02. 餌付け


 次の日の昼休みも、澤村は牛島の元へ足を運んだ。彼は昨日と同じようにマットの上に横になっていた。眠ってはいなかったのか、澤村が入るとすぐに顔を上げて「お前か」と呟いた。

「今日も昼食ってないのか?」
「……食ってない」
「じゃあ菓子パンまた分けてやるよ」

 今日は最初から分けるつもりで余分に持って来ていた。だからいつもの巾着袋一つでは足らず、少し大きめの手提げ袋にそれらのパンと弁当の全部を入れて来た。

「いらない」
「嘘つけ。また腹が鳴るんじゃないのか」

 鳴らない、と牛島が強く言った途端に彼の腹が物欲しそうに音を立てた。あまりのタイミングの良さに思わず笑ってしまう。牛島は拗ねたように背中を丸めた。

「……ああいうのも、それなりに金がかかるんだろう? お前の脛を齧っているみたいで嫌だ」
「ああ、違うよ。パンは近所でコンビニやってるおじさんに、廃棄するのをタダでもらってるんだ。本当はそういうのいけないらしいけどな。まあ、そういうわけだから金のことは気にしなくていいし、むしろ俺一人じゃ食べきれないからもらってくれ」

 食べきれないというのは嘘だし、廃棄するものをタダでもらっているというのも半分は嘘だ。自分一人分だけなら、確かに近所のおじさんからもらえる分で事足りるが、二人分となると少し厳しい。牛島にあげた分は、本当は買ってきたものだった。それを言うと彼が遠慮しそうだったので、もらったものだと嘘をついた。

「そうだったのか。じゃあ、もらう」

 やはりタダでもらったという言葉が効いたのか、牛島は差し出したビニール袋を素直に受け取った。中身を取り出し、さっそく封を開けて食べ始める。それを見届けてから澤村も弁当に手を付けた。おかずを食べる順番はだいたいいつも同じで、卵焼きは必ず最後に食べることにしている。今日もそのとおりに食べ進め、最後に残った卵焼きは、昨日と同じように半分にした。そして片方を牛島に差し出す。

「ほら」

 牛島は何も言わずにぱくりと食べた。……なんだか野良猫を餌付けしているような気分だ。
 とっくの昔にパンを食べ終えていた牛島は、卵焼きを咀嚼すると後ろの壁にもたれかかって目を閉じる。たが、よく見るとさっき渡した袋の中には、まだパンが残っているようだった。

「食欲ないのか? パン残してるみたいだけど」
「いや、それは持って帰って弟にやる。あいつも腹空かせてるだろうから」
「牛島って弟いるんだな。何歳?」
「もうすぐ十一歳になる。小五だ」
「へえ。牛島に似てるのか?」
「顔は似ていると言われることもあるな。だが、俺と違ってあいつはよく笑うし、よく泣きもする。誰にでも優しくて、頭もまあいいほうだな。生意気なところもあるが、可愛いやつだ」

 弟のことを話す牛島は、とても優しい目をしていた。きっとすごく大事にしているのだろう。

「弟いいな〜。俺も兄弟が欲しかったよ」
「澤村は一人っ子なのか?」
「そう。だから昔から家にいるのは退屈だった。部活してるときが一番楽しいよ。あ、そういえば牛島って部活何やってるんだ?」
「写真部だ。幽霊だけどな」
「ならいっそバレー部に乗り換えろよ。牛島って背高いし、うちの学校じゃ即レギュラーだよ。練習も厳しくないし、日曜は基本休みだし、どうだ?」
「面倒だから嫌だ……。それに放課後はバイトがある」
「バイトしてんのか? なんの?」

 まさかこの愛想のない男がレジ打ちや接客をしているというのだろうか。とても想像ができない。

「チャリで宅配。あと土日は引っ越し屋」
「ああ、なるほど。え、つーかそんなにバイトしてんのかよ」
「家が貧乏だからな。そのくらいバイトしないと家計が回らない」
「いや、でも……親は働いてないのか?」
「母親はスーパーで働いてる。親父は……飲んだくれてばっかだ。借金があるくせに働きやがらない。おかげで母さんは苦労してるし、俺や弟も飯食えない日がある」

 牛島が昼食を持ってこないのには、そういう理由があったのだ。そんな貧しい家、ドラマの中にしか存在しないものだと思っていた。

「本当にロクでもない親父だよ。三年くらい前に仕事リストラされて、それからずっと働かずに酒ばっか飲んでやがる。こっちが文句を言うと、この家は俺が建てたんだ、文句があるなら出て行けってすぐに怒鳴る。その家のローンだっていまは母さんが払ってんのに……」

 そこまで言って牛島は「あっ」という顔をした。

「すまん。こういうことを澤村に愚痴っても、困らせるだけだな」
「別にいいんじゃね? 愚痴って少しでもすっきりするんだったら、いくらでも愚痴れよ。俺には聞くだけしかできないけど、別に聞くのは嫌じゃない」

 牛島は少し驚いたような顔をして、まじまじと澤村を見てくる。

「澤村は少し変わっている」
「そんなの言われたことないぞ」
「普通のやつは、俺には近づいてこない。話しかけてくることもないし、こっちが話しかけたら話しかけたで、怯えたような顔しやがる。でも澤村は普通に話しかけてくるし、俺のこと恐がらない。だから変わってる」
「まあ、牛島には根も葉もない噂があるからな。ヤクザの子分だとか、この辺の不良をまとめる番長的存在だとか言われてんだぞ」
「そんな事実はない」
「だよな。まあ、俺も実のところ昨日は話しかけるの恐かったけどな。牛島と話したことなかったし、噂も半分くらいは信じてたから。でも少し話してみて、本当はいいやつなんだろうなってわかった」
「俺は別にいいやつではないと思うぞ」
「俺がそう思ってるからそれでいいんだよ」

 できればその悪い噂の数々を払拭してやりたいと思う。牛島がもっとクラスの中に溶け込めるように環境を整えてあげたい。その半面で、彼の優しい部分は自分だけが知っていればいい、という欲張りな思いも澤村の中にあった。自分だけが彼にとっての特別で、何かあれば自分だけを頼ってほしい。
 この独占欲はなんなのだろうか。熱いようで、どこか冷たさも兼ね備えたこの感情はなんだろう。……わからない。

「膝、借りていいか?」

 そんな澤村の心情など知る由もなく、牛島が遠慮のない声でそう訊いてくる。

「いいぞ」

 男相手に膝枕を提供するのも傍から見ればおかしいのかもしれないが、澤村は決して嫌ではなかった。むしろ牛島に懐かれているような気がして嬉しくなる。
 重い頭がゆっくりと膝に乗ってきた。彼の体格に見合った大きな手が、澤村の膝頭にそっと触れる。途端にそこが痺れたような感覚に襲われ、澤村は内心で動揺した。だけどそれを牛島に悟られないよう平静を装い続ける。予鈴が鳴って牛島が起き上がるまで、澤村の胸はずっと早鐘を打っていた。



 次の日も、そのまた次の日も、昼休みは牛島と二人で過ごした。食事を済ませたあとはいつも牛島に膝枕を提供してやった。最初の頃は澤村に確認してから膝を借りていた牛島も、いまでは何も言わずに頭を乗せてくる。
 澤村はこの時間が好きだった。教室で友人たちと談笑するのも楽しいが、牛島と二人で静かに過ごすのはまた特別だ。二人の間に会話はそう多くない。だけど別に気まずいとは思わなかったし、少しだけ仮眠がとれて午後の授業にはよく集中できた。

「バレー部はうちの体育館で練習しているのか?」

 いつもは横になるとすぐに寝てしまう牛島が、珍しく話しかけてきた。

「そうだけど。何、ひょっとして入部する気になったのか?」
「違う。ただお前がバレーをしているのを見てみたくなった。今日はバイトが休みだから、問題ないなら少し見学してみたい」
「まあ二階から観る分には大丈夫だと思うぞ」
「そうか。なら放課後に行ってみよう。お前が下手だったら鼻で笑ってやる」
「そんなこと言うやつにはもう膝貸してやらないぞ」

 それは困る、と言いながら牛島は澤村の太股に必死にしがみついてきた。その様子がおかしくて笑ってしまう。

「これがないと俺はもう寝られる気がしないぞ」
「知らねえよ。つーか、たまには牛島が膝貸せよ」
「……」
「こら、シカトすんな」

 澤村は牛島の決して長くはない髪をぐしゃぐしゃに掻き乱してやった。やめろと言われてもやめないでいたら、同じことを牛島にやり返された。




続く





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