07.

 恋がしたい。今までの人生の中で積極的にそう思ったことなんてなかったのに、照島の一つの恋を見届けてから、なぜだか無性にそれを求めている自分がいた。だから出会い系サイトやアプリなんかで積極的に“お仲間”と会ってみたりしているものの、京谷の心を射止めてくれるような運命の人は見つけられずにいた。
 そうこうしている間に照島のほうが先に新しい恋を見つけたらしく、今はそちらに夢中のようだった。相手は元々照島の知り合いらしい。確か高校のときの一つ上の先輩だと言っていた。
 そういえば、高校の頃に自分も一つ上の先輩に惚れていた時期があった。男気溢れる人柄で、バレーも上手くて憧れだった。清に出逢ったことでその気持ちはあっという間に霧散してしまったが、もう一度顔を見たいなと、過去を振り返りながら一瞬だけそう思う。けれどすぐに忘れた。



 今日出会った相手も、何か特別心に引っかかるような魅力はなかった。もちろん一回だけで相手のすべてがわかるわけではないけれど、彼と恋をするような自分を想像することはこれっぽっちもできなかった。
 やることだけやって、アパートへの帰路に着く。その途中でコンビニに寄って、今日の晩飯を買うことにした。大学のすぐ近くということもあり、店内には見たことのある顔もあったが、別に知り合いではないので横を通り過ぎて弁当コーナーに向かう。

「――賢?」

 どこか聞き覚えのある声が自分を呼んだのは、そのときだった。
 その声を聞くのはずいぶんと久しぶりだったが、誰のものなのかはすぐにわかった。高校生の頃、京谷に優しい言葉をかけ、時には厳しい言葉も投げかけてきた、あの人の声。今も時々記憶の中で京谷の鼓膜を震わせるその声が、現実で京谷の名前を呼んだ。
 ドキドキしながら、声のしたほうを振り返る。男らしいがどこか冴えない顔も、短い髪も、顎や頬に生やした無精髭も、あの頃とほとんど変わってないように見えた。優しそうに微笑む顔も、京谷の記憶の中の彼と同じだ。清――高校生の頃、京谷が愛して止まなかった相手が、そこに立っていた。

「清さん……」
「久しぶりだな。俺のこと覚えててくれてよかったよ」
「オレはそんな薄情者じゃねえ」

 忘れるわけがない。あれほど好きだった人を――そして京谷の心を置き去りにして、顔も知らない女のところへ行ってしまった人を、忘れるわけがなかった。
 正直に言えば、清を恨んだことだってある。逆恨みだとわかっていたけれど、自分が彼の一番になれなかったことがどうしようもなく悔しかった。それでも今ここで再会できたことを、嬉しく感じている自分がいる。

「大人っぽくなったな」
「おっさんはあんま変わんねえな」
「まあ俺は元々老け顔だったしな。やっと年齢が顔に追いついたかもしれねえ」

 おどけたように笑う清に釣られて、京谷も思わず笑いを零した。
 今はもう彼を恨むような気持ちはない。それはきっと京谷の中から、好きだった気持ちがなくなったからだ。けれどこうして再会し、話しているとあのときの熱情を思い出しそうになる。京谷は慌ててそれを胸の奥に押し込んだ。

「もう二十歳になるくらいだっけか?」
「この間なったばっかだよ。清さんは……四十になったんだっけ?」
「俺もこの間なったばっかだよ。そっか、お前もう二十歳なのか。なんか不思議な感じがするな。ついこの間まで十六歳のガキだったのに。今はこの辺に住んでんのか?」
「ああ。そこの大学に通ってっから。おっさんも引っ越したのか?」
「いや。俺は前と変わってねえぞ。今は用事の帰り。そうだ、お前このあと暇か? せっかく久しぶりに会えたわけだし、一緒に飯でも食いに行かねえ? 奢るからさ」
「……別にいいけど」

 今度は大丈夫だ。一緒に食事をしたくらいで、もう一度彼のことを好きになったりはしない。自分に言い聞かせるように心の中でそう呟いてから、京谷は清の誘いに返事を返した。



 あの頃と変わらない清の車に乗せられて、三十分ほど走ったところで京谷の実家の近くまで来る。ひょっとしてあそこに行くんだろうかと思っていると、案の定、清は覚えのある道に入って行く。そしてしばらくすると農具などをしまうようなスレートの小屋が見えてくる。申し訳程度に立てかけられた、「ラーメン」と書かれた旗。全然変わってないなと、ひどく懐かしい気持ちになりながら京谷は思わず笑った。
 ここは清と初めて二人で食事をした場所だ。それから何度も二人で行って、他愛もない話をした思い出の場所。相変わらず商売する気が感じられない店構えだったが、味も変わらず美味かった。
 食べながら清はいろんな話をしてくれる。町内会バレーのメンバーたちの近況や、今更趣味で始めた釣りのこと。さっき車の中でもたくさん話したけど、やはり約二年半ぶりの再会ともなると、話題が尽きることがなかった。
 けれど自身の家庭の話は一切出てこない。たまたま出てこなかっただけなのかもしれないし、もしかしたら京谷に気を遣ったのかもしれない。
 結局一時間と少しほどラーメン屋に居座った。店を出ると、清が煙草を吸いたいからと京谷に車の鍵を渡した。さすがに寒空の下で待つのは耐えられそうになかったから、遠慮なく車の中で待たせてもらう。

「待たせて悪い」
「いや。もっとゆっくり吸っててもよかったのに」
「さすがに寒かったわ」

 清は暖房の吹き出し口に手を当てて暖をとる。

「そういやお前、明日の朝は早いのか?」
「明日は昼から部活」
「じゃあ今からうち来るか? せっかく酒飲めるようになったんだし、一緒に飲もうや」
「え、でも……」

 誘ってくれるのは嬉しい。けれど今の清の家には京谷が見たくない人がいる。以前頻繁に行っていたときのように、清と二人きりというわけじゃない。

「奥さんいるのに、迷惑だろ」
「ああ……そっか、賢が知ってるわけないよな。俺実は半年くらい前に離婚したんだよ」
「えっ……」

 静かに放たれた言葉に、京谷はガツンと頭を殴られたような感覚がした。

「今度は上手くいくって思ってたけど、結局また前と同じで浮気されちまって……。俺ってどうも魅力がねえみたいだ」
「そんなことねえよ。清さんは優しいし、一緒にいて楽しいよ。その女が自分勝手だっただけだ」
「そう言ってくれるとありがてえよ。でも結局また一人になっちまった。あの広い家で一人きりだ」

 寂しそうな声と横顔に、京谷は居たたまれないような気持ちになる。けれどその半面で、彼が離婚したことを嬉しく感じる自分もいた。……それがすごく嫌だった。

「悪い、なんか空気暗くしちまったな。まあ、そういうわけだから遠慮すんなよ。つーか正直言うと今からお前の大学の辺まで行くのはきつい」
「じゃあなんでこんなとこまで連れてきたんだよ……」
「お前と飯食うって言ったらやっぱここだろ? 明日ちゃんと送ってくから今日は泊まってけ」
「そういうつもりだったんなら最初からそう言えよ。オレ着替えとかなんも持ってきてねえぞ」
「コンビニで買えるだろ?」
「そうだけど……もういいや。わかった。コンビニ寄ってからおっさんちな」
「素直でよろしい」
「うっせー」

 強引だな、と嬉しそうに笑いながらハンドルを握る清を横目に呟いた。その強引さの裏側には、きっと一人で寂しいという気持ちが隠れているのだろう。単に彼の寂しさを埋める相手にされるのだとしても、京谷は別に構わないと思った。再会できたことが嬉しかったし、もっと一緒にいたいと、切ないような感情が胸の中に充満しつつあったからだ。
 清は京谷に告白された過去なんて忘れてしまっただろうか? ……いや、この人はきっと覚えている。ただ覚えていたとしても、それが京谷との間に気まずさをもたらすほどの大きな出来事ではなかったのだと思う。もちろん時間がその記憶を薄れさせているのもあるのだろうけど、自分だけがあの日のことをひどく意識していたのかと思うと、少しだけ恨めしいような気持ちになった。




続く





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