07. 正義の味方


 バイトは早く終わったが、やることはない。家に帰ってもだらだらするだけなので、照島は澤村の家に夕食を作りに行こうと思い立つ。自分の家でも料理はするが、どうしても手抜きになりがちだ。誰か食べてくれる人がいるとなると腕によりをかけるし、作り甲斐があった。何より食べてくれるのが愛しい澤村だからやる気になれるのだろう。
 スーパーで買い物を終えた照島は、まっすぐに澤村の家に向かう。確か今日はそんなに遅くならないと言っていた。互いの都合で最近はすっかりご無沙汰だったが、今日こそ久しぶりに澤村に抱いてもらえるかもしれない。
 牛島の邪魔が入らないことを祈りつつ、澤村のアパートへスキップしながら向かった。だが、ふと裏路地に人の姿を見つけて、軽快だったステップが止まってしまう。
 照島よりも若い男が四人、固まって何かをしている。あの制服は確かこの近くの高校のものだ。照島の友達が通っていたからよく知っている。
 ただそこに高校生たちがたむろしているだけなら、照島も足を止めたりしなかった。その雰囲気が、友達同士で仲良く遊んでいるというのとは明らかに違うと思ったからだ。
 柄の悪そうな顔をした三人に、小柄で気の弱そうな子が囲まれている。何を話しているのかまでは聞こえなかったが、気の弱そうな子が時々小突かれたり、胸倉を掴まれたりしていたから、きっとカツアゲか何かなのだろうと照島は察した。

(大地くんなら、ああいうのカッコよく助けちゃうんだろうな〜)

 優しく正義感に満ちた澤村が、カツアゲの現場を見て見ぬふりなどしないだろう。自分に何の利益がなくても、迷わず間に入ってあの子を助けるに違いない。
 だが、照島は違う。カツアゲされているのが自分の身内ならまだしも、見ず知らずの少年を助けてやるほどお人よしではない。そもそも喧嘩慣れしていない自分が行ったって、何の役にも立ちはしないだろう。あの子には悪いが、ここは見て見ぬふりをさせてもらおう。

 そう思って立ち去ろうとしたが――

 その瞬間に、あのドラッグパーティーの事件のときに、照島を助けようとしてくれた澤村の姿が脳裏を過った。
 見ず知らずの他人である照島を助けようとしてくれた澤村――照島が好きになった男は、そういうことをできてしまう人間なのだ。自分の身が危ういとわかると、どこまでも卑怯で卑屈になれる自分とは正反対だ。

 そんな澤村に、果たしてこんな自分が釣り合うのだろうか? 

 他人の窮地を見て見ぬふりをする自分なんかが、彼を好きでいていいのだろうか?

 その疑問が胸の奥底からせり上げてきたとき、照島の足は自然と裏路地へ向かっていた。照島のほうがいくら年上とは言え、カツアゲをしている少年たちが言って聞くような相手だとは思えない。しかもこちらは一人だ。いきなり割って入った照島に、何をするかわからない。手を出されれば、喧嘩などしたことのない照島はなす術もなくボコボコにされてしまうだろう。それでももう引き返すことはできなかった。
 彼らに近づくにつれ、会話がはっきりと聞こえてくる。やはり囲まれた気の弱そうな子はカツアゲに遭っているようだった。

「おい」

 照島が声をかけると、柄の悪そうな三人が一斉にこちらを振り向いた。なんだこいつ、と皆怪訝そうな瞳で照島を一瞥する。自分よりも体格がいいせいで、情けなくも少し恐かったが、ここで怯んではわざわざ勇気を振り絞って来た意味がない。

「寄ってたかって弱いもの虐めしてんじゃねえよ。情けなくねえのか?」
「はあ? お前には関係ねえだろ。引っ込んでろよ」

 一番体格のいい少年が、ずいと前に出てくる。背は百八十五センチくらいだろうか。耳にはピアス、髪には剃り込みがあり、いかにも高校生の不良といった風体だ。

「その制服、東高のだろ? 学校にチクられたくなかったら、その子解放してやれよ」
「あんだと!?」

 照島は胸倉を掴まれた。他の二人も照島を囲うようにして歩み寄ってくる。だがこれは、照島が望んでいた展開だ。さっきまでこの三人に追い詰められていた子は、いまは自由の身。照島が囮になっているうちに彼を逃がすという算段だった。

「早く逃げて!」

 さっさと逃げればいいものを、なかなか動き出さない少年に痺れを切らして、照島はそう叫んだ。すると彼は弾かれたように顔を上げ、脱兎のごとくその場を走り去っていった。彼を助けるという照島の目的は、なんとか達成されたようだ。
 あとはもうどうにでもなれと思った。ボコボコにされたって別に構わない。さすがに死んでしまう程度までやられるのは勘弁してほしいが、あの子を助けられたことで照島はもう満足していた。
 学校にチクるという脅し文句はどうやらまったく効果がなかったらしく、照島は暴力的な目をした三人に追い詰められる。そのうちの一人に後ろから羽交い絞めにされ、鳩尾を強く殴られた。

「ぐはっ……」

 一瞬意識が飛んだ。けれど顔を殴られた痛みですぐにまた現実に戻り、次々と新たな痛みを与えられる。
 ゴミを捨てるように地面に投げ出され、今度は身体を蹴られた。痛みは徐々に熱に変わって、火炙りにされているのではないかと錯覚した。いっそ意識がなくなってしまえば楽になれるのに、朦朧とはしているものの完全に途切れることはなかった。

(助けて……)

 このままでは本当に死んでしまうかもしれない。人助けのために自分の命を犠牲にするなんて笑い話もいいところだ。似合わないことをした。でももし死んでしまうのだとしても、あの子を助けようと決めた自分の判断を後悔することはない。もしいつものように見て見ぬふりをしていたら、きっとそっちのほうが後悔していただろう。

(大地くん……)

 朦朧とする意識の中で、照島は澤村の名前を呼んだ。照島がこの世で最も愛する男の名前を。

「――おいっ!」

 地鳴りのような低い声が聞こえたのは、そのときだった。
 表通りのほうから誰かが物凄い勢いで走ってくる。逆光で最初は風貌がよくわからなかったが、至近距離まで迫ってくると、警察官の制服を着ていることが見て取れた。

(大地くん? いや、違う。あれって……)

 朦朧としていた意識が、その人物の顔を目にして覚醒する。
 現れたのは、牛島若利だった。走ってくる勢いも凄かったが、その形相は更に凄い。元々強面だとは思っていたが、そこに更に凶暴な獣めいた怒りの表情を灯らせ、鋭い目つきはいつも照島を睨むときの比ではないほどの殺意に滾っていた。
 相手が警官ともなるとさすがの不良三人組も拙いと思ったのか、牛島から逃げるように後ずさる。だが、彼らの後ろにあるのは壁だけだ。逃げるには入り口を塞いでいる牛島の横を通る他ない。
 牛島は相手が高校生だろうと容赦なかった。一番近くにいた一人の腕を掴み、グッと引き寄せたかと思うと、首筋に鉄拳を叩き込む。それを喰らった少年の身体は、電池の切れたおもちゃのように地面に崩れ落ちた。
 そのまま流れるような滑らかな動きで次の相手に掴みかかった。鳩尾を一発殴っただけで別の少年は気絶して、残りはついに一人となる。

「す、すいません! すいません! もうしねえから、赦してくださ――」

 必死に謝っている最後の少年に頭突きを喰らわせ、さっきまで勇んで照島に暴行を与えていた不良たちは完全に沈黙した。だが、牛島に勝利を喜ぶような表情はない。さっきまでの人ひとり殺せそうな恐い表情が消え、出会ってから初めて、焦ったような――あるいは心配しているような目を照島に向けてきた。

「照島、大丈夫かっ!?」

 どうやら倒れていたのが照島ということはわかっていたらしい。照島の横に膝を突くと、顔を覗き込んでくる。

「いま救急車を呼ぶからな。骨は折れてないか?」
「……どこもかしこも痛いけど、骨は多分大丈夫。意識もちゃんとしてるよ」
「無理に身体を動かしたりするなよ。救急車が来るまではじっとしてろ」

 そう言って牛島は、肩にかけていた無線機で救急車を呼び出す。どうやら自分は死なずに済みそうだ。嫌いな牛島に助けられたというのは複雑な気持ちだが、彼の行為に感謝はしなければいけないだろう。
 そう思って礼の言葉を口にしようとした瞬間――牛島の背後に、人影がぬっと現れた。さっき牛島に頭突きを喰らわされた少年だ。痛みを堪えるように表情を歪めた彼の手には、鉄パイプが握られていた。

「危ないっ!!」

 照島の警告は一歩遅かった。後ろを振り返った牛島が腕で自分を庇うより先に、少年の振り下ろした鉄パイプが牛島の頭を直撃していた。鈍い音が上がったあと、牛島の大きな身体が照島の身体の上に倒れてくる。

「うあ、うわあああああああ!!!」

 少年は鉄パイプを手から零すと、奇声を上げながら走り去っていった。

「牛島さんっ!」

 自分に覆い被さるようにして倒れた牛島に声をかけるが、応答はない。Tシャツが湿った感触がする。もしやと思って牛島の頭を見ると、殴られたらしきところから血が流れ出ていた。

「牛島さん! 目開けろよ!」

 大きな身体はぴくりともしない。照島のTシャツがどんどん赤く染まっていく。このままでは――

「い、嫌だっ……牛島さん、頼むから目開けて。死んじゃ駄目だ……」

 牛島のことは嫌いだ。でも死んでほしいとは一度も思ったことはないし、ここで死んでいいはずがない。自分なんかを庇って死ぬなんて、そんなの駄目だ。
 照島は牛島の持っていた無線機を手に取った。使い方はさっぱりわからないが、適当にボタンを押し、どこかに通じていることを祈りながら震える声で訴える。

「お、お願い、早く来て! 牛島さんが死んじゃうっ! 牛島さんを助けてっ!」




続く





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