『母さん、再婚することにしたから』 母さんがそう告げたのは、オレこと照島遊児が高校二年生――三年生に進級する直前の春休みのことだった。 父親はオレが幼い頃に病気で亡くなった。それから女手一つでオレを育ててくれた母さんにはとても感謝しているし、そんな母さんが幸せになれるなら再婚にも賛成だ。むしろ父親がいる家庭をちょっと羨ましく思っていたから、オレにとっては嬉しい話だった。 話を詳しく聞いていくと、どうやら再婚相手には連れ子がいるらしい。オレよりも一つ年上で、とても優しい子なのだと母さんが話していた。オレとしては弟のほうが欲しかったけど、兄貴でも大歓迎だ。兄弟ってものに憧れていたし、年も一つしか違わないからきっとそいつとは仲良くなれるだろう。コミュニケーション能力にはちょっと自信があるしな。 そして今日初めて、その再婚相手と連れ子と対面することになった。もうすぐ約束の時間だ。明らかにいつもより腕によりがかかっている母さんの料理をダイニングテーブルに並べながら、オレはドキドキと胸を弾ませていた。 インターホンの音がしたのはそのときだ。キッチンの母さんが慌てたようにエプロンを脱ぐと、ほら、と言ってオレに手招きする。 「一緒に出迎えるわよ」 「言われなくてもちゃんとそうするつもりだったって」 人見知りはしないほうだけど、相手はこれから家族になる人たちだ。期待と不安で緊張しているのが自分でもわかった。なんだかふわふわとした足取りで玄関に辿り着くと、母さんがドアの鍵を開ける。 最初に目に入ったのは、百七十七センチのオレよりも少し背の高い、スーツに身を包んだ男だった。こっちが母さんの再婚相手なんだろう。顔は男らしく端正で、短く切りそろえられた髪が更に男らしさと爽やかな雰囲気を醸し出している。真面目で優しそう。簡潔に言うなら、そういう印象の人だった。 オレは内心ホッとした。ヤクザのような男や、逆に根暗で神経質な男だったらどうしようかと少しだけ心配していたからだ。もちろんまだ中身のほうはわからないけど、たぶん見たままの性格なんだろうなとぼんやり思う。 「こちら澤村大輔さん。私と同い年なの」 「初めまして、遊児くん。今日は突然お邪魔してごめんね」 「あ、いえ。うちなんかでよければゆっくりしていってください」 「ありがとう。それとこっちは僕の息子の大地です」 大輔さんが身体を避け、その後ろに控えていた連れ子が遠慮がちに前に出てくる。 顔を見た瞬間、オレはあれ、と思った。なぜならその顔に見覚えがあったからだ。大輔さんに似た男らしい顔立ちに、これもまた大輔さんと同じような短い髪。昨年の秋にあった春高バレーの県予選で、嫌と言うほど意識した相手のそれと同じだ。 相手もオレのことを覚えていたらしい。目が合うと少し驚いたような顔をして、二人が同時に指を差し合う。 「烏野の主将さん!?」 「条善寺の一番!?」 オレは兄貴に恋をする! 前編 澤村大地さんは、昨年の秋にあった春高バレーの県予選の、一回戦で対戦した烏野高校の主将を務めていた。あのときオレ自身も条善寺高校の主将を担っていたんだけど、試合の中でチームのまとめ役として自分が未熟であることを自覚させられた。だからこそキャプテンシーや安定感を発揮する澤村さんに、敵チームながら強く憧れた。この人みたいになりたいって心から思った。 何の偶然か、母さんの再婚相手の連れ子はその澤村大地さんだった。そしていまオレの目の前にいて、オレの部屋を物珍しげに見回している。 「結構広いんだな。八帖くらい?」 「そうっすよ。澤村さんのものになる予定の部屋も同じ広さっす」 澤村さん親子は来週ここに越してくることになっている。気の早い話だけど、大地さんの大学の入学式に間に合わせたかったらしい。 「そうなんだ、それは嬉しいな。俺は今まで六帖だったから。つーか、敬語なんか使わなくていいよ。一応家族になるんだからさ。あと澤村さんって呼び方も変」 「じゃあなんて呼んだらいい? お兄ちゃん? 兄貴?」 「遊児くんが呼び易いのでいいよ。下の名前でもいいし」 「じゃあ大地くんって呼ぶ! だから大地くんもオレのことくん付けしなくていいからね」 「うん、わかったよ……遊児」 大地くんが照れたようにそう呼ぶから、呼ばれたオレまでなんだか恥ずかしくなる。二人で思わず苦笑いした。 「遊児は、母親が再婚すること反対じゃなかったのか?」 「全然! むしろ父さんと兄貴ができて嬉しいくらいだよ。さすがにヤクザみたいな人が相手だったら嫌だったけどね。大地くんはどうだったの?」 「俺も遊児と同じだよ。母親はさておき、弟はずっと欲しかったから嬉しいな。でもまさか君が弟だとは思わなかった」 「こんな弟は嫌?」 「全然。失礼かもしれないけど、遊児って見た目のイメージでもっとチャラいやつだと思ってた。でも話してみて案外普通だったから、ちょっと安心してる」 いや、実際オレってチャラいやつだと思うよ? 大地くんとこのマネをナンパしたこともあるし。でもそれは大地くんには言わないでおこう。しかもあれってカモフラージュだし。 「大地くんは彼女とかいないの?」 「そんなのいないよ。今は特に欲しいとも思わないかな」 「もったいないな〜。大地くんってすごくモテそうなのに」 「そうか? モテたことなんてただの一度もないんだけど……」 「じゃあ周りの見る目がなかったんだよ。オレが女の子ならほっとかなかったのに」 女の子じゃなくても放っておきたくないけどね。 「ホントかな〜」 「ホントホント」 ありがとう、と大地くんは照れたようにはにかんだ。普通にしてると男らしい感じなのに、笑うとちょっと可愛い顔になるんだといま気づいた。 「実はここに来るまで結構不安だったんだ。弟になるやつに受け入れてもらえなかったらどうしようって」 「オレも同じような心配してたよ。でもホント、大地くんでよかったな。優しそうな兄貴ができて超嬉しい」 「俺も遊児でよかったよ。なんか可愛いし、仲良くしてくれそうだから」 可愛いってどの辺がだろう? 突き詰めて聞いてみたかったけど、なんだか変に思われそうだったからやめておいた。 「来週からよろしくな」 大地くんが手を差し出してくる。俺は自分の手をチノパンで軽く拭いてから、その手をギュッと握った。 「こっちこそよろしくね」 温かい手だった。男らしくゴツゴツしているけど、その根っこの部分は優しいのだとわかる手だ。試合のときの握手ではなんとも思わなかったけど、今は変に意識してしまう。 「来週からって言わずにさ、もう今日からここに住んじゃいなよ」 たぶん、今日はもうちょっとしたら澤村親子は帰ってしまうんだろう。お父さんのほうはさておき、大地くんとこのままお別れするのはなんだか寂しかった。 「そうしたいのは山々だけど、着替えもないしな〜」 「じゃあオレのを貸すよ。オレら身長同じくらいだから、サイズは心配ないだろ?」 「そう? じゃあ遊児のを借りて、今日だけ泊まろうかな。でもお母さんに許可取らなくても大丈夫なのか?」 「大丈夫、大丈夫。俺ら一応兄弟なんだし、母さんからしたら大地くんは息子じゃん。息子が自分の家に泊まったってなんも問題ないっしょ。むしろ嬉しいんじゃね?」 「言われてみればそうだよな……」 ってな感じで、大地くんのお泊りが決まったわけである。別に強引じゃないだろ! 着替えの心配してただけで、大地くんも乗り気っぽかったじゃん! オレは澤村親子と対面する前に風呂を済ませてたけど、大地くんのほうはまだだったらしい。だからとりあえず先に風呂に行ってもらった。せっかくだから一緒に入ろうと思ってたんだけど、それはさすがに恥ずかしいからと、大地くんに丁重にお断りされた。 寝間着の代わりに大地くんに渡したのは、条善寺のジャージ上下だ。派手なオレンジ色なんだけど、これがびっくりするほど似合ってなかった。大地くんは黒とか青とかの落ち着いた色のほうが似合いそうだな。 それからオレの部屋でテレビを観ながらたくさんお喋りをした。大地くんは意外とよく喋る。まあオレのほうが喋ったけど、ちゃんと話を広げてくれるし聞き上手でもあったから、すげえ話しやすかったな。 大地くんが眠そうに欠伸をしたのは、日付が替わろうかという頃のことだった。話するのに夢中で時間のことなんかすっかり忘れてたわ。 「大地くん、眠いんだったらもう寝る?」 「うん。ごめん、一瞬意識飛んでたわ。今日は俺どこで寝たらいい?」 「オレのベッド使ってよ。オレも一緒に寝るけど」 「狭くないか? 俺は別にリビングのソファーとかでもいいんだけど」 「リビングは寒いから駄目だよ。ここで一緒に寝よう。それともオレと一緒は嫌なのか?」 「嫌じゃないけど、狭くして申し訳ないなって思って」 「そんなの気にしないでよ。オレは大地くんと一緒がいいんだから」 本当は客用の布団があるし、客室としても使える和室もあるんだけど、大地くんと一緒に寝たかったオレはそのことを言わなかった。大地くんもオレと一緒なのが特に嫌というわけじゃないみたいで、オレが先に布団に入ってスペースを空けると、すぐに入って来てくれた。 「大地くん、枕半分使っていいからね」 「俺はなくても平気だよ。だから遊児が丸々使って」 「遠慮すんなって。それともオレの枕なんか臭うの?」 「いや、別に臭いはしないよ。じゃあちょっと使わせてもらうな」 ベッドの端のほうにいた大地くんが、オレのほうにグッと寄って来る。触れられるほど近くにいることに一人でドキドキしながら、俺は部屋の明かりを消した。 オレは何も言わずに、向けられた大地くんの背中にデコをくっつける。くっつけられた大地くんはよくわからないけどおかしそうに笑った。嫌そうじゃないことにちょっと安心して、オレは更に身体も密着させる。 「兄弟ってこんな感じなのかな?」 大地くんがそう訊いてくる。 「どうなんだろう。オレもよくわかんねえ。でもいますげえ大地くんに甘えたい」 実際、もうすぐ高三の弟ともうすぐ大学生の兄が一緒のベッドで寝るなんてことはないんだろう。兄弟のいなかったオレにも今の状況がちょっとおかしいくらいのことはわかる。わかっていても、オレは大地くんにくっつくのをやめなかった。なんでやめないかって、そりゃオレの中に下心があるからだ。 オレはゲイだ。もちろんそれを誰かに知られるのは嫌だったし、だからこそカモフラージュのために適当に女の子をナンパすることもある。 正直に言えば、大地くんはめちゃくちゃオレのタイプだった。男らしいし、優しいし、身体つきもよさそうだし。これから自分の兄貴になる人だとわかっていても、やましい感情を抱いてしまうのを止められなかった。 どうせならこっちを向いて、その腕の中にオレを抱きしめてほしかった。だけどそれを言うとさすがに引かれる気がして、オレはただ大地くんの背中の温もりを大人しく味わっていた。ただ大人しいのは表面だけの話で、さっきから胸はどうしようもないくらいに高鳴っていた。 オレは大地くんに、恋をしかけていた。 |