中編


 澤村遊児か……。あんまり違和感ないな。でも慣れるまではなんかの手続きをするときに旧姓を書いちゃう気がする。あと人に呼ばれるのも慣れるのに時間がかかりそうだ。
 今日から大地くんたち親子がうちで一緒に暮らすことになる。戸籍の手続きとかはいつの間にか済ませていたらしく、オレたちはもう正真正銘の家族になっていた。そして大地くんはオレの兄貴ということになる。

「今日からよろしくな」

 大地くんの顔を見るのは一週間ぶりのことだった。相変わらずカッコいいな〜。優しい笑顔に思わず胸がキュンとなる。

「こっちこそよろしく!」

 それからまたこの間みたいに二人でお喋り……というわけにはいかなかった。その日は引っ越し作業が待っていて、部活が休みだったオレももちろん手伝うことになっていたわけである。つっても大きいものは引っ越し業者が運び込んでくれたから、あとは段ボールに詰められたものを出して収めるだけだったけどな。
 今まで荷物置きとして使っていた、オレの隣の八帖の部屋が今日から大地くんの部屋になる。大地くんの荷物はそんなに多くなくて、おかげで午前中には作業を終わらせることができた。大輔さん……じゃねえ、父さん(?)のほうはまだ終わってないみたいだったけど、母さんがいるから手伝いは必要なさそうだった。あんま人数いると逆に作業しづらいだろうしな。
 母さんがこれでお昼を食べて来いと、二人分の食事代をオレに持たせる。大地くんがラーメン食いたいって言うから、近くのラーメン屋に行くことにした。

 大地くんは醤油ラーメンが好きらしい。美味しそうに麺をすする大地くんはちょっと可愛かった。
 それからこの辺に何があるか把握したいという大地くんのリクエストに答えるべく、近所を散歩することにした。二人並んで、いろんなことを話しながらゆっくりと歩く。話題の中心はやっぱバレーのことだったな。あと学校のこともたくさん話した。
 家に帰ってからは大地くんの部屋で二人してゴロゴロしていた。お互いに持っている漫画を貸し合って、それが案外おもしろくて読みふけっているうちに夜になる。

「大地くん、一緒に寝ていい?」

 オレは昨日から、今日は絶対大地くんと一緒に寝ると決めていた。この間一緒に寝たときのあの温もりを、もう一度じっくりと味わいたかったからだ。

「狭くていいならどうぞ」
「わーい」

 大地くんが奥に寄ってスペースを空けてくれる。オレは自分の枕を大地くんの枕にくっつけて並べ、そのスペースに遠慮なく入らせてもらった。

「遊児は甘えん坊だな。高校の時の友達に聞いたんだけど、普通兄弟で一緒に寝たりしないらしいぞ」

 知ってますけど?
「大地くんはオレと寝るの嫌?」
「別に嫌じゃないよ。遊児は可愛いし、悪い気しない」

 か、可愛いって言ってくれた。なんか嬉しい。でも可愛いと思ってくれてるなら、いっそこっちを向いてオレのことギュってしてほしいな。自分からは言えないけど……。
 大地くんの広い背中にオレはそっと触れてみる。擦るように動かすと、ゴツゴツとした筋肉の感触が服の上からでも伝わってきた。きっと美味しそうな身体してるんだろうな〜。それを拝めるチャンスはこれからいくらでもある。なんせ一緒に住んでるんだから。
 しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえ始めた。この間もそうだったけど、大地くんって寝るの早いな〜。まあ今日は引っ越し作業で疲れただろうし、そういうオレももうちょいしたら眠りに落ちそうだ。
 身体を起こして、眠っている大地くんの顔を覗き込む。無防備だよ大地くん。こんな下心いっぱいの男の隣で眠りこくなんてすげえ危ないことだよ。
 頬っぺたを指で突くと、意外なほど柔らかくて何度も突いてしまう。途中で大地くんが低く唸ったけど、起きる気配はない。そのことに安心しながら、その柔らかい頬っぺたに唇を寄せた。

 一瞬のキス。

心臓が破裂しそうなほどにバクバクしていて、だけどやめられずに何度も唇で触れる。大地くんのふっくらとした唇までもう少しだ。あとほんの少し……というところで、オレは大地くんから離れる。
 唇にキスしたい。そういう気持ちはめちゃくちゃある。だけどそれは寝ている隙にするものじゃなくて、お互いの気持ちが通じ合って初めて許されるものだ。こんなオレでもそういうのは大事にしたいって思ってる。
 まあ、そんなこと言ってたらオレは一生大地くんとキスできないのかもしれないけどな。兄弟だし、それ以前に男同士だし、いろいろ障害が多すぎるっつーの。
 叶わない恋だとわかっていても、オレは予感していた。オレはたぶん大地くんのことをこれからどんどん好きになっていくんだろう。この気持ちはもう止められない。片足を突っ込んだのは底なし沼で、あとはズブズブと嵌っていくだけだ。



 大地くんとの突然の二人暮らしが始まったのは、オレが澤村遊児になってから一週間後のことだった。事前に告知は受けていたけど、母さんと父さんが二人で旅行に出かけたからだ。
 二人暮らしっつってもたったの四日だけだけどな。母さんたちが行ったの国内旅行だし。でもオレはその四日が楽しみで楽しみでならなかった。だって大好きな大地くんと二人きりだぜ? ムフフなことが起こっちゃったらどうしよう……ってそんなこと起こらないけどな。

 そんな楽しみな四日間の初日、オレはいきなりやらかしてしまった。

「三十八度か……ひょっとしてインフルかもな」

 オレが渡した体温計を見ながら大地くんは顔を顰める。
 朝起きたらなんだか身体がすげえ怠かった。頭痛もするし、もしかしたらと思って熱を測ったらこの通りだ。

「とりあえず病院だな。動けるか?」
「うん。まだ大丈夫っぽい」
「じゃあ準備して」

 寝間着代わりの体操服から適当な私服に着替え、大地くんの運転する車に乗って病院に行った。ちなみに大地くんは免許取立てだったんだけど、特に不安になるような挙動はなかった。さすが大地くん、できる男だ。
 医者の診断の結果、オレは流行のインフルではなく、ただの風邪ってことがわかった。風邪薬と頓服薬を処方してもらって、家に帰ってからとりあえずそれを飲んでもう一回横になる。

「迷惑かけてごめんね」

 あと数日したら大学が始まる。大地くんもその準備とかいろいろあるだろうし、今日も本屋に行く予定だったけど、こんな状態のオレを放ってはおけないと言って、ずっとそばにいてくれている。

「気にすんなよ。それにこういうふうに世話焼くのって新鮮だしな。父さんは身体壊すことなかったから」
「でもあんまり近くにいるとうつっちゃうよ?」
「俺は風邪ひかないから大丈夫だよ。インフルのやつの近くにいたときももらわなかったしな。それとも遊児は一人のほうがいいか? だったら部屋に戻るけど」
「駄目、ここにいろよ。むしろ一緒に寝よ」

 ギュッと腕を掴むと、大地くんは困ったように、あるいは呆れたように苦笑した。

「しょうがないな〜」

 って言いながらも、決して嫌そうじゃない顔。やっぱり優しいな〜。
 大地くんは俺のお願いどおりに、ベッドの中に入って来てくれる。温かいその身体にオレはすぐにぴったりとくっついた。しかもいつもみたいに背中にぴとってやつじゃなくて、前から思いっきり抱きついた。今なら風邪で弱っているのを言い訳にできると思って、そんな思い切った行動に走ったんだけど、大地くんはやっぱり嫌がるようなそぶりは見せず、当たり前のように抱き返してくれる。
 体調が悪いってのに、オレは自分でもびっくりするくらいあっという間に勃起した。大地くんの温もりに安心する半面で、やっぱり密着することにどうしようもないくらい興奮しちゃったんだ。普通に大地くんの太股の辺りに当たっちゃってるんだけど、何も言わないし抱きしめるのをやめないでいてくれたから、もうそのままにしておいた。

「ありがとう、大地くん」
「いいって。弟に頼られてこその兄貴だからな」

 無骨な手がオレの後ろ頭を優しく撫でる。

「もし大地くんにうつしちゃったら、オレが看病してやるからね」
「遊児の看病か〜。ちょっと心配だな」
「なんでだよ。オレだってそんくらいちゃんとできるよ」

 冗談だって、と言いながら大地くんは抱きしめる腕の力を強くした。
 それからしばらくして、頓服薬のせいかオレは眠気に襲われた。もう少しだけ大地くんの感触を堪能していたかったけど、結局我慢できずに眠りに落ちていった。



続く





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