Ending. ずっと好きだった この恋はきっともうすぐ終わりを迎える。スマホに打ち込んだメッセージを読み返しながら、京谷はそう確信していた。 “最後に会ったとき、あんなことしてマジで悪かった 俺はお前のことが好きなんだ 今更遅いのはわかってる はっきり拒否ってくれ そしたら諦められるから” 短いメッセージだが、それでも京谷の持ちうるすべての気持ちを込めて打ち込んだ。あとは送信ボタンを押すだけ。たったそれだけの動作に勇気が出なくて、京谷はかれこれ一時間ほどディスプレイとにらめっこしていた。 メッセージの送り先――金田一の顔がふと浮かんでくる。叶わないとわかっていながらのめり込んでしまったこの片想いは、金田一に告白を拒否されることで今度こそ終わりを迎えるだろう。澤村はどうなるかわからないと言っていたけど、京谷にはそんな自分にとって都合のいい展開など想像もできなかった。 確信があるならさっさと終わらせればいい。そう思うのに、やはり瀬戸際になると壊れてしまうことが恐くなる。このメッセージを送ってしまえば、きっと片想いが終わるだけじゃなくて、辛うじて繋がっている先輩後輩としての関係も完全に断ち切れてしまうだろう。そうなることが寂しくて、苦しくて、なかなかメッセージの送信を決断できなかった。 思えば詩織のときもそうだった。幼馴染としての関係が崩れてしまうのが恐くて、自分の想いを告げることができないままに、彼女は亡くなってしまった。 言えばよかったと何度後悔しただろう。言わなくて終わるよりも言って終わるほうがずっとましなはずだとあのとき学習したはずなのに、今もまた勇気が出なくて同じように尻込みしている。結果がわかっているだけに、余計に前へ進めなかった。 でもいつかは終わらせなければ……。 ――その“いつか”は唐突に訪れた。 インターホンの音が鳴る。時間的に宅配便ではないだろうし、今日は来客の予定もない。たぶん金田一が来たのだと――叶わない恋の終わりが来たのだと直感した。 立ち上がった足が震えていた。居留守を使うことも一瞬考えたけれど、終わりを先延ばしにしたって苦しいだけだと思い直して、玄関に向かう。 ドアを開けると、やはり訪ねてきたのは金田一だった。顔を見るのは三カ月半ぶりのことだ。今は会えたことへの嬉しさよりも緊張のほうが勝って、身体が変に強張ってしまう。 「お久しぶりです。突然お邪魔してすいません」 「いや……」 「あの、入ってもいいっすか? 話したいことあって……」 「ああ……」 京谷は金田一が中に入れるように身を引いた。 「最近忙しいんじゃねえのかよ? 小せえ大会がちらほらあるって澤村さん言ってたけど」 「昨日一つ大会が終わって、しばらくは落ち着けそうっす。京谷さんは元気してたっすか?」 「俺は……まあ、普通だった」 リビングの座椅子に彼を座らせると、いつもそうしていたように麦茶を淹れてやる。こうしているとなんだか何もなかった頃の自分たちに戻れたような気がするけれど、どこか緊張したような金田一の声と少し硬い表情で、そうではないのだと自覚させられる。 ちゃんと話さなければならない。自分の抱えている感情のすべてと、これからのことを。そして終わりにしなければならない。 京谷はテーブルから一歩後ずさると、澤村の前でしたみたいに両手を床に突いた。深く頭を垂れると金田一が「京谷さん!?」と驚いたような声を上げた。 「この間は馬鹿なことして悪かった。お前には澤村さんがいるってわかってたのに、我慢が利かなかった。マジですまなかった」 「いや、あれは俺も軽率だったし、惑わすようなことしてしまってこっちこそ申し訳なかったっつーか……とにかく顔上げてください!」 金田一が慌てたようにこちらに寄ってきて、両肩を引っ張られるようにして抱き起される。 「一発殴れよ。それくらいのことはした」 「俺が京谷さんを殴れるわけないでしょ! それに今言ったように俺の自己責任でもあるわけで……」 「お前はなんも悪くねえよ。いつだって一緒に寝ようつったのは俺のほうだし。そんで俺が勝手に発情して盛っただけの話だ。……悪かった」 「それは本当にもういいです。俺が今日ここに来たのは、大地さんから話を聞いたからで……」 やはり澤村が河原でのことを話していたのだ。そうでなければこんな突然に金田一がここを訪れるはずがない。 「どこまで聞いてる?」 「その、京谷さんが俺のこと譲ってくれって言ったって……。本当なんっすか? どうしてそんなことを?」 「……お前のことが好きだからだよ。それ以外にどんな理由があるってんだ」 ずっと言えなかったその言葉は、意外なほどすんなりと京谷の口から滑り出た。 「ずっと好きだった。お前のこと可愛くてしょうがなかった。俺が守ってやりたいって、幸せにしてやりたいって本気で思った」 届かない想いだと最初からわかっていた。叶わない恋だと知っていた。それでも好きになることを抑えられなかったのは、自分自身の責任だ。 「その台詞、高校生の頃に聞きたかったな……」 そう呟いた金田一の声は、切なさを孕んでいて胸が痛んだ。 「なんで今なんっすか。今の俺じゃどうしようもできない……つーか、京谷さんゲイじゃないはずでしょ? どうして急に俺のこと好きになったんっすか? 俺はそんな、ノンケを惹き込むような魅力なんて持ってないのに……」 「お前は可愛いよ。優しいし、嘘つかねえし、一緒にいていつも楽しかった。お前がいたから詩織が死んでも生きていこうって思えた」 詩織の死をなかなか受け入れられなくて、彼女のいない世界に絶望していた京谷の支えとなったのは、金田一の存在だ。もしも金田一がいなかったら、後を追うことも考えていたかもしれない。あのときの自分は本当にそこまで弱っていた。 「お前の答えはわかってる。無理になんか言葉つくったりする必要ねえよ。はっきり拒否してくれ。じゃねえと俺はいつまで経ってもお前のこと諦めきれねえから」 覚悟はできている。今更自分にとって都合のいいストーリーが訪れるなんて期待していないし、むしろ金田一にフラれれば、彼を好きになったときから始まった苦しみから解放されるんだ。そう思えば何も恐くなんてないような気がしてくる。 「ごめんなさい……」 けれど静かに放たれた言葉は、想像以上に京谷の胸にずしりと重く圧しかかった。 「正直に言えば、俺の中には京谷さんを好きだと想う気持ちが少しだけあります。でも、それでも、今の俺にとって一番好きなのは大地さんなんです。守りたい、一緒にいたいって心から思える相手は京谷さんじゃない。だから、ごめんなさい」 金田一は自分の気持ちをはっきりと伝えてくれた。その言葉が聞きたかったはずなのに、やはり実際に耳にしてみると泣きたいような衝動に駆られてしまう。京谷はそれをなんとか堪えた。 「……会うのはもう、これが最後だ。たぶん会ってたら俺の気持ちはいつまでもぐらついたままだから。LINEも電話もしねえし、試合も観に行ったりしねえから安心しろ」 京谷がそう言うと、今度は金田一が泣き出しそうな顔をした。泣きたいのはこっちのほうだ。そう責めたい気持ちに一瞬駆られたけれど、その顔が、彼が京谷を大事に思ってくれていた証なんだと思えば少しだけ嬉しかった。 「金田一、澤村さんと幸せになれ。俺は俺で幸せになるから。あと、バレーも頑張れよ。テレビの前で応援するくらいは許されるよな? だから……」 台詞を全部言い終わる前に、京谷は金田一に抱きしめられていた。慣れ親しんだ彼の匂いと熱が一気に流れ込んでくる。触れられるのもこれが最後になるのかと思うと、やはり寂しくなる。 「京谷さんこそ幸せになってください。いい人見つけて、俺よりもずっと幸せになってください。でももし……もしもいつかどうかで偶然再会して、そのときお互いにフリーだったら、今度こそ俺と付き合って下さい」 「……考えといてやる」 きっとそんな日は訪れない。金田一は澤村と幸せになって、そして自分は……きっと金田一よりも、そして詩織よりも好きになれる相手を見つけて、幸せになっているはずだ。そんな未来が待っていると信じたい。 京谷を包んでいた温もりがふっと離れる。しばらくの間金田一は京谷のことをじっと見つめていた。京谷もまた、彼の顔を目に焼きつけるように見つめ返す。そんなことしなくても彼の顔を簡単に忘れたりはしないだろうが、最後にどうしようもなく見ていたくなった。 「京谷さん」 金田一は泣きそうな顔のまま笑った。 「さようなら」 「ああ。元気で」 「うっす。京谷さんこそ、元気でいてくださいよ」 「俺は……大丈夫だ」 この別れもいつかは、ただの思い出の一部に変わるはずだ。あのときは辛かったな、とただ懐かしく思える日がいつか来るだろう。だから何も心配なんていらない。 玄関で靴を履いた金田一が、最後に両手で京谷の手を握り締めてきた。それを自分の額に当て、しばらくそうしたあとに「もう行きますね」と言って手を離す。その一連の動作に、彼もまたこの別れを惜しんでくれているのだとわかった。それが少しだけ嬉しかった。 玄関のドアが開く。「さようなら」の声に京谷は頷いて答えた。そしてドアが閉まりきるまでの短い間、ずっと泣きそうなままだった金田一の顔を最後まで見つめていた。 ガチャリと、ドアが閉まる。閉まったドアに京谷はそっと触れて、硬く目を閉じた。 河原でリンチされていた京谷を助けようとしてくれた金田一。二人の原点とも言える日の出来事が頭の中に甦る。金田一は京谷を上手く助けられなくて、彼もまた暴力に曝される羽目になった。そんな彼を京谷は必死に守ろうとして、けれど彼もまた京谷を守ろうとして、結局二人仲良く病院に運ばれることになったのだった。 その日の夜、京谷は同じ病院に入院した金田一の病室を訪れた。守ろうとしてくれたことへの礼を言って、それから他愛もない話をしたのを覚えている。 それから部活のときや帰り道でも彼と話すようになり、気づけば彼と一緒にいるのが当たり前のようになっていた。二人の輪に幼馴染の詩織も加わるようになって、三人で出かけたことも何度かある。 全部が全部楽しい思い出だ。金田一と二人でいても、詩織も合わせて三人でいても、何をしていても楽しかった。けれどそんな楽しかった日々はもう二度と戻らない。詩織はこの世を去り、そして金田一は自分が傷つけたあげく、離れることになってしまった。 寒くもないのに、なぜだか手足が凍えるように震えた。どうして、と無骨な手のひらを眺めていると、胸の奥から熱いものが込み上げてくる。それは我慢する間もなく涙となって溢れ出し、京谷の頬を勢いよく滑り落ちた。 「くそっ……なんでだよっ……なんで、こんな……」 自分に泣く権利なんかない。そもそもこれは自分がもたらした別れだ。だからこんな……自分が可哀想で流す涙なんて赦されるはずがない。そう思うのに、一度溢れ出したそれは止まることを知らず、土間の上に小さな水たまりができていく。 ひょっとして金田一も京谷にフラれたあと、一人で泣いたりしたのだろうか? だとしたらこれは罰だ。あのとき金田一の想いに答えてやれなかった自分への――そして、今更金田一を好きになって、彼の幸せを壊そうとした自分に対する大きな罰。 夜が更けて辺りが静まり返るまで、京谷の涙は止まることがなかった。 |