十年後の守りたい人――下


 一度部屋に戻って着替えたいと言った金田一とエレベーターで別れて、京谷は一人自室に戻って彼が来るのを待つ。ドアをノックする音がしたのは十分ほどしてからだった。

「なんか懐かしいな〜」

 ベッドに腰かけた金田一が、笑いながらそう言った。

「俺よく京谷さんのアパートに入り浸ってましたよね。俺が来るといつも京谷さんは麦茶淹れてくれて」
「今日は自分ちじゃねえからなんもねえぞ」

 言いながら京谷は金田一の隣に座る。今にも肌が触れ合ってしまいそうな近い距離に、少しだけ緊張を感じた。

「京谷さんはこの十年、何してたんっすか?」
「別に何も。仕事は変わってねえし、これと言ったことはなかった。あ、そういやアパートは引っ越したぞ。住所はほとんど変わってねえけど、もうちょい広いとこにした」
「そうなんすね。今それ教えてもらえてよかったっすよ。俺、もしかしたら前のアパートに突然訪ねに行ってたかもしれないっす」
「……俺に会うつもりだったのか?」
「もう十年経ったし、俺は独り身だし、会いに行っても大丈夫かなって……。京谷さんと会えなくなったの、心のどっかでしこりみたいになってたんすよね。何年経っても、他の誰かと一緒にいても、いつも会いたいって思ってて。この十年、寂しかったな」
「けど連絡なんて一つも寄越さなかったじゃねえか」
「あんな終わり方して、おいそれと連絡なんてできるわけないじゃないっすか。それにやっぱり、あのときの俺らは繋がってるべきじゃなかったっすよ。俺には大地さんがいたし、あの人のために生きようって心に決めてたっすから」

 結局別れちゃいましたけどね、と金田一は苦笑した。

「澤村さんに未練とかねえの?」
「まったくないっつったら嘘になるけど、もうそんなにはないかな……。一方的にフラれたわけじゃなくて、お互いがもう限界で駄目になった感じでしたし」

 金田一と会えなくなってから、澤村とも京谷は一度も会っていない。元々連絡先も知らなかったし、彼の家の正確な場所も聞いたことがない。
優しくてカッコよかった澤村のことを京谷は人として好きだった。金田一のことで嫉妬することはあったけれど、それでも最後まで嫌いにはなれなかった。

「お前はこの十年どうしてたんだよ? つってもバレー関係のことは知ってるけどさ」

 日本代表メンバーとして国際大会に出場したり、チームを移籍したり、さぞ忙しかっただろうと想像がつく。国内外問わず大きな大会があるときは、必ずと言っていいほど金田一の顔をテレビで観た。

「澤村さんと別れたあと、他のやつと付き合ったりしたのか?」
「付き合ったりはしなかったっすね。顔が知られちゃったからあんま遊ぶこともできなかったし。まあまあ健全に生きてたっすよ」
「今東京に住んでんのか?」
「そうっすよ。チームの寮があるんで、そこに住んでます。でももう引退するから出ないといけないんすけどね。今住むとこ探し中です」
「ビーチバレーに転向するとか、コーチになるとかは考えてねえのか?」
「そういうのは全然考えなかったっすね。今回の大会でバレーからはきっぱり身を引くって決めてたっすから。一応チームの会社で働かせてもらえるんで、就活はしなくて済みそうっすけど。でも……いっそ宮城に帰ろうかな」
「なんでだよ?」
「京谷さんがいるから」

 ここで自分の名前が出てくるとは思ってもみなくて、驚いて金田一の顔を見返せば、彼は照れたようにはにかんだ。

「……澤村さんだっているぞ」
「俺は……京谷さんのほうがいいっす。京谷さんは俺のこと、もう全然好きじゃないっすか?」

 台詞の後半は、弱々しく震えそうな声になっていた。
 この十年、京谷はいろんな人と付き合った。どれも長続きはしなかったが、付き合っている間は間違いなく相手のことが好きだったし、大切にしていたつもりだった。けれどその中で、会えなくなってしまった金田一を求める気持ちが存在しているのを自覚していた。自覚しながらずっと見ないふりをしていた。だってもう金田一と恋人になることなんてない。それは望んではならないことなんだと、自分に言い聞かせて気持ちに蓋をした。
 それがさっき金田一と再会した瞬間に、爆発したような勢いで吹っ飛んだ。あとには舞い上がるような嬉しさと、狂おしいような愛しさが身体中に充満し、十年の時を遡ったように、あのときの片想いが甦っていた。
 けれどもう何も偽ることなんてない。隠す必要もない。だって金田一は今、きっと同じ気持ちを持ってくれている。京谷を求めているのだと、言葉が、瞳がそう言っている。

「……そう簡単に、好きじゃなくなるわけねえだろ。どんだけお前に会いたいと思ってたと思うんだよ」
「そっか、よかった……。約束、覚えてますか?」
「ああ」

 最後に会った日に交わした約束。期待をしていなかっただけに薄れかけてはいたけれど、忘れることはなかった。その約束が今日、十年の時を超えて果たされる。

「俺から言わせてください。好きになったの、俺のほうが早かったっすから」

 高校生の頃、公園で自分の想いを打ち明けてくれた金田一。今度はいったい何年遡るんだと思いながら、京谷は静かに金田一の言葉を待った。

「あなたが好きです。カッコよくて、バレーが上手くて、優しくて照れ屋なあなたが大好きです」

 あのときとまったく同じ台詞だ。京谷も忘れなかったその言葉が長い時を経てもう一度降り注ぎ、心の奥に染み渡る。それは自分の片想いと溶け合って、あのときには返せなかった新しい言葉を生み出した。

「俺もお前が好きだ。可愛くて、素直で、優しいお前が好きだ」

 声に出して伝えると、金田一は泣きそうに顔を歪ませる。柔らかい頬にそっと手を触れれば、彼はその手をとって口づけた。

「十年待った」
「俺はもっと待ちましたよ」
「でも澤村さんと付き合ったじゃねえか」
「それは京谷さんが俺を振ったからでしょ」
「覚えてねえな」
「都合がいいっすね……。でも今日からはもう、俺だけの京谷さんです。そんで俺も京谷さんだけのものっす。だからずっとそばにいてください。ずっと俺だけのことを見ていてください」
「約束する。ずっとそばにいて、お前のこと守る。だからもう、どこにも行くな」

 はい、と返事をしたあとに、金田一はついに泣き出した。京谷は自分よりも大きなその身体を抱きしめ、広い背中を優しく撫でてやる。十年ぶりに抱きしめたその身体からは、懐かしいような匂いがした。



 互いに裸になり、直に肌と肌とが重なり合う。組み敷いた身体は男らしくゴツゴツしていて、その逞しさに京谷の興奮はいっそう高まった。

「やっぱいい身体してんな、お前。こんないい身体したやつとやんの初めてだ」
「京谷さんだってすげえいい身体してるじゃないっすか。すげえ興奮します」

 その言葉が嘘でないことを、金田一の下腹部が硬くなって証明している。京谷のそこもまた同じように張り詰め、それが触れ合って互いの熱さと硬さを示し合っていた。
 もう何度目かわからないキスのあと、京谷は金田一のそれに指を触れさせ、先端を優しくこねくり回す。じんわりと先走りが溢れるのを感じたら、躊躇いもなく唇を寄せ、口の中に含んでねっとりと味わった。

「あっ……」

 金田一の身体がびくりと反応する。乳首も敏感だったが、こっちはもっと敏感なようだ。執拗なまでに吸い付きながら、指をゆっくりと後ろの穴に埋めていく。

「くっ……あっ、駄目っ」
「駄目じゃねえだろ。さっきよりも硬くなったぞ」

 金田一のそこは最近使っていなかったのか、侵入を拒むようにきつかった。けれど次第に温まったバターのように柔らかくなり、余裕で三本の指が根元まで入るようになった。

「もう、入れていいか?」

 訊くと、金田一は顔を真っ赤にしながら頷いた。
 入れる前に金田一に少しだけしゃぶってもらって、限界まで張り詰めたそれを濡れそぼった入口にあてがう。慎重に押し進めると抵抗感は思っていたほどではなく、金田一も痛がったりしなかった。

「ぜ、全部入りました?」
「ああ。根元までしっかり入ってる。お前ん中、熱くてトロトロになってるぞ」
「そんなの言わなくていいっすよ!」
「あんまりに気持ちいいケツしてるから言いたくなった。いったいどんだけの男をここに入れたんだ?」
「か、過去のことはもう仕方ないでしょ! それにたぶん、京谷さんが思ってるほど俺経験ないっすからね」
「悪い。ちょっと嫉妬しただけだ。それに後悔してる。高校の頃お前の告白受け入れてたら、俺がお前の初めての相手になれたのにって」

 正直な気持ちを打ち明けると、金田一は狐に摘ままれたようにポカンと京谷を見上げた。そうしたあとに今度は嬉しそうに顔を歪ませ、京谷の背中に強くしがみついてくる。

「……なんだよ?」
「いや、京谷さんがそういうふうに思ってくれてるのが嬉しくて。俺のことマジで好きなんだなってすげえ実感させられたっつーか」
「冗談で好きなんて言ったりしねえよ。全部ちゃんと本気だから心配すんな」

 繋がったまま頭を撫で回し、そして柔らかな口づけを落とす。見つめ合った瞳からは火傷しそうなほどの熱量が伝わってきて、心も身体もそれで余計に熱くなるようだった。

「動くぞ?」
「はい」

 ゆっくりと腰を前後に動かしながら、乳首を指で摘まむ。

「あっ!」

 堪らない、と言いたげに細められた瞳が淫らに京谷を煽る。そこが十分に京谷の大きさに拡がったのを感覚で捉えると、律動を速めて奥を強く、深く貫いた。

「あんっ、あっ、ああっ……あっ!」

 すっかりほぐれたそこは湿ったいやらしい音を立てながら京谷に吸い付いた。もう離さない。そう言って貪欲に京谷を求め、どうしようもなく感じているようでさらに調子づく。

「金田一っ……お前のケツすげえ締まる……もう絶対ここを他の男に使わせんなよ」
「つ、使わせないっすよ……あっ……京谷さんだけのものになるって言ったじゃないっすかっ」
「絶対だぞ……他のやつに触らせたら、絶対赦さねえ」

 それから何度か体位を変え、思うがままに金田一を犯した。金田一も嬉しそうに喘ぎながら、時々甘えるように京谷にくっついてきて何度も煽る。そのうち「気持ちよすぎておかしくなる」と言いながらグズグズと泣き出した。

「もうイけるか?」
「すぐイっちゃいそうっす……イかせてください」
「わかった。俺もイきそうだから、このまま出していいか?」
「俺の中に出してください……全部受け止めます」

 エロいやつだ。こんなエロい顔を他の男たちの前に晒していたのかと思うと、やっぱり煮えたぎるような嫉妬が込み上げてくる。それを振り払ってから、京谷は正常位で今まで以上に激しく腰を振った。

「あっ! ああっ、あっ、あっ、あんっ」

 奥を貫き、突き上げ、いやらしく腰を使っているうちに下半身が痺れてくる。もう限界だった。ここまで来ると絶対に止まれない。

「金田一っ……好きだ」
「俺も、京谷さんが好きっ……あっ、イくっ、駄目っ……」
「俺もイくっ……」

 金田一が嬌声を上げながら身体を打ち震わせ、白濁を放った。中がギュッと締まり、それが止めとなって京谷も金田一の奥深いところに欲望のすべてをぶちまけた。
 快感の波が収まったところで、自分よりも大きな身体を強く抱きしめる。腕の中の温もりが愛おしくて堪らない。これがずっと欲しかった。ようやく手に入れたそれを何に変えても守っていこうと、京谷は心の中で固く決意した。


 ◆◆◆


 墓に買ってきた花と線香を供えると、金田一と京谷は二人で手を合わせた。
 生きていた頃の彼女の姿が、金田一の頭に浮かんでくる。明るくて優しい彼女のことが、金田一はとても好きだった。それは恋愛感情ではなく人としての好意だったが、自分がゲイじゃなければ絶対に惚れていただろうなと、彼女と一緒にいるときは何度も思った。

「詩織さんが生きてたら、俺らのこと祝福してくれたっすかね?」

 詩織の前ではただの部活の先輩・後輩だった自分たちが、恋人として付き合い始めたと知ったら彼女はどんな反応をするだろう? 都合がいいかもしれないが、祝福してくれる姿しか思い浮かばない。

「たぶんな。あいつはそういうやつだろ」
「でも京谷さんは、詩織さんが生きてたら俺のこと好きになってくれなかった気がするな……」
「なんでだよ?」
「だって京谷さん、詩織さんのこと好きだったでしょ?」
「な、なんで知ってんだよ!? 俺お前に言ったか?」
「言ってないけど、態度でバレバレでしたよ」

 高校時代、金田一が京谷に片想いをしているときに、京谷は詩織に片想いをしていた。彼の態度や仕草でそれを知ってしまった金田一はショックを受けたし、詩織に嫉妬をしたこともある。だけど彼女のことを嫌いにはなれなかった。いつだって裏表なく、純粋な優しさを向けてくれる彼女のことを、金田一は心の底から尊敬していたし、好きだった。だから今だってやっぱり生きていてほしかったと思う。

「詩織も気づいてたのか?」
「さあ、どうっすかね。何も言ってなかったけど、女の人ってそういう勘がいいから、ひょっとしたら気づいてたかもしれないっすね」

 今はもう、確かめることができない。

「詩織がさ、死ぬ前に言ってたんだ。お前のこともっと大事にしてやれって」
「俺も似たようなこと言われましたよ。いつまでも京谷さんの近くにいてやってほしいって。京谷さん、一人が平気そうに見えるけど実は寂しがり屋で、俺のこと必要としてるからって」
「そうだったんか……」

 こうして話をしていると、無性に彼女に会いたくなってくる。亡くなってもう十年以上も経つけれど、やはり思い出すと寂しくなってしまうのを抑えられない。

「俺、一度は京谷さんから離れちゃったけど、今度こそずっと一緒にいるつもりです。誰よりも近くで、誰よりも京谷さんのこと大事にしていきます。だから京谷さんも俺のそばにいてくれますか? 俺のこと、ずっと好きでいてくれますか?」
「俺の気持ちはずっと変わんねえ。つーか結局この十年ずっと変わらなかったんだ。今更他のやつを好きになったりしねえよ。――俺は詩織みてえに器用じゃねえし、澤村さんほど優しくねえかもしれねえけど、それでも、誰よりもお前を一番幸せにする。死ぬときになってお前に一緒にいてよかったって思ってもらえるよう、努力する。だから、恋人として一緒にいてくれ」

 真摯な台詞に、金田一は思わず涙が出そうになった。高二のとき、京谷に振られて河原で一人泣いた自分に言ってやりたい。絶望なんかしなくていい。素敵な未来が待っているから、それを信じて強く生きてほしい、と。

「俺はずっと京谷さんのそばにいます。ずっと」

 この恋が一度終わってしまってから、金田一はいろんな恋をしたし、いろんな人と付き合った。辛い失恋も経験したけれど、それはこの日のために――京谷と一緒に歩き始める日のためにあったんだと今は思える。
 目の前の彼が、優しい顔で笑う。この人を心の底から守りたい、この人の支えになりたい。狂おしいほどの愛おしさが溢れ出してきて、金田一は咄嗟に京谷のことを抱きしめていた。



十年後の守りたい人 終




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