07. そうしてようやく、現実になる


「あのさ、もしかしたらこれって、俺がただ自意識過剰なだけなのかもしんないけどさ。若利って、そのさ……俺のこと好きだよな?」

 穏やかに過ぎていた時間が、突然止まった。最初は全身の血が引いていくような感覚に捉われ、その次に心の中を掻き乱されるような焦燥感に襲われる。
 澤村の台詞は核心を突いていた。いったいなぜばれたのだろうかと、牛島はいままで彼に対して言ってきた言葉の数々を必死に思い返す。けれど、やはり自分の本心を悟られるようなことを口走った覚えはないし、顔にだって出ていないはずだ。
 ひょっとして、澤村の訊いてきた「好き」というのは、人間として好感を持っているか否かということなのだろうか? それなら合点がいく。というよりも、そうでなければ自分はどうすればいいのかわからなくなる。

「……大地は優しいし、一緒にいて楽しいから、人として好きだ」
「そうじゃない。人としてどうかじゃなくて、恋愛的な意味で好きなんだろって訊いてんだよ」

 しかし、残念ながら澤村の問いかけは、牛島が思い当たった意味合いの前者のほうだったらしい。
 ふと視線を下に向けると、澤村の真剣な眼差しと視線がぶつかり合う。まるで嘘は通用しないぞ、と言っているような気がして、牛島は思わず目を逸らした。
 牛島は誤魔化すことが苦手だ。だからこの場を上手く収めるような台詞がまったく浮かんでこなかったし、かと言って素直に自分の想いを打ち明ける勇気もない。どうしよう、どうしようとグルグルと思考を巡らせているうちに、「逃げる」という選択肢を引き当てた。

「か、帰る」

 牛島は澤村の頭を膝からそっと下ろすと、ソファーから立ち上がった。そのまま早足に出入り口へと向かうが、ドアノブを掴んだところで背後から抱き止められた。

「俺の質問にちゃんと答えるまで離さない」

 抵抗はできなかった。自分の背中にぴたりとくっついた存在が、大事すぎて乱暴に扱えない。だから結局逃げることも叶わず、牛島は呆然とその場に立ち尽くす。

「……なんで、俺がお前を好きだと思うんだ?」

 そんな台詞しか言えない自分が情けない。ここまで追い詰められているのだから、いっそ胸に抱え続けたこの熱い想いを伝えればいいのに。たとえ失恋するのだとしても、ちゃんと告白をしたほうがいいと、加持も言っていた。けれど牛島はやはり、言ってしまったことで何もかもが壊れてしまうのが恐かった。

「そんなの、お前の態度見てればわかるよ。休みのたびに一緒にいたがるし、甘えてくるし、たまに俺のことじっと見てるし……。それに、普通男の膝枕で喜ぶやつなんかいない」

 言われて確かに、自分の行動の数々はすべて澤村に対する好意によるものだと思い当たる。膝枕もすっかり当たり前のようになっていたが、よく考えれば普通は友達同士でもしないことだ。

「なかなか確信持てなかったけどさ。今日公園で俺のこと抱きしめてくれたときに、やっぱりそうなんだって思った。これって俺の勘違いじゃないよな?」

 言葉が出てこない。もう逃げ道はどこにもないのに、素直に自分の気持ちを打ち明けることができなかった。

「若利はなんだってありのままを正直に話してくれたじゃないか。なのに、なんでそれは言ってくれないんだよ」
「……だって、言ったら全部駄目になる」
「なんで駄目になるって思うんだ? こうして抱き止めてまでお前の気持ちを聞きたいって言ってるんだぞ? そしたら普通、いいほうに考えるんじゃないのか?」
「いいほうに……?」
「たとえば、俺もお前と同じ気持ちでいるんじゃないか、とか」
「う、嘘だっ」
「嘘じゃない。俺はお前に嘘ついたことなんかないだろ? それとも俺はそういう態度とれてなかったか? 公園で甘えたのだって、さっきの膝枕だって、思い切ってアプローチしてみたんだぞ」

 澤村にも自分と同じ気持ちを持ってほしいと、ずっと願っていた。けれどそれが現実になるとは思ってもみなくて、打ち明けられた想いに牛島は驚き、そして戸惑う。それも一瞬のこと、それらはすぐに込み上げた温かいものに覆われ、あとにはどうしようもない嬉しさだけが牛島の中に残った。
 頬が火照る。無性に泣きたいと思うのは、この嬉しさのせいなのだろうか? 人間余りある嬉しさを感じると、涙が出てくるのだということを、牛島はこのとき初めて知った。

「ここまで言っても、お前は俺に何も言ってくれないのか?」

 背中からの問いかけに、牛島は首を横に振って答える。

「……俺は、大地のことが好きだ。街で出会ったときから、ずっと好きだった」

 二人の関係が壊れてしまうのが恐くて、口にできなかった愛の言葉。伝えたくても伝えられなかった、熱い想い。生まれて初めて抱いたその感情のすべてを、短い言葉に込めて牛島は澤村に届けた。

「俺も若利のことが好きだよ」
 返ってきた同じ言葉に、牛島は堪え切れず一粒だけ涙を零した。涙なんて自分とは縁遠いものだと思っていたから、フローリングの上に落ちていったそれを目にして、一瞬だけ自分で驚いた。

「若利、泣いてるのか?」
「……泣いてない」
「本当に? じゃあ顔こっちに見せてくれよ」

 牛島を捉まえていた腕がそっと離れる。ちょっとだけ顔を見合わせるのが恥ずかしかったが、だからと言っていつまでも背中を向けているのも悪い気がして、ゆっくりと彼のいるほうへ向き直った。
 短く切りそろえられた髪の下の顔は、端正で男らしい。こちらを見上げる瞳は優しそうというよりも、すごく誠実でまっすぐな人柄を連想させる。実際そのとおりの人間であることを、牛島はこの数か月の間に知った。
 初めて出会ったときと変わらない澤村。けれど自分の中の彼に対する感情は、あのときよりもずっと大きなものになっている。そして同じものが彼の中にもあるのだ。
 目が合うと、澤村はいつもの優しげな笑みを浮かべた。それを見た瞬間に、彼に対する愛しさが牛島の中から溢れ出して、思わず自分の腕の中にその身体を閉じ込めた。

「大地、大地」
「なんだよ若利」

 宥めるように背中を撫でられ、そしてその手が今度は牛島の頬に触れてきた。クリッとした彼の目としばらく見つめ合ったあと、不意にその目が閉じられたかと思うと、柔らかな何かが牛島の唇に重なった。それが澤村の唇だとすぐにわかって、途端に身体の中に太陽を取り込んだみたいに熱くなる。

「若利からしてくれるの待ってたら、日付が替わっちゃいそうだからな。告るのだって俺が促さなかったら、絶対言ってくれなかっただろ?」

 言いながら澤村は、悪戯な笑みを浮かべた。否定できない自分が情けない。

「顔真っ赤になっちゃったな」
「大地だって赤い」
「仕方ないだろう。キスするのなんて、初めてなんだから」
「初めてなのか?」
「そうだぞ。ひょっとして若利は経験ある?」
「俺も初めてだ」
「なんだ。初めて同士じゃん」

 この世界で澤村の唇の感触を知っているのは自分だけ。自分だけが特別なのだ。そのことを無性に誰かに自慢してやりたくなった。

「もう一回しとくか?」
「ああ」
「じゃあ、今度は若利からしてくれよな」

 目を閉じた澤村の両頬にそっと手を触れてみる。つるっとしていて柔らかい。産毛も生えてない、綺麗な肌だ。
 艶のある薄い唇も綺麗で、吸い寄せられるように牛島はそこに自分の唇を重ねた。
 小鳥のような、啄むだけの短いキスから始まって、それは徐々に深く噛み合っていく。やり方なんかよくわからなかったが、わずかに開いた唇の隙間から本能的に舌を差し入れて、澤村の柔らかいそれを絡め取った。
 キスをしながら、下半身がじんわりと熱くなる感覚がした。それを誤魔化すように澤村の身体を強く抱きしめ、押し寄せる波をやり過ごそうとする。

「若利っ……骨折れるっ」

 腕の中の澤村がもがいた。どうやら強く抱きしめすぎてしまったらしい。慌てて解放してやると、澤村はふとしたように視線を落として、「あっ」という声を上げる。
 牛島は澤村が何に対して声を上げたのかすぐに気がついた。さっきまで密着していたせいで目に入らなかったが、互いのジーンズの股間部分には、不自然な盛り上がりができている。それが何を意味するのか、男として知らないわけがない。

「あはは……」

 澤村が困ったように笑う。

「これ、どうする?」
「どうするって……?」
「ヌき合いでもするか?」
「ヌ、ヌき合いっ……」

 卑猥な行為を意味する単語に、牛島は更に赤くなった。

「もうキスもしちゃったわけだしさ。そしたら次はそうなるよな?」
「で、でも俺たちはいま付き合い始めたばっかりだろっ」
「やっぱり早いか? でも俺は、いますぐ若利としたいな」

 言いながら澤村も、少し恥ずかしそうにはにかんでいる。その顔が死ぬほど可愛いくて、牛島はあっさりと一歩先に進むことを心に決める。

「俺もしたい。でも先にシャワー浴びさせてくれ。昼間に少し汗掻いたから」
「そんなの別に気にしないよ」

 澤村は試合の後に体育館でシャワー浴びたからいいかもしれないが、自分の身体はきっと清潔な状態ではない。そんなものを澤村の綺麗な身体に差し向けるわけにはいかないだろう。

「俺が気にする。だからちょっと待っててくれないか?」
「わかったよ。じゃあ、ベッドで待ってるから」

 そう言って澤村は、牛島の頬に軽く口づけてくる。

「早くしろよ」
「わかってる」

 経験はないけれど、これからどんなことをするのかおぼろげにはわかる。どこに触れ、どこをどうするのか……少し想像しただけで、牛島の股間はどうしようもなく疼いた。



続く※R-18





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