X. 京谷さんのことどう想ってるんっすか?


 部活が終わると京谷と途中まで一緒に帰って、最後は駅までの残りわずかな距離を金田一は一人で歩く。
 京谷と距離を置こうという昨日の決意は、予想どおり今朝には希薄なものになっていた。誰よりも早く京谷に朝の挨拶をして、パスも一緒にやって、結局昨日よりも会話を交わした気がする。
 一緒にいると心が温かくなる。優しくされるととてつもなく嬉しくて、また優しくされようと媚を売る。それをやめることができず、けれど京谷も金田一といることを不快に思っている様子はなく、それが当たり前のようになり始めてさえいた。
 明日は学校も普通にあるから、部活の時間は必然的に短くなる。つまり京谷と一緒にいられる時間も短くなるということだ。短い時間でどれだけ京谷と話せるか……バレーのことに集中していない自分に気づいて、思わず苦笑が零れる。
 路地の人影に気づいたのはそのときだった。三、四人の女子高生らしき後姿が路地の奥のほうに見える。それだけなら金田一も足を止めたりしなかったのだが、よく見れば談笑をしているような、和やかな雰囲気ではない。三人が一人を取り囲み、何かまくし立てているようだった。

(虐めか……女の虐めは陰湿だってよく聞くな〜)

 恐い、恐いと呟きながら、金田一は関わり合いにはなるまいと見て見ぬふりを決め込んだ。だが、虐めの現場から視線を外そうとした直前に、囲まれている少女に見覚えがあることに気がついて、もう一度そちらに視線を戻す。

(あれって昨日の……詩織さん?)

 そうだ。京谷の幼馴染の詩織。あの可愛らしい顔は見間違いようがない。
 詩織は金田一にとって恋敵だ。京谷の気持ちを独占し、その気になれば恋人になることだってできる、羨ましい存在。京谷の気持ちを知ってから、どれだけ彼女に嫉妬しただろう。だけど憎いはずの相手なのに、虐められている場面を目にして「ざまーみろ」とは思わなかった。むしろ助けないと、と謎の正義感に駆られて足がそちらに向かって歩き出す。
 敵は三人。五日前、京谷をリンチしていたやつらと違って人数は少ないし、全員女だ。あれを乗り越えた金田一にその程度の敵を恐れる理由などない。
 至近距離に入ったところで、金田一は走り出す。そして顔の全筋肉を駆使してできるだけ恐い顔をつくり、腕を振り回しながら腹の底から大きな声を出した。

「ワーンパーンマアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!!!」

 女たちが一斉にこちらを振り返り、やや化粧の濃いその顔を恐怖に歪ませる。次の瞬間には路地の更に奥に向かって全力疾走で逃げ出し、そいつらの気色悪い香水の香りと、呆然と金田一を見つめる詩織だけがその場に残されていた。

「詩織さん、大丈夫っすか? 怪我は?」

 声をかけると、詩織は我に返ったようにハッとなる。

「金田一くんかー! びっくりしたー! すごい顔と声だったから、私まで逃げ出すところだったよ」

 詩織はホッとしたように笑みを零し、地面に落ちていた自分の鞄を拾った。

「ありがとね。でも情けないところ見られちゃったな。男の子とは言え、年下にあんなとこ見られるのは恥ずかしいよ」
「女子の世界も大変そうっすね……」
「まあね。あ、そうだ! お礼にそこの喫茶店奢るよ」
「え、いいっすよ! そんな大したことしてないし」
「いいから、いいから。年上の言うことは大人しく聞きなさい。ほら、行くよ」

 断ろうとする金田一の腕をおもむろに掴んで、詩織は表通りに向かって歩き出す。有無を言わさない勢いだ。金田一は諾々と彼女に従うしかなかった。
 連れて来られた喫茶店は、夕方の微妙な時間とあって客はそれほど多くなかった。テーブルや椅子、装飾なんかは皆アンティーク調にまとめられ、品よくお洒落な雰囲気に仕上がっている店だ。
 詩織は一番奥のテーブル席を選び、金田一はその向かい側に座る。とりあえず何か頼もうと言われ、ブレンドコーヒーを注文した。

「改めて言うけど、ありがとね、金田一くん。おかげで無駄な時間を過ごさずに済んだよ」
「いえ……あの、言いたくなかったらいいんですけど、どうしてあんなことになってたんですか?」

 詩織は可愛いし、あくまで金田一の第一印象だが、性格もさっぱりしてるように思う。それでなぜ虐めの対象になるのかよくわからなかった。

「あの三人の内の一人が、私に彼氏を取られたって言いがかりつけてきたの。確かに、何日か前にその彼氏らしき人物に告白されたんだけど、ちゃんと断ったんだよ。それなのに取った、取ったってうるさいったら」

 可愛いとそういう苦労もあるのか。感心するような、あるいは同情するような気持ちで金田一は相槌を打った。

「別に日常的に虐めに遭ってるわけじゃないから、心配しないでね。ああいうのは結構久しぶりだったの。だからどう対処してたか思い出せなくて、もたもたしてたら金田一くんに助けられちゃった」

 怪我をしてないかさっきまで心配していたけれど、この人は自分が怪我をする前に相手に怪我をさせそうだ。金田一はひっそりとそう思った。

「久しぶりってことは、今までもああいうことってあったんっすか?」
「うん。最後にあったのは一年生のときだったかな? 中学生の頃も時々あったんだけど、そういうときはいつも賢ちゃんが助けてくれてたんだ」

 幼馴染と言っていたから、二人の付き合いもしれなりに長いのだろう。京谷が詩織を好きになったのも、もしかしたらずいぶんと前からなのかもしれない。助ける行為の中に潜む京谷の気持ちに、詩織はまだ気づいていないだろうか? 気づいていたとしたら、どう思ってるんだろう? 訊きたいと思うけど、訊けるはずがない。

「賢ちゃんって、ずいぶん可愛い呼び名っすね」
「そうでしょ? 賢ちゃん見た目ちょっと恐そうだから、名前くらい可愛くしないとって思って、小さい頃の呼び方をそのまま使ってるの」

 もしも金田一が賢ちゃんと呼んだら……あの人は絶対怒る気がする。でも詩織に呼ばれるのはいいんだろう。その差がなんだか悔しい。

「賢ちゃん、ああ見えて結構優しいんだよ?」
「知ってますよ」

 自分だって京谷の他人にはあまり見せない一面を知っている。さっきの悔しさを払拭したくて、間髪入れずに声が出た。

「よかった。他にも知ってくれてる人がいたんだー。なんか嬉しいな」
「詩織さんは京谷さんの顔の痣のこと、何か聞いてますか?」
「うん。一通りの話は賢ちゃんのおばさんから聞いてるよ」
「実は俺もあの現場にいたんです。それで京谷さんを助けようとしたんですけど、ミスって逆に俺までボコられて……そしたら京谷さん、俺のこと守ろうとしてくれたんです」
「そうだったんだ……。金田一くんのその痣も、そのときのものだったんだね」
「そうなんっす。でも俺そのときまで京谷さんとはあんま親しくなくて、まさか守ってくれるなんて思いもしませんでした。守られて、あ、この人は優しい人なんだって初めて気づいて……それからこの人のことを知りたい、もっと話したいって思うようになりました。まだ五日目の新米っすけどね。だから今はまだ、詩織さんのほうが京谷さんのことをよく知ってると思います」
「そうかな? そりゃあ、小さい頃の賢ちゃんのことはよく知ってるつもりだけど、最近はそんなに頻繁に会ってるわけじゃないし、学校のことは全然話してくれないから、金田一くんのほうが詳しいかもよ。実際どうなんだろう? 賢ちゃんって学校で上手くやれてるの?」
「教室でどうしてるかは俺も全然知らないっすけど、部活では、まあまあ上手くやれてるんじゃないっすかね。同じ三年生の人たちとは話してますし」
「そっかー。ちょっと安心したよ。いつも一人でいるんじゃないかって心配だったから」

 一年前の京谷は、確かにいつも一人でいるように見えた。周りと会話してるところなんてほとんど見たことがなかったし、チーム内での紅白戦の最中も、ハイタッチを求められても答えようとしなかった。
 どこか距離があるなとずっと感じていたけれど、とある試合のときに京谷の中で何か変化があったらしく、それから少しずつだがチームに溶け込もうとする意思が垣間見えるようになった。
 今では、同級生たちとはバレーに関係ない雑談もしているようだったし、練習中や試合中も周りのチームメイトに声をかけている。恐そうだというイメージが完全に拭えているわけではないが、それでも完全にチームの一員として、そしてチームのエースとして周りから認められていた。

「高校に上がって学校が別々になってから、ずっと賢ちゃんのこと心配してたんだよねー。一人で寂しくしてるんじゃないかって。一人で平気っていう人もいるし、賢ちゃんも一人のほうがいいって思い込んでる部分ってあると思うんだけど、本当は心のどこかでそれを寂しいって感じてると思うんだ。だから昨日金田一くんが部屋にいたの見て、すごく嬉しかった。ちゃんと慕ってくれる人がいるんだなって安心したよ。だからこれからも賢ちゃんと仲良くしてあげてね。無愛想で気が利かないかもしれないけど、きっと金田一くんのこと気に入ってると思うから」
「……詩織さんって、すごく優しいんっすね」

 幼馴染と言うよりは、まるで母親のような優しさだ。こんなに優しくて顔も可愛いなら、京谷が惚れるのも無理はない。金田一だって、もしもノンケなら詩織のことを好きになっていた気がする。

「詩織さんって、その、京谷さんのことどう想ってるんっすか?」

 幼馴染にしては過剰に身を案じているような様子に、ひょっとしたらと金田一は胸をドキリとさせた。

「もちろん好きよ。でもそれって恋愛感情じゃない。幼馴染として、友達としての気持ちだよ」

 恋愛感情ではないと言われたことに、金田一は心の底から安堵した。

「私ね、同じ学校に好きな人がいるの」
「え、そうなんっすか?」
「うん。でもこれっぽっちも見込みない感じ」
「詩織さんでも落とせない男っているんっすか!?」
「大袈裟だなー。そんなの世の中にたくさんいるでしょうよ。その人学校の先生だから、ちょっと無理そうだなー。そういう金田一くんはどうなの? 好きな子いるの?」

 新しいおもちゃを見つけた子どものように目を輝かせながら、詩織が詰め寄ってくる。

「一応いることはいるんっすけど……俺も見込みなさそうっすね」
「そうなの? 金田一くんカッコいいし、優しいからモテそうだけどな〜」
「か、カッコよくはないと思うんですけど……」

 相手が恋愛対象にならない女性とはいえ、容姿を褒められるのは悪い気がしなかった。

「その子って年上?」
「はい」
「どんな子なの? 可愛い?」
「可愛い……ところもあると思います。でもどっちかっつーとカッコいい人だな〜」
「ああ、いるよね。女子でもカッコいい子って。性格はどんな感じ?」
「すげえ優しい人っす。コミュニケーションはあんまり得意じゃないみたいなんすけど、時々こっちのこと気遣ってくれたり、大したことしてなくても律儀にお礼してくれたり、そういう人っすね」
「なんか賢ちゃんみたいな人だね、それ」

 冗談めいた口調だったけれど、的確に事実を突かれただけに内心でギョッとする。

「賢ちゃんってさ、好きな人いるのかな? そういう話したことない?」

 今俺の目の前にいるあなたですけど。その台詞は口には出さず、「どうっすかね」と曖昧に答えた。

「そういう話聞いたら、ぜひ私にも教えてね。私には絶対話してくれないだろうから」

 もしも京谷がそのことを詩織に話す日が来るとしたら、それは告白するときだ。けれど詩織は京谷のことを恋愛的な意味で意識したことはないと言う。つまり二人が恋人同士になる可能性は低いということだ。
だからといって安心はできない。ひょっとしたら実際に京谷から告白を受けると、詩織の気持ちにも何か変化があるかもしれないからだ。
 二人が恋人同士になる……悔しいけどお似合いだ。無口で無愛想な京谷と、お喋りで優しい詩織だと、上手くバランスが取れている気がする。それに相手が詩織なら、金田一が勝てないのも仕方ないと思った。だって自分が詩織に及んでいるところなんて何一つない。性別のことを抜きにしたって、自分が詩織ほど優しくよくできた人間だとはとてもじゃないけど思えなかった。
 昨日まで京谷に想いを寄せられている詩織に嫉妬し、気に入らないと思っていたけれど、今の金田一はもう彼女を憎めなくなっていた。話した時間はそう長くないけど、それでも彼女の優しさや心地よい明るさを好きになっている自分がいた。

「それと今日見たことは、賢ちゃんには内緒にしててね。余計な心配かけたくないから」

 人差し指を口に押し当てる仕草は、ゲイの金田一でもドキッとしてしまうくらい可愛かった。

「安心してください。絶対に言いませんから」
「信じてるからね!」

 この人のように可愛く……はなれないだろう。ならせめて、この人のように優しくなりたい。そうしたら京谷はほんの少しだけでも自分のことを意識してくれるだろうか?
 京谷の気持ちを詩織からこちらに向けさせるのは、きっと簡単なことじゃない。むしろ不可能に近いことだろう。それでも彼を諦めきれないのはなぜだろうか? どうしてこんなに好きになってしまったんだろう?
 疑問を浮かべながら、彼に守られた瞬間のことや、病院で優しくされたときのことを思い出す。やっぱり駄目だ。自分はきっと何度同じ場面に遭遇しても、彼のことを好きになってしまう。そんな気がしてならなかった。







inserted by FC2 system