04. 二泊三日の東京旅行はあっという間に終わってしまった。それから間もなくして夏休みに突入し、京谷は退屈な日々を送っていた。そんな中で真剣に考える。そろそろ学校の部活に出る頃合いではないか、と。 上級生と衝突することが多く、なかなか周りに馴染めずに投げ出した部活。実は清にも何度か出るように説教されたことがある。 部活と清のいる町内会のバレー、どちらが楽しいかと訊かれたら迷わず町内会のバレーを選ぶ。けれどどちらが熱くなれるかと訊かれたら、それは間違いなく部活のほうだ。自分のすべてを出せる場は、楽しいことばかりじゃないあの馴染めない体育館だ。 いつまでも嫌なことから逃げるな。この間清にそう言われた。逃げていることを自覚しているし、いつまでもこのままではいけないとわかっているから、何も言い返せなかった。 部活に復帰するということは、町内会のほうの練習にはほぼ参加できなくなるということだ。つまり清と会えなくなる。それは京谷にとって寂しいことではあったけれど、このまま嫌なことから逃げ続けている自分にいつか清が愛想を尽かすかもしれないと思うと、やはり部活と向き合わなければならない気がする。 そして京谷は決断した。 「オレ、そろそろ部活に出ようと思う」 町内会での練習を終え、いつものように清の車に乗せて帰ってもらう最中に、京谷はその話を切り出した。 「おお、そうか。やっとやる気になったか。でもそれじゃこっちの練習には来れなくなるんじゃねえのか?」 「たぶん、そうなる」 「そっか。お前いなくなると、寂しくなるなぁ……」 本当に寂しそうな声でそう言われて、さっきの発言を取り消したくなった。でもそんなのは駄目だ。男に二言はない。 「たまにはそっちにも出るよ。おっさんが寂しがらないようにさ」 「おっさん言うな」 清の左手がハンドルを離れて、京谷の頭を軽く叩いた。けれど叩かれたあとに、今度は優しく撫でられる。 「お前変わったよな。うちに来たばっかの頃は、自分から参加させてくれって言ってた割に愛想なかったし、全然話してくれなかった」 「……人見知りなんだよ」 「知ってる。それが今じゃうちに泊まったり、一緒に寝たり、揚句旅行まで一緒に行くことになるなんて……あんときは思いもしなかったな」 「オレだって思わなかったよ」 そもそも初めはこの人を好きになることすら想像できなかった。ただの町内会のおっさんだったのに、今はどうしようもなく愛しく想っている。自分の心がどう動くかなんてわからないものだと、まざまざと実感させられた。 「なあ、オレが試合に出ることになったら、おっさん応援に来てくれるか?」 「そのおっさん呼ばわりをやめたら考えてやる」 「清さん」 「都合のいいときだけ名前で呼びやがって……。そもそもお前、ぽっと戻ってレギュラーになれるもんなのか? 確かに上手いけどよ」 「オレより上手いやつなんてあのチームに一人しかいねえよ。だからすぐレギュラーになってやる」 「自信満々だな。まあ、それが自意識過剰で終わらねえようにしっかりやれよ」 「わかってるよ」 でも本当に寂しくなるなぁ、と清は呟いた。不謹慎ながらも、彼にそう思われるのはやはり嬉しかった。 冬の気配が漂い始めた頃に行われた春高予選。京谷たち青葉城西高校は順調に勝ち進み、ついに大一番である準決勝戦を迎えていた。 烏野高校に追い詰められた第一セット終盤。ここまで一度も出番がなかった京谷だが、この場面で監督からメンバーチェンジの声がかかる。 試合に出るのはかなり久しぶりだ。この大会でもなかなか起用されなかったおかげで、フラストレーションが溜まりまくっている。存分に暴れてやろうと意気込んでコートに立ったが、気合が入りすぎて一本目のスパイクはアウトになってしまった。その失点のせいで第一セットを落としてしまう。 第二セットに入る前のブレイクタイムの最中に、京谷は観客席に清の姿を見つけた。探したわけではなく、偶然見つけた。清もこちらを見ていたようで、京谷が彼に気づくと手を振ってくる。……衆目があるのでさすがに振り返すことはできなかった。 (ホントに来てくれたんだな……) 清も日中は仕事のはずだ。だから応援に来てくれるという言葉も実は半信半疑だったのだが、こうして本当に駆けつけて来てくれた。だからこそ恥ずかしいところは見せられない。次からはもっと上手くやろう。 気合いを入れ直しての二セット目、試合に出られて舞い上がる気持ちが少しだけ落ち着いてきて、京谷は普段の調子を取り戻した。苦戦を強いられながらも、なんとか二セット目を奪うことに成功する。 しかし三セット目の序盤、相手ブロックのどシャットを喰らったところから、京谷は大きく調子を崩してしまった。次は決めてやろうと渾身の力を込めて放ったスパイクも、アウトになったりネットにかかったりとミスが続き、それがストレスになって更なるミスを誘発する。 ホイッスルが鳴り、審判がメンバーチェンジのサインを出す。サイドラインに出てきた下級生が手に持っていたのは、京谷の背番号が記された札だった。 調子を崩した自分が替えられるのは当然だ。けれどやはりコートの中から追い出されたのは悔しかったし、清が見ている手前だから余計にそう感じた。 ショックと苛立ちでそのまま沈んでいってしまいそうだった京谷だが、同級生の至極真っ当な叱責なんかがあって、ベンチにいるほんのわずかな間に不思議なほど冷静になれた。そして再びコートに送り出される。 自分に上げられた一本目のトス。不気味なほど綺麗なそれめがけて高く跳躍する。これは絶対に決める。誰のためでもなく、自分のためだ。ボールは手のひらにばっちりミートし、自分でも驚くくらいキレのあるインナースパイクが決まった。その爽快感は、今までのスパイクの中でも比べ物にならないほどだった。 「よく打った」 セッターが冷静な声でそう言う。いつもなら無視するところだが、綺麗なトスあっての自分のスパイクだったから、「うっす」と短いながらも返事を返した。 コートにいた他の面々からも、京谷を褒める言葉をかけられる。なんだか落ち着かないような感覚がしたが、その半面で自分がこのチームの中に少しだけ溶け込めたような、そんな気がした。 その後の京谷の調子はいつも以上だった。けれど競りに競った結果、あと一歩のところで勝利を逃してしまう。悔し涙を流している上級生たちを見て、京谷も泣いてしまいそうだった。 試合が終わったその日、さすがに部活は休みだったから、京谷は久々に町内会の練習に出ることにした。少し早めに着いたからか、まだ誰も来ていない。体育館の出入り口が開いているのをいいことに、こそっと入って一人でネットの準備をする。 試合に負けた悔しさがまだ全身を漂っているようだった。それをぶつけるように、ジャンピングサーブを誰もいないコートに叩き込む。何本も、何本も、ボール籠が空になるまで打った。 「――少しは身体を休めることもしたほうがいいぞ」 聞き覚えのある声が体育館にこだました。清がいつの間にかフロアに入ってきている。 「まあ気持ちはわかるけどな。負けたあとって無性に練習したくなるよな」 京谷はあちらこちらに散らばったボールを回収してから、清の元に歩み寄った。 「惜しかったな。でもすげえいい試合だったし、やっぱお前上手いよ。途中ちょっと心配になる場面もあったけどな」 「……応援、来てくれてサンキュー。おっさんがいたから頑張れた」 「そりゃよかった」 「部活に戻っても、なんとなく他のやつらと距離感じてたけど、今日初めてあのチームの一員になれた気がした。戻ってよかった。でも……すげえ尊敬してる先輩がいて、その人と一緒にバレーやれんの最後になっちまった。もっと一緒にやりたかった。その人のためだけじゃなくて、自分のためにも、他のやつらのためにも、絶対に勝ちたかったのにっ……」 「賢……」 項垂れた京谷の頭に、清の大きな手が乗っかる。 「悔しかったな。でもお前はホントによく頑張ってたよ」 「そんなの嘘だっ。絶対にオレが足引っ張った」 「そんなことねえよ。誰にだって不調なときはあるし、あの試合は相手が一枚上手だっただけだ。悔しかったら、もっと練習して上手くなるしかねえ。つーかそれしかねえだろ」 募り募った悔しさが溢れ出してしまいそうだった。慌てて何度も瞬きする。 「他のやつらが来るまでもうちょい時間がある。泣きたきゃ今のうちに泣いとけ」 「オレは別に、泣きたくなんか……」 「嘘つけ。さっきから全然顔上げてくれねえじゃねえか。ほら、俺の胸貸してやつから」 「今汗掻いてる」 「そんなの気にしねえよ。どうせ俺も今から汗掻くしな」 窺うように顔を見上げると、清は優しく微笑んだ。それを目にした途端に何か糸が緩んだのか、我慢していた涙がついに零れ落ちた。一粒零れるとあとはもう止めることができず、次々と頬を滑り落ちていく。 京谷は泣き顔を隠すように清の胸に縋りついた。すると彼の腕が京谷の背中に回ってきて、ギュッと抱きしめられる。 時間は巻き戻らない。だから自分のミスをなかったことにはできないし、清の言ったとおり、悔しかったらもっと練習して上手くなるしかない。そうすることでしか、過去の失敗を覆すことはできないのだ。 悔しい気持ちは段々と落ち着いてくる。そうすると今度は清の身体の温かさを妙に意識してしまう。頭を撫でられることは今までもあったが、抱きしめられるのなんて初めてだ。 この人が好きだ。最近会っていなかったけれど、その間もこの気持ちはなくならなかった。むしろ前にも増して根強いものになった気さえする。 人知れず胸を高鳴らせながら、京谷は涙が収まっても泣いたふりでしばらく彼の身体に縋りついていた。 |