V. あの頃の俺は京谷さんのことすげえ好きだったんっすよ


 電話では仕方ないというふうを装った京谷だが、内心では金田一が来てくれることが嬉しかった。今は寂しさを紛らわす相手がほしい。けれどそれは誰でもいいわけじゃなくて、一番気心が知れていて、同じ痛みを知っている金田一がよかった。
 インターホンが鳴る。玄関のドアを開けると、大きなスポーツバッグを肩に提げた金田一が、少し困ったように笑った。

「夕方ぶりっす」
「……おう」
「やっぱり泣いてたんっすね。目が赤くなってる」

 金田一の大きな手が京谷の目元に触れてきた。親指の腹で目尻の辺りを撫でられたあと、その手が今度は京谷の背中に回り、ギュッと優しく抱きしめられる。

「おい……」
「すいません。嫌ならやめます」
「別に、嫌じゃねえけど……とりあえず上がれ」
「あ、そうっすね。まだ玄関でした……」

 リビングの座布団に腰を下ろした金田一に、京谷は麦茶を振る舞ってやった。自分の分も持って来たが、こういうときどこに座ればいいのかわからなくて立ち尽くす。もう一度抱きしめてもらいたいなら彼の隣に座るべきなのだろうが、なんとなく気恥ずかしく思えて躊躇った。

「座らないんすか?」

 突っ立っていた京谷に、金田一が手で自分の隣を勧めてくる。そうなるとそこに座るしかない気がして、京谷は他の選択肢を放棄した。

「……わざわざ来させて悪かった」

 まだ夜中には差しかかっていないが、出かけるにはずいぶんと遅い時間だ。そんな時間に呼び出すような形になってしまったことが、やはり申し訳なかったなと電話を切ってからずっと思っていた。

「京谷さんが謝ることなんてなんもないっすよ。一人じゃ寂しいって俺言ったじゃないっすか。それに俺、京谷さんに頼られてちょっと嬉しかったな。今までずっと俺のほうが京谷さんに頼ってばっかだったから」
「頼ったっつっても、悩みとか聞いてやっただけだろ」
「聞いてくれるだけでもかなりありがたいもんっすよ」

 京谷は他人の悩みを解決に導いてやれるほど人生経験豊富でもないし、頭も働かない。だから何か相談されても適切な答えを与えてやれる自信がないのだが、金田一は本当に答えを求めているわけじゃなくて、いつもただ聞いてほしいだけのようだった。

「でも時々優しい言葉かけてくれるから、それで救われたりもしたんっすよ」
「俺、優しい言葉なんかかけたことあったっけ?」
「あったっすよ。高校のときからずっとそうっすよ」
「全然自覚ねえんだけど……。そうだ、高校んときの写真見るか? マネージャーが撮ったらしいんだけど、結構枚数あった」
「あ、ぜひ見させてください!」

 京谷はさっき一度取り出した写真の束をリビングに持ってきてやった。「懐かしいな〜」と言いながら、金田一は一枚一枚楽しそうに捲っていく。

「なんか俺と京谷さんのツーショットが多いっすね」
「一緒にいること多かったからな」
「しかも俺、目が超輝いてる。どんだけ京谷さんのこと好きだったんだよ」

 たぶん金田一にとって京谷を好きになったことは、今となっては思い出の一つに過ぎないのだろう。京谷にとって彼からの告白がそうであったように、遠い過去の話として完結しているに違いない。

「お前って、いつから俺のこと好きだったんだ?」

 ならばこの質問を投げかけることも、もう許されるはずだ。なんとなく気になっていたそれを、金田一に訊ねてみる。

「え〜と……あ、そうだ。リンチされた後、病院で京谷さんが俺の部屋に来てくれたじゃないっすか。あのとき京谷さんと話しながら、この人が好きだなって思いました。ぶっきらぼうだけど根っこの部分は優しくて、一緒にいるといつも温かい気持ちになれたっす」
「……ぶっきらぼうは余計だよ」

 すいません、と金田一は悪びれた様子もなく口にした。

「でも本当に、あの頃の俺は京谷さんのことすげえ好きだったんっすよ。部活も、どれだけ厳しくても京谷さんがいるから楽しかった。部活だけじゃない。帰り道も、休みの日も、京谷さんがいたから全部楽しかったっす」
「……悪かった。せっかく気持ち伝えてくれたのに、答えてやれなくて」

 京谷がそう言うと、金田一は驚いたような顔をしたあとに、優しく笑った。

「そんなの、仕方ないことっすよ。京谷さんはゲイじゃないし、それをわかってて好きになったのは俺なんすから。むしろ俺は京谷さんにすげえ感謝してます。俺がゲイだって知っても変わらない態度でいてくれたし、今もこうして仲良くしてくれてる。そういう人がいてくれるってのは、すげえありがたいっす」

 ゲイであることなんて、少なくとも京谷にとっては嫌悪する要素にはならない。たとえ自分がそういう対象に見られたとしても、それは異性に気持ちを向けられるのときっとなんら変わりないことだ。
 それに金田一が京谷と一緒にいることを楽しいと言ってくれたように、京谷もまた金田一と一緒にいることが楽しかった。だから突き放すことなんて考えもしなかったし、今だってそれは変わらない。

「あ、そうだ。さっきの続き!」

 そう言って金田一は両手を大きく広げる。玄関先でのハグの続きのつもりなのだろう。

「それはもういい。俺はもう大丈夫だから」
「ええ!?」
「お前と話し始めたらすぐ落ち着いた。だからもういい」
「じゃあ今度は俺のほうが京谷さんに甘えていいっすか? 俺のほうはまだ駄目そうって言うか……やっぱり寂しくて、気を抜くとすぐ泣いちゃいます」

 本当に泣きそうに歪む金田一の顔を見て、京谷もなんだかもらい泣きしてしまいそうになる。慌てて奥歯を噛み締めることで堪えた。

「……ベッド行くか。そっちのほうがお互い楽だろ」
「ベッドに行こうだなんて……京谷さんいやらしいな。俺に何するつもりなんっすか?」
「そういう意味で言ったんじゃねえよ! もう遅いし、くっつきてえんならそのまま寝たほうが楽だろって言ってんだよ!」

 わかってますよ、と金田一は苦笑する。

「でも京谷さんってやっぱ優しいと思うっすよ。普通、ノーマルな男は男と添い寝なんて嫌がるし、抱きしめながら寝るとか以ての外っすから」
「……お前相手だと不思議と平気なんだよ」
「俺だけ特別ってことっすね!」
「調子に乗んな!」

 金田一の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き回しながら、彼の台詞もあながち間違ってはいないと心の中で呟く。確かに金田一は京谷の中でどこか特別だ。自分が彼だけに甘いことはちゃんと自覚している。けれどその感情が何なのかは、一昨日も考えたけれどわからなかった。
 京谷が先にベッドに入って、歯磨きを済ませた金田一があとから隣に入ってくる。セミダブルベッドだが、二人とも体格がいいからやはり少し狭かった。

「本当にくっついちゃっていいんすか?」
「駄目ならそもそもベッドに入れねえよ。つーかお前のほうこそいいのか? やましいことがなくても、澤村さんがこのこと知ったらさすがに怒るだろ」

 澤村というのは、金田一の今の恋人だ。京谷も何度か顔を合わせたことがあり、優しくて真面目そうな人だった。歳は京谷よりも一つ上になる。

「怒るでしょうね。大地さん意外と嫉妬深いから。だから内緒にしといてくださいよ」
「俺からわざわざ言うわけねえだろ」

 それもそうっすね、と笑ったあとに、金田一は頭を京谷の胸元にそっと押しつけてくる。遠慮がちに背中に手が回ってきたのを確認してから、京谷も彼の背中に手を回した。

「本当は澤村さんにこうされるほうがいいんじゃねえのか?」
「大地さん、今研修で他県に行ってるんっすよ。だからしてほしくてもしてもらえないって言うか……。それに俺、京谷さんのこと一人にするの心配だったから、大地さんがいてもやっぱここに来てたと思います」
「俺は子どもか……」
「弱ってるのは本当のことでしょ? 詩織さんが亡くなって、俺がこんだけ悲しいんだから幼馴染の京谷さんは尚更っすよね。それがわかるから、放っておけなかったっす」

 そういう金田一の優しさが、今の京谷にとっては救いとなる。きっと自分一人だけだったら、悲しみのどん底まで沈んでそこから浮き上がることはできなかっただろう。

「……ありがとな」

 言いながら、金田一の頭をギュッと抱きしめた。

「お礼なんて言わなくていいっすよ。俺だってこうやって京谷さんに慰めてもらってるんすから」

 腕の中に抱き込んだ温もりは、京谷に安らぎと平穏を与えてくれる。もう手放したくない。そう思うほどに心を満たしてくれる存在に対して、何か熱い感情が流れ出てくるような気がした。その感情の正体を理解する前に、京谷は眠りの世界に引き込まれていた。



続く




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