04. 距離を置きたいってなんだよ?

「――澤村くん、起きなよ。奥岳くんのカット終わったよ」

 及川の声に導かれて、俺は浅い眠りから目を覚ました。
 そうだ。確か及川に連れられて、アパートから少し離れた美容院に来てたんだった。誠治がカットしてもらってる間、待合で漫画を読んでいるうちに寝てしまっていたらしい。

「ほら、奥岳くんもこっち来て澤村くんに見せてあげなよ」
「なんかちょっと照れるな〜。大地、これ変じゃないか?」

 奥のほうから現れた誠治は、一瞬別人かと思ってしまうほどの変貌を遂げていた。坊主から野暮ったく伸びていた髪がすっきりと短くなり、ベリーショートのソフトモヒカン(ヘアーカタログ引用)に仕上げられている。太めでハの字だった眉毛も適度に整えられ、元々男らしかった顔を更に男らしく見せている。けれど好青年然とした雰囲気は失ってなくて、顔の小さい誠治によく似合った髪型だった。髪型で人の印象が変わるっていう及川の言葉は本当だったんだな。

「すげえ似合ってるよ。及川なんかよりずっとモテそう」
「いまさりげなく失礼なこと言ったよね、君。確かに奥岳くんかっこよくなったけど、及川さんには一歩及ばないと思うよ?」
「それに爽やかになった」
「無視か!」

 ありがとう、と誠治は照れたように笑った。

「次は大地の番」
「ああ。俺も誠治と同じ感じにしてもらおうかな」
「それは駄目だよ」

 スルーされた及川がめげずに再び入ってくる。

「二人ともただでさえキャラ被ってるんだからさ。髪型くらい変えようよ。それに澤村くんに似合いそうな髪型、俺が見つけてあるんだ〜」
「変なのだったら怒るぞ」
「及川さんのセンスを信じなさい」

 そんなわけで俺がカットされる番がきたわけだが、開始五分で俺はまた眠りに就いてしまっていた。次に目を覚ましたときにはドライヤーで髪を乾かしているところで、大体の工程は終わっているようだった。
 鏡に映る自分を見て、どんな髪型になったのか確認する。俺もソフトモヒカンっぽい感じに仕上がっていたが、誠治よりもトップが長めで、どちらかというとツーブロックっぽい髪型になっていた。この髪型を推した及川のセンスを認めるのは少し悔しいけど、俺に似合っている気がする。それに少し田舎臭い雰囲気が薄れたようだ。

「ほら、いい感じになったでしょ?」
「確かに……誠治はどう思う?」
「すごく似合ってると思うよ。元々カッコよかったけど、更によくなった」
「誠治に言われるとなんか自信つくな〜。あ、及川も選んでくれてありがとな」
「なんかすごくおまけっぽい言い方されたような……」
「そんなことないよ。本当に感謝してるって。なあ、誠治?」
「ああ。ここに案内してくれてありがとな。美容院なんて一人じゃ絶対行く勇気持てなかったよ」
「いいよ。俺も二人のビフォアー・アフターを楽しめたしね。やっぱり及川さんの目に狂いはなかったのさ。まあ、感謝の印として何か奢ってくれても全然オッケーだけど?」
「誠治、暗くなる前に帰ろうか」
「そうだな」
「ってまた無視か! って言うかまだ真昼間ですけど!?」



 俺たちの新しい髪型は、大学の友達やバレーサークルの仲間たちにも好評だった。まあもてはやされたのも最初の三日くらいだけだったけどな。しかも寄ってくるのは男ばかりで、残念ながら女子に声をかけられるようなことはなかった。そっちは最初から期待してなかったから別にいいけど。

「二人ともモテモテみたいだね〜。男にだけど」

 サークル活動中に、及川がからかうように話しかけてきた。

「おかげさまでな。まあ相手が男でも、褒められて悪い気はしないよ」
「はっ、まさか澤村くんってそっちの気が!? ということは、奥岳くんは彼氏!?」
「違うわ! 自分のこと褒められたら普通に嬉しいもんだろって言いたかったんだけど!」
「そんなに必死に否定しなくても大丈夫だよ。二人がホモカップルでも、俺は味方だから。ちなみにどっちがどっちをやるんだろう?」
「だから違うって! なあ、誠治からもなんか言ってやれよ。こいつが変な妄想し始めたぞ」

 隣の誠治にそう振ったが、返事は返ってこなかった。どうしたんだろうかとそっちを向くと、男らしい顔はぼうっとどこかを眺めていた。

「誠治?」
「へっ、あっ、ごめん。どうかした?」

 もう一度声をかけると、今度は気づいて顔を上げた。けれどさっきの俺と及川の話は聞いてなかったようだ。
 こんなやりとりは、何もこれが初めてというわけじゃない。もう二週間くらい前からになるだろうか。ちょうど髪を切ったあの日から数日くらいして、誠治がぼうっとしていることが多くなった。

「奥岳くん、大丈夫? 最近結構ぼうっとしてるよね?」

 及川も誠治の異変に気づいていたらしい。心配そうにそう訊ねる。

「大丈夫。始めたバイトが結構忙しくてさ。それで疲れてるだけだから」
「そうなんだ。あんまり合わないようだったらバイト変えたほうがいいよ。この辺なら雇ってくれるところいくらでもあるだろうし」
「まだ慣れてないだけだよ。そろそろ落ち着くと思う」
「ならいいけどさ。具合悪くなったら遠慮なく澤村くんに甘えなよ? 彼氏なんだからさ」
「だから彼氏じゃねえよ! いい加減その妄想やめろ」

 ヒラヒラと手を振りながら、及川は他の人間のところに向かって行った。

「本当に大丈夫なのか?」

 俺はもう一度誠治に確認する。

「大丈夫だよ。二人とも心配しすぎ。ちょっと疲れてるだけで、体調が悪いとかじゃないんだ。だからあんまり構うなよ」
「わかった……」

 大丈夫と言いながらも、その日の誠治はいつも以上に口数が少なかった。だけどコートに入ると機敏に動けていたから、本当に体調が悪いわけじゃないんだろう。でも休憩時間になると一人で離れたところに座って、さっきみたいにぼうっとしていた。
 帰り道も誠治はほとんど話さなかった。俺が話しかけたことに一応返事はしてくれるけど、話題を広げてくれようとはしなかったし、自分から話題を出すこともなかった。……明らかに様子がおかしかった。

「誠治」

 自分の部屋に入りかけた誠治を、俺は引き止める。

「最近ちょっと様子おかしいなって思うことあったけど、今日のお前は明らかに変だったぞ? 疲れてるって言ってたけど、本当にそれだけなのか?」
「……それだけだよ。本当に、疲れてるだけなんだ。そのうちよくなる」

 誠治は少しだけ笑った。でもその笑顔はすごく寂しそうな色をしていた。

「何か悩んでることがあるなら言えよ。そりゃ、力になれるかどうかはわからないけど、話して楽になることだってあるだろ?」
「悩みなんてないよ。ただちょっと忙しいだけだ」
「なら俺が何か家事手伝おうか? さすがに毎日は無理かもしれないけど、暇なときは……」
「いまは一人にしてくれないか? 大地が気遣ってくれるのはありがたいけど、いまは一人になりたいんだ。一人になって、一人でいろいろ考えたい。だからごめん」
「そっか……わかった。しつこくしてごめん」

 誠治は首を横に振ったあと、「おやすみ」と告げて玄関のドアを開けた。そこで何かを思い出したように立ち止まって、俺のほうを向いた。

「大地……もう、俺に優しくするのやめろよ」

 目も合わさずに放たれた言葉に、俺は胸に何かが刺さったような気持ちにさせられる。

「どういうことだよ?」
「大地に優しくされると、俺は辛くなるから」
「なんで俺が優しいと誠治が辛くなるんだよ?」
「……ごめん、変なこと言った。ちょっと弱気になってるみたいだ。いまの忘れてくれよ。今度こそおやすみ」
「おいっ」

 引き止めようとした俺の声を無視して、誠治は玄関のドアを閉めた。続いて鍵の閉まる音がする。その歯切れのいい音が、妙に寂しく響いた。



 風呂に入ってる間も、晩飯を食ってる間も、そして寝る前になっても俺はさっきの誠治の言葉の意味を考えていた。俺が優しくすると誠治が辛くなる。……さっぱり意味がわからない。人って優しくされると「頑張らないと」って前向きになれたり、ちょっと元気が出たりするもんじゃないのか? それがどうして辛くなるんだ?
 ひょっとして俺の接し方に問題があるんだろうか? つっても自分で思い当たる節は見つからない。ただ自分で気づいてないだけで、実は誠治を傷つけているような部分があったりするのかもしれないけど。あーもう、わかんねえよ。
 一人でうだうだ悩んでいると、枕元の携帯が前触れもなくバイブレーションした。驚きながら画面をタップすると、メールが届いていた。――誠治からだった。

“さっきはごめん。
 大地が心配してくれるのは嬉しいし、ありがたいと思ってるよ。
 でも少しだけ距離を置きたい。落ち着くまで一人にしてくれないか?
 そんなに時間はかからないと思うから。
 別に大地のことが嫌になったとか、気に入らないところがあるとかじゃないからな。
 むしろ大地は何も悪くないよ。悪いのは俺自身だから、気にしないで。
 じゃあ、おやすみ。もう寝てたらごめん。”

 距離を置きたいってなんだよ? でも俺が悪いわけじゃないのか。だったら誠治はいったい何に悩んでるって言うんだ?
 メールでそれを訊こうとしかけて、すぐにやめる。きっと誠治は答えてくれないだろう。玄関で話したときも、いまのメールでも、核心となる部分には触れてほしくないみたいだった。その領域に踏み込んでいくのは、さすがに図々しすぎて嫌われる気がする。

“わかったよ。
 本当に辛いときは遠慮せずに頼ってくれよ。
 俺は早く前みたいに、誠治と仲良くしたいよ。
 おやすみ”

 返信の文章はそれだけに留めておいた。
 携帯をまた枕元に戻して、リモコンで電気を消す。だけど眠気は一向に舞い降りてくることがなく、俺は朝まで誠治のことを考えていた。




続く





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