「す、すんません。もう一回言ってもらっていいっすか?」

 岩泉の放った言葉の意味がわからなくて――というよりも何か別の言葉を聞き間違えてしまったのかと思って、京谷は彼にそう訊き返していた。

「なんだよ、聞こえなかったのか? 今日の勝負はイかせ合いって言ったんだよ」
「イかせ合いって……どういうことなんすか?」
「そのままの意味だけど? お互いのチンポ扱き合って先にイったほうが負けだ」
「はあ!?」

 たまには自分が勝負の内容を決めたい。バレー部の一つ上の先輩であり、数少ない京谷が尊敬できる男の一人でもあり、運動神経を競うライバルでもある岩泉一が珍しくそう言い出し、連れて来られたのは彼の家だった。
 部屋の中でもできることだと言っていたから、てっきり腕相撲か腕立て伏せの回数でも競うのかと思っていたが、彼に告げられた勝負内容は京谷が想像していたものとはあまりにもかけ離れていた。というか、それを想像できた人間がいたならぜひお目にかかりたいと思うような、とんでもないものだった。
 衝撃からまだ立ち直れていない頭をなんとか落ち着かせ、もう一度岩泉の言葉の意味を整理してみる。チンポを扱き合って先にイったほうが負け……確かに勝敗を決することはできるかもしれないが、やっぱりぶっ飛びすぎている。いや、ぶっ飛ぶのは別のもの?

「そ、そんなのおかしいっすよ! なんでそんな破廉恥なことしねえといけないんすか!」
「俺はな、正直スポーツで競うのはもう飽きたんだよ。マンネリだ。他におもしろそうなスポーツもねえし、やったところでどうせ俺が勝つじゃねえか」
「確かに俺が負けてばっかだったっすけど……」
「かと言って勉強で競うのもやる気出ねえし、料理もまったくできねえしな。んじゃあ他に何があるかって言ったら、イかせ合いぐらいしかねえだろ?」
「いや、なんか一つくらいあるだろ!」
「じゃあ何か案を挙げてみろよ」
「う…………じゃ、じゃあ絵とかどうっすか?」
「そんなもんで競って俺に勝ったとして、お前は嬉しいのか?」
「嬉しくはないっすね……」
「だろ? ならもうイかせ合いくらいしかねえだろ」
「いや、イかせ合いで勝っても嬉しくないっすけど!? どの辺に喜びを感じろって言うんすか!」
「男としてのテクニックが優れてるってことになるじゃねえか」
「男に対して優れててどうすんだ……」

 突拍子もない話になんだか頭が痛くなってくる。

「つーか男同士で扱き合いなんて普通したくないでしょ。岩泉さんは嫌じゃないんすか?」
「他の男なら抵抗あるけど、お前のなら平気な気がする。お前だって俺のなら大丈夫だろ?」
「普通に嫌っすけど! 自分以外のチンポ触るなんて寒気がする」

 たとえそれが尊敬する岩泉のものだとしても、触ってイかせるなんてやっぱり無理だ。

「へえ、そうかよ」

 岩泉が急に意地悪げな笑みを浮かべた。

「つまりそれって不戦敗ってことだよな?」
「不戦敗……?」
「戦う前から勝負を諦めてるってことだよな? ってことは不戦敗でやっぱお前の負けか?」

 負けというたった二文字の単語が、京谷の神経にひどく障った。苛立ちにも似たものが胸の奥からせり上げてきて、噛み締めた歯に力が入る。

「ああ、それともナニのデカさに自信がねえから勝負したくねえのか? 人に見せられねえような慎ましいサイズだから抜き合いなんかできねえと?」
「誰もそんなこと言ってねえしっ」
「でも勝負しねえんだろ? 不戦敗なんだろ?」

 負けることは嫌いだ。それでも全力を出し切って負けるのならまだ悔いは小さくて済むが、勝負する前から諦めて終わるなんて京谷のプライドが許さない。不戦敗なんて絶対嫌だ。

「わかったっすよ! その勝負受けて立ちます!」
「いい返事だ。お前ならそう言ってくれると思ってたぜ」

 なんだか上手く乗せられた気がしないでもないが、あそこまで言われておいて棄権したら、度胸のない負け犬だと岩泉は指差して笑うだろう。それにこれはチャンスだ。スポーツではなかなか岩泉に勝てないけど、扱き合いならひょっとしたら京谷にも勝機があるかもしれない。彼ももう少しで高校を卒業してしまうし、それまでにせめて一回くらいは勝ちたかった。

「じゃあさっそく下脱ぐか」

 そう言って岩泉は立ち上がると、ズボンのベルトを緩め始める。それに倣って京谷もズボンとヒートテックを脱いだ。

「やっぱパンツも脱ぐんすよね……」
「当たり前だろ。扱くのに邪魔になる」

 言いながら彼が地味なトランクスもちゃっちゃと脱ぎ去ったから、京谷も最後の砦であったボクサーパンツを少し戸惑いながらも脱ぎ捨てる。

「いっそ上も脱ぐか?」
「さすがに全裸はどうなんすか?」
「けど脱いどかねえとイったときに汚れるかもしれないぜ?」
「確かに……」

 そういうわけで結局上から下まで衣類は全部脱ぐことになった。
 改めて見た岩泉の裸体は、男なら誰もが憧れるような逞しいものだった。贅肉はほとんど欠片もないと言っても過言ではなく、すべての筋肉が念入りに鍛え上げられている。腹筋はきっかり六等分、胸筋も厚く、男らしい顔に見合ったいかつい身体だ。京谷も結構鍛えているつもりだったが、やはり一歩及ばない。

「よし、次は勃たせねえといけねえわけだけど……まあいきなり勃たせろって言っても難しいよな。つーわけで特別に俺の秘蔵AVを見せてやるから、お前好きなの選べよ」

 岩泉がAVのパッケージを五本ほどローテーブルの上に並べた。正直パッケージを見ただけでも勃起してしまいそうだったが、それは情けない気がしてなんとか堪えながら吟味する。結局、人妻ものにした。

「お前人妻が好きなのか?」
「そうじゃないっすよ。ただそれが一番美人だったから……」
「まあ確かに美人だな」

 京谷が選んだAVを岩泉がデッキにセットしてくれる。映像はパッケージの女が入浴するシーンから始まり、そこに突然男が入ってきたかと思うとさっそく絡みが始まった。
 京谷はすぐに我慢の限界を迎え、あそこを勃起させてしまう。さすがに恥ずかしくて、収まりきらないとわかっていながらもそれを手で隠した。

「なんだよ、もう勃ったのか?」

 岩泉の視線が京谷の股間に向けられている。羞恥心がぶわっと全身に広がりそうだったが、勃たせないことには勝負を始められないから仕方ない。

「ちょっと待てよ。俺ももうちょいで完勃ちだから」

 こっそりと岩泉の股間を覗き込めば、徐々に鎌首を持ち上げつつある彼のモノが見えた。他人の勃起しかけているそれを生で見るのは初めてだが、意外と嫌悪感はない。触ることもたぶんできそうだ。

「よし、俺も準備オッケーだ。始めようぜ」
「マジでやるんすね……」
「ここまできてやめるわけねえだろ。全裸で並んでオナニーとかそっちんがマヌケだと思うぜ」
「俺はそれでも別に構わないんすけど……」

 ナニはともあれ……いや、何はともあれ勝負は勝負だ。逃げて不戦敗なんてやっぱり嫌だし、覚悟はもうとっくにできている。あとは岩泉のあれを握って扱いてイかせるだけだ。
 京谷は岩泉のそれに手を伸ばす。触った瞬間、思っていたよりも熱くて驚いた。それに硬い。サイズは京谷のものとあまり変わらないように見える。けれど先端の形は少し違っていて、岩泉のはなんだか綺麗だった。

「お前から触ってくれるなんてずいぶん積極的じゃねえか」
「もう覚悟は決めてたんで。それに思ってたほどの抵抗はねえし」
「そりゃあよかった。んじゃあ俺もお前の触らせてもらうとすっかな」

 岩泉の手が伸びてきて、京谷のそこをおもむろに掴んだ。

「カッチカチだな」
「岩泉さんのだってそうじゃないっすか」
「まあな。お互い握り合ったところで……始めるか」
「うっす」

 岩泉の指が京谷の先端を撫でた。その感触にぞくりとしながら、京谷も同じように握った手を上下に動かし始める。すると岩泉は片目を眇めて背中を震わせ、明らかに感じている顔になる。普段の彼からは想像もできなかった色っぽい表情に、京谷はなぜだかドキッとした。

(お、俺の手が岩泉さんをこんな顔にさせてるのか……)

 いつも勝気な目をした岩泉を感じさせている。そのことに強い優越感を覚えたが、いつまでもそれに浸っているような余裕はなかった。岩泉の手もまた同じように京谷を気持ちよくさせている。しかも結構上手い。

「い、岩泉さんって他のやつともこんなことしてるんすか?」
「するわけねえだろ。こんなんお前が初めてだよ」
「なんか手つきが全然初めてっぽくないんすけど……」
「同じ男なんだし、気持ちいいとこはなんとなくわかるもんだろ?」
「そうっすけど……」

 それにしてもなんだか触り方がいやらしいというか、微妙な強弱をつけて扱いたり、亀頭を手で覆ってこねくり回したりと、京谷がしたことのないような愛撫が次々と施される。
 確実に追い詰められていくのを感じながら、京谷も岩泉の愛撫を見様見真似でやり返した。すると彼は息を乱し、空いているほうの手で京谷の太ももを掴んでくる。ちゃんと効果はあるようだ。

「なあ、この勝負に勝ったらさ、負けたほうになんか一つ命令できるっていうのはどうだ?」

 挑戦的な目が京谷を見た。

「まるで自分が勝つみたいな言い方じゃないっすか。気持ちよさそうな顔してるくせに」
「お前だってそうだろ。感じてんなら声出してもいいんだぜ?」
「誰が出すもんかっ。岩泉さんこそ喘いでくれていいんすよ?」
「はっ、この程度で喘ぐかよ。で、さっきの賭けはどうすんだ? 自信ねえからやめとくか?」
「乗ってやるっすよ。ここで逃げるやつは男じゃねえ」

 もう男同士であることとか、お互い全裸であることとか、そんな些細なことは気にならなくなっていた。膝と膝が密着し合っているのもどうでもいい。今はただ、いつも余裕しゃくしゃくで京谷の一歩先を行く彼を、本気で喘がせてみたかった。それは勝負に勝ちたいという気持ちよりも、性的な興味のほうが大きいような気がしないでもなかったが、今の京谷にはどちらでもよかった。

「ほら、我慢汁が出てきたぜ? 俺の手はそんなに気持ちいいか?」
「岩泉さんだってベトベトじゃないっすか」

 溢れ出した先走りのおかげで先端を扱きやすくなった。それは京谷のものも同じで、滑りがよくなった分さっきよりも気持ちよさが増している。気を抜くと変な声が出そうになるのをなんとか堪えながら、岩泉のを扱くことに集中した。
 どちらも言葉を発することをやめ、互いの荒くなった息遣いと、そこを擦る湿った音だけが部屋の中に響き渡っていた。なんだかもう全然勝負をしているっていう空気じゃない。単にエロいことをしているだけだ。

(けどなんかもう、それでいいや……)

 岩泉の空いているほうの手が京谷の背中をツーっと撫でる。くすぐったいような、どこか気持ちいいようなその感触に一瞬暴発しそうになった。もういっそぶっ放して楽になりたかったけれど、ここで負けるのはなんだか悔しいし、もっと岩泉を気持ちよくしてやりたい。そんな思いがぎりぎりのところで踏み止まらせる。

「そろそろイきてえんじゃねえの?」
「岩泉さんこそ、限界近いんじゃないっすか? さっきからずっとエロい顔になってるっすよ?」
「うるせえ、お前だってイきたくて堪んねえって顔してんぞ。遠慮せずに出せよ」
「岩泉さんがイったら俺もイきます」
「生意気言いやがって……」

 イくときはもっとエロい顔をするんだろうか? 我慢できずに喘いだりするんだろうか? 早くそのときが来ないだろうかと期待に胸を膨らませるが、京谷も結構限界が近い。
 岩泉がエロい顔でこっちを見てくる。その顔がグッと近づいてきて、一瞬キスでもされるのかと身構えたが、彼の頭はそのまま胸のほうに下っていく。

「あっ!」

 ヌメっとした感触が乳首に触れた瞬間、電流のような鈍い衝撃が全身を駆け巡った。同時に自分のものとは思えないような甘ったるい声が零れ、慌てて歯を食いしばる。視線を下にやれば、岩泉の舌が京谷に乳首を弄んでいた。自分で弄ったときは何も感じなかったのに、岩泉の愛撫は腰に来るような快感を伴う。これは拙い。身体中の血液が下半身に集まるような感覚がする。このままじゃもう……

「イくっ……あっ!」

 もう我慢は利かなかった。脊髄に鳥肌が立つほどの快感が走ったかと思うと、怒張したものから白濁が勢いよく飛び出した。眩暈さえするような激しい快感の余韻はしばらく続き、一気に脱力した京谷はベッドに身体を倒した。

「すげえ飛んだな。俺にもかかったぞ」

 感心したような声を上げた岩泉を見れば、確かに頬に京谷の放ったものがかかっている。彼はそれを指で拭き取り、物珍しそうに観察していた。

「……乳首舐めるなんて卑怯っすよ」
「誰も他のとこ責めちゃいけねえなんて言ってねえだろ? 俺の作戦勝ちってやつだ。あとお前が乳首感じるのが悪い」
「んなこと言われたって……まあもういいっすけど。負けは負けっすから」

 岩泉は京谷の腹やあそこに付いた飛沫をティッシュで丁寧に拭き取ってくれる。こうやって甲斐甲斐しく世話をされるのは悪い気がしない。

「で、俺は何をしたらいいんすか? なんか命令するんでしょ?」

 勝ったほうは負けたほうに一つ命令をできる。それが勝負の途中に岩泉が持ち出した賭けだった。

「おう、そうだったな。まあ無茶なことを言うつもりはないから安心しろよ」
「一発芸でもなんでもやってやりますよ」
「それもおもしろそうだけど、俺がしてほしいのはそういうんじゃねえよ。俺はな、お前と続きがしたい」
「つ、続き……?」

 問い返せば、頷いた岩泉が京谷の身体に覆い被さってくる。緩やかに体重をかけられ、少し動けば顔同士が触れ合いそうな距離まで接近され、京谷の心臓がバウンドした。

「さっきの続きだよ。今度は抜き合いとかそんな生温いのじゃなくて、お前のケツに俺のチンポをぶち込みたい」
「そ、そんなんただのセックスじゃないっすか!」
「ああ、そうだよ。お前とセックスしてえんだ」
「そんなのおかしいっすよ。俺ら男同士なのにっ……」
「扱き合いまでしといて今更何言ってんだよ? なんだかんだ言ってたけど、俺のチンポ触るのに抵抗なかったんだろ?」

 確かに岩泉のそこに触れることに、嫌悪感はまったくなかった。それどころか岩泉の感じている顔に興奮し、もっと感じさせたいとさえ思うほどに、あのときの京谷はその行為に夢中になっていた。

「岩泉さんってゲイなんすか?」
「いや、そういうんじゃねえよ。けどお前のことだけはずっと可愛いって思ってたし、男だけどそれでもお前の全部が欲しいって思ってた」

 真剣な目は、その言葉が嘘じゃないと言っている。

「俺はお前が好きなんだ。男だけど、それでもお前だけ特別だ」

 告白されるのなんて生まれて初めてだ。その相手がまさか男になるなんて思わなかったし、ましてや尊敬し、慕っていた岩泉だなんて思いもしなかった。きっと他の男に同じことを言われても、京谷の心は少しも動かなかっただろうが、岩泉に言われるとなんだか嬉しいような気がしてくる。それは京谷にとっても彼が特別であることの証だった。

「順番が滅茶苦茶だ。普通は告って何回かデートして、それからのセックスじゃないんすか?」
「仕方ねえだろ。正攻法でいったってお前とエロいことなんかできねえだろうが」
「そうかもしれないっすけど……」

 けれどもし岩泉が真剣に気持ちを伝えてくれたなら、京谷だって男だから無理と突っぱねたりせず、ちゃんと本気で考えていただろう。それもやっぱり相手が岩泉だからなんだと今はわかる。

「で、どうするよ? 勝負には勝ったけど無理強いはするつもりねえよ。嫌なら嫌って言ってくれていいし、オッケーならオッケーで俺を受け入れてほしい」
「俺は……正直今はよくわかんねえっす。岩泉さんのことは普通に好きだし、俺の中で特別な人っすけど、それが恋愛感情なのかどうかは自分でもよくわかんねえ。けど、それでもこの続きはしてもいいって思ってます。岩泉さんとセックスすんの、全然嫌じゃないっす」

 結局さっきは岩泉のイくところを見られなかった。今度はちゃんと最後までイかせてやりたい。自分の中で気持ちよくなってほしい。

「痛いのは勘弁してくださいよ。ちゃんと優しくしてくださいっす」
「わかってるよ。うんと優しくするし、絶対に痛い思いなんかさせねえ。だから全部俺に任せてくれ」

 岩泉の大きな手が京谷の頬に触れる。その手つきの優しさに安堵しながら、京谷は彼の逞しい背中に腕を回した。
 間近に迫った岩泉の顔は、京谷が知っているどんな男よりもカッコよかった。カッコいいだけじゃなくて、強くて男らしくて、けれど優しくて温かい。そんな人に好きだと言ってもらえるなんて、本当に幸せなことなんだと今更のように実感する。
 岩泉が目を閉じた。キスをされるのだとわかって京谷も目を閉じる。そうして触れ合った唇は、まるでゼリーのように柔らかかった。


 ◆◆◆


「――うがっ!」

 右半身を襲った衝撃に、京谷賢太郎は目を覚まさずにはいられなかった。そうして覚醒した瞬間に自分でわかった。たぶん今、パンツの中が大変なことになっている。この湿った感触は汗で濡れているというだけじゃない。
 ベッドから一緒に落ちた掛布団を押しのけ、そっとボクサーパンツの中を覗いてみると、予想したとおり腹や太もも、そして陰毛や本体が白濁で汚れている。青臭いような独特の匂いが鼻を突いて、京谷はげんなりとせずにはいられなかった。

(い、岩泉さんで夢精しちまった……)

 尊敬する一つ上の先輩。彼をそういった意味で意識したことなんかないはずなのに、そんな夢を見てしまった。元々夢なんて思い通りになるものじゃないし、考えたこともないものを見せることもあるけれど、中途半端にリアルな夢は京谷にもやもやとした気持ちと罪悪感を植え付けた。

(どんな顔してあの人に会えばいいんだ……)

 部活に出れば彼と顔を合わさずにはいられない。かと言ってこんなことでサボるなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。できるだけ彼と接触しないようにしよう。元々そんなに言葉を交わすことはないけれど、今日はいつも以上に距離を置こう。そう決めた。


 ◆◆◆


 自転車置き場から昇降口に向かっていた岩泉一は、数十メートルほど前に見覚えのある金髪を見つけた。可愛い後輩の一人だ。ちょっと話でもしてみようかと早足に彼に近づき、手が届くほどの距離になって声をかける。

「よう、京谷」

 呼ばれた彼がこちらを振り返る。きっといつもどおり人相の悪い目つきをしているんだろう。そう身構えていたのに、岩泉を捉えた彼の目は想像とは違っていた。まるで幽霊にでも出くわしたかのように瞠目したかと思うと、健康的な肌色をしていた顔が一気にゆでだこみたいに真っ赤になる。そのただならぬリアクションに大丈夫かと訊こうとしたが、岩泉が口を開くより先に彼は猛然と走り去っていった。

「な、なんなんだ? 俺なんかしたっけ?」

 一人取り残された岩泉は、訳がわからずその場に立ち尽くす。けれどそれも一瞬のこと。次の瞬間には追いかけなければならないという使命感に駆られていて、軽く屈伸すると、彼の逃げて行ったほうに向かって走り出した。

「待て京谷コラー!!」



おしまい





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