしているかのような軽い調子でそれを打ち明けた。そしてその想像していたとおりの事実を突き付けられた大地のほうは、ズンと気分が暗くなるのを自覚せざるを得なかった。

「セ、セックスって、なんで……?」
「なんでって……あの人とは元々セフレだったんだ。高校を卒業する直前くらいに初めて関係を持って、俺がこっちに来てからも今日みたいに近くで仕事があったりするときは会ってしてる」
「そうじゃなくて……いや、部活のコーチと関係を持つのもどうかと思うけど、そんなことより信、この間俺としたばっかだろ?」

 互いの欲をぶつけ合い、何度も一つになったあの夜からまだ三日しか経っていない。たったの三日でまた他の男に股を開くなんて信じられなかったし、自分以外の男に身体を明け渡したことがやっぱり俄かに赦し難かった。

「そ、それともやっぱり俺は下手くそだったのか? 物足りなかったからあの人ともしたのかよ?」
「いや、大地が下手くそってことはないだろ。あれだけ潮吹いたりトコロテンしたりしたんだし……。むしろ本当に初めてなのか疑いたくなったくらいだよ」
「じゃあなんであの人としたんだよ!」
「大地、いったい何を怒ってるんだ? 俺が誰と寝ようが大地には関係ないだろ?」

 関係ない、という言葉に、自分が思っていたよりも傷ついているのを自覚した。確かに誰と寝ようが海の勝手だ。自分はただの友達で、海の下のことまで口出しする権利などないのだから。わかっているのに、直井に嫉妬してしまうのを止められない。大地じゃない別の男を求めたことが気に入らなくて腹が立つ。

「やりたくなったんなら、俺に言えばいいじゃないかっ。あのとき散々俺のことカッコいいだの、魅力的だの言ったくせに……それともあの言葉は嘘だったのか?」
「嘘じゃないよ。本当にそういうふうに思ってる」
「じゃあなんで俺を誘ってくれなかったんだよっ。こんなに近くにいるのに、呼ばれたらいつだって駆けつけるのに、どうして他の男とっ……」

 自分が選ばれなかったことが悔しい。自分以外の男に触れさせたことが腹立たしい。今すぐあの男を追いかけて、頭を殴って海を抱いた記憶を消してやりたいとさえ思う。

「俺が誘ったら、大地はまた抱いてくれたのか?」
「だからそう言ってるだろっ」
「なんで? 大地ゲイじゃないのに……」
「ゲイじゃないと信としちゃ駄目なのか?」
「そうじゃないけど……思ったよりも気持ちよかったから、またしたいって思ったのか?」
「それもあるけど、それだけじゃなくて、俺は……」

 相手を独占したい。性的な意味も含めて触れ合いたい。腕の中に閉じ込めて、誰の目にも晒されないようにしたい。そう強く思わせるような感情の正体が何であるか、知らないほど大地は初心じゃないし、遅れてもいない。

「信のことが好きなんだよ」

 相手が男だとか、自分がゲイになってしまったかもしれないだとか、そんなことはどうでもよかった。ただひたすらに好きなのだと、素直に気持ちを打ち明ける。このタイミングを逃せばもう、海に伝えることはできないような気がした。

「言っとくけど、勘違いとかじゃないからな。本当に信のことが好きで、この間からずっと信のことばっか考えてる。何なら昨日、信としたときのこと思い出しながらオナった」
「う、嘘だよ」
「嘘じゃない。好きじゃなきゃ他の男としたことに対してこんなに嫉妬したりしないし、腹立てたりもしないよ。何なら信をどこかに閉じ込めて、俺以外の誰の目にも晒されないようにしたいとか思ってるくらい好きだ」
「で、でも大地はゲイじゃないだろ?」
「ゲイじゃなくても信のことは好きなんだよ。性別なんてどうでもいいって思えるくらい、信に惚れ込んでるんだ」

 海は戸惑うように視線を彷徨わせる。ひょっとして大地の告白なんか迷惑だったのだろうか? 少なからず海にも同じ気持ちがあるんじゃないかと期待していたのに、思っていたのと少し違う反応をされて大地は不安になった。

「信のほうは俺のこと、全然好きじゃないのか? あのコーチのほうがタイプなのか? それとも他に好きなやつがいるのか?」

 焦りを堪え切れず問い詰めるように訊ねてしまう。海も表情を更に曇らせたが、しばらくすると意を決したように生真面目な顔をして大地をまっすぐに見返してきた。

「……俺だって大地のこと好きだよ。こんなにカッコよくて、優しくて、百点満点のドスケベボディーしてるやつが近くにいて、好きならないわけないだろっ」
「ド、ドスケベボディー……」
「何なら高校生の頃から気になってたよっ。周りのやつらに比べると少し大人っぽかったし、あの頃から体つきもよかったし、春高で当たって試合終わったあとに初めて抱き合ったときなんか、負けた悔しさ忘れてちょっと興奮しちゃったよっ」
「そ、そうなのか?」
「そうだよ! 悪いかよ! ゲイなんだから仕方ないだろ! あと大地がエロい身体してるのが悪い」
「人のせいにするんじゃないよ……」

 ちょっと荒っぽい口調で物を言う海なんて初めて見た気がする。普段は喋り方まで穏やかそのものといった感じだから、少し呆気にとられそうになった。

「この人と恋人になれたら、きっと幸せだろうなっていつも思ってたよ。そうなりたいって何度も思った」
「じゃあ、そうなろう」

 大地だって海と恋人になりたいと思っている。海とならきっと幸せになれるという予感もあった。

「でもそうなってしまったら、もしも駄目になってしまったときにきっと友達としての縁も切れてしまう。俺はそれが恐い……」

 海は眉を八の字にして悲しそうな表情をする。

「大地と縁が切れちゃうなんて俺嫌だよ。それなら恋人になんかならないで、今のままでいたほうがいい」
「ならずっと恋人でいればいいだろ。俺は信のこと、ずっと好きでいる。ずっと信のそばにいる。縁が切れる心配なんてしなくていいんだよ」
「そんなの信じられないよっ。俺は男で、子どもも産めなくて、いつかそれを不満に思う日が大地にも来る。それで俺は捨てられて、大地はどこかの女とよろしくやっていくんだ」
「俺のこと勝手に決めんなよ! 俺は今生半可な気持ちで信に告ったわけじゃないぞ。本当に一生一緒にいるつもりで言ったんだ」

 女と結婚して子どもをつくって、家族を支えるために一生懸命働いて――そんな平凡だけどきっと幸せな人生を自分は歩んでいくのだと、いつもおぼろげに想像していた。だけどそんな未来予想図はもう大地の中にない。自分のそばに誰かが寄り添ってくれるなら、その相手は海がいい。女と結婚なんてできなくていいし、子どもだって要らない。必要なのは海だけだ。海と一緒にこの先の人生を歩いていきたい。この男を自分が独占し、この男に独占され、そして互いに幸せを分かち合いたかった。

「どうやったら俺の言葉を信じてくれるんだ?」

 この男が欲しい。身体だけじゃなくて心も全部。もう誰にも渡したくない。

「わからないよ……でも」

 視線を下に落としていた海が顔を上げ、弱々しくはあるが優しい笑顔になる。少し潤んだような瞳は妙な色気を感じさせ、目の合った大地は際限なくときめいた。

「大地に好きって言われたのはすごく嬉しかった。俺も大地が好きだよ」
「ならもうそれでいいじゃないか」

 大地の一方的な片想いなら諦めることも考えたかもしれない。だけど海にも同じ気持ちがあると知っていながら、大人しく引き下がってやれるほど大地は出来た人間じゃなかった。

「俺らならきっと大丈夫だよ。根拠があるわけじゃないけど、少なくとも俺は信だけをずっと好きでい続けるって誓える」
「本当に? 大地のこと、信じていいのか?」
「うん。だから信も俺のこと、ずっと好きでいてくれよ? もう他の男にその身体を触らせないでくれ」

 海は少しだけ迷うように視線をオロオロさせていた。けれど最後には泣きそうな顔でもう一度大地と目を合わせてくれ、うん、と一つ頷いた。



 この間みたいに、大地が考え得るいろんな体位で海を犯した。掘りやすさではやはりバックが一番しっくりきたが、海の顔を見ながら果てたくて仰向けになってもらう。
 海は何も言わなくても自分の膝を抱え、大地が挿入しやすいようにしてくれた。赤く濡れそぼった入口に大地自身を押し当て、グッと押し込むといとも簡単に飲み込まれていく。

「ここに俺以外の挿れさせたら絶対に赦さないからな」

 海は淫乱坊主と呼ばれるほどのビッチだ。恋人として付き合ってくれると言ってはくれたが、大地の肉棒だけで満足してくれるか心配だった。

「そんなこと絶対しないよ。大地のほうこそ、やっぱり女のほうがいいとか言って俺を捨てたりしたら赦さないからな」
「俺がそんなことするわけないだろ? どんだけ信のこと好きだと思ってるんだよ」

 他には何も要らないと、すべてを明け渡してもいいと思えるほどにこの男を愛している。そんな強い気持ちが途切れてしまうなんて大地には考えられなかった。
 中に挿入したものを前後に動かしていく。ゆっくりだったのは最初の一瞬だけで、その動きはすぐに激しいものになって海の奥を容赦なく突き上げた。

「あっ! 大地っ、あんっ!」

 中を擦り上げるたびに海は嬌声を零し、何かを懇願するように大地の名前を呼んだ。その様が愛おしくて堪らなくなる。もっと声を出させたくて律動を激しくしてしまう。ベッドが軋むほどの激しさだったが、それでも海のいやらしい身体は悦んでいた。大地を咥え込み、ギュッと締め付け、そそり勃った性器からは時々潮を吹かせる。

「信を孕ませられたらいいのに」

 自分の性器が海の奥深くを刺激しているのを感じながら、大地は彼の耳元で呟いた。

「俺の子どもを孕ませたい」
「や、やっぱり子どもほしいのかっ? 女のほうがいいのか?」
「違う。信と子どもをつくれたら、既成事実ができて他の男も信に手を出せなくなると思って。それに信も他の男のところに行き辛くなる」
「そんなことしないって、俺言っただろっ……大地だけだって約束したじゃないかっ……あっ!」
「このケツマンコは俺専用だからな。ケツだけじゃない。ジョリジョリの坊主頭も、ふくっらしてて最高にエロい唇も、触ったらすぐにピンってなる乳首も、全部俺だけのものだ」

 もう誰にも触らせない。もう誰にもこんないやらしい海を見せない。全部大地のものだ。心も身体も全部。もう絶対離したりするものか。そんな強い意志を溢れさせながら、海の中をグチャグチャに掻き混ぜる。

「俺のケツマンコっ、大地だけのものだよっ……絶対他の人としないからっ、大地がいっぱい使って……? 俺のケツマンコに大地の精子いっぱい出してっ……子どもできるくらい、いっぱいっ」
「わかった。今出してやるからな。何発でも、信のケツマンコに収まりきらないくらい出してやる。だから全部ちゃんと受け取れよ」
「うんっ、出して大地っ……大地の精子っ、俺の中出してっ」

 早く出せと、溜まっているものを全部寄こせとでも言っているかのように海の中がきつく収縮し、大地は堪え切れずに中で爆ぜた。自分の精子が大好きな人の身体に注がれていく。子どもができるわけじゃないのに、それでもやっぱり大地はその行為に雄としての達成感を抱かずにはいられなかった。


◆◆◆


 あの日、ハメ撮り動画をSNSに流したのは信行自身だ。それを観た同じ学部の奴らに暴言を吐かれたり、それまで親しかったはずの友人の一部に距離を開けられたりしてしまったが、そんなことはどうでもよかった。どうでもいい人間に何を言われようが、どんな態度をとられようが、信行の心は少しも傷つかない。
わざわざそんなことをしたのは、澤村の気を惹くためだ。自分が傷ついたふりをしていれば彼は絶対に慰めに来てくれる。弱った信行を守ろうとしてくれる。そう思ったゆえの行為だった。
 彼のその庇護しようとする気持ちがどうにか恋愛感情に結び付けばいいと思っていた。澤村には少なからずゲイの素質がありそうだったし、信行のことを他の友人たちよりも特別気に入ってくれていることもわかっていた。
 いつもはホテルで会っている直井を、昨日わざわざこの部屋に呼んだのもわざとだ。わざと澤村と鉢合わせするように仕向け、澤村が直井に嫉妬するのを期待した。そしてその期待通りに澤村は直井に対する激しい嫉妬心を見せ、熱い想いを信行にぶつけてくれたのだった。

(これで大地は俺のものだ。絶対に誰にも渡さない)

 隣で穏やかな寝息を立てている澤村の短い髪を優しく撫で、こめかみにキスをする。
 澤村のことは高校生の頃から気になっていた。同じ大学に進学することになったのは偶然だが、以前よりも生活圏がグンと近くなり、頻繁に会うようになってから、ちょっとした好意と興味は愛情へと変化していった。
 セックスに愛情なんて必要ない。お互いが気持ちよければそれでいい。ずっとそう思いながら生きてきたけれど、澤村に対してだけはそういうふうに割り切れなかった。身体だけじゃなくて、心も彼と繋がりたい。彼のすべてを自分のものにしてしまいたい。今までだって誰かに恋をすることはあったけれど、こんなにも強く、熱く、激しい恋情を抱いたのは澤村が初めてだ。そんな感情に自分で戸惑いながらも、信行は諦めずにいろいろと策略を練り、そして行動に移した。

(計画通りに行きすぎてちょっと恐かったけど、まあ結果オーライかな……)

 計画にそれほど自信があったわけじゃないが、それでも行動に移せたのはさっきも言った通り、澤村に少なからずゲイの素質を感じていたからだ。片方ずつのイヤホンで寄り添いながら音楽を聴いたり、信行の膝枕でくつろいだり、そういうことに彼は以前から抵抗がないようだった。
 初めてセックスをしたときも最初から嫌悪感なんてなさそうだった。経験がないからどうしていいかわからない、というような戸惑いはあるようだったけれど、信行の身体を責めることには結構積極的だった。
 それにさっきのセックスは――行為そのものも最高に気持ちよかったけれど、何より独占欲を滲ませた澤村の言葉の数々に信行の心は虜にされていた。信行を孕ませたい、このいやらしいケツマンコを自分だけのものにしたい。AVも顔負けの臭い台詞かもしれないが、そう言われた信行はあのときこれ以上ないほどの悦びを感じてしまった。

(本当に大地の子どもを産めたらいいのにな……)

 ただそばにいられるだけでも十分幸せだが、二人の遺伝子を分け合った子どもを育て、その成長を一緒に見守っていく。ノンケの夫婦ならごく当たり前の人生かもしれないが、同性同士では決して叶えることのできないそれに、柄にもなく憧れてしまう。
 淫乱坊主はもう卒業だ。これからは、澤村さえいてくれればそれで事足りる。他には何も要らないのだと、これ以上の贅沢は望まないと誰ともなく誓いながら、信行は愛しい彼を優しく抱きしめた。



おしまい




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