11. 寂しい決断


「……大地を好きなのと同じように、遊児のことも好きだ」

 え、と照島の口から零れた疑問符は、風に乗って晴天の空へと舞い上がっていく。
 一瞬言葉の意味がわからなかった。もう一度牛島の言葉を頭の中で反芻して、ようやく彼がとんでもないことを口走ったのだと気がついた。心臓が止まりそうになるほど驚きながら、まじまじと牛島の顔を見る。
 牛島は目を合わそうとはしなかった。むしろ照島のいるほうとは反対のほうに顔を背ける。だからどういう表情をしているのかはわからなかったが、耳が赤くなっているところを見ると、いまの台詞は冗談などではなかったようだ。

「いやいや、おかしいだろ。だって若くんは大地くんのことが好きじゃん」
「どちらも同じくらい好きだ。そういうこともあるって、さっきお前も言っただろ?」

 同僚に相談されたと言って持ちかけられた話は、どうやら牛島自身の話だったらしい。

「と、友達として好きってのを恋愛と勘違いしてるんじゃねえの?」

 牛島が自分を気に入ってくれていることはわかっていたが、それが恋愛感情だなんてやはり信じられなかった。彼が何か勘違いしているだけなら、正してやらなければならない。

「俺はお前でヌける。それでも勘違いと言えるのか?」

 だが、牛島は明白な答えを口にした。

「一緒にいると楽しい。隣に座っていると手を繋いで抱きしめたくなる。キスしたい、身体に触りたい……お前を抱きたい。こんなふうに思っているのに、まだ勘違いだと言えるのか?」

 いつも無表情なくせに、照島のことなんか少しも意識していないような態度をとっていたくせに、内心ではそんなことを考えていたのか。向けられた好意に驚くと同時に、むず痒いような感覚に襲われた。……少し照れくさかったのだ。

「俺はお前が可愛い。大地以外の男をそんなふうに思ったのは初めてだ」
「……でもオレと大地くんじゃ全然違うじゃん」
「確かにそうかもしれない。でも、それでも好きなったもんはしょうがないだろう」

 自分の気持ちを止めることはできなかった、と牛島は悔しそうに呟いた。
 正直に言えば、牛島の告白は嬉しかった。顔は男前だし、愛想はないけれど優しい。そんな男に好意を寄せられて、舞い上がらない人間はそうそういないだろう。だが、照島が好きなのは澤村だ。その想いは強い。牛島の告白が嬉しかったのは間違いないが、その気持ちに飛び込んでいこうという気は起きなかった。

「……ごめん。若くんの気持ちには答えられない」

 自慢ではないが、いままでだって男に告白されたことは何度かある。断るのだって初めてではないが、言葉を口にしながら、かつてないほど胸が痛んだ。

「そう言うのはわかっていた。お前は大地のことが好きだからな。でも、ケジメはつけておきたかった」
「大地くんには言えないのに、オレには言っちゃうんだな」
「お前とはまだ付き合いが短いから、傷も浅くて済む。大地とは長く居すぎた。告白するのはもう無理だな」

 確かにいま告白することによって、牛島が澤村とともに過ごしてきた十数年の歳月がすべてなかったことになるかもしれない。近い存在であったからこそ、気持ちを伝えるのが難しい。牛島の心情を思うと照島も切なくなる。

「この間、上司から転勤の話があった。俺はそれを受けようと思う。と言うか、職務命令だから受けざるを得ないんだけどな」
「え、どこに?」
「山梨」

 山梨――確か富士山のある県だ。東京よりももう少し西のほうだったはずだから、ここ宮城からはかなり遠いところということになる。おいそれと遊びに行けるような距離ではない。

「断ることもできないことはないが、もう決めた」
「なんでそんな遠いとこに行っちゃうんだよ!?」
「お前と大地のことを諦めるためだ」

 ずっと逸らされ続けていた視線が、ようやく照島のほうに向いた。切れ長の瞳には少し寂しそうな色が浮かんでいる。牛島の決断が、本人にとっても苦渋のものであることを物語っていた。

「大地もお前も、たぶんこの先俺を好きになってくれるようなことはないんだろう。それをわかっていながらそばにいるのは、惨めなだけだ。それにもし二人に恋人ができてしまったら、また昔みたいに辛くなる。大人になったって、辛いもんは辛いんだろう。あんな思いはもうしたくない。そばにいなければ、そんな思いはしなくて済む」

 牛島の言いたいことはわかる。確かに目の前の恋を諦めたいなら、澤村や照島から離れるのが最も適切な方法だろう。けれど、それが牛島の本意ではないのがひしひしと伝わってくるし、照島も牛島が遠くへ行ってしまうのは寂しかった。だから引き止めたくなる。

「行くなよ。ここにいろよ。オレらのそばにいたって、いい人見つかるかもしれないじゃん」
「この二十四年間、大地以外にそんなやつには出会えなかった。出会ったと思ったらお前は大地のことが好きで……結局いままでと何も変わらない。いや、二人好きになった分、いまから味わう辛さも二倍になるんだろう。俺はそんなの耐えられない」

 それとも、と牛島は睨むような目つきをした。

「惨めな思いをすると……辛い思いをするとわかっていながら、お前らのそばにいろって言うのか?」
「だってそんなの寂しいだろっ。俺も大地くんも、あんたがどっか遠くに行っちゃうのは寂しいよ。それにあんただって寂しいくせにっ」
「寂しいに決まってる。でも、仕方がないんだ。こうしなければ俺はたぶん……今度こそ駄目になる。粉々になって、きっともう元には戻れない」

 牛島は、もっと強い人間だと思っていた。いや、実際に強いのだろう。そんな牛島が弱音を吐きたくなるほどに、彼の抱えている想いは大きいのだ。それを思い知らされ、自分には彼を救う術がないのだと気づいたとき、照島はもう何も言葉が出てこなくなった。

「今日話したことは、転勤のことも含めて大地には言うなよ」
「で、でも辞令出たらばれるじゃん」
「そのときまで秘密にしておきたい。それと……お前と会うのはこれが最後だ。顔を見ると離れたくなくなりそうだから。大地は職場が同じな以上顔合わせなきゃならんが、それ以外では極力関わらない。――じゃあ」

 牛島は立ち上がる。ここで別れたら、いま言ったように本当に照島にはもう会わないつもりなのだろう。彼とは短い付き合いだったかもしれない。それでも、照島は彼のいい部分を知ってしまった。優しい部分に触れてしまった。――人として牛島のことが好きだった。

「若くんっ」

 立ち去ろうとした牛島の服の裾を咄嗟に掴む。山梨なんかに行ってほしくない。ここにいて、いままでどおり友人として仲良くしてほしかった。

「……お前は俺じゃなくて、大地が好きなんだろう? これから先、お前の気持ちが俺のほうに向くことなんかないんだろう?」
「でもっ……」
「でも、なんだ? これは俺の気持ちの問題だ。お前でも、たとえ大地でも、口を出す権利なんかない」

 澤村と牛島、二人といて照島の心が牛島のほうに傾くことはない。自分でもそれがわかっていたから、掴んだ牛島の服の裾を、照島はそっと離した。

「お前らと一緒にいられてよかった」

 数歩前に進んだところで、牛島が振り返らずにぽつりと零した。

「お前の後ろ頭、本当に触り心地がよかったな。できることなら大地以外には触らせるなよ。――元気でな」

 広い背中が離れていく。照島も寂しかったけれど、その背中はもっと寂しそうだった。だが、照島にはもうかける言葉が見つからなかった。自分の寂しさを埋めるために彼が辛くなるような選択肢を選ぶことはできない。だから離れていく牛島の後姿を、ただ見つめることしかできなかった。




続く





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