相手のレシーブが乱れ、三本目はチャンスボールになって金田一たちのコートに返ってくる。セッターへの正確なパスからアタッカーへのトス、最後に託されたのはやはり絶好調の金田一で、得意のBクイックは見事に相手コートの空いたところを突いた。それが決勝点となり、金田一たちのチームのリーグ優勝が決まる。
 体育館中にワッと響き渡る大きな歓声。優勝した選手たちはコート内に集まって乱舞するように喜んでいた。その中心で、一番背の高い金田一は手で顔を隠しながら泣いている。
 チームのキャプテンであり、全日本でも活躍した金田一は、この試合を最後に引退することが決まっていた。今までも何度かリーグ優勝を経験した彼だが、バレー人生最後の公式試合ということもあり、この優勝はまたずっと特別なものだっただろう。
 コート内が落ち着くと、まずチームの監督へのインタビューがあり、続いて金田一へのインタビューになる。

『応援してくださった皆様のおかげで、最後まで楽しくバレーをすることができました。今まで本当にありがとうございました』

 金田一はそう締めくくり、会場からは惜しみない拍手が送られる。観戦していた京谷も大きな拍手を送った。ひとしきりすると持って来ていた必勝の御守りをズボンのポケットにしまい、まだ熱気の冷め止まない会場を後にした。



 十年後の守りたい人――上





 京谷が金田一を生で見たのは約十年ぶりのことだった。テレビでよく見ていたから久しぶりという感覚はなかったが、会って話すわけでもないのになんとなく緊張した。

(あれから十年、か……)

 京谷が金田一に想いを告白し、そして振られた日のことは今も鮮明に思い出すことができる。
 あれから京谷にも恋人ができた。けれどなかなか長く続かなくて、出逢いと別れを繰り返しているうちに今はまた独り身である。あまり寂しいとは感じないけど、一緒に何かを共有できる相手がいるのはやはり楽しい。またボチボチ探し始めるかと思いながら、宿泊しているホテルまでの道のりを歩いた。


 ◆◆◆


「金田一しゃん、次の店行きましょ〜。もっといっぱい飲まにゃいと〜」
「いや、さすがにもうきついわ。つーかお前も帰ったほうがいいと思うよ。舌が回ってないし」

 三次会が終わり、酔って絡んでくる後輩を適当にあしらった金田一は、まだ正気のある別の後輩に自分の飲み代を預けて店を出た。この時期の夜風は肌にすがしい。むしろ寒いくらいだけど、酒で温まった身体にはちょうどよかった。
 今日、約二十五年に及ぶバレー人生が幕を閉じた。最後に優勝できたことは本当に嬉しかったし、悔いが残らずに終われたことにひっそりと胸を撫で下ろしている。引退した選手がビーチバレーに転向したなんて話をよく聞くけど、金田一にそれをするつもりはない。正真正銘、今日の試合が最後だ。

(あの人も、テレビで今日の試合観てくれてたかな……)

 頭に浮かんだのは、金田一が高校生の頃に好きだった一つ上の先輩の顔だ。あれから約十五年――そして、逆に彼が金田一に好きだと言ってくれた日からはもう十年の時が過ぎている。
 久しぶりに会いたいと思った。この喜びを分かち合いたい。そしてこの十年話せなかった分、いろんな話をしたかった。
 彼との別れは仕方のないものだと覚悟していたけれど、離れてみるとやはり寂しかったし、それは今でも時々襲われる感覚だった。
 十年経って、彼はどんなふうになっただろう? 少し変わっただろうか? それとも金田一の知っている、ぶっきらぼうだけど優しいあのときの彼のままだろうか? 恋人もいたりするんだろうか? ホテルまでの夜道を歩きながら、そんなことを考える。
 五十メートルほど先にコンビニが見えた。ホテルまでもう少しだ。その前にそこのコンビニで何か飲み物を買って行こうと、金田一はふと思いついた。


 ◆◆◆


 誰かの声に導かれて目を覚ましたら、それは点けっ放しのテレビの音だった。いつの間にか寝ていたらしく、電気も点けっぱなしになっている。
 京谷が枕元の時計を確認すると、時刻は日付を新しくしたばかりだった。もう一度寝ようとテレビと電気を消して横になるが、空腹が気になって眠れなくなる。迷い迷いしながら結局はベッドから起き、再び電気を点けて買い物に行くために服を着る。
 ホテルを出ると、真夜中ということもあって人の姿はほとんどなかった。最寄りのコンビニにも店員以外の姿はなく、けれど流れてくる音楽が寂しさを掻き消していた。
 京谷はおにぎりを一つだけ買ってコンビニを出た。春も終わりのほうに近づいているとはいえ、夜の気温はまだ低い日が続いている。昼間の感覚で薄着して出かけたことを悔やんだ。

「――あの、すいません!」

 静かな夜道に、突然男の声が響き渡った。反射的に振り返ると、さっきのコンビニのほうから背の高い影が近づいて来ている。どうやら自分が呼び止められたようだ。

「これ、あなたのじゃないっすか? さっきレジの前のとこに落ちてて……えっ」

 近づいて来ていた男が、疑問符を残して急に足を止めた。同時に京谷も、その声に聞き覚えがある気がして心臓が止まりそうになる。
 近くに来ると男はずいぶんと背が高かった。体格は細いほうだが決して貧弱な感じではなく、それなりに鍛えられているのだと服の上からでもわかる。逆立てた短い髪の下の顔は男らしく精悍で、意志の強そうな瞳をしていた。

「金田一……」
「京谷さん……」

 遠い過去に置き去りにしてしまったなくし物が返ってくる。そんな感覚がする再会だった。
 金田一はしばらく驚いた顔のまま硬直していたが、それは徐々に柔らかな笑みに変わり、もう一度声を発した。

「久しぶりっすね。こんなところで会えるなんて思いもしませんでした」
「俺もだ」
「ここにいるってことは、ひょっとして俺の試合観に来てくれてたんっすか?」
「……ああ。悪い、もう観に行かねえってあのとき約束したのに」

 京谷が謝ると、金田一は首を横に振った。

「俺は京谷さんが観に来てくれて嬉しいっすよ。俺の最後の試合でもあったし。優勝するところ観てもらえてよかったな」
「おめでとう。お前が一番すごかったよ。やめちまうのがもったいないくらいだ」

 金田一は一瞬泣きそうに顔を歪めたが、またすぐに笑顔になって「ありがとうございます」と言った。

「あ、そうだ。これ、落し物です」

 金田一が差し出したのは、詩織からもらった必勝祈願の御守りだった。そういえばジーンズのポケットに入れたままにしていた気がする。

「サンキュー」
「それ、俺も大事に持ってますよ。今日もベンチに置いてたんです。優勝できたの詩織さんのおかげでもあるのかな〜」

 詩織がこれをくれた日のことは今もよく覚えている。自分だけじゃなくて金田一にも同じ物を渡したことに、あのとき京谷は少しだけ嫉妬していた。

「さっきそれ拾ったとき、もしかしたら京谷さんかもって思ったんです。でもそんな偶然あるはずないよなって完全には信じられなくて、それでも落としたのが京谷さんであってほしいって思いながら追いかけたんっすよ。こうして会えて、俺はすげえ嬉しいっす」
「俺は……俺もやっぱ嬉しいわ。お前がいねえとすげえつまんなくて、ずっと会いてえって思ってた。テレビの中のお前じゃなくて、実物のお前に」

 素直な気持ちを伝えてくれる金田一に、京谷もまた素直な気持ちを言葉にして伝えた。
 言葉を交わすと、彼の姿をテレビ越しに観ていたときや、今日の試合会場で遠くから眺めていたときとはずいぶんと違う感覚がすることに気づく。懐かしくて、さっきの言葉のとおり会えたことが嬉しくて、同時にどこか切ないような不思議な気持ちが心の奥のほうから溢れ出てくるような気がした。

「澤村さんは元気してんのか?」

 金田一と縁遠くなって、彼の恋人である澤村とも顔を合わせることがなくなった。京谷のアパートからそう遠くない場所に住んでいるはずだが、どこかで偶然ばったり出会うようなこともなかった。

「あ〜……俺、実は大地さんとは別れちゃって……」
「えっ」

 予想もしていなかった言葉に京谷は驚いて目を瞠った。

「ほら、俺だいぶ前に今のチームに移籍したじゃないっすか。それで遠距離になって、最初はいろいろ我慢しながら頑張ってたんすけど、途中で上手くいかなくなっちゃって……。今は独り身っすね」
「そうだったのか……」

 あんなに幸せそうだった二人が、まさか別れてしまうことになるなんて思いもしなかった。そばにいながら、二人の想い合う気持ちの強さみたいなものをいつも感じていただけに、やはり驚きを隠せない。

「そういう京谷さんはどうなんっすか? 彼氏……いや、彼女? はいるんすか? もしかして結婚したとか?」
「俺もそういうのはいねえよ。何度か付き合ったことはあるけど長く続かなかった」

 相手は男だったこともあれば、女だったこともある。どちらかというと男相手のほうがしっくりきていた気がする。

「俺、夢で何度か見たんっすよね。京谷さんが結婚して、子ども連れて俺の応援に来てくれるのを」
「変な夢見てんじゃねえよ」
「別に変ではないでしょ。結婚してる可能性だって普通にあったわけだし。京谷さんだって考えたことあるんじゃないっすか?」
「まあ、少しはな。歳も歳だし」

 高校時代の同級生で何人が結婚しただろう。今となってはおそらく未婚者のほうが少ないはずだ。

「結婚したいって思いますか?」
「いや、別にそんなには思ってねえよ。考えたことはあるっつったけど、別に憧れてるわけじゃねえし、正直あんま想像つかねえ。子どもが欲しいとかも思わねえしな」
「俺も京谷さんが父親になるとか全然想像つかないっすね。むしろ子ども苦手そう」
「……当たってる」

 やっぱり、と金田一は笑った。確かに子どもは苦手だけど、いつの日か子どものように泣いていた金田一をあやすのは嫌いじゃなかった。そういえばあれが金田一を好きになったきっかけの一つだった。懐かしすぎて切なくなる思い出だ。

「京谷さん、こんな時間に出歩いてるってことは泊まりっすよね?」
「ああ。せっかくだからこの辺観光でもして帰ろうかと思った」
「あの、もし時間あるなら京谷さんの部屋に行ってもいいっすか? せっかく会えたからもっと話したくって……。それに外はやっぱ寒いっす」
「確かに……」

 金田一に再会した驚きですっかり忘れていたが、言われると肌寒さが甦ってくる。

「ホテルこの辺っすか?」
「ほら、そこだよ」
「ああ……ってあれ? 俺と同じホテルだ」
「そうだったのか?」
「はい。こんな偶然ってあるんすね」

 確かにとてつもない偶然だ。同じホテルに泊まっていることもそうだし、こうして道端で再会できたことも、まるで運命に引き寄せられたようだと感じずにはいられなかった。京谷と金田一、二人の間に交わされた最後の約束が思い起こされる。時間の流れの中に消えていくはずだったその約束が果たされるときが来たのかもしれないと、京谷は期待せずにはいられなかった。







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