Ending


 昼間の神社には人の気配がなく、閑散としていた。年末年始や何か特別なイベントでもない限りはその状態が常なのだと、大地は最近になって初めて知った。
 形式的にお参りをしたあと、東屋のベンチに座って何をするわけでもなくぼうっと寂れた景色を眺める。ただその頭の中には、一人の青年の顔が思い浮かんでいた。いつの日か恋焦がれた彼が、ここで大地に言ってくれた言葉を映画のように再生する。

『オレ、大地くんと出逢えてよかったよ』

 叶わなかった恋の、思い出の一つ。あれから七年が経ったいまもなお大地の記憶にはっきりと残り、ここに来るたびに必ず思い出すフレーズだった。
 失恋に未練と後悔は付き物だ。あのときの失恋も、大きな未練と後悔を大地の心に植え付けて、数カ月は辛い思いをさせられた。けれどもう、そんなことすらも思い出と成り果てている。振り返れば寂しいような気持ちに駆られるが、もう胸が苦しくなるようなことはなくなっていた。
 あれから別の人に恋をしたり、恋人ができたりもしたけれど、どの恋もなかなか上手くはいかなかった。上手くいったと思ったら裏切られたり、大地のほうが何か違うと感じて終わらせたりと、簡単に幸せになることはできなかった。
 失恋をするたびに、大地はここに足を運んでいた。そして心の中のアルバムをそっとめくる。そうすると、あの失恋よりも辛いことなんてないのだと――あの失恋を乗り越えられた自分なら、すぐに前向きになれるのだと自分に言い聞かせることができた。
 初めて彼と出会ったときのときめき、初めて彼の部屋に上がったときの睦み合い、一緒に過ごしたたくさんの時間――いろんな恋をしてきたはずなのに、そのすべてが霞んでしまうくらいにあの恋は輝いていた。もう一度あんな恋をしてみたい。いや、もう一度でいいから彼に会いたいと、ここに来るたびに願ってしまう。

『大地くん!』

 懐かしい声が、自分の名前を呼ぶ。もう聞くことのないそれをいまでもちゃんと覚えていて、時々呼ばれたような気がして彼を探した。

『大地くん!』

 もう一度彼の声がする。ひまわりを思わせる、明るい笑顔が頭の中に甦る。

「――大地くん!」

 大地はふと思い出の世界から現実へと戻った。いま確かに、彼の声がしたような気がする。聞き覚えのあるそれが、現実の大地の鼓膜を震わせたような気がする。
 大地は声のしたほうに顔を向けた。呼ばれたと思ってそちらを向いても、いつもそこには誰もいない。寂しい現実をいつも思い知らされた。けれど今日はそこに誰かが立っていた。そのことに心臓が飛び出そうになるほど驚いて、しかしそれでも目はしっかりとそこにいた人間の姿かたちをしっかりと分析していた。
 ツーブロックの髪型は、遠い昔よく見ていたそれだった。けれどトップはあのときの金色ではなく、刈り上げと同じ黒色をしている。その下の顔は男らしく整っているが、どこかやんちゃそうな印象を受けるつくりだった。あのとき感じていた幼さはもうどこにもない。変わった部分は多いけれど、それでも大地は、そこにいる彼が自分の最も会いたかった人なのだとすぐにわかった。
 足が震えた。動け、と心の中で叱咤して、大地は彼のほうに向かって駆け出した。ほぼ同じタイミングで彼のほうも駆け出す。
 深い絆が、凄まじい勢いで手繰り寄せられるようだった。七年という時間が一気に縮まっていく。
 別れの日の前夜、大地は彼の前でたくさん泣いた。当日の朝方もトイレでこっそり泣いたし、帰り際も見送る彼の姿が見えなくなってから、車の中でティッシュがなくなるほど泣いた。彼の見送りには行かなかった。どうしようもないくらい泣いてしまうとわかっていたからだ。あるいは出発寸前の新幹線に飛び乗っていたかもしれない。
 そしていまもまた、走りながら大粒の涙を零す。けれどそれはあのときのような、悲しみや寂しさからくるものではない。嬉しくて、嬉しくて……どうしようもない嬉しさからくる、温かい涙だ。

「遊児!」

 久しぶりに彼の名前を呼んだ。もう何年も呼ぶことがなかったのに、自分でも驚くほどその名前はしっくりと口に馴染んだ。
 遊児の泣きながら笑う顔が見えた。途端に胸の奥底にしまっていた愛しさが溢れ出し、全身を駆け巡る。手が届くまでもうほんの少しだった。

「大地くんっ」

 そしてようやく腕の中に、大好きな遊児の身体が飛び込んできた。懐かしい温もりと、あの甘い香りが抱きしめた身体から流れ込んでくる。今度はもう離さない。今度こそ、離れ離れになったりしない。

 大地と遊児、二人にとっての“希望の日”が訪れた瞬間だった。



Remember Me, Remember Us――Fin





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