X. ……今日は帰ります


 テレビの中の金田一が、相手エースのスパイクをブロックで叩き落とす。それが決勝点となり、金田一たちのチームのリーグ優勝が決まった。
 コートの中で嬉し涙を流しながら他の選手たちと抱き合う金田一を見ていると、京谷もなんだか熱いものが込み上げてくるような気がした。自分のことのように嬉しく感じるのは、やはり彼をずっと熱心に応援してきたからだろうか。
 目の前のスマホを手に取り、LINEで金田一にメッセージを送る。「おめでとう」というシンプルな言葉。そういえば自分から彼にLINEを送るのはずいぶんと久しぶりだ。
 まだ冬の最中だったあの練習試合の日以来、京谷は金田一に会っていない。それどころか電話で話すこともしなかった。かかってきても居留守を使って避け、それが数回続くとあちらから電話がかかってくることはなくなった。
 ただ、送られてきたメッセージにはちゃんと返事をしていた。自分から送ることはなかったけれど、完全に無視をするような勇気もなくて、結局は糸のような繋がりを保ったままだった。
 京谷が金田一を避けていた理由――それは望みのない片想いを諦めるためだ。そもそもこの恋には諦めるという選択肢以外、最初からなかった。だからそのとおりに終わらせるために、積極的に金田一に関わることをやめた。
 最後に金田一と会ってから、約三ヵ月が過ぎている。元々リーグが始まると顔を合わせられるのは稀だったが、以前なら時々試合を生で観戦しに行っていたし、運がよければ試合が終わったあとに金田一と少しだけ話をすることができていた。
 今年は仕事が忙しいからと理由をつけて、結局一回も生での観戦はしていない。こうしてテレビで応援するのはやめらなかったけれど、実際に顔を突き合わすのとはやはりどこか感覚が違っていた。気持ちはなくならなかったものの、ずいぶんと薄れたような気はしている。
 きっとあと少し――ただの先輩と後輩に戻れるまで、あと少しだ。



 寒かった日はいつの間にか遠い昔のことになり、今度は外を歩くだけでも汗ばむような季節に変わろうとしていた。
 Vリーグが終わっても、今度は日本代表での練習に参加したり、黒鷲旗に出場したりと金田一は多忙を極めているようで、なかなか地元で落ち着ける暇がないらしい。だから必然的に顔を合わせることもなくなり、そうなってからもう五カ月ほど経っていた。こんなに長く間が空いたのは今回が初めてだ。
 しかし、京谷にとってその間はちょうどよかった。行き場をなくした恋慕の想いは、時とともに確実に薄れていっている。完全になくなったわけではないけれど、でもきっともう、心を激しく動かされるようなことはない気がする。
 夕食を済ませてテレビを観ていると、インターホンが鳴った。こんな時間に訪れてくる客に覚えがない京谷は、疑問に思いながらも玄関のドアを開けた。

「こんばんは!」

 元気に挨拶してきたのは、金田一だった。

「どうしたんだよ!? 代表の練習に行ってるんじゃなかったのか?」
「明日、明後日オフになったんでその間にこっち戻ることにしたんす。急に来ちゃってすいません。ちょうど通りかかったから、もうアポなしで突撃しちゃおうと思って。リーグ始まって以降全然会えなかったから、ずっと会いたかったっすよ。上がらせてもらってもいいっすか?」
「別にいいけど……」

 会いたかったと言われて、心が一気に嬉しさに染まった。久しぶりに金田一の顔を見られたというだけでも嬉しかったのに、それと相まって胸がじんわりと熱くなる。
 お邪魔します、と言って入ってきた金田一の手には、大きなスポーツバッグが提げられていた。

「お前、今日ここに泊まる気か?」
「え、駄目っすか? 久々に会えたんだから、ゆっくり話したいんすけど……」
「駄目じゃねえけど、澤村さんはいいのかよ? せっかくのオフなら二人でいたいんじゃねえのか?」
「実は大地さん、出張に行ってるんすよ。ちょうど入れ違いみたいな感じになっちゃって……」
「そうだったのか……」

 なら仕方ねえな。そう言いながら、心は金田一が泊まってくれることを喜んでいる。本当ならここで金田一を突き放さないといけなかったのかもしれない。せっかく気持ちが薄まってきていたのだから、完全になくなってしまうまで、できるだけ接する機会は少なくしておくべきだったのだろう。けれどそばにいたい、話をしたいという気持ちのほうが理性に勝って、突き放すことができなかった。
 今日だけだ。今日だけならきっと大丈夫。以前みたいにどうしようもなく好きだと思う気持ちは戻ってこないはずだ。そう自分に言い聞かせながら、京谷は酒の飲めない彼に麦茶を振舞ってやる。

「そういや、リーグ優勝おめでとう」

 もう三ヵ月も前の話だが、直接伝えることのできなかった言葉を京谷は口にした。

「ありがとうございます! 京谷さん、あの日LINE送ってくれたっすよね? 大地さんよりも早くてびっくりしました」
「まあ、テレビで観てたからな。思いついてすぐ送った」

 それから金田一はそのときの話や、今の日本代表での練習のことなんかを話してくれた。五ヵ月会えなかっただけあってお互いに話題が尽きず、点けっぱなしにしていたテレビには目もくれずにたくさん話した。
 金田一は話しながら笑ったり、怒ったような顔をしたりとコロコロと表情を変える。顔立ちはもう大人の男のそれだが、それでも京谷の目には可愛らしく映って、人知れずドキドキとさせられてしまう。
 一息ついたところで、時計を見るとすでに日付が変わっていた。金田一もさっきからよく欠伸をしているし、そろそろ寝る頃合いなのかもしれない。

「お前突然来たから布団乾燥機にかけてねえんだけど、いつかみたいに一緒のベッドでいいか?」
「いいっすよ。狭くなっちゃって申し訳ないっすけど」

 乾燥機にかけてないのは本当のことだけど、かけていたとしても同じことを言って一緒に寝ようとした気がする。
 京谷が奥側に入って、その隣に金田一が遠慮がちに入ってくる。こうして一緒に寝るのは詩織が亡くなったあのとき以来のことだ。競うように泣き、慰め合ったのももう半年以上前の出来事になっていた。

「くっついていいぞ」

 自分がそうしてほしいと思っているだけなのに、まるで金田一がそれを望んでいるかのようにそう言った。

「今日は大丈夫っすよ。あのときは詩織さんが亡くなってすげえ悲しくて、京谷さんに縋ってないとどうにかなっちゃいそうだったから……。京谷さんはもう大丈夫っすか?」
「……さすがにもう平気だ」

 詩織のことは思い出すと寂しくなるけれど、もう絶望するほどの悲しみに襲われることはなくなっていた。たぶん金田一を好きになったことで気を紛らわせることができていたのだと思う。それによって逆に別の苦しみに襲われる結果にはなってしまったが……。

「詩織さんが生きていたら、たぶん今回のリーグ優勝も一緒にすげえ喜んでくれたっすかね?」
「たぶんそうだろ。あいつ、お前のこと俺以上に応援してたからな」
「そういえば俺、詩織さんに直筆のファンレターみたいなものもらったことあるんすよ。あれはすげえ嬉しかったなー」
「なんかそんなの書いたって言ってた気がする」

 三人での懐かしい思い出が頭の中に蘇る。三人でいながら、詩織と仲良さそうに話す金田一に何度嫉妬しただろう。そのときはまさか、自分が金田一のことを好きになる未来があるなんて思いもしなかった。
 それからポツポツと会話をしているうちに、金田一が寝息を立て始めた。彼が寝たのをいいことに、二人の間にわずかに開いていた隙間を詰める。そして久しぶりに京谷よりも大きなその身体を抱きしめた。
 不思議なほどしっくりくるその感触を、やっぱり愛おしいと思ってしまう自分がいる。金田一のことが好きなんだと改めて自覚させられる。薄れていたはずの気持ちは、玄関で金田一と再会してから徐々に濃度を取り戻し始め、今ではすっかり元どおりだ。
 金田一の吐息が首筋を掠める。その感触にどうしようもないくらい興奮し、あっという間に勃起した。背中に回していた手を下のほうに滑らせて、尻の丸みを確かめるように撫で回す。
 キスしたい。京谷はその衝動を堪えることができなかった。無防備に開かれた唇に自分の唇を重ねると、遠慮もなく舌を挿し入れる。ざらとした表面を舐めたあと、絡ませるように動かし、温かい口内を蹂躙した。
 尻を撫でることに飽きてくると、今度はその手をTシャツの裾から忍ばせて、胸の突起に指で触れる。女のような膨らみはないのに、逞しい胸板の感触はひどく興奮するものがあった。
 シャツの裾を捲ると、触ってわかったとおりの鍛えられた身体が露わになった。現役の選手だけあって、今はもう京谷よりもいい身体になっている。指で弄った乳首はピンと硬くなり、舐めてほしそうに膨らんでいた。なんてやらしいのだろう。このやらしい身体を澤村や他の男にも晒したのかと思うと、今更ながら激しい嫉妬を覚えてしまう。
 京谷は何の躊躇いもなくその乳首に舌を這わせた。先端を優しく撫でるように舐めてから、今度は軽く吸いつき、そしてまた舌で愛撫する。それを繰り返しているうちに、規則的だった金田一の寝息が乱れ始めた。

「あっ……あんっ……ああっ」

 小さく漏れ始めた喘ぎ声は、想像していたとおり可愛かった。それは京谷の興奮を更に煽って、吸い付く力を強くしてしまう。

「あっ……えっ? えっ!? 京谷さん、何してっ!?」

 明らかに意志を持った声が鼓膜を叩いて、金田一が起きたことを悟ったが、京谷は乳首への愛撫をやめなかった。

「駄目っ、京谷さん、俺っ……こんなの駄目っす!」

 駄目なのは京谷だってわかってる。わかってるけど、もう止められなかった。気持ちを自覚したあの日からずっと我慢してきたけれど、もう限界だ。やっぱり金田一が欲しい。心も身体も全部自分のものにしたかった。

「京谷さんっ!」

 京谷の身体を押し戻そうとする力は、想像していたよりずっと強かった。押し戻されるというよりむしろ突き飛ばされるようにされ、京谷は危うくベッドから落ちそうになった。
 その隙に金田一はベッドから降りている。京谷を見下ろす彼の顔には、驚きと戸惑いをない交ぜにした表情が浮かんでいて、それを見た途端に興奮していた頭の中が一気に冷めていくのを感じた。とんでもないことをしてしまったんだと、後悔が波のように押し寄せる。

「……悪かった」

 謝罪の言葉をなんとか絞り出したが、金田一から返事が返ってくることはなかった。しばらくそのままベッドのそばに立ち尽くしていて、ふと目元を腕で擦る。泣いているんだ。自分が泣かせてしまった。何か言葉をかけなければと思うのに、こういうとき何を言っていいのかわからない。そもそも自分に言葉をかける資格すらない気がして、京谷もまた押し黙ったままだった。

「……今日は帰ります」

 やがてその一言を金田一は発して、床に置いていた自分のスポーツバッグを持って寝室を出て行った。玄関のドアが閉まる音が聞こえ、再び静寂が辺りを支配する。

「くそっ……」

 呟いた言葉は、自分の軽率さに対する恨み言だ。欲望に任せて馬鹿なことをしてしまったと反省している。けれど時間を巻き戻すことなんてできるわけもなく、やってしまった事実だけが二人の間に残ってしまった。
 元に戻ることはできるだろうか? ただの喧嘩じゃなくて、強姦まがいのことをした自分を彼は赦してくれるだろうか? いや、たとえ金田一が赦してくれたとしても、この彼を好きだという気持ちがなくならない限り、また同じことをしてしまうかもしれなかった。
 けれど諦め方がわからない。だから京谷はどこにも進むことができず、苦しさの中でもがき続けるしかなかった。



続く




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