03. おもしろくないこと


 バレー部の練習が始まってしばらくすると、二階のスタンドに人影が現れた。――牛島だ。どうやら掃除当番を終え、予告どおり見学に来たようだ。

「なんで牛島があそこにいるんだ?」

 ペアになってストレッチをしていた岩泉一が、二階を見上げながら訊いてくる。

「まさかうちの部に入るのか? やべえな。あいつ背が高いから即レギュラー入りしそうだわ。俺らのレギュラーの座も危ういぞ」

 澤村も岩泉も、このバレー部で一年生ながらいきなりレギュラーに抜擢されていた。と言うのも、この学校のバレー部の人数は少なく、上級生は七人しかいない上に一人はリベロで、何人かは初心者上がりの実力不足だったからだ。だから一年生の中でそれなりに実力のあった二人は、否応なしにレギュラーに選ばれたのである。しかも二人してバレーの花形ポジションとも言えるレフトを任された。

「あいつ左利きだから、レギュラーに選ばれてもライトになるだろ。俺らとはポジション被らないと思うぞ。つーか、そもそもあいつにこの部に入る意志はないしな」
「そうなのか? いや、つーかなんでお前がそんなこと知ってんだよ?」
「本人に聞いたからな。最近牛島とよく話すんだ」
「俺はお前が牛島と話してるところなんて見たことないぞ」
「教室じゃ席が遠いし、あいつ寝てるからな〜。別のところで話す機会があったんだよ」
「どこだそれ?」
「あ〜……悪い、それは言えない。あ、これは別に意地悪じゃないぞ。あいつに迷惑かけたくないんだ」
「知ったところで別にそこに行ったりしねえよ。ま、どうでもいいけどさ、そんなこと。じゃあバレー部に入る気のないあいつがなんで見学なんか来てるんだよ?」
「なんか俺がバレーしてるの観たいらしい」
「お前の? 意味わからん」
「まあ、別に邪魔するわけじゃないんだからいいだろ?」
「そりゃいいけどよ……」

 他の部員たちにも休憩中や練習の合間に牛島のことを訊ねられた。彼らの中には牛島が喧嘩を吹っかけに来たのではないかと恐れている者もいたが、ちゃんと事情を説明すると皆すぐに安心してくれた。
 シート練習が終わったあとに、二階の牛島を見上げながらふと立ちっ放しは辛いのではないかと心配になった。確かパイプ椅子があったはずだと、用具室に入ってそれを一脚持って二階に上がる。スタンドに出ると、牛島はすぐに振り向いた。

「お疲れ」
「別に疲れてない。むしろ澤村のほうが疲れてるんじゃないのか?」
「ちょっとな。ほら、これ使えよ。ずっと立ってるのしんどいだろう?」
「助かる」

 澤村からパイプ椅子を受け取ると、牛島はさっそく広げてそこに腰を下ろした。

「さっきの、レシーブって言うんだったか。あれは澤村が一番上手かった気がする。と言っても素人目だから本当のところはどうなのか知らないが」

 牛島に褒められたことに少し驚く。レシーブやサーブカットと言った守備の面は、自分でも得意なほうだと自負している。だから褒められたのは結構嬉しかった。

「ありがとな。観てて退屈じゃないか?」
「ああ。意外と見所がある」
「そっか、ならよかった。六時半くらいに終わるけど、最後までいるか?」
「いる。家に帰ってもどうせすることがない」
「牛島の家って小方のほうだったよな? 途中までは方向一緒だな。一……岩泉もいるけど、それでもよければ一緒に帰らないか? あ、岩泉ってわかる?」
「同じクラスの人間の顔と名前くらい、俺だって知ってるぞ。話したことはないが……。一緒に帰るのは別に構わん」
「じゃあ終わったら体育館の出入り口のところで待っててくれな」
「わかった」

 牛島は意外なほどしっかりとバレー部の練習風景を観ていた。と言うよりも、正確には澤村をよく観ているようだった。ふとしたときに二階を見上げると、必ずと言っていいほど目が合う。彼の瞳は少し吊り気味の形をしているから、何も知らない者が見れば睨まれていると勘違いするかもしれない。
 観られていることを意識すると、自然と格好をつけてしまうのが男というものだ。澤村も例に漏れず、スパイクを打つ時はいつもより力が入っていたし、いつもなら見逃す球も今日は頑張って食らいついた。
 そうして約三時間の部活を終え、使った器具を片づけてから皆帰路に着く。体育館を出ると、牛島がちゃんと待ってくれていた。

「おう、牛島。こうして近くに立つとホントでけえな。身長いくつだよ?」

 澤村より先に、隣を歩いていた岩泉が牛島に声をかける。

「春の健診では百八十六センチだった」
「マジか! どうりででけえわけだな。俺にも分けろよ」
「……岩泉も他の男に比べれば高いだろう?」
「そうかもしんねえけど、もっと高くなって、もっと上からスパイクをバシバシ叩き込めるようになりてえんだよ。いや、つーか牛島俺の名前知ってるのか!?」
「同じクラスなんだから普通知ってるだろう」
「ああ、まあ、そうか……言われてみれば知ってるのが普通だよな。入学してからもう一カ月ちょい経ったし」

 岩泉が牛島に名前を認知されていることを意外に思う気持ちはわからないでもない。牛島は教室にいるとき、授業中以外は寝ていることがほとんどだ。そうでなくても誰かと話していることなどまずないし、窓の外をぼうっと眺めている様子は、他人にまったく興味がないように見えた。

「とりあえずチャリ取りに行こう」
「そうだな。話は帰りながらするか。ほら、牛島も行くぞ」
「俺は門のところで待ってる」
「待ってるって……牛島チャリじゃねえの?」

 岩泉が訊くと、牛島は一つ頷いた。

「もしかしてバスだった?」
「いや。バスは金が勿体ないから使わない。本当はチャリ通なんだが、この間パンクしてしまったから、いまは歩いて来てる」
「いやいや、小方まで歩きだと四、五十分くらいはかかるだろう?」
「まあそのくらいだな。不便だとは思うが、別に疲れないぞ」
「そういう問題じゃねえだろう……。なあ、どうするよ大地」
「俺はチャリ押して歩くよ。俺から誘ったわけだしな」

 牛島のバイトが休みの日はほとんどないようだし、一緒に帰る機会はこの先そう多くないだろう。なら今日は彼に付き合って歩いてもいいから、彼と話しながら帰りたかった。

「一はチャリで帰っててもいいぞ?」
「いや、俺も付き合うよ。牛島ともっと話してみたいしな。毎日はさすがに付き合えねえけど、そういうわけじゃないんだろう?」
「まあ、そうだな。今日はたまたま牛島のバイトが休みだったから」
「え、牛島バイトしてんのかよ? ますます話聞かないとな。じゃあ牛島、ちょいと待っててくれよ」

 ああ、という牛島の短い返事を聞いて、澤村と岩泉は自分の自転車を校舎裏の自転車置き場に取りに行く。牛島は校門の前で待っていた。ほとんどの部活が同じくらいの時間に終わるために校門は生徒でごった返していたが、長身の牛島はすぐに見つけられた。

「待たせたな」

 岩泉が声をかけると、牛島は「いや」と首を横に振った。

「それよりお前たちは本当に歩きでいいのか? 無理して俺に付き合う必要はないぞ」
「いいの、いいの。どうせ明日は学校休みで、部活は昼からだしな。それにお前と話したいって言っただろ?」
「俺と話しても別におもしろくないと思うが……」
「そんなの気にしなくていいんだよ。俺が話したいから話すの。それとも牛島は俺と話すの嫌なのか?」
「そうは思ってない」
「ならいいじゃねえか。な、大地?」
「あ、うん。仲良くなるのはいいことだと思うぞ」
「ほら。そういうわけだから、牛島は何も気にしなくていいんだよ。さ、帰ろうぜ」

 先に歩き出した岩泉に続いて、澤村と牛島も校門を出た。
 岩泉は牛島が物珍しかったのか、マシンガンのように次々といろんな質問をぶつけていた。中学時代のこと、バイトのこと、バレー部への勧誘――ころころと話題が替わるのは牛島の返答が短いせいだ。澤村と話すときも同じようなレスポンスだが、決して感じが悪いとは思わない。元々会話をするのは得意ではないのだろう。
 岩泉は楽しそうだった。牛島はいつもと変わらない無表情だったが、決して不愉快に思っているわけではないのだと口調でわかる。もしかしたら内心では岩泉との会話を楽しんでいるのかもしれない。
 二人を横目で眺めながら、おもしろくないなと澤村は心中で呟いた。胸が締め付けられるような感覚がして落ち着かない。いっそ二人の会話なんか聞き流してしまえば楽になれるのに、どうしても気になって聞き耳を立ててしまう。そして一人で苛ついてしまう。
 この感情はなんだろうか? いや、誰かに聞かずとも正体はもうわかっている。わかっていながら、気づかないふりをした。それを認めてしまうと辛い思いをすると知っているからだ。
 嫌だと思った。でも動き出した自分の感情を止めることはできない。だから見て見ぬふりをしてやり過ごす。そうすることで自分の心は荒れることなく、安寧を得ることができる。
 あれだけ牛島と一緒に帰りたかったはずなのに、だからこそ自分から誘ったはずなのに、澤村は早く牛島と離れたかった。




続く





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