Y. 必勝の御守り


 京谷はいつもベッドに横たわって漫画を読む。そして金田一はそのベッドにもたれかかりながら漫画を読む。二人で京谷の部屋にいるときのお馴染みの過ごし方だ。
 初めて京谷の部屋に上がらせてもらったあの日から、金田一は毎週末遊びに行かせてもらっている。京谷のほうも特に嫌そうな気配はなかったし、今日なんかはむしろ泊まっていけばいいと言ってくれた。
 泊まりは初めてだ。寝ても覚めても京谷と一緒にいられるのかと思うと、嬉しくて思わずにやけてしまいそうになる。
 ただ風呂上がりのこの人には困った。部屋の中で京谷はしばらくパンツ一枚というあられもない姿で過ごし、鍛え上げられた肉体を惜しげもなく晒していた。男同士なら裸を晒すなんて恥も何もないことなのかもしれないが、ゲイで京谷をそういった意味で意識している金田一にとっては、そうではない。目のやり場に困るし、でもやっぱり凝視してしまうし、見たら見たで己の下半身が大変なことになって一人落ち着かなかった。
 今はもうちゃんとTシャツとスエットを着ている。もう少し見ていたかったような、でもやっぱり欲望を我慢するのが大変だから、これでよかったのかもしれない。
 コンコン、と遠慮がちなノックがした。そして聞き覚えのある声がドアの向こうからこちらに呼びかけてくる。

「賢ちゃん……と、あれ金田一くんの靴だよね? ちょっと用があるんだけど入ってもいいかな?」

 ベッドに横になっていた京谷が身体を起こした。ドアに向いた彼の視線に、どこか温かさを感じさせるような色が浮かぶ。

「いい」
「まあ駄目って言われても入るつもりだったけど」

 ドアが開いて、皮肉を口にしながら詩織が部屋に入ってくる。それに対して京谷は睨むような目で彼女を見たけれど、その中に敵意がないことはもうわかっている。詩織だったらなんでも許せてしまうことも、こうして部屋に来てくれたことを嬉しく感じているのも、金田一はもう知っている。

「ちわっす」

 少し妬けるけれど、やっぱり詩織を憎いとは思わない。裏路地での事件から何度か詩織と顔を合わせたけれど、彼女は金田一に対してもいつも優しかったし、話すのだって楽しい。京谷とは違った意味で金田一は詩織のことが好きだった。

「こんにちは……って言うか、もうこんばんはだよね。ひょっとして今日はここにお泊り?」
「そうなんす」
「へえ、いいな〜! 楽しそう! 私も泊まろっかな〜」
「駄目に決まってんだろ。女はいらねえよ」

 本当は詩織に泊まってほしいくせに。本心とは違う京谷の台詞に心中でそう毒づきながら、金田一は読んでいた漫画を閉じてローテーブルに置いた。

「賢ちゃんはホント冷たいな〜。もう少し金田一くんを見習ったら?」
「うっせーな。余計なお世話だよ」
「世話焼かれてるうちが華だよ〜。ね、金田一くんもそう思うでしょ?」
「えっ」

 ここでまさか自分に振られるとは思ってもみなくて、金田一は必要以上に驚いてしまう。二人の視線が同時に注がれていた。詩織は笑顔だけど、目が笑ってない気がする。一方の京谷も、自分に同調しろとでも言うような恐い顔をしていた。

「ど、どうっすかね? 俺よくわかんないっす……」

 結局どちらの味方をするのも恐くて曖昧に答えれば、注がれていた二つの視線から解放された。京谷のあからさまな舌打ちは聞こえないふりをして、愛想笑いでその場の空気を和らげようと努力する。

「まあそれはいいとして」

 だが、金田一が何もしなくても、詩織は自分から京谷に突っかかりに行っておいて、自らまたその空気を嘘のように切り替えた。

「今日は二人に渡したいものがあって来たの。ほら、これ」

 詩織はジーンズのポケットから二つの小さな紙袋を取り出した。それを京谷と金田一、それぞれに差し出す。

「なんだよこれ?」
「開けてみればわかる」

 金田一も京谷も、そろって紙袋を開けてみる。
 入っていたのは御守りだった。赤い布地に“勝守”の文字と兜が刺繍されたシンプルなものだ。

「必勝の御守り。ほら、二人ともあと一カ月で春高でしょう? 私現地には行けそうにないから、せめて御守りだけでもって思ってそれ買ってきたの」

 詩織の言ったとおり、金田一たち青葉城西高校バレー部は、先月の春高予選で優勝し、年始に東京で行われる春の高校バレー選抜大会に出場することが決まっていた。

「ちょっと遠出して、ちゃんと御利益があるって噂の神社まで行ってきたから、きっと役に立ってくれると思うんだ」
「ありがとうございます! 大事にします!」

 うんうん、と詩織は頷きながら満足そうに笑った。その視線が金田一から、ベッドの上の京谷に移る。金田一も同じように目を向ければ、二人から同時に視線を向けられた京谷は困惑したような顔をした。しかし、すぐにその視線の意味に気づいたらしく、どもりながらも言葉を発する。

「……ありがとな」

 ぶっきらぼうな声だった。本当は詩織に御守りをもらえて嬉しいくせに、いつもそうやって素気ない態度をする。しかし当の詩織はそんな態度を気にした様子もなく、金田一のときと同じように満足げに頷いていた。

「二人とも頑張ってね! お家で応援してるから! 私の用事は以上! 帰ります!」

 やって来たときと同じような賑やかさを引っ張って、詩織は颯爽と部屋を出て行った。
 静かになった部屋の中で、京谷の目が閉まったドアを見つめている。それはやがて手のひらに乗せた御守りに移った。いつもの鋭さが消えて、優しい色を浮かべている。まるでそこに愛しい人でもいるように。
 ズキ、と胸が痛む音が聞こえたような気がした。詩織のことを憎めなくても、京谷が詩織のことを好きでいることが辛くないわけじゃない。こういう彼の恋愛感情を垣間見る瞬間、いつだって金田一は苦しかった。

「京谷さん」

 詩織にばかりいっている京谷の意識を、金田一は強制的に自分に向けさせた。

「春高、頑張りましょうね! 応援してくれてる詩織さんのためにも」

 金田一のほうを向いた目に、詩織や御守りに向けられていたような熱量はない。けれどその他大勢に向けるものよりは幾分か柔らかい瞳で、京谷は金田一の言葉に頷いた。

「言われなくても頑張る。つーか、なんで詩織のためなんだよ……」
「俺らが優勝したら詩織さんもすっげえ喜んでくれると思うっすよ」
「そうかもしんねえけど、別にあいつの応援と俺らの頑張りは関係ねえだろ」
「でも詩織さんが応援してくれたら、京谷さんだって嬉しいっすよね?」
「べ、別に嬉しくねえよっ」

 言葉では否定するくせに、そっぽを向いた耳は赤くなっている。なんてわかりやすいんだろう。
 京谷の気持ちは言葉にしなくても、態度や仕草から嫌と言うほど思い知らされた。けれど金田一の気持ちは同じ場所に留まったまま、なかなか動かない。諦めようとしてみても、まるで磁石に引き寄せられるようにして京谷にくっついてしまう。
 それでも、どんなに強い片想いでも、きっといつか諦めなければならない。届かない想いに終止符を打たなければならない。そんな日なんか来なければいいのに……。この居心地のいい場所を、守りたいと想う人を、金田一は失いたくなかった。







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