03. なんとなく焦ってしまう

 大学の入学式を無事に終え、二週間ほど経った頃に今度はバレーサークルの新人歓迎会が開かれた。メンバーは全員そろっていたらしいんだが、それでも俺たち新人を除けば六人しかいない、小さなサークルだった。ちなみに新人は俺を含めて四人だ。つまり全部で十人。六対六のゲームすらろくにできない人数である。まあ、俺は人数少ないほうがなんか落ち着くからいいけどな。先輩たちも穏やかな人が多いし、上手くやっていける気がしてちょっと安心だ。
 歓迎会が終わると、俺は誠治と一緒にアパートに帰る。大学では学部もサークルも同じだから、常に誠治と一緒に行動をしていた。まあ、アパートでも部屋が隣だからしょっちゅう誠治の部屋に上がらせてもらったり、誠治が俺の部屋に遊びに来たりしてるけどな。
 ちなみに誠治を下の名前で呼び始めたのはつい最近の話だ。最初は慣れなくて時々名字で呼んじゃってたけど、さすがに違和感なくなってきたな。

「先輩たち、優しそうな人ばっかだったな」

 帰路を歩きながら、俺はさっきの歓迎会のことを話題に出した。

「そうだな。最初は緊張したけど、話してみたらみんないい人で安心したよ。同じ一年生の人たちも感じよかったし」
「鎌先くんと、えっと……浪川くんだっけ?」
「違うよ。折川くんだよ、それ。浪川どっから出てきたの」
「なんか声のイメージでそうだったかと……。そうか、折川くんか」
「――いや、どっちも間違ってるからね!」

 俺のでも誠治のものでもない声が、いきなり後ろから割って入る。驚きながら振り返ると、そこにはさっき歓迎会で見たばかりの顔があった。

「澤村くんも奥岳くんもひどくない!? なんで鎌先くんの名前は憶えてるのに俺のは微妙に忘れちゃってるのかな!? ちなみに俺は浪川でも折川でもなく、及川だからね!」

 浪川くん……じゃない、及川くんがひどくショックを受けたようなそぶりでそう嘆いた。

「ごめん。そっか、及川くんだったのか。ちょっと惜しかったな」
「惜しくないよ! 奥岳くんがそれ言うならまだしも、澤村くんの浪川は全然惜しくないよ! それに声のイメージってなんだよ! 意味不明すぎて及川さん軽く混乱したよ!」
「悪かったって。及川くんも帰る方向一緒だったのか?」
「いや、普通に二人を尾行してただけだけど?」

 何当たり前のこと訊いてるんだ、みたいな顔をして及川くんはそう答えた。なんだ、普通に尾行って。尾行してる時点で普通の精神してないぞ。

「俺らに何か用事だった?」

 誠治が尾行という単語をスルーして、世間話でもするような何気なさで及川くんに訊ねる。

「いや〜、二人で連れ立ってどっか行こうとしてたからさ、てっきりどっかで飲み直すのかと思ったよ。お酒は飲んでないけど。それなら及川さんも参加させてもらおうと思って」
「俺ら同じアパートに住んでるんだよ。だから帰る方向も同じなんだ」
「えっ、そうだったの!? なるほど、そういうことか〜。じゃあこのまま二人の部屋にお邪魔させてもらおうかな。そんで三人で飲み直そうよ。お酒は駄目だけど」

 なかなか図々しいやつだな。でも三人で飲み直す(たぶんジュース)ってのはちょっと楽しそうだ。

「じゃあ途中のコンビニで飲み物と食い物買ってくか。誠治もいいだろ?」
「うん。俺はオッケーだよ。及川くんにとっておもしろいものがあるかどうかは自信ないけど……」
「とか言いながら、奥岳くんってエロ本とかたくさん持ってそうだよね」
「たくさんは持ってないよ!」
「たくさんはないってことは、ちょっとは持ってるってこと? やっぱり俺の想像どおり、ムッツリさんなんだ」
「俺の家には及川くん上げないようにしよう……」
「冗談だって! でもほら、友達の家に行ったらまずエロ本探索するのが普通じゃん?」
「少なくとも俺の友達にそんなことするやつはいなかったよ」
「本人がトイレとかに立った隙に探すからね」
「やっぱり及川くん上げるの嫌だな……。大地の部屋にしよう」
「えー、奥岳くんの部屋も見たかったのにー。むしろ奥岳くんのエロ本にとっても興味あったのにー」

 俺もそれはちょっと興味あるなー。誠治はそういうの読むイメージまったくないけど、やっぱり一冊くらいは持ってるんだろうか? 持っているとしたらどんなやつだ? というかやっぱゲイ向けのエロ本だよな、きっと。それは及川くんには絶対見せられない。

「わかったよ。じゃあ今日は澤村くんのエロ本で我慢する」
「期待してるとこ悪いけど、俺の部屋にはマジでエロ本一冊もないぞ」
「嘘だー。健全な十九歳、あるいは十八歳男子が何言ってんのさ」
「だってそういうのは最近ネットで見れるだろ?」
「つまり澤村くんはグローバルスケベってこと?」
「グローバルスケベってなんだよ!?」

 そんなアホな会話を繰り広げているうちに、アパートの最寄りのコンビニに着いた。適当に飲み物と食い物を買って、残りの短い家路をわいわい喋りながら歩く。まあ、わいわいうるさかったのは主に及川くんだけどな。
 誠治は絶対に及川くん……いや、もう“くん”はいらないか。及川を部屋に上げたくないって言ったから、三人での二次会はさっきの話の流れのとおり、俺の部屋でやることになった。
 及川は部屋に上がるや否や、いきなり人のベッドの下を覗き込んでいた。それは部屋主が席を外した隙にやるんだってさっき言ってなかったか。堂々とやってんじゃねえよ。
 買ってきた食い物と飲み物を適当にテーブルに並べて、話をしながらそれぞれが好きなように飲み食いする。野郎ばっかでむさ苦しくはあったけど、それでもすげえ楽しかった。
 及川は小学から高校までずっとバレーをやっていたらしく、ポジションはセッターだったそうだ。身長あるから勝手にアタッカーだと思い込んでいたから、ちょっと意外に思った。
 ちなみに学部は俺たちと別で、教育学部に所属している。将来は教師になりたいそうだ。それもちょっと意外だったな。

「俺の身の上話はどうでもいいんだよ。それよりも、二人は彼女とかいるのかな? いないよね。うん、知ってる」

 及川はそう言いながら意地悪そうに笑った。

「失礼だな。いるかもしれないだろ。そういう及川はどうなんだよ?」
「いないけど? でも俺はつくらないだけだから。つくろうと思ったらいつでもつくれるから」
「……誠治、こいつどう思う?」
「う〜ん……とりあえずそこの橋から飛び降りればいいんじゃないか? 俺が背中押すよ?」
「ひどっ」

 まあ、確かに及川は顔いいよ。きっと女子にモテるんだろうな。ああ忌々しい。

「でもね、二人とも決して顔が悪いわけじゃないんだよ。むしろ男らしくていい感じだと思うよ」
「じゃあ何が悪いんだよ?」
「う〜ん……やっぱり髪型かな〜。澤村くんのそれ、スポーツ刈りをちょっと伸ばしてそうなったんでしょ? 奥岳くんも坊主を放置したらこうなりましたって感じだよね」

 及川の質問に、俺と誠治はそろって頷いた。

「大学生になったんだから、そんなんじゃ駄目だよ。もっとこう、今時の髪型にしないとさ。ってことで明日は一緒に美容院に行こうよ」
「別に美容院なんかいいよ。なあ、誠治?」
「う〜ん……俺はちょっと興味あるかもしれない」
「え、マジで?」
「そろそろこの髪もどうにかしないといけないかなって思ってたところだから。こんな俺でも、やっぱり少しでもよく見られたいって思うよ」

 誠治がそんなふうに思ってたなんてちょっと意外だな。でも確かに少しでもよく見られたいって思うのは当然のことだよな。

「ほら、奥岳くんもこう言ってることだし、澤村くんもいいでしょ?」
「……わかったよ。誠治が行くなら俺も行く」
「じゃあ決まりだね。二人がどんなふうに変身するのか楽しみだな〜」
「顔が変わるわけじゃあるまいし、そんなに驚くほどのことは起きないだろ」

 アフロにするとかなら別だけど。

「いやいや、人って髪型で結構印象変わるものだよ。たとえば短髪になった俺を想像してみてよ。いまと全然印象違うでしょ?」
「そうだな。短髪の及川は普通にきもい」
「きもいって言うなよ! せめて“似合わない”程度に抑えてよ!」



 及川は本当によく喋った。日付が替わる頃には喋り疲れたのか、座ったまま舟を漕ぎ出したから、誠治が持って来てくれた布団に寝かせてやった。
 及川が誠治の布団を独占してしまったことで、俺と誠治が必然的に同じベッドで寝ることになる。というか及川が起きててもそういう組み合わせにするつもりだったけどな。俺は及川とは一緒に寝たくないし、誠治と及川を一緒にするのもなんとなく躊躇われたから。

「及川が寝るとすごく静かになった気がするよ」

ベッドに腰かけた誠治が、気持ちよさそうに眠る及川を眺めながらそう笑った。

「確かにな。俺らの三倍くらい喋ったよな。俺らもそろそろ寝るか?」
「うん。ごめんな、ベッド狭くしちゃって」
「気にすんなよ。誠治は寝相いいし、いびきも掻かないだろ? だから全然気にならない」
「ならいいんだけど」

 二人で布団に入って、リモコンで電気を消す。枕は一つしかないから、二人で半分ずつ分け合った。

「二人で寝るのなんて久しぶりだな。誠治が泣いてたとき以来か」

 あれは初めて誠治と出逢った日のことだ。いま思えば初対面の人と同じベッドで寝るなんて、いろいろすっ飛ばしすぎておかしいだろって感じだけど、あのとき俺はどうしても誠治を一人にしたくなかった。

「それ言うなよ。俺の恥ずかしい思い出の一つなんだから」
「あれから一人で泣いたりしてないか?」
「さすがにもう平気だよ。あれから一カ月近く経つしね。それに……あ、いや、なんでもない」
「なんだよ? 言いかけてやめられたら気になるだろ」
「言いたくない」

 そう言って誠治は向こう側に寝返りを打った。

「マジで言わないつもりかよ?」
「だって言いたくないから」
「どうしてもか? 俺気になって眠れないんだけど……」
「じゃあ寝なきゃいいんじゃないか? 明日休みだから平気だろ」

 こんな頑なな誠治は珍しい。そんなに俺に言いたくないことってなんだ? やっぱり気になる。誠治には悪いけど、ここは意地でも聞き出してやろう。誠治はいつも俺のことを優しいって言ってくれるけど、そうじゃない部分だってあるんだからな。
 俺は手をそっと誠治の脇腹に忍ばせる。一瞬驚いたように誠治の身体がぴくりと反応した。よしよし、どうやらここが弱点で間違いないようだ。俺は内心でにやけながら、容赦なく誠治の脇腹をくすぐった。

「!?」

 細い身体がくの字に曲がる。けれど俺は攻撃の手を緩めたりはしない。むしろ指の動きを激しくして、徹底的に誠治を苦しめた。

「ちょっ……やめっ、やめろよっ! ははっ、あははっ! 大地っ……馬鹿っ、死ぬからっ! マジで死ぬからっ!」
「じゃあさっき言いかけたこと言えよ。そうしたらやめてやるから」
「言うよっ、言いますっ! だからマジでやめろって…ははっ!」

 降参してもしばらくはやめてやらなかった。悶えながら必死に俺の手から逃げようとする誠治をちょっとだけ可愛いと思ったからだ。

「大地の馬鹿っ……言うって言ったのになんでやめないんだよ」
「ごめん、誠治が可愛くてやめられなかった」
「可愛くねえよ」
「ごめんって。で、話してくれるんだろ? さっき言いかけたこと」
「やっぱり言いたくないなあ……」
「もう一回くすぐろうか?」
「言うからやめてください。――好きな人ができたんだ」

 恥ずかしそうに言った台詞に、俺は少し驚いた。

「そうだったのか! 俺の知ってる人?」
「知ってると言えば知ってるけど……」
「ひょっとして及川?」
「んなわけないだろ。俺はそんなに趣味悪くないぞ」

 容赦ないな……。

「じゃあ誰? 鎌先くん? それとも先輩?」
「それ以上は教えないよ」
「えー、教えてくれたっていいだろ。俺は口堅いほうだぞ」
「それでも言いたくない。くすぐられたって今度は言わないから」
「そこまで言うなら訊かないけど……。でも気になるな〜」
「そういう大地はどうなんだよ? あれから好きな人できたのか?」
「それがさっぱりでな〜。どうやったら見つけられるんだ?」
「見つけようと思って見つかるものじゃないと思うよ。俺だっていま好きな人と出逢ったのはいろんな偶然が重なったからであって、探してたわけじゃないから」
「そうなのか……」

 いつになったら俺はそういう相手に出逢えるんだろうか? それとも出逢ってるのに気づいてなかったりするんだろうか? 誠治の新しい恋の話を聞いて、なんとなく焦ってしまう。
 それにしても、誠治が新しく好きになった人って誰なんだ? 俺の知ってる人っていうとやっぱり大学の関係者に絞られるよな。しかもまだ人間関係の輪はそんなに広がってないし、共通の知り合いはそんなに多くない。及川じゃないのは間違いないようだけど、だとするとやっぱり鎌先くん辺りだろうか? 結構男前な感じだったしな。
 俺と誠治、二人の知っている大学関係者の顔を順番に思い浮かべているうちに、俺は眠りの世界に落ちていた。




続く





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