02. 言葉だけじゃ彼を慰めるにはいろいろ足りない気がしたからだ

「あれ、澤村さん!? どうしてここに!?」

 俺を見るなり、奥岳さんは目を丸くした。

「俺、このアパートに住んでるんで」
「えっ、そうなんですか!? まさか同じアパートの人だったとは……」

 俺もその偶然にはびっくりだ。

「部屋は何号室なんですか?」
「二〇二号室ですよ。澤村さんは?」
「あ、俺奥岳さんの隣です! 二〇一号室なんで」
「えっ、嘘!?」

 偶然に偶然が重なるって言うのはこういうことなんだろう。橋の下で泣いていたのが偶然奥岳さんで、アパートも偶然一緒で、しかも部屋は偶然隣。もういっそ奇跡と言ってしまいたいくらいのそれに、二人して驚いた。

「今日引っ越してきたばかりで、午前中に挨拶に行ったんですよ。留守だったけど」
「あ、今朝は早くから出かけてたから……。俺もつい三日前に引っ越してきたばかりなんです。もしかしてこの春から大学生?」
「そうですよ」
「俺もです! ってことは同い年ですね。あ、澤村さんが浪人してなかったらですけど……」
「一応現役ですよ。大学も同じだったりして」
「まさか。この辺三つくらい大学ありますから。ちなみに俺は西呈大です」
「えっ!? 俺も西呈ですよ!」
「ええっ!? なんか俺たちとんでもないことになっちゃいましたね。いや、もちろんいい意味でなんですけど」
「こんな偶然ってあるんですね……」

 これじゃ奇跡を飛び越えて最早運命だな。これで学部や希望するサークルまで被ったら、俺奥岳さんと結婚するよ。



 ……結婚するとか言ってごめんなさい。冗談だと思ってスルーしてください。学部はもしかしたらって思ったけど、まさか奥岳さん……じゃなかった、奥岳くんも同じバレーサークルに入るつもりでいるなんて、思いもしなかったからな。
 いろんな偶然が重なった誼ということで、その日俺は奥岳くんと一緒に晩飯を食うことになった。まだ完全には片付いていない俺の部屋とは違い、奥岳くんのほうはすでに生活が始められる……というか、始まっている状態だった。だからそっちにお邪魔させてもらって、リビングテーブルに買ってきた惣菜や、奥岳くんが炊いてくれた白飯を並べる。

「俺はてっきり、澤村くんは年上の人かと思ってたよ」

 飯を食いながら、奥岳くんがそんなことを言った。

「実年齢より老けて見えるってよく言われるよ」
「そうじゃなくて、なんかこう、しっかりしてるって言うか、頼れる兄貴分みたいな雰囲気があるんだよね」
「それって褒めてる?」
「褒めてる、褒めてる」
「俺には奥岳くんのほうが遥かにしっかりしてるように見えるけどな〜」
「俺のは見かけ倒しだよ。さっきみたいにボロボロ泣くし、嫌なことがあったら拗ねたくなることも結構多いから」
「掘り返して悪いけど、確かにすごく泣いてたな。俺、あんなに悲しそうに泣いてる人初めて見たよ。余程辛かったんだな」
「まあ、確かに結構辛かったよ。でもあのときは澤村くんが話を聞いてくれたし、いまも澤村くんがいるから気が紛れて助かるよ」
「じゃあ俺がいなかったら一人でまた泣いちゃうのか?」
「それは……やっぱ、そうだったと思う。片想いしてる期間長かったし、この先他の誰かにあいつを取られるのかもしれないと思うと、辛いから。でも今日はもう大丈夫。澤村くんのおかげで元気出た」

 そう言いながら奥岳くんは笑った。だけどその笑顔はどこか寂しげだった。やっぱり一日で失恋から立ち直るなんて難しいんだろう。それでも前を向いて頑張ろうとしている奥岳くんが俺の目には眩しく映る。そしてそんな彼の助けになりたいとも思った。

「図々しいお願いだってことは承知してるんだけど、今日こっちに泊めてもらってもいい? さっきも言ったけど、俺の部屋全然片付いてないから落ち着いて寝られそうにないんだよね。布団はちゃんと持ってくるよ」
「俺は別にいいけど……」
「嫌だったらはっきり言ってくれていいからな。まだ知り合って一日目だし、信用もおけないだろうから」
「いや、本当に俺はいいよ。澤村くんと話すの楽しいし、むしろ大歓迎だよ」
「そう言ってもらえるとありがたいな」
「澤村くんのほうこそ大丈夫? 昼間言ったように、俺はゲイなんだよ? もちろん誘惑するつもりとかないけどさ」
「え、奥岳くんって誘惑とかするの? やらしいな〜」
「しないって言っただろ!」

 お人よしと言われることがよくある。でも俺にとっては人に優しくするのなんて当たり前のことだし、そこになんの見返りも求めていない。ただ自分の周りの人に笑っていてほしかった。そうするとなんだか自分も笑って生きていける気がしたからだ。
 飯を食ったあと、俺は自分の部屋でシャワーを浴びてから、布団一式を持って再び奥岳くんの部屋に上がらせてもらった。二人でテレビを観て、本棚に並んだ漫画を読ませてもらって、そうしている間に少し眠くなってきた。

「そろそろ寝ようか?」

 欠伸をした俺に奥岳くんがそう提言して、日付が替わる少し前にそれぞれの布団に入ることになった。
 電気が消え、部屋が静まり返る。ついさっき眠いなと感じたはずなのに、そのときになってなぜだか意識が冴えた。ベッドの上の奥岳くんが何度か寝返りを打っている。

「奥岳くん、寝た?」
「いや、まだ起きてるよ」

 返答はすぐに来た。

「ちょっとだけ話してもいい? というか、ちょっと訊いてみたいことがあるんだ」
「いいよ。何?」
「あのさ、人を好きになるってどんな感じ?」

 なんとなく、その感覚を知りたいと思った。人を幸せにしたり、そうかと思えば辛い思いをさせたり、そんな感情を揺さぶる“恋”というものに、俺は純粋に興味があった。というかさすがに大学生になってまで知らないってのは、なんだか自分でやばい気がしてる。

「急にどうしたんだよ?」
「いや、実は俺、人を好きになったことがないんだ。この歳になってさすがに初恋がまだってやばいよな」
「別にやばくはないと思うけど、ちょっと珍しくはあるかな」

 やっぱりそうですよね……。

「でも改めて訊かれると、なんて言ったらいいのかよくわからないな。俺の場合はその人のそばにいるとドキドキして、一緒にいるとすごく楽しい気持ちになった。他の誰かと楽しそうにしてると嫉妬したり、寂しい気持ちになったり。その人の行動や言動一つで心が動かされるんだ。……わかりにくい説明でごめんよ」
「いや、結構わかりやすかったよ。奥岳くんの好きな人ってどんな感じだった?」
「明るくて、誰とでも仲良くなれる人だったな。勉強が苦手な人だったから、よく俺のところに教えてほしいって言って来てたんだ。それで一緒に勉強したあと、いつもアイスを奢ってくれたりして……。普段は自分のしたいように生きてるって感じなのに、そういうちょっと律儀なところとかすごく好きだった」

 言葉尻から、その相手への気持ちが溢れるようだった。本当にその人に恋をしていたんだなと、奥岳くんの言葉を聞いて、眩しいような気持ちにさせられる。

「澤村くんは、こういう人がタイプだなっていうのはある?」
「俺? そうだな〜……見た目はよくわからないけど、やっぱり優しい人が好きだな」
「まあ、優しいのが一番だよね。澤村くん自身もすごく優しいと思うけど」
「そうかな?」
「うん。たぶん澤村くんのことを好きだった人、たくさんいると思うよ」
「モテた覚えなんかないけどなー」

 告白されたこともないし、そういう噂を耳にしたこともないな。でももしかしたら一人くらいは、本当に俺のこと好きだった人がいたのかもしれない。そう思うとちょっとドキドキする。

「好きな人はできなくても、誰かと付き合ってみたいとか思わない?」
「思わないことはないけど……そんなにはって感じかな。いい人に出会えたら付き合ってみたいけど、それまでは自分から探したりはしないと思う。それにこんな面だし、自分から探したとしても相手が見つかるかどうか……」
「え、どうして? 澤村くんは普通にカッコイイと思うけど」
「奥岳くんさっきから俺のこと褒めすぎ! 超恥ずかしいからやめて」
「だって羨ましいから。俺はこんなだし、澤村くんほど優しくはなれない」
「奥岳くんは十分優しいよ。それに顔だって男らしくていいじゃないか」
「そんな、無理に褒めなくても……」
「無理なんかしてないよ。俺はその真面目で優しそうな奥岳くんの顔、結構癒されるよ」
「そ、それは喜んでいいのかな?」
「もちろん」
「ありがとう……?」

 奥岳くんに癒されるというのは本当の気持ちだ。どんぐりみたいな目とか、笑ったときの優しそうな顔とか、俺は結構好きかもしれない。あ、もちろん変な意味じゃないぞ。
 でも顔のつくりで言えば、系統的には俺も同じところに属するような気がするな。決して悪くはないはずだけど、地味で目立たないというか、どこにでもいそうな顔だとよく言われる。カッコイイというのはやっぱり奥岳くんのお世辞だったんだろう。それでもちょっと嬉しかったけどな。



 時間は何時かわからないけど、まだ明け方にもなっていないようだった。そんな頃合いに俺はなぜだか目を覚まして、すすり泣く声に気がついた。
 奥岳くんが泣いている。昨日の昼間、橋の下で初めて出会ったときと同じように、悲しさをダダ漏れにして涙を流している。暗闇で顔が見えなくても、それが痛いほどに伝わってきた。

「奥岳くん」

 そっと声をかけると、すすり泣く声が少しだけ小さくなる。

「寒いからそっちで一緒に寝てもいい?」

 返事はなかった。けれど奥岳くんは身体をベッドの奥のほうにずらして、少しスペースを開けてくれた。
 俺は自分の枕を奥岳くんの枕の隣に並べて、同じ布団の中に入れてもらう。中は彼の体温のおかげで程よく温かくて、心地よかった。寒いから一緒に寝たいというのはもちろん嘘だ。ただそばにいてあげないと、奥岳くんが消えてなくなってしまいそうで恐かった。

「ごめんね、澤村くん……」
「なんで謝るの? 寒いから一緒に寝たいって言っただろ」

 俺は奥岳くんの背中にそっと触れてみた。丸くなったそれを、優しく撫でる。昼間は厚かましいかと思ってできなかったけど、いまは許される気がしたし、奥岳くんもそれを求めているような気がした。

「我慢しないで、たくさん泣いて。それで明日になったらいっぱい笑って。俺、奥岳くんの笑った顔結構好きだよ」
「ありがとう……」

 俺の言われたとおりに、奥岳くんはしばらくの間静かに泣いていた。やっぱり頭の中には、告白してフラれた友達のことばかりが浮かんでしまうんだろう。それは俺がそばにいたって打ち消せないんだ。それでも俺は奥岳くんの身体を抱きしめた。抱きしめて、頭を撫でて、少しでも失恋の痛みが和らげばいいなと祈った。
 泣いている人を慰めたのは、決してこれが初めてじゃない。いままでだって何度もあったことだ。だけどいつも言葉で慰めるだけで、こうして抱きしめたりするのは初めてだった。
 どうしてそうしたのかは自分でもよくわからない。強いて言うなら、ただ言葉だけじゃ彼を慰めるにはいろいろ足りない気がしたからだ。
 俺が眠りに就くのと奥岳くんが泣き止むの、どちらが早かったかは覚えていない。気がつけば夢の世界に落ちていて、起きると次は朝になっていた。
 俺は、夢の中でも泣いている奥岳くんを抱きしめていた。




続く





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