05. 俺は自分でも気づかないうちに、誠治のことを好きになっていた

 距離を置きたい、という言葉のとおり、あのメールがあった次の日から誠治は俺を避け始めた。大学に行くのは毎日一緒だったのに、今日はすでに一人で出かけたようだった。
 講義室で出会っても、挨拶は交わしたけれどそれ以上の会話はなく、しかも離れた席に座っていた。代わりに今日の誠治の隣には、同じバレーサークルの鎌先が座っている。時々楽しそうに笑い合う二人を眺めながら、俺はなんだか寂しいような気持ちになった。そりゃ、誠治が誰と仲良くしようと誠治の勝手だけど、俺だけ避けられてるのはなんだかなーと思う。やっぱり俺に何か原因があるんだろうかって疑いたくなるな……。
 寂しくなると同時に、俺は物凄く苛々していた。はっきりと原因を言ってくれない誠治に対してもそうだし、俺と違って避けられていない鎌先に対してもだ。胸の中がもやもやとして、講義なんてまともに聞いてられなかった。



 その日はサークルの活動日だったんだけど、誠治は姿を現さなかった。鎌先によるとバイトに行ってしまったらしい。いままではバイトの時間ずらして活動にはちゃんと参加していたのに……やっぱり俺を避けてそういうことをしたんだろうか?
「なあ、お前奥岳と喧嘩でもしたのか?」

 ネットの準備をしていると、鎌先がそう話しかけてくる。

「いや、そんなはずはないんだけど……。誠治は何か言ってたか?」
「適当に濁された。お前らっていつもホモカップルかってくらい一緒にいたから、なんかあったのかと思ったんだけどな。なんもないんならなんで今日は一緒にいなかったんだ?」
「俺が知るかよ。ほら、ちゃっちゃと紐引っ張れよ。時間なくなっちゃうだろ」
「なんかいつもより澤村が冷たい気がする……」

 やばい、さっきの苛々がちょっとぶり返してしまった。ここで鎌先に当たるのは駄目だよな。でもやっぱり誠治にまともに相手されてるのがムカつく。
 パスや対人のときはいつも当たり前のように誠治と組んでいたんだが、その誠治がいないから今日は鎌先と及川のところに入れてもらった。及川は俺の顔を見ながら終始ニヤニヤしていた。気持ち悪いからやめろと言おうとしたが、俺より先に鎌先がそれを言ってくれた。

「澤村くん、奥岳くんと痴話喧嘩したんだって?」

 休憩に入ると、及川が待ってましたと言わんばかりに俺にすり寄って来た。

「痴話喧嘩じゃねえよ」
「本当に? でも今日は二人全然話してなかったって鎌ち言ってたけど」
「よくわかんないけど、誠治に一方的に避けられてるんだよ」
「やっぱり痴話喧嘩じゃん。澤村くん何したんだよ? まさか無理矢理身体を……」
「だから違うって! 俺と誠治はそういう関係じゃねえよ!」

 冗談だよ、と及川は舌を出した。

「じゃあいったい二人の間に何があったって言うんだよ? ぜひ聞かせてくれない?」
「だから俺にもよくわからないんだって。昨日の帰り、最近あいつの様子がおかしかったから心配して事情を訊いてみたけど、全然話してくれなかった。で、別れ際に言われたんだ。これ以上俺に優しくするなって。俺に優しくされると、誠治は辛くなるらしい」
「優しくされると辛くなる、ねえ」

 及川は何か考えるように指を顎に押し当てる。

「他には何か言ってなかった?」
「メールで少し距離を置きたいって言われたよ。あとは確か、俺のせいじゃなくて自分が悪いって言ってたかな。そのうち解決するからしばらく放っておいてくれって」
「ふ〜ん」
「なあ、及川はあいつの言っていることの意味わかるか? 俺さっぱりわからなくて……本当にこのまま放っておいていいのかもわからないんだ」
「ぶっちゃけ俺は奥岳くんの考えてることわかるよ」

 さも当然のことのように言われて、俺は少し驚いた。いつも一緒にいるが俺がわかってないのに、及川が誠治の考えていることをわかっているのはかなり悔しかった。

「マジか!? じゃあ教えてくれよ! あいつが何を考えてるのか……」
「う〜ん……言うのは簡単だけどさ。でもそれを俺が澤村くんに言うのはルール違反だと思うよ」
「ルール違反?」
「そう。この問題って澤村くんが気づくか、奥岳くんが自分でどうにかしないといけないことだよ。俺が澤村くんに答えを教えちゃうのは奥岳くんの沽券に関わるだろうし、きっと言ってほしくないって思ってる。と言うか本人にそこまで言われておいて、どうして君は気づかないかな」
「気づかないって何にだよ?」
「鈍感さんだな〜。それともいつも一緒にいると、そういうのに気づきにくくなるのかな? 岩ちゃんもそうだったし」
「岩ちゃん?」
「……なんでもない。とにかく、これまでの奥岳くんの態度とか振り返ってみて、一人でいろいろ考えてみたら? あ、本人に聞きに行くのは駄目だからね。それは奥岳くんを苦しめるだけだから」
「じゃあどうすれば……」
「ちなみに澤村くんは、奥岳くんのことどう想ってるの? 好き? 嫌い?」
「そりゃ好きに決まってるだろ。だからこんなに一人でやきもきしてるんじゃないか」
「その好きって、友達としてってことだよね?」
「……まあ、そうだな」

 あれ? なんか一瞬だけ言葉に詰まったぞ、俺。なんだったんだ?
「ふ〜ん。ならやっぱりいまは彼を放っておくべきだよ。黙って見守るのも友達の役目だからさ」
「黙って見守る……」

 結局俺には何もできないってことかよ。あいつの役に立ちたいって思ってるのに、見ていることしかできないのか?


 及川に言われたとおり一人でいろいろ考えてみたけど、結局答えはわからなかった。
 いままで俺は、自分は人の感情の変化に敏感なほうだと信じていた。何か悲しいことがあったり、辛いことがあったりした人がいたらすぐに気づく。そしてその人が笑えるように、いつも何か言葉をかけていた。
 だけど誠治の気持ちは全然見えない。辛そうな顔はしているけれど、何か別の感情もそこにはあるようで、そっちの正体が掴めないままだった。ひょっとしたらそれは俺が抱いたことのないような感情なのかもしれない。

 あ、と俺はそこで初めて気づいた。

 もしかしたら誠治は、鎌先のことが好きなんじゃないだろうか? だから今日はあいつと一緒にいたのか? 俺と距離を置きたいと言ったのは、あいつに変な勘違いをされるかもしれないからか?
 誠治が俄かに見せた正体不明のあれが恋愛感情だと言うなら、俺にはわからないわけである。俺は誰かに対して恋愛感情を持ったことがないし、どういうものなのかもイマイチわからない。だから他人のそれを察するのだって難しいんだ。
 そうか、鎌先のことが好きなのか。あいつ確かに男前だしな。好きになるのも仕方ない気がする。
 でも鎌先がゲイだとはとてもじゃないけど思えないな。この間普通に女の話してたし……。もちろんフェイクの可能性もないわけじゃないけど、限りなく低い気がする。となると、誠治の恋は一方的な片想いで終わってしまうんだろうか? そして以前そうだったように、一人で泣いたりするんだろうか?
 フ ラ れ れ ば い い の に 。

 その言葉がどこからか降ってきて、俺は慌てて首を横に振った。どうして俺はいまそんなことを思ったんだろう? 友達なら、誠治が幸せになることを願うのが普通じゃないか。なのに、俺は……俺は、フラれて泣いている誠治をあのときのように慰めたいと思った。そしてまた距離の近い友達に戻りたかった。背中を撫でて、そっと抱きしめて、頭を撫でて、キスをしたい。

 いや、キスしたいってなんだよ!
 それは友達同士ですることじゃないし、むしろしようとも思わないことのはずだ。たとえば及川とキスをしたいかって訊かれると、絶対に嫌だと即答してしまうだろう。それが普通の友達ってやつだ。
 じゃあどうしていま誠治とキスをしたいって思ったんだ? だってキスって好きな人としたいって思うもんだろ? だったら俺のこれは……

 カチッと、すべての歯車が噛み合うような音が聞こえた気がした。

 顔が急激に熱くなるのを自覚した。右手でデコを押さえて、俺は大仰に息を吐く。
 今回の件、たぶん相手が誠治以外の友達だったなら、俺は大して深く悩まなかったんだろう。本人が落ち着くまで放っておくこともできたはずだ。
 だけど誠治は違う。突き放されたら寂しいし、俺以外の人とは普通に接しているのを見ると無性に腹が立つ。俺がそう感じる相手は、きっと誠治だけなんだろう。
 俺はそこで初めて自分の気持ちに気がついた。いままで知らなかったその感情が、自分の中に存在していることを初めて知った。

 俺は自分でも気づかないうちに、誠治のことを好きになっていた。



 俺が誠治の気持ちに気がついて――そして自分の気持ちにも気がついてから、二週間が経った。俺がその二つに気づいたからと言って、開いていた誠治との距離が縮まることはなく、相変わらず挨拶を交わす以外は必要最低限の会話しかしていない。
 それとは対照的に、誠治は鎌先とはよく話していた。楽しそうに笑う誠治を見ながら、やっぱり誠治は鎌先のことが好きなんだなーと思い知らされる。少し前まで誠治の隣にいたのは俺だったのに。鎌先に盗られてしまったその場所が恋しくて堪らない。というか、誠治が恋しくて堪らない。

 いっそ俺が壊してしまおうか。

 そんな邪悪な考えを、俺はさっと払いのける。そんなのは駄目だ。誠治が好きなのは俺じゃなくて鎌先なんだ。そこに俺が入る余地なんてないし、あっちゃいけない。それに恋を壊した俺を誠治が好きになってくれるわけがなかった。

 もやもやした気持ちのまま一日を過ごし、そして夜を迎える。
 最近は飯を作るのも気が乗らない。だから昨日と同じスーパーの惣菜で夕食を済ませる。
 インターホンの音がしたのは、夜九時を少し過ぎた頃のことだった。
 こんな時間にここを訪ねてくる人間に心当たりはない。……いや、及川なら突然来そうな気がする。あいつ気分屋なところあるし、あんまり人の都合気にしないしな。
 俺は玄関の鍵を開ける。ドアを少しだけ押し開けると、そこには予想とは違う人物の姿があった。

 俺の部屋を訪ねてきたのは、少し緊張したような顔をした誠治だった。




続く





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